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  1. 仙台市議会 2018-08-22
    地域経済活性化調査特別委員会 本文 2018-08-22


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                  ※会議の概要 ◯委員長  ただいまから地域経済活性化調査特別委員会を開会いたします。  本日、柳橋邦彦委員より欠席の届け出がありましたので、御報告いたします。  本日は、説明員として経済局から関係職員の方々に御出席をいただいておりますので、よろしくお願いいたします。  本日の日程は、お手元に配付の日程に記載のとおりであります。まず、有識者から意見聴取を40分程度、質疑応答を15分程度と考えております。意見聴取終了後、一旦休憩をとりまして、再開後は引き続き本日の意見聴取を踏まえた委員相互の意見交換を行い、その後、他都市視察及び次回の委員会についてお諮りしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、早速意見聴取を行いたいと思います。  既に御着席をいただいておりますが、本日は東北大学大学院工学研究科教授で、仙台市地域連携フェローの堀切川一男様をお招きいたしておりますので、皆様に御紹介申し上げます。 2: ◯堀切川一男参考人  堀切川といいます。よろしくお願いいたします。 3: ◯委員長  どうぞ御着席ください。  堀切川様には大変お忙しい中、当委員会のためにお時間を割いてお越しいただきました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。大変にありがとうございます。  堀切川様は、東北大学大学院工学研究科博士課程修了後、東北大学助手、助教授、山形大学助教授を経て、平成13年6月より東北大大学院教授につかれました。平成16年4月から仙台市地域連携フェロー、平成25年4月からは福島県地域産業復興支援アドバイザーに就任されました。これまで地域の中小企業からの相談に応じ、米ぬかを原料とする高機能多機能炭素材RBセラミックス、滑りにくいサンダル車椅子用電動駆動ユニットなど数多くの新製品を生み出すなど、産学官連携による商品開発、事業化の成果は140件以上あります。  また、今年度、本市の市政功労者として表彰されたところでございます。  なお、皆様のお手元には、堀切川様の略歴書をお配りしておりますので、後ほどごらんいただきたいと思います。  それでは、早速お話をいただきたいと思いますが、堀切川様には着席のままで進めていただきますよう私よりお話ししておりますので、委員の皆様よろしくお願いいたします。  それでは堀切川様、どうぞよろしくお願いいたします。 4: ◯堀切川一男参考人  改めまして、東北大学工学研究科におります堀切川と申します。  本日は、仙台市議会地域経済活性化調査特別委員会にお招きいただきまして、どうもありがとうございました。  いただいたタイトルが「地域企業の活性化について」ということでしたが、今私、先ほど御紹介いただいたように仙台市役所非常勤職員、仙台市地域連携フェローという形で地元企業さんの応援の活動をしているんですけれども、そのときのキャッチフレーズが、時間とお金をかけないで次々といろいろな企業さんから新製品を生み出す背中の後押しをしているということでございまして、今仙台市で活動している私のやり方は、仙台堀切川モデルと言われるようになりました。同じように実は宮城県大崎市の応援もしていまして、宮城おおさき堀切川モデルと学会で言われているそうでございます。さらに、福島県庁と組んでいまして、仙台市での活動スタイルをそのまま福島県に移して復興支援を、もうことし6年目なんですけれどもやらせてもらっていて、それが福島堀切川モデルといいます。そういう活動を通して私なりに地域企業の活性化についての御提言を、どこかでちらっと申し上げたいと思っているところでございます。全く関係ありませんが、生まれは青森県八戸市となっております。  簡単に自己紹介しますと、1956年、昭和31年の生まれで、数日前に62歳になったところでございます。モットーは、地域に根差し世界を目指す研究をやろうと。もう一個は、夢の実現を目指した研究をやろうということであります。全く関係ありませんが、私の趣味は妻との会話ということになっております。大したもんだ。日本男児としていかがなものかという考えもありますが、本来時間があれば、なぜかみさんとしゃべるのが趣味かというのは、科学的工学的に説明が可能であるというところであります。  本業がトライボロジーというんですけれども、摩擦に関連する学問を本業でやっております。物をこするとすり減りますけれども、それが磨耗という現象で、磨耗はなぜ起こるかというのを地図にあらわす仕事を最初始めまして、これは磨耗形態図と今言われているんですが、とりあえずは世界で初めてこういう地図をつくりました。その後、今欧米のほうではいろいろなものが提案されて、これはイギリスのケンブリッジ大学の教科書にも採用されているということで、ちゃんとした仕事はやっております。こういうのが基礎研究と言われる世界で、大学の先生方はほとんどが基礎研究をやりたくて大学に残るということで、実は産学連携とかいう実用化を目指すというのは、少し本業とは方向性が違うということを御理解いただければと思います。ちなみに基礎研究では、国際会議で一等賞をとったこともあるというところでございます。
     ただ、私はどうしてもものづくりをやりたくて、そのチャンスを狙っていたのですが、縁あって東北大で助教授まで残っておりましたが、1990年に山形大学工学部に移りました。このときに地元の企業さんと新しい製品開発をいっぱいやらせてもらいまして、非常に楽しく暮らしておりましたが、諸般の事情で2001年に東北大に教授で帰ってくることになりました。山形時代の経験を生かして、宮城に戻りましてからも地元の企業さんといろいろなものづくりをやりたいという意識で、今までやってきております。山形大時代ですが、ここは上杉藩の城下町ですけれども、地元では上杉鷹山というお殿様が一番尊敬されていまして、江戸時代に今でいう産官連携のような形で絹織物産業をつくられて、赤字財政だった藩の財政基盤を立て直したという名君でございます。鷹山公の爪のあかでも煎じて飲んで、私も地元企業を応援して、商品を一つでもいいからつくりたいと思って、33のときに参りました。おかげさまで11年間で、この表にありますように12件事業化させていただくことができたんですが、私はその当時から、工学部の人間はどうしても工業分野の製品開発が中心になるんですけれども、スポーツ、医療、福祉、生活品といった日常生活に近いところに研究成果を落とし込んで、商品化するという意識はすごく強く持って、今までやってきた人間でございます。  山形大当時は、冬のオリンピック競技ボブスレーのランナーという氷をこするところの開発もさせていただいて、日本製としては初めてオリンピック採用になりました。詳しく言えないのが残念ですが、宿敵ジャマイカに勝ったというあたりでございます。  あと現在も力を込めてやっていますが、山形大時代に米ぬかからRBセラミックスと言われるかたくて穴のあいた炭素材料の開発をやっていまして、その応用に向けた仕事を今でも力を込めてやってきております。この当時考えておりましたのは、農業と工業を結婚させようと。結婚させると子供がつきものであると。生まれた子供は、みちのくから農業と工業を融合した環境に優しい材料をつくって、新産業を生み出せるのではないかというような考えであります。  この材料開発で文部科学大臣賞をいただいたんですけれども、材料は実はつくっただけでは何の役にも立たないので、それを生かして製品にするという第二段階の開発が最も大事だと思っております。そういう意味で、低摩擦ですり減りにくいということで、JR東日本と組んでパンタグラフのすり板にしたり、ベアリングをつくってみたり、いろいろなことをやらせていただいております。  また、米ぬかセラミックスを粉体でゴムに混ぜますと、ぬれても滑りにくい特性を出すことができるので、冬場に滑りやすいアイスバーンとか、そういうところで転びにくい靴とか、いろいろなものの開発もさせていただいてきております。  それやこれやで私がかかわったものだけで、この表にありますようにRBセラミックスはもう40件以上事業化させていただいていまして、宮城の会社も何社か絡んでおります。最近のところで少し御紹介しますと、この43番で、ビールをつくる工場の中で機械油を一切使わない軸受けをつくりましたので、安全性が高いということで採用されております。納付先が大手さんですので、ヒントだけ申し上げたいと思っております。某ビール会社の仙台工場に採用されているというところで、最近北海道工場にもこの軸受けが入りまして、北海道づくり仙台づくりは特においしいのではないかと勝手に思っているところでございます。個人的にはスーパードライのほうが好き、プレモルも大好きでございます。ミニ産業ぐらいまで育ったかなと思いましたら、内閣府のほうから大臣賞をいただいたんですけれども、私と組んで材料を開発された山形の会社の社長さんと、リニアガイドという軸受けを最初に事業化していただいた山形の社長さん、この方は今仙台市在住なんですけれども、中小企業の社長さんと一緒に賞をとれたというのが非常にうれしかったところでございます。  実は私、地元ではというか、仲間内ではドクターホッキーというニックネームになっておりまして、私が応援して事業化までいけた会社のほうには、必ずと言っていいほどいいことが起こると、大臣賞ぐらいはとれてしまうというところで、産学連携はやはりそういう意味でも、企業さんのポテンシャルを上げるかなと勝手に思っております。  楽しく山形で11年暮らしておりましたが、諸般の事情で東北大に2001年に戻ってきたんですけれども、私の人事異動が事前に山形県の皆様にばれてしまいまして、異動前に、それで出ていくなという署名活動というものが勃発してしまいました。当時法人化前ですので、国立大学の教員は国家公務員なんですけれども、公務員に対しての署名活動は、一般にはやめろというのが多いかなと思っておりますが、私は数少ないやめるなと言われた署名活動を受けた人間であります。なぜかなと思ったんですけれども、今にして思いますと、産学連携とか地域産学官連携という言葉が定着する前の時代でしたけれども、そういう活動をしておりましたので、やはり地場の企業さんときちんとタッグを組んでやることが大事なんだということを改めて感じ入って、泣く泣く仕方なく、後ろ髪を引かれる思いで、仕方なく母校、仙台東北大に帰ってきたというのが2001年でございます。  1週間後にはこうやって笑っておりましたので、意外と立ち直りは早いタイプとなっております。仙台は伊達藩でございますが、伊達政宗公はあの戦国時代に世界に目を向けておられたすばらしい武将だと思っておりますが、上杉鷹山公のように地域に根差しながら、政宗公のように世界を目指すというキャッチフレーズで、いろいろな企業さんと仕事をさせていただいてきております。東北大に戻ってからもう15年以上になりますが、この表にありますように、どんどん商品の数がふえまして、直近で今151件までまいりました。大企業もありますが、ほとんどが中小企業、特に半分くらいは地場の企業さんと組んでやらせていただいております。  今までこれだけ商品化が多い一つの理由は、技術相談を受けるのは私の趣味になっていまして、今までもう2,600件、延べ2,600社が参りました。8割は全国の中小企業、2割は大企業さんがいらっしゃいます。大きい声では言えませんが、直接連絡いただければ無料で対応しております。