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  1. 仙台市議会 2018-10-22
    防災・減災推進調査特別委員会 本文 2018-10-22


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                  ※会議の概要 ◯委員長  ただいまから防災・減災推進調査特別委員会を開会いたします。  本日は、説明員として危機管理室から関係職員の方々に御出席いただいております。  次に、本日の進め方についてであります。  本日の日程は、お手元に配付の日程のとおりであります。本日は、前回の委員会でお話ししましたとおり、地域全体を巻き込む防災訓練あり方について及び地域における防災・減災の担い手となるリーダーの育成について、有識者からの意見聴取を行いたいと思います。  具体的には、既に御着席いただいておりますが、岡山県総社市長片岡聡一様から総社市における取り組み等について50分程度お話をいただき、その後、質疑応答を20分程度行うことといたします。一旦休憩の後、本日の意見聴取を踏まえた委員相互意見交換を行いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、早速意見聴取に入りたいと思います。  改めて皆様に片岡総社市長の御紹介をさせていただきます。本日は御多忙のところ、当委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  皆様にはお手元に略歴書を配付しておりますので、後ほどごらんいただきたいと思いますが、片岡市長内閣総理大臣公設第一秘書、内閣府行政改革沖縄北方担当大臣秘書官を歴任された後、平成19年に総社市長に当選されまして、現在3期目を務められております。  このたびの平成30年7月豪雨においては、総社市も甚大な被害を受けられましたが、片岡市長みずからが災害対策本部の進行を行うなど、総社市及び周辺自治体の復旧に尽力されていることは皆様も御承知のことと存じます。  私から、着席のまま進めてくださいますようお話しさせていただいておりますので、委員の皆様、よろしくお願いいたします。  それでは、片岡市長、よろしくお願いいたします。 2: ◯片岡聡参考人  皆さん、こんにちは。  きょうは本当にありがとうございます。僕も生まれて一度は参考人という名でなりたいなと思っていたんですけれども、地元でこれをやられたらもう終わりみたいなことなので。  本当に今回574人という仙台市職員さん、こちらにずらりと隊長級が並んでいらっしゃいますが、一緒に同じテーブルで汗をかいて、僕が災対本部で委員長席、あそこに座っていたとしたら、ちょうど佐藤委員のあたりの位置が仙台市の椅子で、いわゆる対口支援というカウンターパートのヘッドを務めていただきました。574人、本当に総社市民、いたく感謝して感激して、我々が最速スピードで駆け抜けることができたのも仙台市のバックアップがあったからこそだと本当に思っております。  もとより、東日本大震災のときに総社市が前の奥山市長に御相談を申し上げて、ゴールデンウイークの直後に私がここの役所に参りまして、被災した宮城県内の、当時中3以下の両親を亡くした子供たちにお金を差し上げたいんだけれどもと言ったら、宮城県庁に電話してあげるわと言ってくれて目の前で電話してくださったんですが、宮城県庁はそれを受けるわけにはいかないという御返事で、なぜ両親か、なぜ片親じゃだめなのか、なぜ総社市なのかみたいな、その当時まだそういう段階の時期だったものですから。奥山市長がわっと立ち上がってくださって、宮城県市長会でお受けしましょうということで6000万円、5年間に分けてお送りさしあげておりました。そのうち、仙台ハーフマラソンとそうじゃマラソン、そうじゃマラソンはど田舎マラソンなんですが実は2万2000人ぐらい走るマラソンで、ごった煮マラソンなんですが、人数的には全国で6番目というやつで、そのマラソン協定で僕が常に、今まで仙台ハーフマラソンを5回走ってきたんですが、今回本当に今まで我々が行ってきたことを10倍返しぐらい仙台市さんにいただいたことになります。本当に、この委員会を通じまして、仙台市民の方々にも心から厚くお礼を申し上げたいと思って、やって参りました。  きょうは、50分間でこのテーマ以外に事の成り行きであるとか、実際どうであったか、それから私がそのリーダーとしてどう思い、どう感じて、それをどうやって何を伝えていっていいのか、何が問題点だったのかということを、防災訓練、そしてリーダーの育成なども重ね合わせて御報告申し上げられればと思います。  もう本当に巨大な震災を乗り越えてこられた先生方に、もう釈迦に説法なのでお聞き苦しいところが多々あろうかと思いますが。高梁川という川がこのように流れて、こっちが瀬戸内海に流れ込む川なんですが、これが最大幅が700メートルぐらいある一級河川です。ここに小田川という川がこんなふうについていまして、ここが倉敷、こっちが総社ということであります。この堤の設計が12メートル97センチ。これ以上越えるとオーバーしちゃいますよということであります。  事は7月6日の21時からスタートして、7日の未明、この瞬間に西日本の各地域で227人が命を落としたということであります。7月6日、その日の朝9時に災害対策本部を設置いたしまして、この日は金曜日でございましたが、午後9時ごろ、水位が急上昇していきました。昼間は4メートルぐらいだったんです。7月5日、6日、7日の全雨量が275ミリ程度の災害です。7月6日、災害対策本部に届いた午後9時の時点の水位が10メートル超えだと。このときから、もうこれは、僕は総社のセンターのここの部分が弱いところがあって、ぶち当たるところがあって、ここが切れる。総社は人口7万人ですが、大体5万人がここに住んでいて、ここが切れたら1,000人や2,000人は軽くいく、流されると思って胸騒ぎをずっと感じていました。そこからツイッターをばんばんばんばん打ち始めて、逃げろ、逃げろ、逃げろというツイッターを出していましたが、午後10時時点で12メートル超えと一気に急上昇してきて、午後10時10分に避難指示と、一番強いやつ。これ、勧告と指示がどっちが強いんだって、日本国民的に非常にわかりにくいと思いますが、午後10時10分に避難指示を出しました。そのとき既に水位は12メートルを軽く超えていました。  私は市長になって11年目なんですが、国土交通省河川局長からこのスマホに、国交河川緊急という電話番号を教えられました。市長、もしその国交河川緊急が鳴ったら、これはのっぴきならないことになったという通報なので、これは絶対に着信してくれと言われました。その午後10時過ぎにこれが本当に鳴りました。とうとう来たと思って、もしもしと言ったら、越水しますから覚悟を決めてくださいと、そう言われました。わかったと、覚悟を決めましょうということで、午後10時10分避難指示を出して、ここで僕が正解か間違っているか、賛否分かれるところがありますけれども、黒板にそのとき避難所、小学校の名前をこっちは全部書けと、それから公民館の名前を全部書けと、それから高いビルの名前を全部書けと。僕は自分の判断で、ここは低いからだめ、ここの学校は2階以上、ここの学校はだめ、ここの学校は行くまでに危険過ぎる。瞬時にして44カ所の避難所、これは全市の避難所を瞬間的に設定いたしました。これは避難計画図には全くない、そのときに判断して決めた避難所をつくりました。
