静岡市議会 2021-12-08 令和3年 観光文化経済委員会 本文 2021-12-08
その中で静岡市の所蔵資料、多田元吉、お茶で有名な方ですが、その遺品等が約300件、浅間神社の所蔵資料は県指定文化財である紅糸威腹巻という形での物をはじめとする約130件、あとは個人や法人、他の寺院から寄託を受けた資料は、麻機北の浅間神社の県指定文化財である鰐口あたりをはじめ約270件、静岡市の文化財協会の所蔵資料につきましては、もとより信長の和歌などを約80件という形で所蔵しております。
その中で静岡市の所蔵資料、多田元吉、お茶で有名な方ですが、その遺品等が約300件、浅間神社の所蔵資料は県指定文化財である紅糸威腹巻という形での物をはじめとする約130件、あとは個人や法人、他の寺院から寄託を受けた資料は、麻機北の浅間神社の県指定文化財である鰐口あたりをはじめ約270件、静岡市の文化財協会の所蔵資料につきましては、もとより信長の和歌などを約80件という形で所蔵しております。
亡くなった本人とのかかわりが希薄、経済的に余裕がない、遠方に住んでいるからなどの理由で、葬儀葬祭の執行、埋葬、遺品の引き取りなどの支援を拒否するケースが生じ、引き取り手のない遺骨が増加するという問題が全国的に広がっていると認識しております。 引き取り手のない遺骨はどこが処理するのか。
私も見学をさせていただきましたが、警察、医師、歯科医師などにより、犯罪性の有無などを調べる検視から、遺品や歯の治療痕からの身元確認など、多くの人と時間、そして、場所を必要とすることがよくわかりました。 そこで、9月1日に南部体育館で実施した遺体安置所の設営訓練についての状況はどうだったのか、お聞かせください。 今後、遺体安置所を選定するに当たり、地域の方々の協力が必要です。
これを機に、井上侯の遺族から遺品656点が本市に寄贈されました。寄贈された遺品は、書画、工芸品、硬貨、勲章、書簡類などです。 その中には、先日、NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」で紹介され、新聞でも取り上げられた、高杉晋作や久坂玄瑞、井上 馨侯など、長州藩士が尊王攘夷のための結束とその実行を約束する血判を押した、文久2年御楯組血盟書のような、幕末史にとって貴重な資料も含まれております。
例えば、羽衣伝説の紹介、エレーヌ・ジュグラリスさんの遺品、あるいは、松の管理を強化するための松原の管理センター機能も備えたものにして、世界遺産にふさわしい魅力ある施設にしてまいりたいと考えております。
これらの機能をさらに充実するとともに、羽衣伝説の紹介、エレーヌ・ジュグラリスさんの遺品などを紹介します。また、松原の管理センター機能も備えまして、世界遺産にふさわしい魅力ある施設にしてまいりたいと考えております。
現在の限られたスペースに合わせた展示などを拡充するとともに、三保に憧れましたフランスの舞姫エレーヌ・ジュグラリスさんの遺品や、彼女が求めた羽衣の世界を紹介するなど、さらに魅力あるものにしてまいります。
そして、この家康公の時計は、久能山東照宮が所蔵する数ある家康公の遺品とともに一括で昭和54年に国の重要文化財に指定されています。 よって、世界でも大変貴重なものであると同時に、当時の日本とスペインの友好関係を証明する、国際人家康公の遺品であると認識をしております。
現在、これらのエレーヌの遺品は、静岡市清水中央図書館のコーナーに展示されています。清水区にお住まいの方は一度はごらんになっているのではないかと思いますが、葵区、駿河区にお住まいの方はいかがでしょうか。これこそが地域の宝、静岡市として貴重な素材だと思うのです。
また、地元小島には、藩主ゆかりの資料や遺品を所蔵する方もおります。資料をやってあるんですが、写真は、新聞にも書かれていますように、全国唯一存在する江戸時代の武士たちの屋敷跡です。現在は石垣と書院が別々の場所にありますが、自治会住民は、いずれは書院を石垣のある陣屋跡地へ戻して、史跡として保存していきたいと思っております。
清見寺には、これらの武将にかかわる遺品や遺構など、文化財が数多くあるわけでございます。江戸時代、宿駅制度の実施により、東海道五十三次の宿駅が設置されるや、交通のかなめに位置する興津の宿は、風光明媚な景観と相まって、活況を呈し、清見寺膏薬とか、あるいは興津鯛で有名で、清見の寺の立て場は、東海道の名所として、特ににぎわったわけです。
そのテーマの1つに多田元吉翁の顕彰があり、多田家から遺品もお預かりしておりますので、今後、静岡茶発展の功労者としての足跡をまとめた展示会の開催や紅茶の原木の顕彰などについて検討していきたいと考えております。
これには平野富山、三保神社や羽衣に関係するもの、エレーヌ・ジュグラリスの遺品等を展示する。常設展示。あまり変わっていないと思っているわけですね。和田栄作という名前が新たに出てきたという問題ですね。収蔵庫は広く取る、こういうことが言われていたわけですね。 それで能舞台、ここです、問題は。常設で、本格的な能舞台とするという構想が出されてきていたわけですね。
この資料館には、羽衣伝説や、エレーヌ・ジュグラリスの遺品、また平野富山の作品の展示などが考えられております。これらの資源を生かし、清水市の情報発信機能を持ち、地域文化の象徴、観光の拠点施設とするためには、現実に即した内容や活動方策について検討する必要があると考えております。
特攻平和会館は太平洋戦争末期、沖縄決戦に人類史上類のない、爆走した飛行機もろとも肉弾となり、国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら1機1艦の突撃を敢行した陸軍航空特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等、貴重な資料を収集、保存、展示して、当時の心情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与したいということで建立されたようであります。
私も以前、伊豆の方に行きましたけれども、そのときにちょっと見学しました戸田村に洋式帆船建造地及びロシアのプチャーチンの遺品関係といった、戸田村立造船郷土資料博物館というふうなものもありました。非常に小さなものですけれども、その場に一番ふさわしいといいますか、特色を出した博物館ですけれども、このように規模の大小はあっても静岡県のほとんどの市町村に博物館や資料館がつくられております。
静岡アウシュビッツ展は、ポーランド人民共和国、文部省、同国立博物館所蔵のアウシュビッツ強制収容所の遺品、記録写真、記録画を展示し、それらを通して市民に歴史的事実を知ってもらうことを目的として開催されたものでございます。展示内容は、ポーランド人民共和国から出展された、明らかに歴史的事実を証するものであって、それらを展示公開することは、他国の文化、歴史を知る機会を提供するものでございます。
昭和50年に特攻遺品館が建立されて以来、年々ふえる観覧者や、遺品収集で手狭となったため新築されたのであります。太平洋戦争末期沖縄決戦に人類史上類のない爆走した飛行機もろとも肉弾となり1機1艦の突撃を敢行した陸軍航空特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集、保存、展示して、当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものであります。