札幌市議会 1988-03-02 昭和63年第 1回定例会−03月02日-04号
さて,国内における特異なケースを見てみますと,瀬戸内にある倉敷市は,川に沿った街屋敷や酒食などのたたずまいと,旧紡績所を改築し再利用したアイビースクエア,中世ドイツ風の建築様式をデザインした新市庁舎など,地方の美観都市を目指した街並みの形成に努力しております。
さて,国内における特異なケースを見てみますと,瀬戸内にある倉敷市は,川に沿った街屋敷や酒食などのたたずまいと,旧紡績所を改築し再利用したアイビースクエア,中世ドイツ風の建築様式をデザインした新市庁舎など,地方の美観都市を目指した街並みの形成に努力しております。
比叡山の焼き討ちをもって我が国の中世の世界観を打ち破ったと言われるかのつわものの織田信長でさえ,信玄という名を聞いただけで震え上がるほど恐れていた時期もあったとかというのは,たしか山岡荘八かだれかの小説にございました。
また,歴史・民俗資料も,中世,近世の歴史資料に加えて,児島湾の干拓資料など,岡山特有のものも残っております。これらの文化遺産の保護・保存は行政に課せられた重要な責務と考えますので,これに取り組んでまいらなければならないというふうに思っておりますので,御理解をいただきたいと思います。 次は,文化財保護・保存の行政体制についての一連のお尋ねでございます。
現在,人文科学領域では吉備路文学館,林原美術館,夢二郷土館など民間の手による単一各論的な博物館が存在し,古代博物館では倉敷の倉敷考古館,埋蔵文化財センター等が主たるものでありますが,これらを見ても明らかなように各個ばらばら,点の存在であり,しかも岡山の中世の歴史のわかる博物館が乏しいということはまことに残念であると思います。
となると,これからは,前述の専門館的なものの中に中世以前のものを展示したものを考えなくてはいけない時期になったのではないかと思います。特に,先史時代前後が必要であろうと思います。 今,私が振り返ってみますと,ちょうど上深川遺跡の発掘された時代,私はまだ学生でございました。
縄文,弥生,古墳時代から中世,近世にわたっておびただしい文化財が存在しているのであります。東の近畿大和の国,西の北九州筑紫の国に劣らぬ瀬戸内海沿岸,北の出雲の国まで領域を広げていた吉備の国の中心が,吉備中山に根拠地があったと推定されております。こういうことを前提にして3点について質問をいたします。
また、本市は古来より海運、水運の中心地であり、瀬戸の内東端に位置し、神武帝の東征、遣随使、遣唐使、中世には朝鮮との交流や、特に北海道、日本海沿岸等の交易を含め、江戸時代には各藩産米の集積地として、北前船や樽廻船、また塩回船等、河内木綿を背景に帆の改良等、海運の中心的な町であったことは事実であります。北海道産のコンプが大阪名物になっているゆえんでもあります。
難波宮跡の範囲は同時に中世末、石山本願寺や近世初頭の大阪城が所在したところでもあって、要するに応神天皇の時代から古代、中世、近世を通じて政治的にも文化的にも日本の中心として日本史上に重要な地位を占めていたことが明らかになり、文化の発祥の地として浪速っ子が世界に誇れる遺跡であると私は思うのであります。