堺市議会 2008-03-14 平成20年度予算審査特別委員会(総務財政分科会)−03月14日-01号
またエッセンという市がございますが、IBAエムシャーパークというこの構想を打ち出して、廃墟となった炭鉱のまち、炭鉱のまちというと、非常に皆さんもイメージしていただきますように、暗い感じがするわけでありますが、このまちを見事再生をさせた。そして今は世界遺産としての登録もされておりまして、炭鉱の暗いイメージを観光資源として逆に活用していったというところがございます。
またエッセンという市がございますが、IBAエムシャーパークというこの構想を打ち出して、廃墟となった炭鉱のまち、炭鉱のまちというと、非常に皆さんもイメージしていただきますように、暗い感じがするわけでありますが、このまちを見事再生をさせた。そして今は世界遺産としての登録もされておりまして、炭鉱の暗いイメージを観光資源として逆に活用していったというところがございます。
神嶽川の上流では、旧足立村で明治20年ころ足立炭鉱が発足、次いで明治26年、小倉炭鉱など早くから石炭の生産が始められました。戦後の鉱脈調査で推定埋蔵量4億トンの鉱脈が発見され、炭都小倉は沸きに沸き、試掘19鉱区、採掘9鉱区、合計延べ掘削面積は何と1,070万坪を超え、小倉北区の地下は今でも網の目のように坑道の跡が残り、時に炭鉱鉱害が出ます。
同時に、今駅舎だけではなくて、駅舎も含めて明治、大正の2つの文化を呈するこの駅舎、そして、田川、飯塚、直方、あの炭鉱地帯、そして、石炭を運んだ堀川と洞海湾、それが鉄道輸送に切りかわって、折尾駅がその象徴的なシンボルになった、この石炭の歴史全体を歴史遺産として登録をする、そのために世界遺産に登録をしようという動きが今非常に強まっております。
次に、万が一、亜炭炭鉱に起因する局所的な陥没が発生した場合の対応についてでございます。 国は、地盤沈下の解消を公示するに当たりまして、そういった万が一の場合に備えまして基金をつくりまして、地域ごとに指定された当該地域の法人が処理する制度、これは指定法人制と称しているようでございますが、これを導入しております。
参事・生活衛生課長 今回、温泉掘削に従っての可燃ガスが貯留したためということでございますが、それ以外で自然的なものというと、特にここいらでは、よくあるのが地下なんかにごみがたまって、そこでメタンが発生してというようなことがあるのかなということはありますが、あとは、自然的にどこかガス管が穴があいたとか、漏れてたまってというようなことなのかとは思いますが、ぱっと言われるとちょっと、自然災害的には、例えば炭鉱
九州労災病院については、戦後間もなく我が国に復興の兆しが見え始めたころ、産業活動が活発化するにつれ、炭鉱事故など労働災害が多発するようになったにもかかわらず、我が国における医療事情が劣悪だったため、被災労働者に対して十分な医療を施すことができない状況に当時ありました。
夕張と言えば炭鉱の町、高級な夕張メロンの産地、国際映画祭の開催地など、すぐに思い浮かびますが、その地勢や歴史を簡単に、理解のために述べてみたいと思います。 位置は北海道のほぼ中央で、新千歳空港から約60キロの圏内にあり、夕張山地に広がる丘陵傾斜地に市街地があります。市の起源は、明治21年に石炭の露頭が発見されたことから始まり、明治23年に最初の炭鉱が開発されました。
鉄骨づくり2階建てとしてございますが、これは学校の校舎敷地の地下約50メートルに炭鉱の本坑があり、その上部に斜坑が通っているため、過重な影響を少なくしているものでございます。この校舎は、昭和63年から平成元年にかけまして内外壁の補修やサッシの取りかえなどの大規模改造工事を行っており、耐用年数から見ても校舎の建てかえの時期がまだ来ていないと考えてございます。
雇用促進住宅は、1965年ごろに炭鉱離職者の就労支援を目的に国が設置したもので、就職、転居などで居住の移転を余儀なくされた労働者の住宅を確保し、現在では低所得者の居住確保の役割も果たしています。千葉市内には、花見川区、稲毛区、若葉区、美浜区に合計で30棟、948戸あります。
