甲賀市議会 2020-03-09 03月09日-07号
地形なり地質から起こってくる文化で、やっぱり信楽の文化と忍者というか甲賀武士、それから東海道の宿場という関連には、一定の関係があるようでないというようなことも、そこではお話をされておりました。
地形なり地質から起こってくる文化で、やっぱり信楽の文化と忍者というか甲賀武士、それから東海道の宿場という関連には、一定の関係があるようでないというようなことも、そこではお話をされておりました。
一つ目の課題、「統治を軸とする顕著な普遍的価値の妥当性の更なる検討及び主張する価値等について国内外で広く共有を図ることが必要」という課題は、言い換えますと、彦根城が江戸時代の武士による統治のあり方を示す資産であるという考え方を軸にして、彦根城で主張しようとする価値を国内外の有識者に認めてもらえるようなレベルまで検討することだと受けとめております。
慈眼寺というのは、甲賀武士のお墓と遺灰が安置されています。歴史好きの方は、朱印帳やらを持って、よく来られて、インターネットなんかで出てますから、お寺独自でパンフレットをつくってパンフレットをお渡しされているんです。 そういうような関係で、日本遺産になって、あそこはちょうど県道のバイパスができました。今までは余り目立たなかったんですけど、本当に表通りになって寺がよく目立つところです。
外堀土塁を除く特別史跡の範囲を資産とし、城を中心に形成された旧彦根城下を中心とする範囲をバッファゾーンに想定して、彦根城が17世紀から19世紀半中ばにかけて、安定した秩序ある社会を維持した武士による統治の仕組みを伝える、世界的に稀有な場所であると説明しております。また、資産やバッファゾーンの保存管理についても言及しております。
このエリアは、武士が天守を中心とする城に集住し、価値観を転換して、文武両道の官僚としてまとまり、200年以上にも及ぶ安定した社会を維持したという、江戸時代の武士による統治の仕組みを日本国内の城の中で最もよく示しており、この当地の仕組みは日本史においても、世界史においても独特な仕組みであることが明らかになってきました。
同一国内の同種の資産によるシリアルノミネーションは非常に難しいと考えていることから、本市におきましては、昨日もご答弁申し上げておりますが、彦根城につきましては天守、御殿、武家屋敷、大名庭園や藩校の遺構などがまとまって残っており、そこに武士が天守を中心として集住し、価値観を転換して、官僚として役割を担ってきたという、200年以上にも及ぶ武士の統治の仕組みを、日本国内において最も彦根城がよく示しているという
現在、彦根城の世界遺産登録につきましては、日本の江戸時代の城を中心として建設された都市の理念を示す資産、あるいは日本の江戸時代の武士による統治の仕組みを示す資産としての登録を考えておりますが、近代に植えられました彦根城の桜がこうしたコンセプトの大きな障害になるとは考えておりません。 しかし、彦根城内の桜の中には、木の根が石垣の保存に悪影響を及ぼしているものが見受けられます。
新渡戸稲造さんの武士道もそこから来て、市長もいつもスイッチがオンになっておられるという中で、ある程度、私であったりとか、先輩であったりとか、選挙人いうのはある程度、そういう人、仕方がないのかもしれないんですけれども、谷畑市長ではなくて、谷畑英吾になるときもしっかりとつくっていただくことも必要なんじゃないかなということを感じました。
一つ目の課題につきましては、姫路城は主にその天守が17世紀の木造城郭建築の最高峰として登録されたのに対し、彦根城とその城下の建造物群および遺跡は、徳川幕府が拡大しつつあった戦乱に終止符を打ち、社会的安定を目指して武士を集住させて構築した江戸期の都市の理念、行政、経済および文化を表現しており、琵琶湖など周囲の自然環境を利用した融和的な土地利用によって特徴づけられると説明いたしました。
そのとき、その貿易をするに当たり、侍が、武士ですね、その取引をするときに誰ひとり、ただ一人も賄賂を要求した侍はいなかったと。その日本人のこの高潔さ、清廉さというのを特筆すべきものとしてこれを本国に伝えておけという文章がございます。それほど日本人の侍というのは高潔であったということが記されております。見習いたいものだと思います。 以上で終わります。
さらには、強い義の心に裏打ちされた武士道の精神もしかりではないかと考えます。 いずれにしろ、幅広い倫理教育を何らかの形で取り入れるべきと考えますが、当局の見解を伺いたいと思います。
あと万川集海、甲賀武士、山伏、山岳仏教、修験道場、東雲舎、配置売薬等々、挙げれば切りがないぐらい忍者との関連のある観光資源がたくさんございます。
甲賀忍者とは何か、甲賀郡中惣を構成していた甲賀武士や修験僧、そしてまた全国各地に赴いた薬売りの人たち、そしてまた、ふだんはお百姓さんとして生活され、いざ大名などから要請があったときには戦に参加した人たちとも言われています。忍者としての観光を発信するには、甲賀の地に存在し活躍した本当の忍者の歴史や資料を展示し、案内する発信拠点がどうしても必要と考えます。
江戸幕府が理想とした社会秩序に基づいて、政治・行政に携わる武士が、社会的役割に応じ、城と城下に同心円状に配置され、それぞれの居住地域が琵琶湖などの水をたたえた堀によって明確に区分されました。こうした江戸時代の都市の構造や機能は、彦根市においては、明治以降においても本物の姿を保つ資産群を通して、まちの伝統として継承されてまいりました。
近隣の城下町が支配型の武士、商人の町であったのに対して、この北上地方は被支配型、支配されるほうの町であったということでございまして、そのような地域性から生まれた受け入れ気質が企業誘致を展開していく上で大きなメリットになったということでございます。
高級武士には1頭ずついたと伺いました。例えば馬にチャレンジするとか、何か考えられないのかと思いました。市長のうちには馬がいます。ぬいぐるみとか、着ぐるみでなくても考えられるのではないかと思いました。これは要望とさせていただきます。 次に、大項目2、通称赤橋(開出今橋)の改修について。 赤橋は、よく目につき、みんなに親しまれている橋です。 中項目1、通称赤橋(開出今橋)の改修について。
江戸時代、武士が集住することにより、城を中心に多くの都市が新規に発展いたしました。彦根市には、その都市構造を示す資産の総体が本物の姿で多く残っております。また、彦根では、そのようにして成立した都市が、琵琶湖の水を初め、周りの自然と融合し、再現された自然が統治と文化活動の環境をつくっていることに注目しております。
それと、歴史家ですが、現在想定しておりますのは、江戸時代の歴史に詳しい著名な方、例を挙げますと、国際日本文化研究センターの准教授で、「武士の家計簿」等映画化された原作をつくられております磯田道史先生といった方にお願いできればと思います。
本市は、かつて聖武天皇により都が置かれた地であり、戦国乱世の時代には、甲賀武士みずからが自治制度をつくり出し、忍術を生み出した地でもあります。先人から受け継ぎ、他の自治体にはない日本を代表する東海道や信楽焼、お茶など、数多くの豊かな地域資源が存在をしております。しなしながら、統一したブランド力に欠ける部分が見受けられるのも事実であります。