     そして、こっち側の町内会長を全員集めました。市長、この真っ暗闇の大豪雨の、前が見えない中で、町内会長、お年寄りばっかり集めていいんですかと。集めると。なぜなら、ここが1時間以内に切れると。切れたらひとたまりもないと。切れるまでには水位から換算してあと1時間はあると。1時間以内にお年寄りを担いで逃げてくれと。それを実際に呼んで、僕の口から伝えて飛び散ってもらうということをやりたいと。そしたら、やりましょうと。職員も同時に集めました。100人いました。僕は職員も避難所に行って逃げろと。死ぬなと。人を助ける必要はないと。自分が逃げだ、と言いました。  町内会長連中40人集まって、本当に真剣勝負みたいな状況でしたが、1時間以内に切れる可能性があるので、各町内会に飛び散って、全戸ピンポン鳴らして、お年寄りを担いで逃げてくれ、障害者を担いで逃げてくれと言いました。そのときに問題が幾つかありました。私はそんな名簿を持っていないという町内会長もいました。それから、その町内、新しい人口がいっぱいあって、全軒回るなんてとんでもないと、無理無理という町内会。半々だったと思います。でも、とにかく行ってくれと言って、みんな飛び散って行きました。そのときの顔は真剣そのものでありました。  僕は今でもその判断は間違っていないと思っていますが、リーダー、首長は死者が出て避難指示を出したら、これはもうアウトだと。何時に出したかということがメディアの中では非常に問題になるが、僕はそれはその一つ、一方では正しいけれども、避難指示を出した後にどう行動したかということのほうが大事じゃないのかということを、僕はこれから世に問うべきだと思います。確かに危険なかけです。真っ暗闇のどしゃ降りの中で、町内会長を集めていいんですか、僕は集めるべきだと今でも思っています。それは1時間は時間があると確信すればの話です。そのときの水位から、13メートル超えというのはもう1時間はいけると判断してやりました。  結果、ツイッターでも呼びまくって、アナログ的にも町内会をはいずり回って、瞬時に7,300人が避難しました。僕は避難所に入れ込んだだけの人数の命を救えると思ってやった行為なので、総社市役所は7,300人の命は救ったと私は思っています。だけれども、残りの4万人、5万人、どうでしたか。逃げなかった。これが今の総社市のレベルというふうに思います。  情報は錯綜すると言いますけれども、ツイッターでばんばんばんばん逃げろ、これはSNSの世界。町内会長はアナログ的に各軒を回る。逃げろ。電話でもやる。7,300人が逃げた最中に、ここの高梁川の濁流の中に20人が放り込まれました。そのうち、僕が指令を出した消防隊員も3人含まれていました。手に汗握る瞬間ではありましたが、どうにかこの20人を救うべきだということで、我々は、高梁川から瀬戸内海に川が流れていますが、五つの大きい橋があって、ここに消防隊を急行させて、本来は火事を消す消防ホースを水面に3メートル置きぐらいに垂らして、上流からもし流れてきたら消防ホースで拾おうという作戦に出ました。1本目の橋に本当に流れてきました。それは3人の消防隊員でした。彼らは生きていた。最初の人間、とり損ないました。2番目、2人、組んずほぐれつで流れてきて、同時に1本を握って、お人よしというか何ていうか、後から僕は怒ったんですが、お互い相手に譲って真っ暗闇の中に流されていきました。3本目の橋で、とうとうその2人はピックアップして。1人の消防隊員は流れていって、ほかの17人はもう見えもしなかった。  ツイッターをどんどんどんどん打ちまくっている間に、逃げろ逃げろのツイッターを打っている間に、この倉敷の小田川、ここが越水して破堤したという情報が入ってきました。それがここで52人死んだ瞬間です。そのときに、瞬間的にここが切れるか、こっちが切れるかだったろうと思いますけれども、小田川が切れたから高梁川の水位が下がっていったというバックウオーター現象でありました。  その瞬間に、総社のこのエリアで大爆発が起こりました。アルミニウム工場の爆発でした。これは僕はここが破堤した音だと判断しましたが、そうではなくて、溶解アルミニウムの700度の溶解液が水位が上がったことによって、それが合体して瞬間的な水蒸気爆発、容量1のものが1,700に膨れ上がるというものでした。この地域115世帯が一気に廃墟ということになりました。そのとき僕はツイッターで、消防庁が今の音は朝日アルミニウム工場の爆破音ですと言うから、それを打ったら、そのツイッターがフリーズしました。だから、これは大変なことになっているんだなということはわかりましたが、3分ぐらいして解除されて、ふっと見たら、その僕のツイートが1万2000リツイートになっていました。これ、一気に来たらツイッターってフリーズする。瞬間的な反応というのは物すごく、SNSというのは人を逃がしたりとか人に予知させるというような大変な力、総社市役所のホームページのアクセスは全くないけれども、市長のツイッターというのは非常に重いものがあると、そのとき思いました。  高校生から夜中にツイッターが来て、市長、高校生が何か手伝えることあるの、っていうから、あると。市役所に来て困っている人を助けてくれと言ったら、わかりましたというツイッターだった。  7月7日の未明、ここら辺で水没地帯、こっちも水没、もうそこらじゅう水没して、死者の頭数が次から次へ報告が参ります。我々、20人流されて、20人死亡というのを覚悟しておりましたが、ここで12人が竹やぶの中にひっかかっていた。ここで2人、岩陰にひっかかっていた。最後に一番、やっぱり首長として公務員を殺したら責任問題。1人、最後まで流された消防士が瀬戸内海の手前の中州の木の枝にひっかかっていたという情報が返ってきて、何と20人流されて16名生還してきました。ということで、総社市の死者は4人ということになりました。  翌朝、夜が白み始めて、総社市役所の前の広場を見たら、災害対策本部からそこに市役所前広場が見えるんですが、そこに1,000人の人だかりができていました。これはとうとう。ここ、よく言われていたんです、堤防を高くしろと。だから言ったこっちゃないだろう、何やってんだという暴動が起こった、これと対決するしかないと思って、おりていこうかなと思って、ふっと見たら、それは1,000人の高校生でした。ツイッターで集まった高校生が僕たちに何かさせてくれと言って来ました。それで、僕はもう何の迷いもせず、バスを十四、五台チャーターして、みんな、この水没した地域に行って、泥まみれになって、泥かきをしてくれと。じいちゃん、ばあちゃんと一緒にたんすを出して畳を担ぎ出してやってくれということを頼みました。高校生は飛び散って行きました。これが我々が復興のスタートを切れた初日でした。  当然住民は、この朝日アルミの地域なんかは、だから言ったろうと、この補償をどうしてくれるんだと。災害というのは市に対して、必ずしもありがとう、ありがとうということにはなりませんが、我々の市民、被災者をありがとうという言葉に変えたのは高校生たちでした。連日1,000人規模で1週間。それが人を呼んで大学生が来て、社会人が来て、これはもう本当に人を育てるというのではなくて、人が育っていたものを知らなかったというふうに思いました。1,000人の固まりの高校生を見たときには、もうこいつらに任せていいと思いました。総社市をですよ。  その翌日に、イの一で仙台市役所さんに来ていただきました。うれしかったです。本当にうれしかったです。郡市長からも電話をいただいて、何でも言いなさいと言われて、毛布頂戴と言ったら1万枚、ぼんと送ってくれました。本当にありがたいと思いました。  対口支援というのが7月9日、中国の言葉で対口、ぴったりとフィットするという、寄り添うという意味らしいですが、この4月に対口支援制度が発足して第1号が仙台市さんが総社市を対口支援したケースということになったわけであります。  こういうことを経験して、最速で走り抜けてきたつもりですが、被災地の市長として幾つか、これはこうあるべきだったなと思うことがあります。大きく三つあります。  一つはやっぱり有事、いわゆるこの7月6日、7日、8日、この辺は条例、法律を破れということだったろうと思います。法律を破って、条例を破って何ぼだと。でないと、市民は守れないと思いました。こういう言い方をやると非常に賛否両論あると思いますが、条例が邪魔で、法律が邪魔でしようがないというのは有事の瞬間だったと思います。  例えば、この倉敷で保育園が水没しました。120人の子供が行く先がなくなります。だけど、総社市には法律上は受けられません。倉敷市内保育園でないと子供は受けられません。だけど40人、総社市に入りたいと言ってきて、どうしましょうか。それはもう保育園の園長に頼んで、即刻今から入れてもらえと。それで県や国が言ってきたら、何か数え直したら子供がちょっとふえていましたぐらい言っておけというぐらいでちょうどいい。  