報道によりますと、夕張市は産炭地として繁栄した都市でありましたが、エネルギー革命には抗し切れず、炭鉱閉山、人口の大幅減となり、その再生のため観光振興に取り組み、その資金は借金によるもので累積赤字が600億円ともなり、赤字隠しのため一時借入金を充て、一般会計は見かけ上、黒字にしていたというものです。このことにかかわって、熊本市の現状についてお尋ねします。
報道によりますと、夕張市は産炭地として繁栄した都市でありましたが、エネルギー革命には抗し切れず、炭鉱閉山、人口の大幅減となり、その再生のため観光振興に取り組み、その資金は借金によるもので累積赤字が600億円ともなり、赤字隠しのため一時借入金を充て、一般会計は見かけ上、黒字にしていたというものです。このことにかかわって、熊本市の現状についてお尋ねします。
新聞報道等によると、かつて炭都として栄えた夕張市でありましたが、エネルギー革命後、炭鉱は閉山となり、人口は激減する中、観光開発などを行うなど積極的な財政運営を行ったものの、最後は不適切な財務会計処理を重ね、破たんに陥ったと聞いています。
車両の生産や造船が盛んになり、九州や北海道の炭鉱も進みました。兵器の何とかとかということは昔の大阪書籍には一言もありません。今現在になって、他の教科書が書いていないこういった記述を大阪書籍がされていることにつきまして、私は非常に遺憾に感じるところでございます、感情的にです。皆さんもそう思われてるんではないかと思います。
例えば,名古屋市の伊勢湾台風や神戸市の大震災による災害対策としての住宅供給,北九州市の炭鉱閉山に伴う就労者への住宅対策などのように,都市ごとに個別の要因などもございます。市営住宅の供給につきましては,社会経済情勢の変化や,住宅に困窮する低所得者の方の実態などを把握し,財政状況も勘案しながら対応していくことが重要でございます。
よく子供たちの世界は大人の姿を映す鏡であるだとか、あるいはカナリヤという鳥は炭鉱に入って有害な毒を鳴いて鉱夫に知らせるというような話を聞いたことがありますけれども、今子供たちが悲鳴を上げているというこの声をしっかりと受けとめていくと、大丈夫だよという安心感を大人自身が、地域社会自身が持っていくということが、非常に大事なのではないかなと感じています。
私、新聞記者時代に九州に長くいて、そのときに筑豊地方という昔の炭鉱跡ですけれども、そこに長く4年ほどいたんですけれども、そこでは赤池町というところが、私がいる間に赤字再建団体のラストの方だったかな、10年計画で赤字を脱するというものの6年目、7年目くらいでした。その当時、そこの財政力指数は0.2ぐらいでしたね。
かつては,高齢者の割合というのは2割ぐらいしかなかったわけで,むしろ全国的には,いわゆる炭鉱閉鎖なんかで失業なさっている皆さんの部分が大変多くて,そこらについての支援みたいなところも,時代の背景としてはあったと僕は思っております。
これは、炭鉱、漁業などの産業の衰退が著しく、また、製造業等の基盤の脆弱な北海道では顕著な問題でありまして、道内各都市でもだんだんと人口減少が進みんでおります。札幌市では、道内からの人口流入もあって、人口の微増が続いているところであります。
最後に、要望なんですけれども、今まで、北海道には炭鉱がありまして、低酸素脳症の方々が精神病院の中で一生暮らさなければならないといったようなことが多くあったんですけれども、これからはそうではなく、できるだけ地域で生活する、就労もできるといったようなことが大切になってくると思います。
実は、例として適当かどうかわかりませんが、私は炭鉱出身であります。昭和50年、60年代に、炭鉱は大いに栄えた時代を終えまして閉山が相次ぎました。このときに各行政が一生懸命取り組んだことは、一つは離職者の雇用の受け皿、あるいは地域振興策として、工業団地や産業団地というものを積極的に誘致いたしました。