奥出雲町議会 2022-12-05 令和 4年第4回定例会(第1日12月 5日)
両中学校とも昭和46年4月に名目統合し、48年に新校舎が完成して以来、今年で50周年を迎えたことから、御来賓、保護者、関係者等の出席の下、先般、それぞれ記念式典が盛大に挙行されました。記念式典終了後、仁多中学校においては、株式会社たなべたたらの里代表取締役里長、田部長右衛門さんによる「やってやれないことはない!いま地方が日本の為にすべきこと!」
両中学校とも昭和46年4月に名目統合し、48年に新校舎が完成して以来、今年で50周年を迎えたことから、御来賓、保護者、関係者等の出席の下、先般、それぞれ記念式典が盛大に挙行されました。記念式典終了後、仁多中学校においては、株式会社たなべたたらの里代表取締役里長、田部長右衛門さんによる「やってやれないことはない!いま地方が日本の為にすべきこと!」
日本では63年前、1959年、昭和34年に設立され、その5年後には問題視されております宗教法人の認証を受けています。1978年に発表されたアメリカ合衆国下院のフレイザー委員会の報告では、1961年にクーデターで生まれた朴正煕軍事独裁政権の下で、謀略工作機関KCIA、韓国中央情報部が統一協会を組織して政治的用具として利用してきたという情報を記しています。
まず、介護老人福祉施設のうち社会福祉法人よこた福祉会が運営されております特別養護老人ホームむらくも苑につきましては、昭和62年に開設され、現在入所定員数は67人で、昨年度と平均稼働率は96.4%とお伺いをしております。
水痘の予防につきましては、昭和62年以降、任意接種として小児を中心に接種をされてきており、平成26年10月から定期接種として導入されてまいりました。町といたしましては、平成24年度から定期接種として導入されるまでの期間、全額公費助成を行う任意接種として取り組んできており、現在、中学生以下の皆様はカバーできている状況でございます。
昭和29年4月1日、奥出雲町の水道事業の給水は供用を開始いたしました。既に67年を過ぎております。地震や台風など大規模な災害が発生し、水道施設や水道管が被害を受けると、生活に大きな打撃を与えてしまうことになります。そのため、耐震性のある水道施設や水道管への更新を進められているとは思いますが、これまでの進捗状況について伺いをいたします。 ○議長(藤原 充博君) 千原水道課長。
木次線全線開通は昭和12年12月12日ですが、出雲横田駅は昭和9年11月20日の開業で、当時から、今のあるべき姿、存在感、役目を予感した文化的な建物としても意識されて設計、建築されたものということは容易に推察されます。町の景観形成上も重要なものとなっています。当時関わられた人々の奥出雲横田の地への思いの深さには、同慶の至りであります。
ああして木次線利活用推進協議会からではございますが、先ほど高尾課長も申し上げましたように木次線応援の日の実施についてをお知らせをしますということで、JR木次線が全線開通した昭和12年12月12日にちなんで、本年9月より毎月12日を木次線応援の日として利用促進を図ります。今月の実施日は9月の12日で日曜日でございます。
では、なぜ奥出雲町で10ヘク栽培農家を農業経営新指導指針にするかといいますと、日本農政は昭和36年制定の農業基本法があり、自立経営農家、近代的家族経営、高い生産性、勤労者世帯と均衡する農業所得などを持つ家族農業経営の育成、つまり選択的拡大、大規模農業を目標としましたが、その後の厳しい兼業化の中で中核農家、基幹男子農業専従者のいる家族農業経営の育成を目指されました。
殊に、多感な小学生は役場があって、郵便局があって、銀行があって、農協があってと、地域社会の仕組みの中で、地域と関わりを持つように指導をしているのが国の教育行政の基本姿勢もありますが、三成小学校は昭和50年代に現地での建て替えをめぐって、罵声が飛び交う大激論の中で、一部利権も絡む事態となり、大もめになったそうであります。
昭和56年以降に建築されたかどうか、56年以降に建築されていれば、基本的にオーケーという形なんですけども、55年以前の建築であれば、耐震工事完了済みの施設であること、土砂災害の危険区域に指定されていないか、警戒区域内であれば、鉄筋コンクリートなど極力強固な構造を備えていることが必要です。なかなか鉄筋コンクリートの集会所は自治会のほうではないんじゃないかなと思います。
