札幌市議会 2013-12-05 平成25年 第4回定例会−12月05日-04号
原発事故以降、エネルギー問題が喫緊の課題となっており、市民ネットワークは、7月、市民団体が企画した、国のエネルギー政策が変遷する中、炭鉱で生きた人々の暮らしや炭鉱の歴史や文化を考えるツアーに参加しました。
原発事故以降、エネルギー問題が喫緊の課題となっており、市民ネットワークは、7月、市民団体が企画した、国のエネルギー政策が変遷する中、炭鉱で生きた人々の暮らしや炭鉱の歴史や文化を考えるツアーに参加しました。
また、今、ユネスコによって世界で創造都市ネットワークが進められていますが、国連、ユネスコがそれを進めているというのは、まさに衰退したまち、昔は炭鉱のまちですごかったけれども、今は時代の流れに押し流されて衰退されてしまったまち、あるいは、イギリスの鉄鋼のまちなど、それらのまちがそのままあるのではなく、そこで自分たちはこれから何をなすべきなのかということを考えるきっかけになったのは、やっぱり、多くの芸術家
かつては炭鉱で栄えた若松の町も活力が失われており、この格差を縮めるためには政治の力しかないと思うようになりました。私を育ててくれた北九州、若松に一生かけて恩返しをさせていただきたいという気持ちが政治の世界を志した原点であります。 それでは、新球技場建設について述べさせていただきます。
坂本氏は、夕張の炭鉱跡にアート作品を展示したい、あるいは、山口市と連携したいということで札幌市以外のことが多く書き込まれておりまして、本当に札幌を愛してディレクターに就任をしていただいたことはありがたいのですけれども、私たち自民党会派は、坂本氏は札幌のことをよくご存じでいらっしゃるのか、その辺を疑問に思っているところでございます。
坂本氏は、炭坑跡を補修してアート作品を残したいと芸術祭に提案していますが、札幌には炭鉱はありません。その上、白老町のアイヌ民族博物館や新千歳空港、さらには、唐突に山口市と連携したいなどと語っておられる様子を聞くと、坂本氏は一体どこまで札幌市のことをご存じなのか、私は疑問を感じます。 ここで、質問ですが、坂本氏は、芸術祭のために札幌を訪れたことがあるのですか。
さらに,太陽光以外のエネルギーにつきましても,環境未来都市構想検討会議に参加いただいている川崎重工さんの方では,炭鉱から大気中に放出されているご指摘の低濃度メタンガスを有効利用する発電装置の開発をしたり,あるいは本市で入札手続中の第11次クリーンセンターでは,高効率のごみ発電事業の設置提案を必須にするということで,民間・行政ともにさまざまなエネルギー創出に取り組んでいるところでございます。
実は、この冷泉というのは、冷泉が則松に出ていたんですけど、実は私の祖先がその冷泉を掘り当てまして、温泉施設をやって、そして、近場の炭鉱でやけどをした人をそこに来させて、湯場っていうところで治していたんですけど、この私のところから直線で行くと丘ノ規病院という病院がありまして、その上にサン・グリーンホームという特別養護老人ホームがあります。
炭鉱による産業構造の変化に行政がついていけなかった。撤退した民間企業の病院や社宅を市が買い取り,それが財政悪化につながりました。何とかわらをもすがる思いで観光・箱物行政を取り組んだわけでありますが,残念ながら失敗がとどめを刺した,これが夕張の破綻の原因であります。
そのほかにも、市内には、旧サッポロビール門司工場、旧古河鉱業若松ビルなど、また、周辺地域では、中間市にある製鉄所の遠賀川水源地ポンプ室や、大牟田市の三池炭鉱施設など、市内外に多数の近代化産業遺産が存在しております。 現在、本市では、商工会議所とも連携し、官民一体となって産業観光を推進しております。重工業から家庭用品までさまざまな工場を見学することのできる取り組みであります。
その下には旧小倉炭鉱の跡があり、地下坑道が空洞になって、大規模な地震が起これば地盤沈下で家屋が沈没すると、そういう状況もあると言われています。また、足立山のふもとには西日本最大の陸上自衛隊富野弾薬庫も存在しています。本市にとって危険な上に耐震化がされていない住宅が多数存在している、耐震化と安全対策は急務の課題であると思います。