正規窓口で幾ら取られるかは、私の知ったところではないということで、大学本部からは疎まれ、国民から愛される生き方をしたいなというふうに思っている次第でございます。  商品の数は多いんですけれども、ニッチな商品が多いので、全体での年間の経済規模というのは600億円程度の市場を開拓できました。特許は100件以上ありますが、今ですと法人化しているので、特許料はポケットマネーでももらえる時代なんですけれども、油断いたしまして一切いただいていないという生き方をしているというところで、国民に愛される生き方をしておるわけでございます。大学経営者からは、なぜ金を取って大学へ入れないのかということを暗に言われておりますが、闘っているというところでございます。そういう立場から、私は日本の産業構造を2050年ぐらいまでに緩やかに変えていかないと、日本の経済はもたないと勝手に思っております。その勝手な考えを聞いていたければと思っております。  過去100年を振り返りますと、日本は基幹産業をラインナップさせて外貨を稼いで、世界有数の経済大国になりました。今は自動車1本でもうかっているところでありますが、バブルがはじけたころから、周辺諸国も基幹産業に参入してまいりましたので、日本が世界でとれるシェアはどんどん小さくなりました。大企業さんはこれを頑張らなければいけないので、今までものづくりを支えてきた全国の中小企業の仕事、ものづくりの仕事を中国初め東南アジアのほうに拠点を移していかれたということで、結果としては日本に残された中小企業は空洞化の問題が大きくなりました。そのため技術力があってもつぶれる、倒産、廃業が相次ぐというのが、バブルがはじけて以降ずっと続いて、何とか踏ん張って頑張ろうとしたらリーマン・ショックが来て、みちのくの場合には東日本大震災ショックが来て、経済が下まで落ち込んでしまったということだと思っております。  国のほうでは、自動車、エレクトロニクスにつながるような次の新しい基幹産業を一生懸命模索して、そこに資本投下しているわけなんですけれども、私の意見では10年以内に自動車産業に匹敵するような新産業は成長するわけがないと思っております。このままでは地方も含めて日本の経済は低下していくばかりというふうに想像されるんですけれども、一つ解決策があると思っております。その解決策は、日本が世界に先駆けて小さな産業をたくさんつくればいいと思っております。ミニ産業もたくさんつくって集積させれば、一つの基幹産業並みの経済力とか雇用吸収力を持つんだというのが、私の考えでございます。小さな産業をつくるのであれば、地方の小さな中小企業が主役になって、新しいものづくりをやることができるんだというふうに考えております。  実際に全国の中小企業のうちの1割の中小企業が元気に頑張っていただいて、そこの企業さんの雇用人数を倍増できますと、280万人の新しい雇用が生まれます。これは一番失業者が多かった時代の完全失業者を吸収できるのに十分なサイズであるということが言えると思っております。そういう意味で、これからの地域産業というのは、今までは大企業を、基幹産業を支える下請型の生産拠点の役回りだけだったんですけれども、下請の仕事をやりながら余力で新分野開拓を目指す開発拠点になってもらいたいというのが、私の夢であります。  そのために地方でこそ産学官の連携で、ある会社を盛り上げて新製品をどんどん世に出していくということが求められてくると勝手に思っております。よく雇用の問題は数年前と今は激変していまして、昔は雇用をどうつくるかということを国がやってきたんですけれども、今は人が欲しくても来てくれないという悩みを持っている企業さんが全国たくさんおられます。それを解決するには、魅力ある雇用をつくらなければいけない。ただの雇用創出ではなくて、魅力ある雇用をつくらなければいけないというのが私の考えです。  そのためには、魅力ある自社の新製品をつくれる会社でないといけないと。そういうところに元気な人たちが寄ってくるということであります。それを考えますと、実効性のある地域産学官連携の構築と実践が有効と、非常に難しく書いてあるんですが、これは国でしゃべってきた表現なので、簡単に言うと、もうかる製品をちゃんと新しくつくれるための産学官連携が必要であるというふうに思っております。その意識で、私、仙台市役所さんの非常勤職員を平成16年から始めていますが、仙台市地域連携フェローというポジションをつくっていただいて、仙台市の外郭財団、仙台市産業振興事業団の皆様と仙台市の経済局の皆さんと連携しながら、地域企業応援をやってきたというところでございます。  もともとは平成15年の秋に、宮城県知事さんと仙台市長さんとうちの総長と東経連の会長さんが集まりまして、産学官連携ラウンドテーブルというのを初めて開催されました。そのときに国を当てにしないで、地域の自律的な新産業をみんなでつくろうじゃないかということが決まりまして、そのときに東北大学の教員で使える人がいたら、仙台市、宮城県庁に兼業を認めるということで話がされたということでございます。今では全国でかなりいろいろな兼業はあるんですけれども、仙台市さんの場合はすごいはしり、ほとんど全国に先駆けて、大学教員を役場の職員として活用するという活動を始めたというところでございます。これはことしの3月の辞令交付式ですが、一人で私始めておりましたが、今は地元の東北学院大学の方々とか、東北工業大学の方々、あるいは後ろのほうにおられる方々は東北福祉大学とか宮城大学とかの方々も含めて、同じ活動をしていただいております。  主な活動ですが、月に1回、平日の夕方6時から寺子屋せんだいというのを、アエルの7階にある仙台市産業振興事業団の会議室を利用してやっております。これは技術屋さん向けのセミナーです。メーンが、この御用聞き型企業訪問といいます。これが、私、仙台市さんと組んで日本で多分初めてやった活動スタイルなんですけれども、これが新しい製品をたくさん生み出す原動力になったというふうに思っております。  私自身、今でも自分に課しているミッションは、時間とお金をかけないで地域企業さんを応援して、実用化まで達成していただくと。それはできるんだという、そういう活動スタイルを実験的に平成16年度から始めたというものでございます。  この御用聞き型企業訪問といいますのは、こちら側からアポイントをとって地元の元気な企業さんを訪問させてもらいます。工場を見せていただいて、その企業さんの技術的な相談にも対応いたします。もう一つ重要なのがここに書いてあるんですけれども、元気な中小企業さんというのは、大体過去に諦めた研究開発の失敗事例がたくさんあるんです。でも、これは失敗したと思っている話がいっぱい多くて、それを私はもう一度お伺いして、場合によってはこの課題は解決できて、成功に導けるかもしれない、そのときはそこで再開発の提案をいたします。これを潜在的企業ニーズの掘り起こしと呼んでいるんですけれども、これが御用聞き型企業訪問でないとできないところです。  それから、大学の人間の立場で行きますと、技術成果を大学に取られるのではないかという心配があるわけですが、役場の職員として行っておりますので、守秘義務はばっちりというところでございます。再チャレンジが始まりますと、大学で応援できるものは1週間単位もしくは1カ月単位ぐらいで、短期的に試作品の性能評価とか全部やらせていただきます。そうしますと、企業さんが時間とお金をかけて失敗したと思っていた案件を拾うことで、残りをみんなでやれば時間とお金を節約してものづくりができるというところになります。  そういう意味で、この御用聞き型企業訪問というのは仙台市で始まったやり方ですけれども、結果としてはたくさんの地域企業からいっぱい製品が生まれております。開発事例をいっぱい御紹介したいんですが、時間がないので見るだけにしていただきます。  これは東北電力さんに売り込んだ、何万ボルトと流れている送電線の中の導線が切れているかどうかを、非破壊で見つける綱渡り型のロボットでございます。ほとんどできていたんですが、綱を渡るために自動車のタイヤみたいなのが1個入っていて、これが雨が降るとスリップして動かない、雪が降るととまってしまう、障害物があると乗り越えられないという問題があったので諦めていたのですが、新しい材料を開発して、形を変えればできると申し上げて、5カ月でものにいたしました。その1カ月後には、東北電力さんがお買い上げいただいて3億円近くの売り上げになりました。1万円の部品がつくれなくて、3億円の市場をとれなかったという例でございます。こういうことがあるので、御用聞きは楽しいというふうに思っております。賞をとっておられます。  石巻の会社と、滑りにくいサンダルをつくらせていただきました。これも今でも売れていまして、30万足を突破したそうで、サンダルの世界では圧倒的に売れているサンダルになっております。  あと自転車のタイヤでロードレース用の、雨の日でもスリップしにくいタイヤも県内の企業さんを訪問してつくったのですけれども、このタイヤは昨年の国際大会で優勝した人がこのタイヤを使っていまして、たまたま雨が降って有力選手がどんどん転んだと。実力がなくても私のタイヤを使いますと、雨さえ降れば勝てるというところとなっているわけでございます。  あと地元の文具組合さんに当時頼まれまして、中学生、高校生、受験生の皆様が学校ではなく家に帰ってからつらい受験勉強をするときに、私の文房具品を使えば誰でも秀才になれる、かもしれないという、相当怪しげな秀才文具パックというのもつくらせていただいております。1回やめていましたが、震災後リニューアル版を出しまして、当初丸善さんとかロフトさんでも販売していただいたというふうになっております。今は、全国販売、インターネットで販売しております。  あと仙台の名物料理が牛タンだけなのは寂しいと思いまして、ここからは研究に関係ない話になりますが、市の職員なので何をやってもいいということで、新しい名物料理仙台づけ丼というのをつくりました。これは醤油だれベースに仙台みそを隠し味で入れて、少し甘めのたれにして、白身魚をたくさん入れてこれをづけにするというものでございます。おかげさまで12の店で始まりましたが、現在震災後は124店舗まで県内に拡大しました。こういう本でも取り上げられ、JTBさん、びゅうプラザさん等の旅行商品にも仙台づけ丼を東京から食べるという商品になりまして、いい感じになっております。仙台市さんのインバウンド用パンフレットにも、表紙は羽生結弦君でございますが、1ページめくると私の仙台づけ丼が出てくるという感じになっております。  テレビで全国放送でもサンドウィッチマンさんが紹介されておられます。宮城県のすし組合さんは、英語のパンフレットもこれからはつくろうということで、仙台づけ丼の英語のパンフレットまでつくられているということで、本当にうれしいなと思っております。ちなみに藤崎デパートの近くにある寿司ダイニングたちばなさんでは、仙台づけ丼を期間限定でモーニング娘。さんとコラボして、仙台づけ丼娘。という商品展開もしておられます。ということで、アイドルグループとも連携しながら、全国的に知名度を上げるということができているというところでございまして、震災復興のお役にも立てているかなというのがうれしいところであります。  あと石巻の段ボール屋さんと組んで、実は災害があったときに、避難所でいろいろな皆さんが寝泊まりするときに、仕切りというかパーテーションが必要なので、それを耐水性の強い軽い段ボールでつくればいいよと、震災前に申し上げておりました。そうしましたら、実際に震災が来て、この段ボール屋さん、無料でこれをあちこちの避難所に配られたということで、本当に役に立ちました。あとちゃぶ台もつくられて、ちゃぶ台が避難所では御飯を家族で食べるときに非常に活用されたということで、国連防災会議が仙台市主催で2015年にありましたが、3カ所のブースでこういう段ボールは役に立つので、世界中の皆さん活用してくださいという情報発信をされたわけでございます。  石巻のこの今野梱包の社長さんも私も同じ意見なんですけれども、大規模な災害に遭った被災地の人間の一つの役回りとしては、現実に何が役に立ったかという情報を世界に発信しなければいけないというふうに思っております。ちなみにこの段ボール屋さん、格好いい机を段ボールでつくりまして、グッドデザイン賞をとられました。それで勢いがついて、スーパーカーを段ボールで形だけつくりまして、ダンボルギーニという名前で全国で有名になったわけでございます。ダンボルギーニで有名になったら、この社長、本当にランボルギーニの中古を買ったというところで、復興も前向きになっていい感じでございます。ちなみに、宮城県のことしの観光キャンペーンをHey!Say!JUMPさんがやられたそうですが、Hey!Say!JUMPさんのコマーシャルの中には、この我々が開発した段ボールが災害で役に立ったというコマーシャルも全国に出されたということで、被災地からの明るい発信ができているかなと思っております。  あとこういう工業製品もつくりました。切りくずが全くまとわりつかないタップというねじを切る道具をつくりまして、この会社はものづくり大賞を日本でとっておられます。  それから、被災したときに川崎市役所からたくさん職員が派遣されたということもあって、川崎市に私、出張御用聞きに行ったんですけれども、そのときにユニオン産業さんというところに、川崎市の支援財団の方々と一緒に行きましたが、こういう世界一滑らないのではないかと勝手に思うお箸を提案して、事業化させていただきました。きょう偶然箸が一膳ここにあるわけでございまして、納豆一粒でも、稲庭うどんでも滑らないというところで、みのもんたさんの番組でも取り上げられたりして、今全国的に非常に売れているそうで、東北大学病院でも入院患者さん用に販売しておられます。  あと震災後ですが、本社は仙台市にある弘進ゴムさんと組んで、料理をつくる厨房用の靴もつくりました。これはステンレスの上にぬるぬる油のようなものを塗っておいてあるんですが、従来の靴ですと、もう滑って非常に危険です。同じ材質でトレットパターンだけ変えると、全く滑らなくなるんです。こういう靴を考えつきまして、事業化されて、日本ものづくり大賞をいただきました。  先ほどから簡単にいろいろな賞をとったと申し上げておりますが、中小企業さんがとるのは非常に大変です。各県で1社もとれないぐらいのレベルだということをお伝えしたいと思います。この靴の経験で、NHKの超絶凄ワザ!というので、日本一滑らない靴対決で優勝もできました。モヤモヤさまーずでも取り上げられまして、さまーずの三村さんが私の名前を何回も連呼されて一人で笑うという、わけのわからない状況でございましたが、ヤフー急上昇ワードランキングで第5位までいってしまったということで、靴の宣伝にもなったので非常によかったなと思っております。  あと京都のベンチャー系の社長さんが、東日本大震災に学んだ防災用のグッズをつくりたいという相談を受けまして、こういう災害マルチポンチョというのを商品化させていただきました。そうしましたら、これの数カ月後に熊本で震災が起こりまして、我々の経験を生かして京都で商品化していただいたものが、実は熊本に送られて、1,000セット以上送られて非常に有効活用されたそうでございます。一番使われたのが、避難所でパーテーションがないので、女性や子供さんが着がえをするときにこれを使ったそうでございます。被災地の声で、子供用の小さいサイズも欲しかったねという声がありましたので、今は子供用も商品化、京都と組んでやらせていただいているということで、震災の経験を生かしてほかの災害のときに活用できるものをつくれるというのを、仙台市主導でできたというのが私は多少誇れるところかなと思っております。  あと仙台ブランドの高級な靴をつくりたいという若い社長さんがおられて、ヒロセという会社なんですけれども、応援して、いろいろな機能性を持った高級紳士靴もことしの4月に商品化させていただき、ディスカバージャパンという有名なデザイン誌の編集長賞をいただきました。  今度は障害がある人用の靴をつくろうということになって、実は健常者も障害者も両方使えるようにダブルファスナーで転びにくい靴もことし、つい先日5月末ぐらいから発売開始になっております。  それやこれやでいっぱいつくっておりまして、仙台市地域連携フェロー活動だけで49件、いろいろな企業さんから商品化をやらせていただきました。この活動スタイルが時間とお金をかけずに、地域のいろいろな企業さんから新製品が出てくるようになったということで、経済産業省の外郭財団の日本立地センターさんで非常に有名な研究者の林聖子さんという方が、我々の活動をずっともう10年来調べておられて、学会で仙台堀切川モデルという名前でたくさん発表されておられます。その影響で、マスコミにもそういう名前で取り上げられるようになりました。そうしましたら、ある日突然、きょうも仙台市議会さんの委員会にお呼びいただいておりますが、参議院の経済産業委員会に私、参考人招致されてというのも変ですが、されまして、中小企業さんのものづくり高度化法律案を当時審議中でいらっしゃったんですけれども、平成18年です。意見を20分ほど申し上げて、あと70分にも及ぶ与野党5会派から事前質問なしの質問を受けると。それが国会の議事録に残るという、余り行きたくない体験をさせていただきましたが、非常に強い意見を申し上げて、この法案は非常にいいので、実効性があるようにする経産省の事業のやり方について幾つか提言させていただきました。  後から参議院と経産省さんから御連絡いただきましたが、衆参委員会、本会議ともに誰一人の反対もなく、全会一致でこの法案は通りました。実はこの平成18年のこの大きな法案、基本法に近い法案だそうですが、これ以降、大企業一辺倒だった国の補助事業は、全国の元気な中小企業さんにもの補助とか、いろいろな形で回るようになったというところで、この平成18年以降、国も全国の元気な中小企業を応援するスタイルに変えられたというふうに思っております。震災後の活動でまた大臣賞をいただいてしまいました。  大崎市でも似たような活動をしていまして、こういうのもつくってこれがものづくり大賞をとり、石巻の雄勝地域の雄勝の硯石を使って、実はこれは仙台市の活動と大崎市の活動をコラボして石巻を応援しようということで、濡れ盃というものをつくらせていただきました。非常に高いんですけれども、これ数年前G7がありましたが、被災地から新しいものが生まれていますよというのを世界中の人に、仙台市のブースを使わせていただいてアピールさせていただくことができました。本当によかったなと思っていまして、今仙台市のこけしのしまぬきさんで発売していただいていましたら、昨年日本ギフト大賞をいただきました。非常にうれしいなと思っております。  宮城おおさき堀切川モデルという名前で、実は大崎地域の10社ぐらいの企業さんを限定で応援しているんですけれども、一つの会社の技術改善解決を、ほかの企業さんの技術者に学ばせるという活動を大崎ではやっております。  実は福島県でもこの活動を拡張しているわけですが、福島県ではふくいろキラリプロジェクトといいますけれども、仙台市で震災後の私の活動で製品がいっぱいできているというので、国の復興推進委員会に呼ばれて、私、国に報告に参りました。そのときに副知事をしておられた当時の内堀副知事が、すぐに私のところにやってきまして、仙台市のこの活動のやり方を福島でやってくれと。もう毎日のように会社が潰れていくので、復興支援してくれとお願いされました。ちなみに私と出会った企業さんにはいいことがありますが、私と出会った当時の内堀副知事は、現在知事になられているということで、おらと出会うと知事にはなれる可能性があるわけでございます。ちなみに私の幼なじみ、高校の同級生は、青森県知事三村申吾君が私の同級生となっております。おらの友達は知事になってしまうわけでございます。  それで、当初、福島県地域産業復興支援アドバイザーというポジションで活動をやりましたが、この活動スタイルは全部仙台市産業振興事業団から、やり方を全部、ノウハウをお伝えしてもらいました。それを情報開示していただいたので、福島県ではスタートからトップスピードで走れたというところでございます。今は地域産業復興創生アドバイザーというポジション名に変えていただいて、活動しております。ここでは商品化がもう30件に及んでいまして、福島堀切川モデルと言われていますが、その中から一つだけ御紹介しますと、スマホのカバーフィルムをガラスでつくりました。薄いガラスに液晶とDLCというのを上下両面に、ちょっと特殊なコーティングをしてありますが、スイッチを切ると鏡になるんです。化粧が直せてネクタイが直せる。スイッチを入れると、光が透過して中が見えるという、比較的世界で初めての商品を提案したら、うまいこといってしまいまして、こういうパッケージに入れてもらいましたが、2016年のグッドデザイン賞をいただきました。  実はこういう活動で、企業さんが自社製品を持っても、その売り上げでもうかるということはなかなかないです。ただ、初めから私の狙いは、魅力ある自社製品を持った企業さんには、いい社員が来て、一番下なんですけれども、本業の下請の仕事の幅が圧倒的にふえるという体験をいっぱいしてまいりました。この会社は、光電子産業の中小企業ものづくりをやっていましたが、この自社製品を展示会に出しただけで、超大手の自動車メーカーから直接仕事が来まして、億ではきかない仕事が今入ってきております。ということで、4,000円、5,000円の自社製品をつくったことで、10億の仕事がやってくるということなのです。これがこういう活動を通して初めてわかったことで、自社製品を持って、その売り上げというそろばんはじきではもう全然だめで、本業の自社の仕事がふえると。そこで雇用が生まれます。それが一番大事で、先ほど最初に紹介した北日本電線さんは、自社製品を持った後で、60人以上雇用がふえているんです。それが大きいという。理由は本業がふえるからであります。それを申し上げたいというふうに思っております。  福島堀切川モデルという名前で呼ばれました。実は福島の活動では、内閣府で去年初めてできました内閣府の大臣賞で地方創生賞という、地方創生の第1号の受賞をこの活動でいただくことができたのでございます。私がこだわっているものづくりの秘訣は幾つかあるんですけれども、一番こだわっているのは、このミニマム目標を設定するというところなのでございます。実は、会社の社長さんも技術屋さんも大学の人間も、役所の方もそうなんですが、志が高過ぎて、このレベルのハイレベルなのができたら商品化しようと頑張る人が多いんですけれども、私は開発の打ち合わせの一番初期段階で、どこまでレベルを下げても世の中にないいい製品になれるかという、最低レベルの議論をします。最低レベルまでいったら、まず最初の製品化をしましょうと。ここまでやって製品化するだけで自信が生まれるんですけれども、最初の製品レベルが低いと、あとは社会、消費者のニーズに合わせてレベルを上げていけます。第2段階以降の開発が楽しめる。一つのネタで扇が広がっていくように広げていけばいいというのが、私の考えでございます。  そういう意味で、伸び代の大きい開発製品ほど将来性のあるいい製品であると。サンダルも最初非常にレベルの低いところからつくりましたが、少しずつ改善していったことで、今30万足という、サンダルは5,000足売れればベストセラーと言われるそうで、二度と同じサンダルをつくることはないんですけれども、もう10年近くもつくって30万足売れるというふうに成長していけるというのが大事だと思っております。昔から小さく産んで大きく育てると、これが大事だというふうに思っているのであります。  実は技術商品に最高というのはないので、常に技術は進んでいきます。そういう意味で、スタートのレベルは低いほうが、社会に認められるというふうに私は体験上思っております。あと工夫しておりますのはネーミングでございまして、本気の開発はみんなで考えて、スタートの開発の段階から商品名を考えようというふうにして動いております。その結果、名前が先にできますと、やる気も上がってチームワークがよくなって成功率も高くなるし、開発期間は短くできるということでございます。それから、下請だからうちは開発なんかできないという会社がいっぱい実はあるんですけれども、産業から産業へというBtoBだと確かにそうなんです、下請なので。ただ、一般の人が一人でも買ってもらえるようなものとランクを下げれば、BtoCがやれると私は思っております。  さらに私が強調しておりますのは、自分の会社の工場のつくり方をよくするのを改善、改良と呼ぶわけなんですけれども、それではやる気が出ないと。実は工場をよくするのは研究開発だという意識が大事だと申し上げていまして、自分たちの工場をよくするための開発、これをMe to Meと私は呼んでおります。自分たちのために自分らがつくるんだと。実は同じニーズを全国世界の中小企業は持っているので、その技術は売り物になるということなのです。これを格好よくいえば、ものづくりの革命、プロセスイノベーションというんですけれども、こういうハイカラな言葉よりMe to Meでいきたいなと思っております。生産技術は開発だと。開発で企業は進化するというキャッチフレーズで頑張っております。  これから来る産業は何かとよく聞かれるので、私はライフサポートテクノロジーだと言っています。我々の生活や健康、命に密着する産業でございます。薬事法の縛りのある厚生労働省の商品だけではありません。もっと広く見て、我々が健康で快適な生活をできるために、新しい技術をどんどん入れていくと。それを田舎からどんどん発信していけば、どこでも売れると思っております。それを勝手にライフサポートテクノロジーと呼んでおります。  通常産学官連携と今よく言われますが、最近は産学官金連携という地域もあるんですけれども、私は産学官金報民の連携が重要だと申し上げております。金は金融機関、特に地方銀行や信用金庫さんです。報はマスコミ、報道機関です。民は社会なんですけれども、ニーズは社会にあるので、社会のニーズにみんなでアンテナを張らないと、売れる商品はできません。いいものをつくったのに誰も買ってくれないというのは、それはいいのではないと。必要でないものだからだと思っております。そういう意味で、社会も含めた連携がこれから大事だと。産学官金報民の連携が重要だと申し上げております。  あとここから支援政策の提言をしないと呼ばれた意味がないので、ここだけ時間が超過してもしゃべります。  私、思いが三つあって、一つは商品開発支援なんですけれども、何とかではなくと書いてある、ここが重要で、技術レベルが高いものに役場の金が投入されることが国では非常に多かったんですけれども、その結果、事業化成功率は極めて低いです。私は、売れる商品として事業化の実現率が高いものを選択できるような審査基準をつくらないと、勝てないと申し上げております。仙台市が独自にやっておられる、経済局でやっておられるものづくり補助金の事業があるんですけれども、そこではこの意識が活用されています。その結果、仙台市の補助事業の成功率は国と比べて圧倒的に高いです。多分3割を超えていると思います。国では一、二%です。もうそれだけの違いがあるので、レベルが低くても今までないものを提案したほうが、点数が高くなる評価が大事だと申し上げております。  もう一つ、これも他県とか国ではよくあるので、肩書や地位ではなくて、実際に開発体験をいっぱいされた人を審査員に選ばないと、いいものを選んでもらえないんです。実は審査員が大事だということを申し上げたいと思っております。  さらに最も重要なのは、販路、受注開拓支援です。売れるものにするには、ここが大事なんですけれども、地域内の展示会ごっこではだめなので、大都市圏とか海外で販路拡大に効果的な展示会に役場が支援をして、地元の優良企業と製品を見せに行くと。これをやらないと私は勝てないと思っております。JETROさんが国レベルでやると大企業が多くて、最近はJETROさんも中小企業を連れていくようになったんですけれども、地場の自治体さんがもう独自にやったほうがいいというふうに申し上げております。  それから、地域内活動ではやはり限界があるので、全国のいろいろな自治体や産業支援機関に名物コーディネーターさんがたくさんおられます。その人たちに地元仙台の優秀な企業さんと製品の情報を伝えることが大事で、そうすると彼らは100社、200社を背中にしょっているので、マッチングをすぐしていただけます。そういう活動が大事だということで、産業支援機関とか、産業支援人材の広域ネットワークをつくらないと、これからやっていけないというふうに思っております。  仙台市の産業振興事業団では、実は全国幾つかの政令指定都市の似たような財団のコーディネーターさんを、こちらからお金を出して呼んで、地場の企業さんの宣伝をする活動を震災後、実は始めております。それに対しては非常に各地の支援機関からは評価が高いということで、ごまはすっておりませんが、仙台市では始めつつあるというところです。ちなみに仙台市でもやっていないのが、海外での展示会まで連れていくというのはやっていないです。ただ、大都市圏に連れていくというのは、仙台市さん、事業団さんとセットで今やっておられます。  あと三つ目なんですけれども、一応学の立場なので、産学官の学の立場でいうと、学の知の活用はやはり大事だと思うんですけれども、従来大学の先生の研究成果を生かすという努力ばかりしてこられて、先生の研究成果から製品が生まれる確率は極めて低いです。これはやめたほうがいいと、大学の立場では本音は思っております。それよりは大学の先生の頭の中の専門的な知識とか考え方を使って、課題を解決するヒントをもらうと、こっちがよっぽど大事でございます。私の活動はこっちでやっていると思っております。自分の成果も実はだまして生かしてもらっているんですけれども、メーンはこっちであります。  それから、大学の研究室というのはいろいろな設備、ソフトウエアも含めて世の中になかなか出てこない独自のものを持っているので、それを活用して地場の中小企業さんが手に入らない道具を使って、レベルの高い売れる商品をつくったりできると。その活用が大事だと思っております。  これは愚痴なので適当です。150件以上も商品化して600億の市場をつくったのに特許料をもらっていないと申し上げたんですが、本当は幾らもらえたかと計算したら20億円以上もらえることがわかって、これで学生と家族と大学の執行部から、先生はただのばかだと言われておりますが、そのとおりだと最近は思っております。今後はもうかった企業さんはロイヤリティーを持ってきてもいいですよとアナウンスしましたら、どこも持ってこないと。うちは元気です、で終わりでございます。  ただ、そのかわり、地元企業さんを応援してものづくりをしているときのうれしさ、充実感の喜びは非常に高いんです。商品化できたときの達成感はその3倍うれしいです。でも、最もうれしいのは、全く知らない人にあの箸よかったよとか、サンダル買って履いてるよと言われる、笑顔を見たときの満足感は無限大であります。そういう意味で、充実感、達成感、満足感と一回これを体験した企業さんは、苦しくても次に必ず走ります。スタートで1個やれば、その喜びはうれしいのでまた頑張るのです。こういう正のスパイラルでいく企業さん、地域はプラスに向かうと思っております。  そういう意味で、今地方創生と国では言っているわけなんですけれども、負け組の地域は何もしないで、若者の魅力がなくなって人が減って、地域消滅の危機に至るというのが負け組ですが、勝ち組というのはいろいろな連携、産学官でなくてもいいんですけれども、魅力ある新製品をどんどん地元から生み出す企業さんがふえますと、そこに人がやってきます。新しい地域産業まで育つと。それが地方創生だと思っているんですけれども、それは充実感、達成感、満足感という新しいものづくりの喜びの3連発を体験できた、できることが大事だと思っております。負け組になるのか、勝ち組になるのか。仙台市は今のところ勝ち組に向かっていると信じたいと思っております。  米ぬかセラミックスも1社とやって20年たったら、30社以上で46件まで来たんですけれども、製品がふえました。そういうふうにふえていくと思っております。ちなみに今、国の内閣府復興庁あるいは経産省でも、御用聞きというキーワードで、我々の活動を国が取り上げて似たような事業を始めておられます。そういう意味で、仙台市で始まったこの活動スタイルは、とうとう内閣府も動かして全国規模でこの活動スタイルがやられるようになってきたということで、実はあしたから私、福島県の仕事で2日間福島の会社を丸2日回ります。9月の頭には経産省と組んで、青森県下北半島に国の事業としての御用聞きに行くことになっております。  ここから開発をいろいろやったというのを宣伝したいのですが、これは防災活動シューズを被災地から商品化したのは山形の会社です。沖縄、琉球大学でも何かできないかと頼まれて、沖縄まで行ってやりましたが、これでございます。泡盛を沖縄言葉では、方言では島というそうで、泡盛にノンアルコールのオリオンビールを入れまして、島ッピーというのを提案させていただきましたら、本当に居酒屋で島ッピーが事業化したということで、今沖縄に行かれましたらぜひ島ッピーで乾杯していただければと思っております。  青森県でもホッキーのジャンカップという、こういうカップもつくりまして、縁起物で出しております。  あと道路工事でよくこういうのを見られることも多いかと思うんですが、これ私どもが青森県の中小企業と開発したものでございまして、よくガタンとかゴトンとかおっしゃる人が多いので、正式名ピタリングと申します。これも開発しております。  あと全国規模で世界一摩擦係数が低いと思われるティッシュペーパーを大王製紙、エリエールのブランドでつくらせていただいております。ちなみに5個パック300円前後でございます。それから、ローション系では贅沢保湿というのも私ども、これは潤滑剤入りですけれども、これが一番摩擦が低いです。実はエリエールさん、商品化する前は、私と組む前は3位の売り上げ、業界では断トツに1位、2位が強くて3位だったんですが、この商品を我々とつくりまして、2年間で今トップになってしまいました。大学の摩擦の先生と組むといいことがあると思われたようで、私ちょっと忙しいので、私のかわりに人気グループ嵐の松本潤さんが私の役でコマーシャルに出たというところでございます。モデルは私となっているわけでございます。そっくりだと思っているわけでございます。全然違いますが、実はエリエールさんの5個パックのだけなんですけれども、全国のティッシュペーパー全部そこには東北大学と共同研究と書いてあります。そこには似ても似つかない私の似顔絵が、ちょっと私の顔では売れないので、眼鏡だけ私でございますが、出ております。  そうしましたら、日清紡さん、紙事業部門はもう技術的にかなわないということで、エリエールさんに売られました。250億で大王製紙エリエール傘下に入ったんですけれども、ティッシュペーパーこそライフサポートテクノロジーだなと、私と組みますと会社が1個買えるという感じでございます。1円ももらっておりません。  アシックスとリオオリンピックのマラソンシューズもつくっております。特許も出しております。こういう体験から思いますのは、ハイテクも必要なんですけれども、実は事業化を考えると、ローテクを使って今までにない商品をつくるというのが一番大事なんです。それが私の体験であります。ローテクでやれることをまず考えると。どこの会社でも実はやれる。イノベーションというのは実はローテクから生まれていくというふうに思っております。  私らは震災前に戻ることはできませんが、気がついたら震災前よりずっとよくなったなと言えるまでこの活動を続けていきたいと思っております。あと私がお会いした企業さんには、必ずいいことが、何とか賞をいっぱいとっておられるんですが、なぜかとちゃんと考えますと、実はあと一歩で成功する力をかなりたくさんの中小企業は持っているんです。そのあと一歩が踏み出せない。それを私は背中を押す係だと思っていまして、来年までしか使えない用語ですが、平成の花咲かじいさんを目指したいというふうに思っている次第であります。  最後に歌を詠みました。「気がつけば連携成果白寿越え山岳間に花咲き渡る」と詠んだわけでございます。年をとると大体こういうふうに文系っぽくなっていくわけで、注釈をつけてあります。100件以上の製品化とじいさんという白寿ですが、山岳間は産学官で、実は私は花咲かじいさんですが、企業さんが開発成功満開の花を咲かせると。主役は企業さんで、ぜひぜひ仙台市にも多くの企業さんが、こういう満開の花を咲かせる企業さんがふえるまで頑張りたいなというふうに思っております。  最後の言葉でございます。小さな成功事例をたくさん生み出すのが最も大事です。その小さな成功事例から、バーッとヒット商品まで登り詰めていくと600億の市場になっていくというふうに思っております。仙台市、宮城県初め東北全体でもいいんですけれども、さまざまな連携で小さな成功事例、将来成長が期待される小さな事例がたくさん生み出されることを期待いたしまして、お話を終わらせていただきます。  どうも御清聴ありがとうございました。(拍手) 5: ◯委員長  大変にありがとうございました。  それでは、早速皆様から御質問等がございましたら、よろしくお願いしたいと思います。 6: ◯嵯峨サダ子委員  先生、どうもありがとうございました。  私ども当委員会での他都市視察した先で、滑らない竹取物語のお箸をいただきまして、何と地元でなくて、他自治体でいただいてきたという、私、今愛用しております。確かに滑らない、すばらしいグリーンの箸をいただいていました。  先生にお伺いしたいのは、中小企業ものづくりで、もうあと一歩のところまでいくんだけれども、それ以上進まないためにそのままいわば眠ってしまっているという、そこをどう成功に結びつけていくのかというのの、まさに先生の技術といいますか、パワーといいますか、ロマンといいますか、そこはどういうふうにそこをキャッチして引き出すことができるんでしょうか。その辺のところをまず一つお伺いしたいと思います。 7: ◯堀切川一男参考人  実は大企業さんでも、技術的な壁にぶつかることはたくさんあって、大企業の場合だと資本もあって、協力企業さんを見つけてそこにお願いする場合が多いんです。中小企業さんも実は単独ではなくて、そういう協力企業さんがすぐ見つかればやれないことはないんですけれども、お金がかかるというのがあってなかなか難しいんですけれども、実は私、そういう壁にぶつかって失敗したと思っている案件を引き上げるときに、何が役に立ったかといいますと、冒頭で申し上げたんですが、私、技術相談を受けるのが趣味で、もう2,600件を超えています。いろいろな業界のいろいろな相談を受けてきてまして、私のできる限りのアドバイスは申し上げるんですけれども、20年前だとアドバイスしてうまくいく確率は3割ぐらいだったです。10件中3件はうまくいくんですけれども、7件ぐらいはやはり、技術以外にいっぱい課題があってうまくいかないことがあったんですけれども、今はそういうたくさんのいろいろな業界の相談を受けてますと、全く違う業界で同じ課題という過去の体験をいっぱい積んでいまして、うまくいったときの体験がたまっていきます。それによって、今は8割ぐらいは成功します。10件中8件の相談は大体解決できるようになっているんですけれども、それは過去の解決できた体験なくしては言えないと思っております。こればかりは年食ってよかったなという、数少ないポイントでございます。30歳に比べて60歳になると、3割の成功率が8割になったというのは、実は過去の失敗したときに、こうやると失敗したという体験もあるし、こうやってうまくいったという、その体験の蓄積かなというふうに思っております。  もう一個あるのは、実は私の専門分野は、いろいろな物理、化学にまたがるいろいろな専門分野の知識がないと摩擦の世界はやれなくて、もともと理科系雑学的な人間の集団なんです。そういう専門性がよかったかなというふうには思っております。 8: ◯嵯峨サダ子委員  ありがとうございます。先生の引き出しが無数にあるなというふうに今感じ取れました。あともう一つだけいいでしょうか。  今、仙台で放射光施設の建設が進められようとしているんですが、ここで中小企業が生かせる分野というのは、どういう分野なのか、もし教えていただければと思います。 9: ◯堀切川一男参考人  ほとんどの中小企業は生かせないと思います。  実はそういう御質問をあちこちでいただいていて、放射光はほぼ決まって本当によかったなと思っているんですけれども、もう一個でかいほう、岩手県までまたがるほう、あっちはやらないほうがいいと思っております。あれはやって手放されたときに、維持するだけで自治体は死んでしまうと私は心配しております。ついでにあっちのほうは、地場のどこの企業さんも何の役にも立たないです。お金が一回動いて終わりです。  それに比べると、放射光のほうはやっぱり使えるので、しかも東北大から見ても身の丈サイズの大きなものということでいいと思いますが、実は地場の中小企業さんがたくさん入れる道を探すのはやめたほうがいいと思います。黙っていても、うちはやれそうだという企業さんはもう虎視たんたんと狙っているので、そういう企業さんを応援すればいいというふうに思っています。  もともと無理やり組み込まれるというのは、ああいう大型のものができてくるといっぱいあるんですけれども、そんなにうまくいくものじゃないです。大型計算機が仙台に決まりそうになって、なぜか神戸に行っちゃったことがありましたけれども、あの大型計算機で兵庫県神戸のほうでは、最初は地場産業がこれで大きく成長するということで、バイオ関係の拠点だということでやったんですが、うまいこといってるのは大企業さんだけなんです。だから、私はああいう特殊設備が来ることで、地場企業のてこ入れというのを無理くりつなげるのは、いかにもありそうなんですけれども、そこはやらないで、自然にあそこのおかげでという会社が出てきたら応援するというほうが、圧倒的にいいかなというふうに思っております。 10: ◯ひぐちのりこ委員  どうもありがとうございました。  堀切川先生のいろいろな御用聞きに入っていくところで、本当に具体なところでお伺いしたかったんですけれども、いわゆる仙台市の立場としてお入りになるんですけれども、まずはその企業さんのところの方と相対するときに、やはりそういう方々とうまく関係をつくりながら、仲間をつくっていって、そして失敗した事例というのもなかなか、やはりネガティブなお話というのは初めはなさらないような、そういうところに入っていきながらプラスの方向に一緒に行こうねということがあると思うんですけれども、そういう仲間をつくっていったりとか、あと例えば、先ほど肩書とかあれがなくてもというのは本当に共感する部分があったんですけれども、それがなくとも本当に技術的なところとかアイデアがあったりする、そういう方々をうまく引き出すお力があるのかなとお見受けしたんですけれども、その辺の入っていって、いろいろ聞き出すそういうノウハウであったりとか、あと一番初めの妻と話すのが趣味だというのも、趣味というのもちょっとあれかなと思う、でも異文化の方々と本当に同じ立場でお話しできるような、そういうやわらかい頭みたいなところがあるというふうに大変感激はしたんですけれども、その辺の人間関係のつくり方とか、その辺を教えていただければと思います。 11: ◯堀切川一男参考人  趣味のほうからいきますと、毎日あった出来事をかみさんにしゃべってるんですけれども、向こうもしゃべるんですが、技術的なことをかみさんにしゃべったって絶対通じないので、通じるようにかみ砕いてしゃべる訓練をしています。それがあると、企業さんも分野が全然違う企業さんがあると、ちょっとでも専門用語が入ると、話がもう飛んでしまうので、ちょうど新聞記者の方が誰でもわかるように書かれると思うんですけれども、そういうふうに誰でもわかる言葉に置きかえてしゃべる練習は積んできているつもりで、そこから入るというのが一つでございます。  それから、企業さんと信頼関係をつくるのは、自然な会話でやるんですけれども、一つは俺も昔はこれで失敗したと言ったら、これはうまくいくと思ったけどうまくいかなかったから、社長それで失敗してもいいべ、とかという話から入ります。だけど、うまくいったのもあるから、社長ももう一回頑張ったほういいんでねえの、というところからいくんですけれども、実は企業の例えば技術担当の担当者とか社長さんとしゃべるときは、実は相手のほうがものづくりのプロなので、私は会社員をやったことがないもんですから、相手のほうが詳しく知ってるんです。そっちは私はわからないです。  ちょうど推理小説好きでございますが、名探偵はホームズですが、ホームズ一人では絶対解決できないんです。ワトソンがいるから、ワトソンがうまく合いの手を入れて、ホームズは、あっ、わかった、とか言うんですね。実はそのホームズが会社側だと私は思っています。私はワトソンだと思っているので、何でこうやってやったのと聞くと、こうだからと、本当にそうなのと聞くと、本当かどうかはわからないという、んだばこっちでやってみっか、と答えは会社が出すんです。担当者の人が。それを引き出すとなると、実は専門が全く違う私、分野が違う相談がいっぱいあるんですけれども、相談する側が勝手に答えにたどり着けるお手伝いをするので、その相手の人に自分で答えを見つけるための協力をするというふうに思いますと、実は私にとってはもう肩の荷がおりて、どんな相談でも受けられます。  教えてもらいながら、やっているうちに、会社のほうが答えを出します。だったら、それやんべということになるので、そういう意味で、やはり会社のほうは大学で例えば産学連携で地域何たらセンターとか、今いろいろなものがあちこちにできてるんですけれども、相談事があると大学へ来ます。それはこれからうまくいくと思っている話しか持ってこないんですけれども、こちらから行くと、もう失敗した話を聞くので、なぜ失敗したかというのを一緒に会話していくうちに、成功する方法まで自分たちの言葉で出てくるんです。それを、じゃ一緒にやるべというふうにすると、私の知識なんていうのは幅が、もうたかが知れてるんですけれども、相手はプロだという意識を持っています。  それから、もう一ついつも思っていますのは、どんなにいい加減な中小企業さんであっても、社長さんは社員と家族の人生を背中にしょっているので、私はそんなことはできないです。根が公務員気質なので、人の人生を背中にしょいたくないんですけれども、そういう会社の経営者あるいは担当者を応援すると、俺らができないことをやっているという尊敬の気持ちがないと、信頼してもらえないんだろうというふうに思っています。相当個性的な社長でも、私は大丈夫でございます。かなり個性的な方は仙台宮城、多いと思っております。 12: ◯委員長  先生の作品というか製品を持ってきていただいたので、皆さんに回しいただいてもいいですか。 13: ◯堀切川一男参考人  これはますやさんでまだ売ってないバージョンですが、石巻、これはひもがついてるんですけれども、黙って普通に履くといいんですが、これは滑りにくい私の開発した材料が使われているんですけれども、これは中に低反発シートが入れてあって、その人の足の裏の形は全部違うので、その足に合わせてこれが変形します。一日履いていても、圧力が分散するので痛くない。なので、病院に入院する患者さんとかにいいと思ったら、一般の人が買っていくんですよ。今、大学病院の売店でお見舞いに来ないのに、サンダルだけ買うというので、今は全国の履物屋さんで売ってもらったんですが、さらに別タイプも売っていて、これはかかとを場合によってはとめられると。すると、車の運転ができちゃうということで、便利なものです。ぜひこれ回しますので、触ってみてください。あとお箸も一応。お箸の宣伝の紙も用意してきております。  済みません、本当は通常長い講演ですと、開発品を20種類ぐらい、大きなリュックにしょって持ってくるんですけれども、きょうは短時間で行政のやり方に関連する話だったので、サンダルと箸しか持ってきていないと。ちなみに福島県でつくったもので、個人的に気に入っているのがありまして、これなんです。これは名刺入れに入る靴べらでございます。これプラスチックでできていて、かかとがおりると、足の形で変形します。つるっと摩擦が低くて入って、こっちが男性用で小さいほうが女性用です。ヒールとかで後ろが狭いところでも。そして、使い終わったらフラットに戻るので、名刺入れに使えるというべら丸という商品なんですけれども、実はこれ一見BtoCです。一般の人が買えるところでも、道の駅で売ってるんですけれども。実は私、福島県で県知事さんにも申し上げたし、仙台市でも宮城県でも同じことを言っていますが、地元のものづくり中小企業が初めて自社製品をつくっても売る場所がないんです。それで、田舎ならどこでもあるような道の駅、全国で1,100カ所以上あるので、道の駅に農産物と海産物しかないというのはつまらんと。地元の元気な中小企業がつくったBtoCは売りましょうよという、そうすると、東京からそれをわざわざ買いに来るじゃないかという作戦でございます。  今、これは福島の、東京の日本橋の出先のショップ、日本橋ふくしま館ミデッテというのがあるんですけれども、ことしのミデッテのノベルティーに選ばれました。もともとノベルティーが狙いでつくっていまして、これは福島県の東邦銀行さんがもう1万枚ノベルティーで発注が入って、配っているんです。BtoBにすぐに変わるBtoCなんです。  実は、こういうノベルティーというか粗品というのは、普通ボールペンとか、そういうのはいっぱいあるんですけれども、いっぱいもらっても大体使わなくなっちゃうので、こういうどこにもないノベルティーをつくると、名刺入れにポッと入るので、そのたび宣伝ができるので、企業さんの宣伝をここに書いて配るという商品として、福島で提案したものになっております。これも回覧してみますか。これピンクバージョンで、ちゃんとしたバージョンがどこかにありますが出せないので、ピンクバージョンで恐縮でございます。  実はその靴べら、欲しい人が殺到して、福島県で私の開発した展示会を年に1回2月にやるんです。駅ビルの上のほうでやったりしてるんですが、アンケート用紙を書いた人にだけ最初ノベルティーで配りましたら、全然産学連携と関係ない主婦の皆さんが、買い物かごを下げて、これが欲しくてアンケート用紙を書くということになりました。そういうのが評判がよくていいかなと思っております。  ちなみに、まだ秘密ですが、仙台市のノベルティーでつくったものがありまして、これでございます。ここに企業さんの宣伝文句を書こうということで、これノベルティー専門の会社が仙台市にあって、これをパッとこういうふうにやりますと、これで缶ビールが入ります。そうすると、まず手が濡れないんですけれども、断熱性があるので最後まで缶ビールが冷たくいただけると。終わってこう閉じると、電車に乗るときに缶ビールを買って帰れば、これでいけるやつでございます。簡単保温缶スリーブという名前で出す予定になっているわけでございます。企業名を入れたバージョンもあるんですが、ちょっとまだ企業さんに相談もなく名前を入れてるので、やめておきますが、例えばこういうものもありそうでない。すると、捨てられないので、ここにいろいろな宣伝文句が入ると使えるという。何回か使えます。長持ちして使えるものは、済みません、福島県の会社でやっているので、これは仙台市。いろいろ全方位外交、大変なんですけれども。これも、では回してもらっていいですか。  では、濡れ盃のパンフレットと、靴のパンフレットもありますので。何でもばっちりでございます。
     御当地グルメのびゅうプラザさんからこの間持ってきた紙でございます。怪しげなのはいっぱいあるんですけれども。  あとお見せしなかったんですけれども、障害者用のスプーンもつくっております。  あと山形県の上山市では、さくらんぼの種取り機というのをつくりました。サクランボの種だけ抜いて、一発で全部食べられる、球体を残しながら種だけ取ったり、軸と種だけ取れる道具も商品化しております。さくらんぼの種取り機、商品化しております。二、三万円コースとなっております。  超簡単なので言うと、これは300円で売ってるんですけれども、障害者用のスプーンです。手が不自由な人が、カレーとか食べると、みそ汁とるときも、先がとがっていると具がつかめないので、こうやってとれるようになっています。ハンディキャップある人がカレー食べるときの専用のスプーンが、これ斜めに切ってあるんですけれども、こうやるとカレールーが皿にこびりつくとつらい。それが全部すくえて、口が開かない人はこの小さいところで食べられる。たくさんよそって、小さいところで食べられるという、これは400円でございます。  ちなみにこのカレー用のスプーンの提案者、こういうのをつくれないか、形はともかくカレー専用の障害者用のスプーンがつくれないかという提案をしていただいたのが、小野寺防衛大臣です。大崎市で私、会ったときに、このスプーンを御紹介したら、1年後にカレー用をつくれないかと言われて、自民党の会議は昼飯カレーが多いので、そのとき使って宮城県の宣伝ができるというお話もあって、昨年慌てて事業化した次第でございます。  結構ニーズは社会にあると、そのとおりで、こういうのがあると便利だとわかると、こういうのをつくれないかという声を社会からいただけるので、それでまたつくれるというのが、やっていて楽しいところです。 14: ◯わたなべ拓委員  恐れ入ります。2年前にホッキー先生の研究室にお邪魔して、いろいろとお話を伺いまして、大変勉強になりました。ありがとうございました。  私、議員になる前に川崎モデルに啓発されて、それで仙台にはこういうものがないものだろうかなんていうノリで行きましたら、何と川崎市の木村課長から、川崎モデルの産みの親は、本質的にはホッキー先生だということを後から伺いまして、大変恥じ入った次第です。  それで、川崎市では、木村課長がやはりキーパーソンで動かれていて、中小企業大学校の人脈なんかを十全に生かして、あとはその配置ももうちょっと長期化すると。普通は3年ぐらいで異動を重ねられますけれども、そこをやや長期化するというような配意はしているそうですけれども、さてホッキー先生のような不世出の先生がいらっしゃればこそ、これは成り立っているところもあるかと思います。ホッキー先生の後継者となる専門領域をお持ちの研究者をいかにふやしていくかということが、一つ課題だと思うんですけれども、これについてはいかがお考えでしょうか。 15: ◯堀切川一男参考人  それは私に聞かれましてもというのもあるんですが、私が思っている一つの答えがあって、それは先ほども申し上げたんですが、私は人一倍頭がいいわけでもないし、若干、1年のうち5日間は頭がいいんですけれども、360日は余り頭が働かないんですが、こういう体験を積んできてよくなってきたと申し上げたと思うんですけれども、そういう意味で大学の先生方でなくてもいいし、公設試の方でもいいんですけれども、私のような活動ができるような人をやはり育てたいというか、育ってほしいという願望があって、そのときの一番、時間はかかりますけれども、いいやり方は、おだててでも、だましてでもいいので、小さな成功体験を積んでもらうことだと思っています。一つでも、例えば一言言ったアドバイスがうまくいったでもいいんですけれども、そういう小さな成功体験を積まれた先生は、そこからマインドが変わります。次もまた何かこういう商品開発を応援したいという気持ちが必ず入るので、私、全国の知り合いの中で多少おられる人たちというのも、その成功体験を積まれた人なんです。  そういう人は1個ものづくりをやると、2個目、3個目とやみつきになっていくので、おだててでも、だましてでもいいので、とにかく企業さんを応援する場に引きずり込んで、一つでも体験を積むことだと個人的には思っています。そのときのノウハウは幾らでもお伝えできるので、仙台市地域連携フェローは私以外にあと数名の方がほかの大学でもやっておられるんですが、ちゃんと成果を出されているんです。数は少ないですけれども、成果を出されています。それはノウハウをお伝えするというのもあるんですが、やはり一つ体験すると、もう一個やりたくなるというので、一つで終わる人はいないです。1個目が大変ですけれども、2個目以降は何となく呼吸がわかってくると思うので、小さな成功体験を積ませて、そういう開発支援役の人を育てるというのが一番いいのかなというふうには思っております。  本格的には大学側からいうと、もう一つ大事なことがあって、実は大学の先生はそういうことをやっても内部の人事評価にはほぼ使えないので、准教授、助教の人たち、講師の人たちは、それをやってもやらなくても出世に関係ないというと言い方が悪いんですが、となるとやはりやらないんですよ。やはり論文、業績を上げないといけないので、実はそういう製品化まで支援した体験が若い先生にもしあれば、それを人事査定にちゃんと組み込みますよというのを、国レベルで言い出せば、これは変わります。  大学によっては、実はそれを前向きにやっている地方大学とか私立大学もあるので、それが全国的にそういう活動は大学内の評価も上がるんだとなると、チャレンジする人たちはふえてくるだろうと思っています。今はどうしても、特許の数はある程度査定に入るんですけれども、事業化したかどうかという、応援してやったかどうかというのは、業績評価にほぼきいてこないというところが一番厄介な問題かなと思っています。  ただ、ちなみに今文部科学省の中央教育審議会の大学院部会で議論になっているのは、大学院の学生の教育も産学連携で事業化、実用化を目指す体験を積ませないと、社会に出せない、いい人材として出せないという意識があって、先生方の組織の中に企業の研究者、技術屋さんを教育の場に引きずり込もうという動きを、今しています。そういうことが進んでいくと、大学の先生方のマインドが変わってきて、ものづくりの楽しさにはまるのではないかなというふうに思って、その結果、地場の企業さんからいっぱい成果が出るかなと思っております。 16: ◯わたなべ拓委員  貴重な御教示ありがとうございます。今、インセンティブのお話がありましたが、人事査定上、こうしたことを前向きに評価するようなあり方が望まれるという御指摘、御示唆をいただきましたけれども、そのインセンティブに関連して、先ほどロイヤリティーを一切受け取っておられないと。ホッキー先生は高潔でお志が高いので、こうしておられるわけですけれども、やっぱり長く続けていく、そして裾野を広げていくという意味と、あと一定のインセンティブになるという意味で、ロイヤリティーを正々堂々受け取れるような仕組みもあるいは必要かなと思うんですけれども、研究者の方はお志が高いので、そちらがメーンの意識に上られる方、余りおられないかもしれませんけれども、そうはいってもやはり霞を食ってはというところもありますから、どうか正々堂々と受け取っていただけるような仕組みづくりも、これから考えていかなくてはいけないと思うんですが、そこについて御所見をいただけませんでしょうか。 17: ◯堀切川一男参考人  おっしゃるとおりだと思っています。それもあったので、実は後半のほうで、本当はこれだけもらえたはずだという金額を出したのは、実は教員向けにプレゼンするときにあれを使います。だから、こんなに150件も商品がなくても、結構ちゃんと取れるぜということは伝えたいと思っていまして、私が一番よくなかったのは、自分はもうけなくていい人生だと思っているんですけれども、その結果、もうからないんだからやらないと、周りの人が思われるのが一番失敗だなと思っていまして、もうかったはずだは言いたいと思っています。  ただ、一つ大きな問題があるんですけれども、大企業さんだとインセンティブを払うというか、特許料で大学の先生と連携するという意識を最初から持っている業界が多いので、大手さんは楽ですが、中小企業さんにとってはそこのマインドがなかなかスイッチが入らないです。アドバイス言葉はただだと思っておられて、つくるのは自分たちだという意識が多いので、そこはやはり中小企業の経営者の方々のマインドも変えていかないと、大学の先生はただで使えるものだということに、最近もただで使われたので、本当に失敗だなと思っているんですけれども、こうなったら幾ら、何%もらいますよみたいな会話は、まずしないですよね。大企業さんは最初からしてくると思うんですけれども、そういう意味では地場の企業さんの経営者のマインドも、そこをちょっと変えていただかないと難しいかなと思っています。  ただ、先ほど申し上げた非常に難しい問題が一つあって、自社製品は大して売れないんです。だけど、その結果、本業の下請が社会評価が上がって、別な業界から仕事が来るんですね。そこの部分からいただけないと、この活動は続けられないのだなというふうには思っています。今、企業経営のアドバイス的な民間の立場でやっておられる人の中で、やはり私と同じ体験を積まれた人から聞いた話ですが、その方はある製品開発のアドバイスをした部分の上がりだけで契約はしないと。結果、その会社がそのアドバイス前の1年間と、その後の1年間で売り上げが伸びた、本業のほうで伸びた部分からも応分のものをくださいという契約をしているとおっしゃっていました。これはやはりその成功体験を積ませた体験を持っておられる経営アドバイザーの人の言葉としては重いなと思ったんですけれども、やはりそのアドバイスポイントだけでいってしまうと、大してもうからない。だけど、その企業さんがそれで全体が売れていくという、そこから応分の対価を払うという意識までは、今全国どこも来てないかなと。大手さんもそこはないです。と思っております。  福島で、鋳物で小さな、実は馬刺し用のたれ皿というのを試作品だけつくったんです、2個。試作品を展示会に出されました。それを見た全く違う業界から何億という仕事が入って、見せたおかげで仕事が入ったので、自社製品はつくらないと言われました。見せるだけでよかったと。でも、それが役場の非常勤職員の立場でいくと、それがベストなんですよ。ただ、その結果、対価はゼロになっちゃうわけなんですけれども、その企業さんは全く違う業界から年間2億だったかの仕事が入ったそうです。そこから何かの対価を役場に対して払ってもいいんですけれども、だからそういうことまで成長していくと、産学官連携というのはもっとうまく進むかなという感じもしております。  ちなみに昔、国分町稲荷小路の居酒屋で、年配のおじいさんとおばあさんが経営している善良な居酒屋があったんですけれども、トイレに行こうとしてサンダル履いて戻ってきたら、そのサンダル、私が開発したサンダルだったんですよ。そしたら、居酒屋のおばあさんが、お客さん、これは滑らなくてすごくいいんだぜと俺に自慢して、欲しかったら、あそこのますやさんで売ってるから買って帰ったほうがいいと言われました。  そういう話を聞くと、うれしいです。黙って聞いてますけど、ちょっとうれしい感じでございます。 18: ◯委員長  ありがとうございました。  それでは、堀切川先生にはきょうは大変貴重なお話をいただきましたこと、心から感謝申し上げます。大変ありがとうございました。今後、我々の委員会といたしましても、今ほど受けましたさまざまな御示唆をしっかりとこの委員会の中でも参考にさせていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、感謝の意を込めまして、もう一度堀切川先生に盛大な拍手をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手) ここで暫時休憩をいたします。               〔参考人 堀切川一男退室〕                休憩 午後2時29分                再開 午後2時40分 19: ◯委員長  それでは再開したいと思いますので、よろしくお願いいたします。  今、堀切川先生のさまざまな御示唆の話をいただきました。それをもとにしながら意見交換を行いたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。それでは、さまざまな御感想をお持ちであったかと思いますし、また御質問申された方もいるわけでありますけれども、お一人ずつ順番にきょうの感想なども含めてお聞かせいただければと思いますので、高橋次男委員から順番によろしくお願いいたします。 20: ◯高橋次男委員  大変東北大学、一般に大学の先生というのは、生徒の学科を持ったり、それから研究論文を書いたり、部屋に閉じこもって生活をしているのが一般的なのかなと思って今まで見てきました。きょうの堀切川先生のお話を聞いて、最初学部は何なんだろうなと思ったら、工学部ということで、なおさら研究論文を書きながらのタイプが一般的なのかなと思いましたけれども、自分は雑学だというお話をされて、その雑学をいろいろな形で製品開発につなげている、大変すばらしいなというふうに感じたところでございます。  しかし、どうも先生のお話を聞くと、ああいうことをやっていると評価はされないと、要するに教授になるまでの過程の中で、なかなかその昇進ができないんだろうなというふうに、大学の一つのシステムの中にも課題があるのかなと。ああいう先生がいっぱいいると、やはり新しい製品開発、少なくとも市民向けの、市民に近い形の貢献はいっぱいなされるのかなというふうに感じたところでございます。いずれにしろ、大変いっぱいアイデア製品をつくって、世に送り出しておるということに対しては、感服をいたしました。  それと代金をもらわないというか、その辺に関してもやはりある意味では、あのような先生方を産出できないというか、生み出せないということに関しても、やはり彼なりに反省していることが言葉になって出ましたけれども、いずれにしろ大変感服をした次第でございます。 21: ◯やしろ美香委員  堀切川先生のアイデアの豊富さに大変驚かされたというか、本当に興味深いお話を聞かせていただきました。それで、私はものづくりには二つのハードルがあると思っていて、まずはいいものをつくれるかどうかというところと、つくったものが売れるかどうかという二つハードルがあると思っています。  ものをつくるに当たっては、やはり技術力とかいろいろなアイデアで、ある程度いいものをつくるということのハードルはそんなに高くはないと思うんですが、そのつくったものが売れるかどうかということのほうが難しいと思っていました。きょう堀切川先生のお話では、ものが売れなくとも本業のほうがきちんと回っていくというような話だったんですけれども、せっかくものをつくったのであれば、やはり売れたほうがいいのかなという気がいたしまして、先ほど休憩時間に堀切川先生とお話しさせていただいたら、最初から売れないと思っていたけれども、案外それが売れてしまうこともあるというようなお話だったので、やはりせっかくつくったものであれば、売れるような方法というか手段を応援していくのも私どもの役割なのかなという思いがしました。  先生のお話では、企業のノベルティーに使ったりとか、あとは道の駅で販売したりとか、結構マーケットが限定的なところにありましたので、その辺の工夫をすれば、もしかしたら先生が売れないよと言ったものでも大化けすることもあるかもしれないので、ちょっとそういったお手伝いということを考えていけばいいのかなというような気がいたしましたので、その辺は何がいいのかというのは、ちょっと私も今すぐは思い浮かばないんですけれども、売れるお手伝いということもしていかなければいけないんじゃないかなという思いで、お話を伺いました。 22: ◯わたなべ拓委員  貴重な機会をありがとうございました。  私、従来からホッキー先生のファンだったものですから、また改めてお話を伺って感服いたしました。率直にホッキー先生は才能のある方なので、なかなか不世出というのは決して持ち上げていなくて、やはりあの人しかいないというようなところもあると思います。ただ、課題はやはりああいう世のため人のためと、しかも口も出し、アイデアも出し、歩きますという方を、いかに専門の研究者から輩出するかということだと思っております。先生もおっしゃいましたように、それが人事査定上、一切評価されないという現状に問題があって、これは本質的に国の問題だとしても、我々の単位でできることは何かないのかということでありまして、その一環としてロイヤリティー、最後に御質問でもありましたけれども、ロイヤリティーを何らかの形で還元することができないんだろうかという課題があるかと思います。しかもいかにその貢献度を正しく評価して、それに報いるかということで、直接のアドバイスへの対価というものはほとんど期待できないと。ましてや相手が中小企業だということで。  ところが、その反射的な効果、間接。見本品、展示品を契機に本業のほうで仕事がふえたなんていう場合、その反射光をいかに評価して、そこからフィーのような形で経済的に還元していただき、それをもってアドバイスということをして充てていくような仕組みは、仙台市でも十分考え得るのではないか、考える余地もあるのではないかと、先ほどお話を伺って感じた次第です。  また、別の問題として、川崎市に我々連れていっていただきましたけれども、視察先で、以前私、木村課長にも個別にお話を伺ったことあったんですけれども、やはり事業団の配置を少し長くすると。二、三年でくるくる回るような状態がございますけれども、これをもうちょっと事業団では長くして、人材のネットワーキングをもうちょっと密にする機会を長期化するという工夫がされていましたけれども、本市においても一定程度されていることは承知していますが、もうちょっとできる余地はないのか、工夫の余地はないのかということについて、改めて関心が湧いてまいりました。後日ここについて御教示いただきたいと存じます。 23: ◯沼沢しんや委員  私ももう本当におもしろいお話を聞かせていただいたということで、もう目からうろこが落ちるような思いでした。先ほど来皆さんからの感想の中でもありますけれども、一番正直、ああ、なるほどと思ったのは、新しい商品をつくると、製品をものづくりに取り組むと、そのつくったものが売れました。どれくらい売れて、どれくらいの利益を上げましたということが、今までいろいろ産学官連携の話を聞いてきたときに、こういうのをつくって、こうやって売り上げが上がった、売れたんですよという話は聞いたことがあったんですけれども、それをつくったことによって、その本業、下請業務として本来業務がもうかるというパターンがあるというのは、ああ確かにそう言われてみればそうなのかと。