昭和に入ってからは、昭和11年11月改築落成、昭和23年11月、三成中学校が三成小学校西側に校舎落成、昭和27年5月、増築校舎落成、昭和28年6月、三成中学校が宮原台地に新築落成、昭和32年、校内に三成幼稚園舎落成、昭和41年12月、西校舎建設落成、殊に昭和61年の改築では移転新築案が地域挙げての激しい議論の中、前段で述べた歴史を踏まえ、現在地決定となっています。
坪倉様は、昭和29年から八川地区、坪倉医院において地域医療に貢献され、昭和42年からは東大阪市において坪倉産婦人科医院を開院されました。平成元年には関西よこた会を設立、奥出雲町の誕生を受けて、平成20年には関西奥出雲会の発足に尽力され、顧問として出身者同士の交流を図られるとともに、ふるさと奥出雲町の発展に御尽力いただいておりました。改めて感謝を申し上げます。
続きまして、国営農地開発の利用についてということで、これも通告しておりますが、横田地区国営農地開発事業につきましては、旧横田町時代に昭和51年度から平成8年度にかけて、総事業費約307億円、造成面積375ヘクタール、53団地、開発農家数が589戸、畑地面積291ヘクタール、そしてかんがい施設として坂根ダム79万トン、パイプライン149キロメートル、揚水機場4か所、ファームポンド3か所、稲原地区かんがい
本町では、昭和60年代から年次的に小・中学校などの公共施設や道路、情報通信網などのインフラを多く整備してまいりました。特に国が経済対策のために大型補正予算を編成された平成3年から13年頃に、公共施設整備が集中しており、当然、やがては老朽化が進み、一斉に更新時期を迎えることになります。
奥出雲町名誉町民につきましては、これまで4人の方に称号をお贈りしておりますが、このたび5人目として、昭和47年から社会貢献活動を続けてこられた、亀嵩地区出身の若槻一夫様を名誉町民とさせていただいたところでございます。その御功績は町民誰もが認めるものであり、これまでの若槻様の様々な活動に対しまして、この場をお借りし、改めて深く感謝とお礼を申し上げます。
松田さんは島根県の公立小・中学校の教職員として、昭和56年4月より平成30年3月まで勤務をされておりました。その間、平成25年4月には小学校の校長に御昇任となられ、平成27年4月から平成30年3月までは、この3年間、三成小学校の校長として勤務をされておりました。
およそ10年前の平成20年7月2日、中央教育審議会の第1回小・中学校の設置運営の作業部会が開催され、21年3月27日、第12回目の作業部会では、小・中学校の適正配置について、学校の設置運営は最終的に市町村の判断、施設老朽化、交通環境整備、市町村合併の進展、地域により人口動態が大きく異なっているので、昭和31年当時とは学校を取り巻く社会状況は変わってきていると学校の適正配置を促しました。
木次線強化促進協議会、これが昭和54年に設立をされております。構成は雲南市、奥出雲町、松江市でございまして、主な事業は、木次線利用促進助成事業、木次線情報発信事業、トロッコ列車車両整備に関する要望活動というふうなことの目的で設立されております。その中で、木次線開業100周年記念事業実行委員会、これは平成28年度に立ち上げておられます。
○議員(8番 川西 明徳君) ところで、奥出雲病院の前身は、戦後の昭和24年、三成町農業協同組合の国民健康保険直営診療所として開設、70年さかのぼります。当時の国民健康保険は旧法です。国民健康保険直営診療施設の設置目的は、本来は無医村、無医地区、医師不足町村地区を解消して、国保の療養給付の円滑化を図り、その事業の運営に支障を及ぼさないことにありました。
文化財の指定状況につきましては、近くの岩屋寺の切開が昭和7年に風化と侵食に関する現象として国の天然記念物に指定されているところでございますが、岩屋寺の建造物などについては指定は受けておりません。文化財の保護は、その所有者御自身が善良なる管理者として管理されていることが前提であり、行政としては、所有者がその文化財としての価値を将来に向かって保っていかれることを支援していくものと捉えております。