川重さんはどんなの持ってるかというと,公にされておるのであれば,例えば炭鉱とか廃棄物の埋立施設では,大気中に──例えば,うちの布施畑もそうですが,メタンが出ておるんですけども,薄いんです,濃度が。従来はあれ,2%ぐらいの,薄い──薄いから問題ないのもあるんですけども,それを触媒燃焼されて発電をすると,こういう技術が開発されておるんです。
炭鉱閉山による人口の激減、観光施設への過大投資、不適切な財務処理等による累積赤字の拡大等による財政破綻であり、国のエネルギー政策の転換による炭鉱閉山、人口減少という特殊な要因はあるにしても、教訓とすべき取り組みが多々ありました。夕張市は事業すべてについての見直しを実施しており、究極の事業仕分けとも言える、まさに聖域なき行財政改革の取り組みを進めております。
世界恐慌時に,炭鉱労働者が家のストーブにくべる石炭を買うことができない話がありました。今は,自動車やカメラを組み立てている人が自分のためには買えない状況です。物はあるのに,働く人の賃金が低過ぎて買うことができない点が共通しています。こんな歴史の繰り返しはストップさせなくてはなりません。
2点目に、八幡西区の上津役中学校は、昭和46年に建設された築38年を迎える建物ですが、敷地の地下約50メートルに炭鉱の本坑があり、その上部に斜坑が通っていることから、過重な影響を少なくするために、いわゆる鉄筋コンクリートづくりではありません。軽量鉄骨2階建てで、屋根は鉄板づくりとなっており、夏場は非常に暑いことから全館冷暖房完備となっていますが、昨年の夏は冷房が故障し大変だったとも聞いています。
5点目の同情すべき環境でございますが、かつて夕張は炭鉱のまちとして栄えていた時期がございました。しかしながら、エネルギー構造の変化により、炭鉱の閉山が続き、急激に石炭産業が衰退していったという事情がございます。その結果、人口の急激な減少と高齢化が進み、当時の市長が観光産業に活路を求めた際、税金を使って事業を実施したことに問題があったのではないかと思います。
雇用促進住宅は、御承知のように政府が進めたエネルギー転換により、とりわけ炭鉱の鉱山の閉山に伴って移転、転職を余儀なくされた人々の住居の確保を目的に、1960年度から国が建設をし始めた住宅であります。その後、移転、就職者のほか職業の安定を図るために宿舎の確保を図ることが必要と、勤労者を対象に資格要件が緩和をされ、現在、全都道府県にあり、14万戸に35万人を受け入れております。
今、日本の森林がなぜ荒廃しているかといったら、従来は、間伐した木を燃料にしたり、パルプにしたり、あるいは炭鉱の坑木にしたりということで国内のものが使われたわけですね。ところが、今は、炭鉱はもうなくなってしまった。そして、燃料ということになったら石油になってしまった。パルプは外国から安い木材を輸入してくる。そういうことで国内のものが使われないということになっているんです。
古いのは42年ぐらいから建設されているものもあり、炭鉱が閉山になって入居されている方もいらっしゃいます。 そういう中で、雇用促進住宅については、平成13年に政府が早期廃止の方針を打ち出しております。
この雇用促進住宅は、1950年代後半からのエネルギー転換の強行による炭鉱閉山などによって、移転、離職を余儀なくされる人々の住宅確保を目的として、1960年から雇用促進事業団、現在は雇用・能力開発機構になっておりますけれども、ここが建設を始めたもので、この後ですね、移転、就職者向けだけではなく、仕事と住まいを求める人たちを対象にする入居資格の要件が緩和されました。
◎教育長(木場田文夫) 強制的に連れてこられたという記述についての御質問でございますが、副読本が作成された平成15年に本市で使用しておりました中学校の歴史教科書に、戦時下の労働力不足を補うために、朝鮮人を強制的に日本に連行し、炭鉱・鉱山等で働かせたと記述されております。