札幌市議会 2020-10-22 令和 2年第一部決算特別委員会−10月22日-07号
そのほか、愛知県犬山市にある博物館明治村では、人気アニメ「ゴールデンカムイ」とコラボし、リアルな謎解きゲームやコラボグルメやスタンプラリーなど、家族でも楽しめるコラボイベントを来月末まで開催し、このコロナ禍の中で善戦しているとのことでございます。
そのほか、愛知県犬山市にある博物館明治村では、人気アニメ「ゴールデンカムイ」とコラボし、リアルな謎解きゲームやコラボグルメやスタンプラリーなど、家族でも楽しめるコラボイベントを来月末まで開催し、このコロナ禍の中で善戦しているとのことでございます。
説明文で明治からの経緯に触れますとともに、下の右側の囲みでは1995年度から2000年度に実施いたしました再整備についてまとめております。当時の計画では、パークホテル隣接部を北入口広場として位置づけておりまして、今回の基本構想もこの考え方を踏まえて再整理したものでございます。 次に、その下、2−3.南10西3地区におけるMICE・ホテル複合施設の整備でございます。
ご承知のとおり、豊平館は、明治初期の開拓時代の建物でありますし、こうした昔の建物の形や構造を知るための手がかりとする残存物としては貴重なものであり、そうした視点からも国の重要文化財として指定されて、札幌を代表する歴史的建造物の一つとなっております。
豊平川に初めてかけられた丸太橋は、わずか3カ月で流され、明治時代には、かけては流されるという表現が大げさでないほど、架橋と流失が繰り返されましたと、現在の豊平橋について記されています。 その後も、1882年、1904年など、台風と集中豪雨による豊平川の氾濫と橋の流失などが記録され、1981年8月には、後に56水害と呼ばれる2回にわたる大洪水が起こりました。
しかし、昨年8月に製造、販売が解禁となりまして、この春からは、江崎グリコや明治といった国内の大手メーカーが販売を開始しまして、市場にもどんどん流通してきているところでございます。最近では、お湯や水に溶かす必要がないという利便性の高さが受けて、乳児がいる若い夫婦などに浸透し、日常的に液体ミルクを利用するご家庭もふえてきていると伺っているところでございます。
草地雑草のうちでも、特にハルガヤは、18世紀から19世紀の移民により北米、欧州にもたらされ、日本には明治中期に導入されたハルガヤが逸脱し、その後、日本全土に分布いたしました。道内では、以前は道端や痩せ地などで見られる程度で、土壌肥沃度の低下を示す指標雑草と考えられていましたが、近年、雪の多い地域で急速に広がりを見せており、当市もハルガヤが5%から40%生い茂る草地は複数確認されております。
これは、明治42年、1909年に馬車鉄道が運行開始してから、ことしでもう110年にもなるもので、札幌の歴史とともに歩んでいる路面電車だと思うのですね。もっと光を当てて進めていただきたいというふうに思っております。
札幌市は、時計台に代表される明治以降の歴史的建造物、歴史的な資料や文書、民俗文化財などさまざまありますけれども、文化財を守り、保存し、継承、また研究していくことは重要なことだと考えます。 昨年の胆振東部地震では、月寒郷土資料館とエドウィン・ダン記念館で煙突損傷があり、札幌村郷土資料館では展示ケースや展示物の破損などの被災状況をお聞きしております。
札幌では、明治期に大通公園や中島公園が整備され、これらは、札幌を代表する風景として認知されており、多くの観光客が訪れる場所となっております。
中島公園は、MICE施設の整備も計画され、人の出入りも格段にふえ、しかも、明治時代の中島遊園地に始まり、歴史ある公園です。大通公園などとともに、全国的にも名をはせている公園です。そんな歴史ある公園のトイレに駆けつけ、はっと気がついたら紙がないと。私も経験がありますが、これでは観光都市さっぽろとして余りにもお粗末な話ではないでしょうか。
ところが、展示しているのは明治維新以降の入植以来のものなのです。そこで、白石区にも20万の人がいますから、考古学をいろいろやっている人がいますが、そういう人から、明治維新以降は比較的いろいろな資料がある、しかし、白石区の成り立ちの資料館となるとやっぱりそれ以前のものが大事ではないか、こういう話が私のところに多く寄せられました。
ご承知のとおり、札幌における本格的なまちづくりは、明治2年の北海道開拓使の設置までさかのぼりますが、その後の明治32年、札幌は、函館、小樽とともに、北海道区制が施行され、道庁による官治を脱した自治の時代に入りました。しかしながら、この札幌区と称された時代は、当時の本州府県における市町村と比べ、その自治の権限は大きく制限されていたとのことであります。
また、オリンピック会場の候補になっております帯広市所有の屋内スピードスケート場の明治北海道十勝オーバルは、7月にオープンしましたが、胆振東部地震による停電で氷の下の配線が浮き出たところもあり、再度、ゼロからのリンクづくりをしなければならなくなりました。こちらは11月に大会があるために1週間で復旧いたしましたが、修復には一から氷をつくり直すしかなく、通常であれば2カ月かかると言われております。
この旧門は、明治時代から、月寒にあった大久保レンガ工場でつくられたれんがを使って、大正14年に製作、寄贈されたものです。大久保レンガ工場のれんがは、月寒歩兵25連隊の多くの建物を初め、道庁旧庁舎やサッポロビール工場にも使われていたものであります。
スピードスケート会場につきましては、既存施設の活用や観客席設置基準の撤廃という観点から、真駒内屋外競技場6,000席の建てかえから、帯広の明治北海道十勝オーバル3,000席という会場案へ見直しを図ったところであります。
これは、先月の4月30日に行われた明治大学対帝京大学戦のテストイベントなど、札幌開催に向けた準備や都市装飾などの機運醸成を図るPR活動のほか、宝くじ収入を財源とする組織委員会への負担金等でございます。 次に、8ページ一番上の太字の東京2020オリンピック・パラリンピック開催準備費でございます。これは、昨年度に引き続き、組織委員会との協議など札幌開催に向けた準備を行うものでございます。
ご質問の創成東地区は、明治の開拓期の古くから、酒造工場を初めとして、みその製造所や木工所などが建ち並ぶものづくりの場として札幌の発展を支えてきた歴史がございます。同時に、廃品回収や日雇い仕事で生計を立てる苦しい生活を送る人々も、多数、居住されていた地区でございます。
これは、時は明治、津田塾大学をつくった津田梅子さんのお父さんの津田 仙さんが、オーストリアのウィーンで国際博覧会があったときに日本の代表団として行って、シンジュの木とかハルニレとか、今、街路樹になっている幾種類かの木の種を持ち帰ってきて、日本で育てて植えた木なのです。
市立札幌病院は、皆さんもご存じだと思いますけれども、明治2年に開設され、150年という歴史を持っており、そして、今まで市民のための病院として本当に親しまれ、頼りにされてきたということは承知しております。特に、平成28年度の実績でも、1日平均で約1,600人の方が外来を受診していたり、また、年間1万6,000人を超える方が入院していることもお聞きしております。
加曽利貝塚は、明治20年から知られる著名な遺跡で、昨年、国の特別史跡に指定された国内最大級の貝塚であり、史跡敷地内にある加曽利貝塚博物館も50年を超える歴史があります。貝塚の地層断面に覆屋をかけて実物が間近で見られるように工夫されており、遺跡の魅力を伝えるには本物にまさるものはないと改めて認識したところであります。