それから、瓦れきがもう山のように。仙台市さんも、僕もあの復興のさなかを見ましたが、本当に次から次へ瓦れきが出て、もう市内どこも置くところがない。公園も全部使った。河川敷に置かせてくれと、僕が国交省に頼んだ。それは河川法でできませんと。ちょっと待ってくれと。あんたらのおかげで被災した地区民が出したごみをなぜ受けられないんだと、ちょっと怒った。そうしたら、局長から1時間後に電話がかかってきて、さっきの話ですが、わからんように置いてくださいと言ってきた。わかったと。わからんように置くと。一つお願いがありますと。石井国土交通大臣が3日後に視察に、ここに来られますと。置くところはこの河川敷なので、遠回りをして行ってくださいと。その河川を見ないようにと言われました。それもわかったと。  それから、人事です。さまざまなポジションが出てきますが、平常時の市役所人事を行っていたら、これは人を助けるにはほど遠いことになりますので、情け容赦なくて申しわけないけれども、職員労組とは話しましたけれども、有事対応の人事はシャッフルして、若くても優秀な者をキャップに据えてやっていくという人事体制にいたしました。  それから2番目は、やっぱり公平、平等、公正の原理では救える人も救えなくなると思いました。水害というのはもう本当に御承知のように、貧乏人も金持ちも全く関係ありません。財布がない、貯金通帳がない、何もない。ずぶぬれになっていますから、きょうばん着る服がない、靴がない。当座のお金5万円あげようと。床上が800世帯だと。発災後1週間後に、あした配れとやりました。そうすると、職員は当然、市長、それは乱暴です、罹災証明ができ上がるまで待ってくださいと。2カ月待つんかと、そんなものは無理だと。だから、総社流罹災証明をつくれと。7月中にもう100万円配ろうということを即行でやっていきました。公平、平等ということを余りにも尊重し過ぎる、そして市民に対して理路整然と、あげた人、あげなかった人の判別がつく理由をつくる、それ自体に全く意味はないと思いました。  それから3点目は、首長はやっぱりどこの被災地リーダーも判断を瞬間的に求められます。判断は10秒以内、絶対に10秒以内でやらないといけないと思いました。  僕は今回の騒動の中で、3回ほど、ちょっと2時間ほど考えさせてといったことを3回ぐらいやったことがあります。でも、そのジャッジは2時間考えてもろくでもないジャッジでした。結局やっぱり、これどうなんですか、それ9月5日まで、これどうするんですか、あしたから動かす。そういうふうに10秒以内のジャッジをしていかないと、首長は十分人を殺す能力があるというか、間違った、遅目のジャッジで人はその瞬間に命を失っていく。  これは真夏の避難所で灼熱の40度。体育館に逃げた人間が夜には40度の蒸し風呂の中にいる。あしたじゅうに動かせ。市長、それは危険ですよと。医療とか看護体制がないままに次の避難所に動かすのは危険ですよ。そんなことを言っていたら、今の人が死んじゃう。だから、あした動かすということをやり続けて、決める、決める、決める、決めるということをやり続けていくということが僕はやっぱり求められていくものだと思いました。  私たちが経験則の中で、仙台市の市議会議員先生方と、これはどうなんでしょうかということを共有する問題点として幾つかあります。それはダムコントロールあり方が一つ目にあると思います。ダムコントロールというのは、水位がこれだけ急上昇したのは上から降ってくる雨じゃないです。高梁川の上流に11個のダムがあります。このダムの放流が一気にゲートを上げることによって、ふだんは毎秒500トンぐらいのペースで流れていた。その日の昼間もそうでしたが。午後9時、10時、僕らが手に汗握るときに、毎秒4,000トン流してきます。平常時の10倍。これ、ひとたまりもありません。ましてや1日雨量が100ミリを超えるみたいな大水害はしょっちゅうやってくるわけであります。河川法によってダム管理はされておりますが、河川法が設置されたのは昭和39年のことです。その第52条にダムのコントロール運用方法が書いてあって、その条文には、河川管理者は、河川管理者というと一級河川の場合国交大臣、はダム管理者に対し、ダム管理者はいわゆる発電ダムであれば中国電力、こちらでいうと東北電力とか、に対して、著しい雨量が予想され、著しい災害が予想されるときには事前のダム放流河川管理者が指示することができる、とあります。指示した上で、それに従わなかったらダム権利の剥奪あるいは罰則金などという条項があります。しかし、我が国はこの河川法の第52条を運用したことが一度もありません。全ては長年の感覚的な物言いで、ダム管理者の運用に任されているということです。  今回、西日本豪雨が、総社の場合もこれだけ56人の死者が出て、西日本全体でも222人、愛媛でも言っているし、呉も、ダムのことについて言っていますけれども、これだけ頻繁に多発する。この間、例えば日光とか常総とか、その辺もありましたけれども、ダムのあけ閉めを、これだけ気象学が発達している中で予見できるわけですから、前の日にちょっと半分ぐらい流しておいたよというのがなされないままに人が死んでいる。これを本当に地方として、基礎自治体としてどう思うのか。私はこれを速やかに履行していくということをやるべきだと思います。  それから、対口支援あり方について。我々は本当に幸せでした。それは、我々は仙台市さんが好きだったからであります。これはもう、これ以上の幸せはありません。ただ、カップリングの日みたいなのがあって、対口支援の決定日というのがありました。もう1チームがいきなりやって来られました。対口支援のパートナーになりますと言われました。その人間は、うちの部長をつかまえて、だめだ、そんなことやっていたら、そんな横の連絡、縦の連絡、ちゃんと初歩的なことだろうみたいな感じで来られました。私は、待てと。そこまであんたに言われる筋合いもないと。私はあんたと組むつもりはないと言ったら、ばんばんばんと本を畳んで、このミッションからおりさせていただきますと言って帰っていきました。  災害の有事のときに、やっぱり地元首長がどんなに小さくても全責任を持つわけでありますから、好きなところとカップリングさせてちょうだいと。要するに、愛あるカップリングというのがないと、あれは無理だと。いきなり来た人と、はい、きょうからこの人と、指示命令されるというのはこれは一つの大きな問題があると思います。  それから、ペット避難所あり方について。今回の災害を通じて幾つかわかったことがありますが、市民全体の20%が犬か猫か飼っています。大体2割だなと思いました。ペットを飼っている人は避難に従いません。なぜかというと、連れて行っても外につながれるか、断られるから、行かないと。私はこれ、環境省になるんですが、ペット避難所という。これは我が国はこれだけペット産業ペットが多い世の中で、ペット避難所をつくるということは義務化すべき、法律に盛り込むべきだと僕は思います。  これはいろいろあります。80%の人が犬は嫌い、猫のアレルギーみたいなのがあるから勘弁してちょうだいということに絶対なります。でも、どうですか。北海道から沖縄まで、これだけ災害大国の中で、ちょっと気の弱い首長さんは、そうですよね、ペットはもうやめましょうかねということに。熊本県の益城町でも見ましたが、ペットが外につながれて、雨の日も風の日もペットは外。だからこそギャンギャン鳴いて、おさまりがつかない。でも町長は、ただ済みません、済みませんの連続でした。だけれども、やっぱりペット避難所は常設なんですよということを国が決めれば、地方の長も、これは国の決まりなのでしようがないんですと言えたら、これはいいことだと思います。  僕はペット避難所市役所の、本丸の3階につくりました。一番象徴的なところにつくったわけです。そしたら、保健福祉部長が真っ向反対してきました。全ての業務が滞ってしまいますと言うから、これにはもう、やかましいというふうにやってしまいました。夕方になったら市役所のフロアの中を犬が散歩していると。これでいいじゃないかと、癒やされてね。倉敷がつくらなかったので、倉敷中の犬猫が総社に全部来ました。それだけペットの飼い主さんたちは身につまされた問題なので、これから我々基礎自治体、国だ県だとか言いますけれども、災害は全て基礎自治体がやるわけですから、矢面に立つのは我々なので、このペット避難所については国に対して環境大臣に物申すべきだと思いました。  僕はこれを持って中川大臣のところに行ってきました。中川大臣は何の興味も示しませんでした。だけど大臣ね、これツイッターペットのことってもうそこらじゅうから来て、ペット避難所設置、総社市ありがとうって、このツイートだけでももう1万を軽く超えて、ペットの飼い主をかわいがったら、絶対、大臣、次の選挙に役に立ちますよと言ったら、そうかねというふうに、そのときだけは言われましたけれども、それだけ環境省の大臣室にこのテーマが持ち込まれたのは初めてだということです。ですから、これはやっぱり考えたほうがいいと私は思います。  それから、支援物資のあり方についてでありますが、僕は仙台市さんから、奥山市長から、あなた、支援物資がいっぱい届いて、だけど避難所までそれを持っていくのはすごく大変なことなのよと、デリバリーの重要性ということをよく思っていたほうがいいわよというのを聞いていました。まさしくそうなりました。だけど、何日かたって、運送協会とか何だかんだ、あるいは市議会議員さんがみんな運び屋に転じようということでやってくれたりしたんですが、やっぱりどうしても発災から1週間、10日ぐらいたつと、何か上から目線で、これは水、これは下着、これは何と、配給的になる。やっぱり被災者もプライドはある。これでもどうだみたいな感じになっていく。これはやっぱり余り正しい避難支援物資の配布の方法ではないと思いました。  総社市は、市役所の100メートルぐらいにガレージがあるんですが、そこを全開放して、全て、全国から来た水だとか、ペットの餌だとか、陶器であるとか、古着、下着も含めて、毛布、いろんなものを全部フリーマーケット風にして並べて、御自由におとりくださいという方式をとりました。これが僕は対等の目線だったと。送ってくれる人、支援者、そしてとりに来る人、被災者、そしてそれを仲介する役所とボランティア。これが善意と善意で対等に結ばれている関係だったと思います。  最初、これをやろうとしたとき、やっぱり職員は、市長、これをやると誰でも好き勝手にとっていったらどうするんですかとなります。だけど、いいじゃないかと。それはもう善意に委ねて、本当に人を信頼してやり切ったらいいと言って、これを7月10日ぐらいから3カ月やりました。これはほとんど倉敷市民がとりに来られていましたが、まあいいんです。倉敷の被災者がとりに来られてよかったと思います。  これからの我々が支援物資をお配りするときに、余りにもいっぱい来過ぎて配りようがないということでストップしちゃうということがよくありますが、それをする必要はないと思います。みなし仮設なんか、アパートなんか住んでいる人にこっちから配るとか、足がない人に対して配る、その能力さえあれば、御自由におとりください方式というのは十分に被災者のプライド、プライバシーも含めて守れるということに私はなると思います。  それから、避難所あり方ですが、ヨーロッパにスフィア基準というのがあります。これは避難所の1人当たりの占有面積がスフィアでいうと畳3.5畳分ぐらいだったと思いますが、日本の段ボールベッドは畳1.5畳分ぐらいしかありません。この考え方について、日本も地方として1人当たりの避難所面積、せめてスフィア基準を具備するぐらいはやっぱり高めていくべきだと思いました。  我々が熊本県の益城町で登山家の野口健さんと総社市が一体化して、あのとき、2回目の地震が震度7超えだったので、ひょっとしたら3回目もあるんじゃないのということで、人々が避難所に入らなかった。車中泊になっていって、それで社会問題になっていって、それでエコノミー症候群で脳梗塞になるという患者さえ出てきたときに、野口健さんがエベレストの8,000メートル級でラストアタックのときのベースキャンプを176張、全国から集めてくれて、それを総社市建設業協会と一緒になって益城町のオールラバーの運動公園、運動場、陸上競技場に176張円形に張って、テント村避難所をつくったことがあって、そこに700人を2カ月半収容したことがあります。  やっぱり避難所あり方というのもさまざまタイプがあって、私はもうこれから、できれば体育館というのはやめたほうがいいんじゃないかと。体育館の間仕切りでエアコンのないところというのはそもそも限界があって、公民館などの和室であるとか、もうちょっと気のきいた避難所というのを目指していくというのは非常に大事なことではなかろうかなと思いました。  いろんな問題があって、これから僕らのテーマは、やっぱり支援力は受援力だと思いました。これはもう本当に仙台さんに学ぶところが非常に大きかったです。これからも仙台さんを見習って、僕らもあちこちに支援に行き、その実力が支援を受ける側にとったときに非常に助かると。  総社市も七、八年前に、東日本大震災の後に、どこでも行く条例というのをつくりました。基礎自治体、僕らみたいに人口7万人ぐらいの弱小球団が市民の税金を使ってどこでも行っていいというわけじゃないので、どこでも行っていい条例をつくって、1000万円の予算をつくりました。その条例が可決して、最初のころ、ちょっと調子に乗り過ぎて、ブラジルのリオデジャネイロの大洪水にも職員を派遣しました。それから、フィリピンのセブ島のタイフーンにも派遣しました。そしたら問責決議になりそうになったので、これはやっぱりやめたほうがいいということで。添え書きで国内を中心にということが記されているんですが、それをやっていくということ。これまであちこち行ってもらった職員が114人いて、その114人はやっぱり仙台市さんが言っている意味がわかるということでありましたので、これは非常に支援力は受援力ということをこれからもやり続けていきたいと思います。  最後に、これから復興計画をつくっていこうと思いますが、やはり復興は勝者に学べと思っておりまして、仙台市さんに学ばせていただくことを決めました。これは公的に決めました。それで今、先生役としてまちづくり政策局次長さんに総社市に来ていただきましたが、市長にとり切りはだめよと、返してよというふうに言われておりますので、スポット、スポットで折に触れて我々が復興に向けた足どりを仙台に学びながらつくり変えていこうと思っておりますので、頑張っていきたいと思います。  きょうは貴重な時間をいただきまして、ありがとうございました。 3: ◯委員長  どうもありがとうございました。  それでは、皆様から質問等がございましたらお願いいたしたいと思いますが、片岡市長意見聴取終了後は用務都合によりすぐに仙台をたたれるとのことでありますので、質問に当たりましては皆様御協力をよろしくお願いします。ただ、あと20分少々は大丈夫でございますので、ぜひお聞きになりたいことがございましたら、どうぞ挙手にてよろしくお願いいたします。 4: ◯鈴木勇治委員  市と県との関係はそのときはどんな状況だったんでしょうか、動き方として。 5: ◯片岡聡参考人  僕は前の知事とは全く合わなかったんですが、今の知事とは仲よしになっているんですけれども、県は、僕の気持ちの中はないものだと思うというふうに思っていて、何かしてくれたら非常にありがたいぐらいに思っておりました。これはだめだと言われたら嫌だなとは思っていましたが、それは余りなかったので、例えば仮設住宅の要件であるとか、農機具の補償の問題であるとか、そこで県が待ったみたいなことを言われたら困ると思っていたので、その点では非常にスムーズにいって、僕は感謝しています。 6: ◯加藤けんいち委員  お話しいただきまして、ありがとうございました。  先ほど対口支援カウンターパートのお話があったんですが、メリット、デメリット、仙台市の関係、いろいろ話があったと思うんですけれども、カウンターパートでよかったというところは仙台市の例をお伺いしてすごくわかったんですが、例えば瓦れき処理とかですね、単体でやるよりも広域でやったほうがいいような場合だと、カウンターパートになってしまうと市をまたがなきゃいけないということで、そういったやりにくさはあるのかなと思ったんですが、対口支援制度をとられて初めての被災で、いろんなやりとりをしていて、デメリットみたいなことで何か感じたのがあれば。 7: ◯片岡聡参考人  僕は仙台市さんに対してデメリットを感じたことは一切ございません。ただ、隣の倉敷市とぎくしゃくしますね。だから、隣同士のつき合いというのは、余り首長同士がけんかしたりしませんけれども、これはやりにくい部分がありますよね。余り言わないほうがいいんですけれども。いやいや、例えばですよ、陸続きになっていますので、最初7月6日の時点で倉敷市からの避難者が総社市に1,200人いたんですよ。それで、ずっと3カ月間、その1,200人をお預かりしたんです。だんだん減っていきましたけどね。そういうこととか。それから瓦れきの処理が進んでいないので僕らがヘルプに、ボランティアで入るとか、それから物を配る力がなかったのか、あったのか、わかりませんが、フリーマーケットをやったらほとんど倉敷市民だったとか、いろいろあるんですけれども、これは言葉をのみ込んで、広域で人道的に、人としてやるべきことだったのでやるんですが、隣同士やりにくいですね。あとはやっぱり遠い人、距離的にですよ、遠いところの人、愛し合っている関係が一番いいと思います。隣接もそうですが、例えば広島県のどこかとやっていても、広島も被災しているし、例えば山口とかやっていても、ごめん、僕ちょっと倉敷行かんといかんのよみたいになるわけですよ。なので、あなただけが好きですという遠いところ。それが一番いいと思いますよ。 8: ◯佐藤わか子委員  倉敷市さんに対口支援の都市はあったんでしょうかね。 9: ◯片岡聡参考人  ありました。四つ五つあったと思いますけれども。都道府県、入っていたと思います。でも、あそこは見た感じだと、それでコントロールを失ったみたいなところがあると思いますね。 10: ◯石川建治委員  1点、ペット避難所の関係なんですが、私も東日本大震災のときに避難所運営をずっとやっていまして、ペットのアレルギーを持っている女の子がアナフィラキシーを起こして、救急車を呼んでも来なくて、たまたま通りかかったパトカーで運んでいただいたんですけれども。先ほどの話だと、市役所ペット避難所を開設したと。当然そこには飼い主も一緒に行くということなんだろうと思いますけれども、今後のペット避難所のイメージというのがそういう1カ所に集めるイメージなのか、それとも各避難所に一つのエリアをつくってやろうとするのか、その辺の将来のイメージというのはどんなふうにお持ちでしょうか。 11: ◯片岡聡参考人  将来のイメージは、やっぱり具現性を求めたら隔離するべきです。普通の一般の避難者とは違う場所にある。同じ建屋の中で、ここはペットの部屋みたいなのでは成り立たないと思います。どうしてもアレルギーとか、行政の説明責任がつかないことになりがちなので、だったら本家本丸に入れて、職員にも言いましたけれども、市役所の中でほかの避難所とは全く違う場所でやっていくということ。だから、それに見合う適当な場所を見つけておいたらいいんじゃないかなと思いますけれども。これはもうペット避難所を最初にインフォメーションして避難させたら圧倒的に来ます。その後、台風が2回来て、避難所、実は7月6日以降に2回もつくったんですが、もう市民がペット避難所に安心感を覚えてくれて。 12: ◯佐藤幸雄委員  まず初めに、先週、私と鈴木広康議員が現場のほうを視察し、さまざま教えていただきまして、ありがとうございました。  その中で1点、先ほど下原のアルミ工場の爆発のお話がございましたけれども、見させていただきましたけれども、住んでいらっしゃる方にとっては大変厳しい状況かなと思っているんですけれども。そういった二重苦があって、今、これからどのように最終的に進めていかれるのかなということをすごく我々もいろいろ考えながら帰ってはきたんですけれども。現実にまだはっきりとしない中での、民間のああいった爆破の問題があって、住民の方が避難できなかったとか、その地域については、さっき倉敷の方々が来て、地元の人たちがみなし仮設等に入れなかったとか、いろんな問題がありましたけれども、こういった二つ、川の氾濫の水没と民間の工場の爆発と、こういう中で今後の進め方というか、どのように思っていらっしゃるか、御意見でも構わないんですが、お願いできればと思います。 13: ◯片岡聡参考人  これは日本の歴史でもあると思うんですが、天災か人災かで国の補助、全壊の場合300万円、受け取るためには、これは天災であったという判断が必要です。でも、天災か人災かについては司直の手に委ねられていて、司法裁判で決まるわけです。会社側は人災ということを恐れますから、控訴、控訴で、なかなか天災か人災か決まらないままに生活が流れていって、補償が受け取れるの、受け取れないのという、もう遅々として進まないみたいなことになるので、我々は公的には天災だといいながら、もう一方で人災だとして、民間補償を朝日アルミ産業株式会社に強烈に求めていくということを両にらみでやる。非常に難しいです。これから、これは福島の第一原発とは全く違いますけれども、ただ、工業地帯が地震になって例えば火災であるとか爆発であるとか、そういうことも十分に考えられますし、この裁判制度のあり方というのはやっぱりこれはしようがないにしても、ずっと長引いて、補償を得ることができない被災者が一番かわいそうだということになりがちですね。 14: ◯ふるくぼ和子委員  どうもありがとうございました。災害が起きたときに、瞬時、瞬時に判断をすることであるとか、その都度、その都度、全体を把握しながら当然判断をされるということで進めていらっしゃるんだと思うんだけれども、かなり勇気も要るし、これでいいんだろうかという、こういうせめぎ合いの中できっとそういうことが起きているんだろうと思うんですが、それでも時には条例や法律を脇に置いてとかということも考えながらで。結果的には高校生の皆さんが1,000人も集まってくるとか、そういうことが起きるというのは何か日常的な市政運営の中での市民との信頼関係について、相当何か意識をされていたり、重点にしているということが特徴的にもあるんじゃないかな、なんていうふうにちょっと感じたんですけれども、何かその辺で考えているというか、意識しているようなことがおありであればお伺いしたいなと思いました。 15: ◯片岡聡参考人  どこでも支援に行く条例をつくったときに、幾つかの役割があると思っていましたが、一つはやっぱり支援力は受援力だと思っていたということ。それから、困っている人がいたら即座に助けに行くんだというのを、その大人の背中を子供たちに見せるということをやるべきだと思っていて、だからその高校生がその背中を見て、総社市ってそうやってやるんだというのが身についていたと思います。  それから、この災対本部の中に高校生がいるわけです、そのツイッターリーダーが。このリーダーがうちの職員なんかよりもいいことを言う場合もある。真っすぐだから。彼らは条例や法律も知らないし、ただ困っている人に寄り添うということでは真っすぐで。今は市役所の職員さん、支援物資はそういうんじゃなしに、洗剤が欲しいんですよ、今市民の方々が一番欲しいのは液体洗剤なんですよとか、そういうのをずばっと言われると、ああ、そうなんですか、になっていくみたいなね。だから、思った以上に高校生は育っている。だからその支援のあり方とか、そうやって職員が汗をかいていく姿の背中をこれからも見せていくというのが大事だと思います。 16: ◯岡部恒司委員  御苦労さまでございます。今、復旧復興でいっぱいいっぱいだと思いますが、今後のことになるかと思うんですね。先ほど子供の話も出ました。それから避難所のことも出ました。私どもも、あの被災直後、避難所はすさまじいことがございまして、たくさんありまして、大人は、高齢者は、外国人は、権利主張、要求、すごかった。それがすご過ぎて、いろんないざこざがあった。それを言っている場合じゃないんじゃないのといっても、なかなかとまらなかった。そこでやっぱり子供たちが立派だった。おじさん、おばさんと、町内会長さん、学校の先生と。何かあったら僕たちに言ってくださいと。運ぶのも水くむのも全部やりますから、何でも言ってくださいということがあって、この日本も捨てたもんじゃないなと、そのとき安心した。  ただ、あれから私どもも8年たって、あのとき10歳だった子供たちがもう二十ぐらいになっていて、久しぶりに会ったら、あのとき大変だったねなんて言ったら、あ、そうだった、というくらい、やっぱり子供たちも忙しいものですから忘れてしまう、いわゆる風化してしまうんですね。  ただ、やっぱり子供たちがしっかりしていけば、これからいろんなことが起きていくと思うけれども、子供たちがしっかりしていけば、必ずいろんなことを乗り切れていけると思う。ということで、子供たち、学生たちへの風化を防ぐためにも、防災教育というのも、これが必要になっていくと思うんですけれども、市長、そこら辺何か、これは今後の話だと思うんですけれども、何か片隅にお考えがあったらと思うんですが。 17: ◯片岡聡参考人  防災訓練が余り意味があるものではなかったと、今回の災害を通じては思います。参加している人間がそもそも町内会長とかも役割の中にある人ばっかり。そこには高校生なんかいなかった。ましてや中学生もいないし、大学生も来ない。このひとりよがりの防災訓練ばっかりしていいわけがありませんから、やっぱりこれからは老若男女に対応して、一番痛いところをカバーできる訓練のあり方に変える。それは今ならできると思っております。 18: ◯菊地崇良委員  市長のお話を、1年前に数名でお伺いしているんですけれども、あのパワフルな市長の当時のお話と、今回の、私、当時、総務財政委員長のときに災害対応させていただきまして、市長の御活躍を日々聞いておりました。そんな思いを共有しながらお伺いするんですが、数点確認といいますか、御意見をいただきたいと思います。  まず1点目でございますけれども、仙台市のほうは震災の教訓を世界に発信し、内外にしっかりと伝えようということで、今回うちの職員も、すばらしい職員たちが、国からの派遣もいれば消防もいれば、あるいは自衛隊OBもいて御貢献させていただいたと思っています。それに加えてなんですけれども、災害救助法について、これは東日本大震災も神戸も、あるいは熊本も、県のほうで全て仮設住宅のコントロールの権限は持っていたけれども、しかしながら市長がおっしゃるように基礎自治体がやる仕事に習熟していないためになかなかできなかったということで、この4月に法案を国に出してもらって、通って、今その見直しをやっています。県は引き続きその権限を自分たちで持って、公平、公正という原則を守りたいと言っているわけですけれども。市長、これはきょうお話がございました、今、長期化した場合において仮設住宅なんかについては、政令市は政令市に任せて、あるいは県は県で市の手が届かないところに対して支援してくれという体制が望ましいと思うんですが、これに関する御所見をいただきたいのが1点目であります。  2点目です。ちょっといろいろ前後するんですが、先ほど来、緊急事態においては条例や法律をかなぐり捨ててもと、それも構わないみたいな御発言があったんですが、しかし我が国においては法治国家でありますので、やはり望ましいのは、緊急事態における首長の腹としてそれがあるのはおっしゃるとおりでありますけれども、しかし本来であれば、例えば国の議論であれば緊急事態条項等があって、災害の想定できないものについてはそれを法的に枠組みをつくっておくというもの、あるいは基礎自治体においては条例に反することがあったら、そのときの首長の判断でできるものもあるでしょうけれども、議会の了解を得なければいけないものもあると思います。これに関して、そういった緊急事態において超法規的な措置ということにならないような条例や、あるいはそういう事前の法令整備についてどうあるべきか、もしお考えがあったら教えていただきたいのが2点目です。  3点目、水防の話がございました。ダムの話です。仙台市も水防協議会を主宰しておりまして、私たち常日ごろ言うんですけれども、水に色はないと。上から下まで海まで、いろんな用途別に各機関が、あるいは庁内においても各部署がやるわけでありますけれども、それは一元的にコントロールされると思っています。今これはうちのほうでも研究をしているところなのでありますが、ここについては最終的には国のほうの大枠の考え方が示されて、その中で水の総合的なコントロールがなされるべきと私は思っているんですけれども、これに関して市長はどのようにお考えかと。 19: ◯片岡聡参考人  まず、県と基礎自治体の役割ですが、私はすべからく基礎自治体に全部任せてくれと、これがもう一番正しいと思います。仮設も、倉敷市さんは県に建ててもらったみたい、そうなりますよね。僕は知事には仮設は僕がつくるから、後で金だけ頂戴と、そう言って、ああ、いいよと言われたので、それがありがたかったんですね。  それから、法律を破るということはすべからくできるものじゃありません。スピリッツとしてルールは破れと言いますけれども、超法規的な扱いができる法律があったら、これはすばらしく特効薬的にいけると僕は思うんですけれども、国の法律ばかりじゃなくて、執行部と議会の関係もあるし。うちは議会が災対本部の中に議長がメンバーの一員として入ってくれているので、それを請け負ってくれたわけです。だから、やりやすかった。  職員労組との決まりもあるわけです。災害は人が死のうが何しようが、金曜日に人が死んだわけですが、また月曜日が来るわけです。月曜日が来れば戸籍も受けるし、税も受けるし、日常業務が始まります。職員労組との間では、やっぱり日常業務を優先させて、誰もかれもが泥かきに行けというのは拒むということになります。だけど、どうですか。仙台市さんから570人も来られている中で、総社市役所の職員がネクタイして涼しいところで事務業務だけをやっていていいですか。だから僕は全員に行けと言いました。嘱託、臨時職員も含めて、全員泥かきでボランティアと一緒に汗をかいて、それを体験して何ぼだと。でも、これは普通の労使間交渉の中では成り立たない話になってきます。だから、そういうルール決めみたいなものも、あらかじめこれは破るよということがなし得ていれば、これはいいんじゃないかと思います。総社市はそれを全部、全員が泥かきをやって、現場へ飛び散って行って、それが彼らの後の40年の財産になると思います。  それから3点目、ダムのコントロールについては、これを国がやるということを非常に拒んでいます。責任が生まれるから。だけど、これは断固として闘う問題だとは思います。 20: ◯菊地崇良委員  どうもありがとうございました。これから国のほうで来年、生産性革命のほかに国土強靱化ということで予算をいっぱいつけると、あるいはそういった取り組みをしていくという話がございました。今のお話も含めて、私たちもともにこれから今回の教訓を学びながら、あるいは法にいかに、施策にいかに反映するか、連携させていただきたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いします。 21: ◯委員長  まだまだ御質問があるかとは思いますけれども、そろそろ御退席をいただくお時間が近づいてまいりました。  いろいろとお話をありがとうございました。その中で、僕も伺っていて、僕は8月にちょっとお邪魔をさせていただいて、災害対策本部を拝見させていただきました。おっしゃったように議長さんもおられましたし、先ほどの高校生もそこに出席し、発言もしておりましたし、さらにすごかったのは、英断だと思います、マスコミが全て同席していました。その中で災害対策本部、そして社会福祉協議会やそれぞれの部署で頑張っておられる方々も必ずそこにおいでになって、一緒になって災害に取り組もうということを実践されてこられた。僕はあそこにいて、ああ、なるほどなと、このやり方が一番必要だなということを実感させていただいたところでした。  それに関するようなお話も先ほど来いただきましたけれども、今後、仙台市も、先ほど岡部委員のお話にありましたとおり、7年が過ぎまして、既に小学校2年生にまで震災を知らない子供たちが育ってきています。それだけ風化ということもありますけれども、そこにきちんと伝えていくこと、次に来たときには今回のを踏まえた、これは総社市さんも同じだと思いますけれども、踏まえた形で次は一歩進んだところから対応ができる、二歩進んだところからできるというような、そういうものをつくるためにも、実はその意味では防災訓練のありようという議論はありますが、そういうものの必要性というのは私どもは実感しておりますし、ぜひともこれからもいろいろと、水害という経験は仙台市は今までないものですから、このことについての知見をいろいろとお教えをいただきながら、こちらのほうでもそういったものの対策を組んでとっていけるような形に議会としても取り組んでまいりたいと思っておりますので、よろしくお願いを申し上げ、そしてきょう御出席いただきまして心から感謝を申し上げまして、御礼とさせていただきます。ありがとうございました。  それでは、ここで暫時休憩いたします。                休憩 午後2時17分                再開 午後2時33分 22: ◯委員長  再開いたします。  先ほどの有識者からの意見聴取を踏まえ、委員相互意見交換を行いたいと思います。  それでは、皆様から感想や御意見等をお伺いいたしますので、順次、よろしくお願いいたしたいと思います。 23: ◯鈴木勇治委員  もうちょっとお伺いしたいことがいろいろあったんですけれども、非常に気になったのは県との関係ですね。超法規的にやれるところがもっともっとあればなという感じだったんですけれども、そこのところはこれから、我々も大震災を受けて、その辺の関係をもっともっと基礎自治体が前に出ていってやれるように、法規、そういったものについても乗り越えられるような活動というか、そういったものも非常に大切なんだなということをさらに痛感させていただいたなと思っているところでございます。 24: ◯岡部恒司委員  先ほどの市長のお話は全てごもっともと、これに尽きると思います。さっきも私、子供たちの風化という話をしたけれども、我々が死んだって風化していくかもしれない。ただ、いずれまた災害、わからないけれども来る可能性だって十分にある、応援体制だって、恩返しですね、ある。やっぱりこの委員会は、さっきの市長の提案だって三つ四つあった。さまざま、我々だって思い出せば幾つもあった。全部この委員会で議論して何かしようとしたって無理だから、やっぱり幾つかに絞って、これをまずこの2年の委員会で提案していこうと、絞って進めていかなきゃならないのかなと、つくづくそんな思いをしました。先ほども申し上げましたけれども、先ほどの市長のお話は全てごもっともと、思い出してまた新たに取り組んでいかなきゃならないのかなと思います。 25: ◯菊地崇良委員  市長の話を伺って、今回の委員会の目的は情報発信のあり方と担い手の、リーダー育成ということなので、市長もおっしゃったツイッターのお話なんですが、確かに、それは市長の能力、性格といいますか、パーソナリティーによるところもあるので、余りにもツイッターに依拠するというところに陥らないようにしなきゃならないなと。ツールの一つではあるけれども。おっしゃっていたように町内会長さんたちを動員してという、このアナログの部分と、いかに両方の複層的な情報発信、共有をするかということを肝に銘じたほうがいいなと思いながら聞いていました。これが1点目です。  それから、きょうお話を聞いて、今回の我々の狙いとはまた別の話になるかもしれませんけれども、仙台市のほうが進んでいる部分がいっぱいあったんだなと。例えばペットの話だって、あれはもう我々、例えば地域防災計画の中に、そういった、別にやるんですよみたいな話とか、あと支援物資の輸送のあり方もかなり教訓を踏まえて練ってきています。関係民間団体や関係機関との連携ももう綿密にかなりつくっている。協定も随分結びましたよね。  それを考えたときに思うのは、愛のある対口方式のカウンターパートの支援になったんだけれども、それ以前からおつき合いがあったけれども、私たちがやらなきゃいけない災害の教訓を内外に、あるいは後世に発信するという部分においてはまだまだ力が足りていなかったんだと。それは北海道も、札幌もそうです。熊本もそうでしたね。それから札幌だって同じ政令市でありながら、私たちが経験したことなんか全然聞いていないんじゃないのみたいな失敗をいっぱいやっているわけですよ。これを今後、情報の発信、共有と。それは市民に対する情報の発信、共有ということで私たちテーマにやってきたけれども、だけど大災害を経験して多くの教訓の、あるいは対応策のノウハウを持っている我々がもっともっと力を果たしていかなければいけない。それは職員の派遣は今回大分活躍していただいて、もう本当に大絶賛を浴びたわけではあるけれども、だけどそれだけじゃなくて、別の方法で我が国の災害における犠牲者を、あるいは被害を軽減させる働きを政令市仙台はより前向きにというか、より広範な方法で、多角的な方法でとっていかなきゃいけないんじゃないかということを感じました。 26: ◯高橋卓誠委員  もう強烈なリーダーシップのある方だなという印象だったんですけれども、市長によって変わってしまうのかなという心配があったので、仙台の場合、もちろん選挙で4年に一回、市長がどうなるかわからないような状況なので、市長によってではなくて、やっぱり全体でこういう、例えば災対メンバーに議長が入ったりとか、そういった全員でやれるような仕組みが必要なのかなということが一つあります。  特に僕が一番いいなと思ったのがやっぱり学生の参加ですね。高校生が活躍されたということですけれども、その意識が高いということは何かしら思いがあるからこそ集まってきたのかなということもありますので、仙台もぜひ防災教育含めた地域愛を育てるような、そして防災、またその地域に協力してくれるような教育等の取り組みが必要なのかなということが一番印象に残ったところです。 27: ◯加藤けんいち委員  まずはトップの決断とリーダーシップというのが今のお話をお伺いしていて、相当なそういった能力のある方だなということでお話をお聞かせいただきました。  先ほど菊地委員からもありましたけれども、仙台市でいろんな取り組みがある程度進んでいるんだろうなという中で、じゃあいかにどういう発信をしていけばいいかというような課題もあったなと思ったんですが、一つ、これは一喜一憂するわけではないんですが、SNSの話がありました。私ども、7年半前の震災のとき、携帯も電話もつながらないと。その中で、たしかあのときはラインだけが通じて、まだ復旧していませんでしたから、かなり安否確認にラインが活用されたというのがありますし、先ほど片岡市長にお伺いしたところ、公人としての市長ではなくて私人としての片岡聡一市長としてツイッターを発信していると。当然、市長のキャラクターにもよるんでしょうけれども、やっぱり1万2000リツイートと考えると、相当な情報発信力だなと。思いましたのは、本市も杜の都防災メールでいろんな動きを新たに発信していますけれども、若い方々だったり含めて、本当に緊急のとき逃げなきゃならないじゃないですか。まず逃げろと。そういうのを考えると、あのSNSの発信力はすばらしいものがあると思ったので、これだけに特化するわけではないんですけれども、そのSNSの活用方法というのもちょっと考えてみてもいいのかなと感じたお話だったなと思います。 28: ◯佐藤幸雄委員  私も先ほどの市長のお話の中で、本当に決断力もすばらしい、バイタリティーの中で、総社市長だからこそできたものだなというふうにも私も思ったところでございます。  そういった犠牲者もなくやれたということについては本当にまずもってすごいなと思ったところですけれども、その中で課題も、これからやらなきゃいけないことについても多分、仙台市がこれからまた派遣をされて、いろんなことを多分御支援されるのかなと思うんですけれども、私自身ではどちらかというと、なかなか難しいことでありますけれども、今までにない災害というか、そういったときの、先ほど菊地崇良委員もお話しされていましたけれども、いざというときには合意をする中で、この権限まではいいよというようなところまでは事前に協議の中で可能であれば決められれば一番スムーズにいくのかなということも感じましたので、そこはどこまでなのかという部分もあるものですから、そこは今後協議をしていきながら、さまざま検討していってもいいのかなと思った次第でございます。 29: ◯ふるくぼ和子委員  たくさんの情報を一度に入れていただいたという感じで、本当にいろんなキーワード含めてエッセンスがあったなと思って受けとめています。  有事というか、そのときが起きたときには瞬時に判断することの大切さであるとか、スピリッツとして条例や法律についてもどうなのかという視点を持って臨むということの考え方ですね、これらについてもお話がされて、決してそれがいいというふうな話を私はしたつもりはないですので、そこはきちんと、先ほどそういう旨の発言もあったようですので、正確に捉えていただきたいと思うんですけれども、しかしながらそういうことができる背景というのがやっぱり総社市にはあるんだという話が、どこでも支援に行く条例ですか、こういう条例づくりを通じて、あるいは理念でもって支援力は受援力ということで、支援に行くことが、自分たちが災害が起きたときに返ってくる、こういうことと結びつけてやっていらっしゃる、その辺がかなり有機的に、それぞれがばらばらのピースでなくてつなげるというところで、本当に基礎自治体あり方として一つのスタイルが総社市さんのほうでできているんだなということは大変大きく学ぶことができたと感じています。  中でも、市長さんがおっしゃっていた話の中で、災害が起きたときやっぱり基礎的自治体なんだという、ここの重みといいますか、自治体の市民たちが目の前で困難に直面している、それがやっぱり第一義的には基礎的自治体がどうするかということがその状況に応じて判断したり考えたり、対策もとらなくちゃいけないという、こういう関係だと思えば思うほど、やはり基礎自治体として市民の置かれている状況、その被災があったときの状況を含めて、きちんと日常的な部分も含めての基礎的自治体の役割というのはこういうときにこそあらわれてくるのかなというような意味合いでも捉えて考えさせられる、そういうお話だったと思います。貴重な時間をどうもありがとうございました。 30: ◯石川建治委員  一つはSNSを使ったということの情報なんですが、SNSを主たる情報源としている世代に対しては非常に有効なんだろうなと。だとすると、仙台市の情報発信をする際に、それぞれの世代に合った情報発信の仕方があるんじゃないかと、それは今後研究していく必要があるだろうというのは思いました。ただ、SNSに一辺倒という、傾くということではなくて、それぞれの世代に合わせたということが重要な視点かなと思いました。  それから、瞬時に判断をするというのは、何もない中で判断ができるわけはないわけで、そうすると平時において首長としてみずからの市を熟知しておく必要があるんだろうと思うんですね。確かに都市規模が違うので、仙台でそれを求めるということはできませんけれども、いざというときの中心となる幹部職員のところではできるだけそういう地域の、仙台市内の状況を把握しておくということが瞬時の判断に結びつくんだろうと思いましたので、そういう面では幹部職員とか担当職員のところが常に町内会とかと通じるとか、さまざまな情報を集約していく必要があるんだろうと思いました。  3点目は、今回の災害が地震と違っているので一概に言えないけれども、仙台でも水害というのがあるわけで、そういった面ではダムのコントロールということで片岡市長はおっしゃいましたが、今後の水害に対してもう一度法的な面での点検ということも必要なのかなと思いました。  それと同時に、水防訓練を2年に一回でしたっけ、やるのは。ただ、あれが本当に有効なのかどうかというのは見直す必要があるんじゃないかという気もしました。要は、あの絵を描いていただいたけれども、そもそも上流から流れてくる、ダム放水がされたときに、一番壊れやすいところの堤防がここの位置だということがわかっていながら、そこを強化できていないということになると、単に水防訓練のようなもの、ああいう作業を、伝統的な水防技術なので、それはそれであったにしても、本来、堤防を決壊させるような現状を放置できないということであれば、改めて水害対策の強化というのはハード面でも必要になってくるのではないかと思いました。  ペット避難所については、例えば障害を持っている方たちの福祉避難所と同じように仕分けしたほうがいいんだろうなというのは私も改めて思いました。避難所ペットはとにかく体育倉庫に入れて、離していたんですけどね。反応する子、アレルギーを持った子たちはステージの脇の控室のところでってずっと離したんだけれども、やはり反応するんだよね。そういった面では改めてこのペット避難所というものについて具体に検討する必要があるのかなと感じました。
    31: ◯佐藤わか子委員  私も石川委員の水防訓練のあり方というのと同じように感じたのが、印象にとても残っていたのが、今までやってきた防災訓練が意味がなかったということがわかったと。参加している人が役割が決められているような、そういう防災訓練、ひとりよがりの防災訓練では意味がないというのをおっしゃっていたのがすごく、何かこれはとても、うちの仙台市の防災訓練においても実際に高校生や大学生が防災訓練にはもちろん参加できていないんですけれども、今後の防災訓練あり方の中の一つとして、そういうような高校生や学生さんも防災訓練に入れるようなやり方はないのだろうかというような検討をする必要があるのかなというふうにお話を聞いていて思いました。  あとやっぱり市役所の3階にペット避難所をつくったということにもとても驚きましたし、あとはダムの管理ということに関してすごくおっしゃっていましたけれども、仙台市にも広瀬川の上に大倉ダムというのがあり、ああいう洪水みたいになってしまうとダムを放流しなければダムがもたないということがあるので、その辺も含めて仙台市も大雨が降ることも想定されるので、これは考えていかなきゃいけない問題かなというふうに聞いていて思いました。 32: ◯副委員長  皆さんと御意見が重なるところはあるんですけれども、今お話のありました防災訓練、意味がなかったのではないかという市長のお話も、こちらもちょっとどきっとしたところがあったんですけれども、また、担い手となるリーダーという部分で、中学生、高校生の力というのは、先ほど岡部委員からもありましたけれども、風化ということを考えると、本当に今の中学生、高校生に次を担っていっていただきたいので、そういった意味での防災教育の必要性を改めて教わったところです。  なかんずく、本当にことしは大阪での地震、7月の豪雨、北海道での地震という形で本当に災害が多い年で、逆にだからこそ私たち仙台で体験したことがどのように今後全国に生かされたものが皆様のところに教えていってあげられるのかが大事な立場になっていくのかなということを改めて思ったところです。  本当にそういった意味では、防災、そして減災の部分を改めて私たち、風化、風評被害を防ぐためにもこれから本当に真剣に取り組んでいかなくちゃいけないなということを今回改めて市長のお話を伺って知ったところです。  それと、SNSって本当に影響力、特に10代の方々、ましてやラインは今本当に年代幅広くされている人方は多いですし、私も7年前、震災のときに、ここの集会所の水は出るよとか、そういったのを皆さん、ラインとかツイッターで情報を交換しながら、車でとか歩いて行ける距離をペットボトルを持っていって、どこどこの集会所に行ったりとか、そういった情報交換を友達同士で広げていって、それが地域に広がってというのが実際ありましたので、そういった意味でのSNSの利用法というのも今後大きく使っていっていただきたいなと感じたところです。 33: ◯委員長  ほか、よろしいですか。               〔「なし」と呼ぶ者あり〕 34: ◯委員長  それでは、以上で意見交換を終了とさせていただきます。  次回の委員会についてでございますが、先日日程を調整させていただきましたとおり、12月4日火曜日午前11時を予定しております。当日は、来週実施いたします他都市視察を踏まえた委員相互意見交換を行いたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。  以上で予定しておりました日程を終了いたしますが、そのほか皆様から何か御発言等がございましたらお願いいたします。               〔「なし」と呼ぶ者あり〕 35: ◯委員長  なければ、以上で防災・減災推進調査特別委員会を閉会いたします。...