ある意味では、企業がこういうこともできる技術を持っているというところのPRにもなっているんだなというふうに思ってまして、そういう意味では例えば川崎のようなところはものづくりのまちで、仙台はものづくりに特化したまちではないという話もありますけれども、そういう話であれば下請企業の中でそういった技術を持っている企業はもっともっとあって、その企業の人たちと堀切川先生のような方をどうやってつないでいけるのかと、もっともっと会えるような仕組みをつくっていくためにはどうしたらいいのかというところに、私たちが考えられることがあるのかなというふうに思っています。  先ほど来あるように、ロイヤリティーの部分でも、私これはできれば堀切川先生には受け取っていただかないと、次、下の新しい人材が受け取りづらくなるんじゃないかというふうにも思うので、ここは堀切川先生がすごいからできているというのを、そのモデル事業、それこそ本当にモデル事業としてやっていけるようにするためには、どうしたらいいのか。ここもやはり考えていかなければいけないのかなというふうに改めて思ったところです。  あとちょっと先生の話の中であったんですが、いわゆる大都市や海外での販路拡大につながるような展示会に出展するのに、JETROとかそういうところじゃなく、自治体としての協力をふやしてほしいというようなお話があったと思うんですけれども、私の認識では、もちろんそういうことも経済局としてもやられている部分があると思うんですが、これが仙台市に当てはめたときも、仙台市としてももっとこうしてもらいたいとか、そういう話を実は質問すればよかったんですけれども、そういうところがあるのかもしれないなと思ったりしましたので、これは後日で結構ですけれども、どういったことを中小企業に対してやっているのか、あるいはというようなところについては御示唆いただければというふうに思いますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。 24: ◯ひぐちのりこ委員  どうもありがとうございました。  大変感服したところでは、やはり堀切川先生の言葉ですね、素人にもわかりやすいような、その言葉と、あと次々玉手箱のように自分のものが出て、やはり商人の基本ですよね、それって。だから、そういう意味で人の心をぐいっとわしづかみするには、どうだという、そういうような基本形みたいなところと、多分いろいろ自分が主役ではない、そちらの方が本当にホームズだというようなところであったけれども、そういう方々はやはり寡黙でなかなかそういうアピールもない人を、どうやってその辺のよさを引き出すか。どういうふうなところでやるかという、そういうところの基本という部分に感服いたしました。  そして、やはり充実感、達成感、満足感と言って、多分皆さんもそうですけれども、例えば何かイベントなどを主催したときに、すごくしんどい思いをしても、やはり最後みんなで飲めるビールがあるから次やっちゃうんだよねみたいな、ああいうところってやはりものづくりとか何かにも通じるところなのかなというふうに思いました。  そこで、私も大変いずく思っているのが、やはりこれで幾らもうけた、まだまだ目に見えないものに対してお金を払うことについて、いわゆるそのコーディネートをすることであったりとか、あとその人が今まで積み上げてきた30代からいろいろな企業さんを、失敗例もあって、こっちだったらこういうネットワークがあるんじゃないかという、そういうことについてお金を払うということの、そういうことに価値があるんだという共通認識というのが、やはりこれからなのかなというふうに思います。  日々感じていることは、例えば公務員の方で、いわゆる毎月サラリーをもらっている方、企業の人が、例えば退職するときに結局そのときの技術のノウハウを知ってる人だから、もうただでやっちゃうというふうな形があった場合に、例えば今それを個人事業主とか、個人でやっている人たちの技術自体の、そういう人たちのお金のレベルを低くしているというのを大変危惧をしているという話があったんですね。技術があっても自分は食べるに困らないから、ただでやってあげるわという、そういう行為が、実はこれからそれで職業としてなりわいとして育てるという人の芽を摘んでしまうというような、そういう事例を多々見ているところがあると、やはり堀切川先生が言ったようにコーディネート料であったり、今までノウハウを積み上げてきたそういうものであったりというのを、ではこれはどのくらいの価値があるものなのかというところの、やはり合意事項というのがこれからつくっていく、そしてそれでこれからそういう人たちが、そういう意味でのなりわいとしての事業化というような道も一つあるのかなというふうに、先生のお話を聞いて思いました。 25: ◯嵯峨サダ子委員  堀切川先生の御用聞き企業訪問というのは、言葉では私もある程度わかっていたつもりだったんですが、中身をきょう御本人からお聞きして、本当にすばらしい活動ですね。仙台市の中、ほかでもなんでしょうけれども、やっていらっしゃるというのを改めて認識をいたしました。やはり成功事例、失敗事例いろいろある中で、その積み重ねが実際の商品実用化につながっているんだというお話もすごく深い意味があるなと思って、感じ取りました。でも、やはりそこには先生の工学の専門知識なり研究者としての深い力といいますか、それがベースにあっての実際の現場での活動が花開いていくんだなということをすごく感じました。  ですから、この堀切川先生の積み重ねてこられている、これまでの過去も含めてなんですが、それをでは行政としてどう後世に伝えていくようなことにできるのかと。先生だけのものにしないで、仙台市として、ではその失敗例、成功例をこんなふうに実際の商品化にまでこぎ着けたとか、そういうものを何か事業団なり仙台市の当局なりで、ちゃんと残していくといいますか、そういうことが私は必要なのではないのかなということをとても感じました。  あとは沼沢委員もおっしゃられたような、やはり海外への出品のお手伝いだとか、他の自治体へのもっともっとアピールだとか、それは他自治体、お互い双方向の関係なんじゃないのかなと思うんですよね。そういったこともきちんと方向性を見据えながら、役立つような支援をぜひやっていただきたいなと思います。  あと先生に聞き忘れてしまったんですが、ものづくりはすごくこういった形で手がけていらっしゃるんですけれども、では農業分野とか、そういったものはどういうふうに先生はお考えになっていられるのかなというのを聞きたかったなというのをちょっと思いましたね。 26: ◯嶋中貴志委員  初めに、委員長、副委員長に、きょうこういう堀切川先生のお話を聞かせていただいたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。  あとは皆さんおっしゃっているとおりでございまして、ことしの7月に市政功労表彰に推薦しておいてよかったねと。  僕が気になったのは、山形からこっちに来るときに惜しまれたという、あれがまたあるかもしれないので、ぜひ仙台市にずっととどまっているように、そういうものを考えていかないとだめなんじゃないかと。発想力とか、そういうのはすばらしいと思っているんですが、多分商売は下手くそなんだろうなという気がします。単純に堀切川ショップでもつくって、そこでものを売ればいいんじゃないかなとか思うんですけれども、なかなかそこまではいかないというところがあるのかなと思いました。ずっと仙台で活動していただけるようなことを、ぜひ御当局にもお願いしたいなと思いました。 27: ◯副委員長  きょうは本当にためになる話をたくさんお聞きしました。やはり中小企業もまだまだ秘めたポテンシャルがある企業が多いのかなと思っております。それをどう導き出して、それをどう商品化、そしてそれをつなげるための下請企業、それを連携パートナーをつくっていくかというのは、これからのあれになってくるのかなと思っております。  堀切川先生はまた一種独特の人なのであれなんですけれども、これにかわる、いずれかわらなくてはいけない時代はいずれ来ると思うんですよ。これをどう、このアドバイスのような、そういう堀切川先生にかわるような人材をどう仙台市が育成したり、やっていくのかという課題は確かにこれからあるのかなと思っております。  ただ、やはり中小企業がまず潤うような仕組みづくりというのはやはり大切だと思っておりますので、製品をただつくるのも大事ですけれども、それをいかに販売して売れるようにしていくか、そしてみんなが売るようにして雇用もつくっていく。やはりここに尽きるのかなと思いますので、やはり最後は販路拡大というのはどこに焦点を絞ってやっていくのかというのは課題になってくるのかなと思います。  いずれにしてもいい話でしたので、とてもよかったと思っております。 28: ◯委員長  ありがとうございました。経済局、何かきょうのお話を含めて、御感想あれば。 29: ◯経済局次長  先生の知見とかノウハウを含めた話もありますけれども、先生の話し方がまず中小企業の経営者の心をつかむといいますか、あそこら辺も大変うまいのかなと思って、改めて我々もそうならなければいけないというふうに、勉強させてもらった次第でございます。  話の中で、商品開発した会社さんの本業の部分がという話があったかと思いますけれども、まさにそこが中小企業白書なんかでも、新事業を展開している事業者のほうが収益が高い傾向が強いというところがあって、やはり先生がおっしゃる実体験がそういう統計的なものに出ているのかなと思って、聞かせてもらいました。なので、どうしてもやはり人口減少、高齢化していきますので、市場規模がどうかという話はございます。その中で、事業を展開する、他地域へ進んでいくとか、そういったものをこれだけの地場の中小企業が取り組んでいけるような環境づくり、これが我々も必要かなというふうに感じさせてもらいました。  あとやはり嶋中先生おっしゃるように、今地域連携フェローとして堀切川先生だけではなくて、5人いらっしゃいますけれども、当然その中でチームごとの連携をしたり、我々の産業振興事業団に経済局と連携してやってはおりますが、東北の復興というか発展がなければ、仙台の発展もないわけですので、当然福島県でも活躍していただきたいと思っておりますけれども、なお引き続き仙台市の地場の産業の支援をしていただけるように、我々からも堀切川先生に強く求めていきたいと思っておりますので、御支援をお願いします。 30: ◯委員長  ありがとうございました。  私も一言だけ、摩擦という一つの視点から、堀切川先生はずっとやられてきて、エリエールのお話を聞いて、私も今風邪引いていて鼻をかんでるんですけれども、エリエール使ってなくて失敗したなと思って、さすがあそこまでいってるんだなということを改めて感じました。一つのことなんですけれども、全部につながっていく発想があると、これは中小企業も小規模の企業であっても、しっかりと次への商品であったり、アイデアにつながっていくのかなということを感じたところであります。  それでは、意見交換は以上で終了させていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  次に、他都市視察についてでありますけれども、7月24日から25日に行う予定でありました他都市視察につきましては、既に皆様に御連絡を申し上げましたとおり、西日本豪雨の影響を勘案し、延期をさせていただいたところであります。  改めて視察の日程でありますけれども、副委員長とも相談の上、10月25日の木曜日から10月26日金曜日の1泊2日を考えております。具体の視察先につきましては、広島県、協同組合広島総合卸センター、姫路市を考えているところであります。基本的にはこのようなことで進めてまいりたいと考えておりますが、詳細につきましては視察先の都合等もありますので、正副委員長に御一任いただき、後日改めて委員の皆様にお知らせをするということでいかがでしょうか。              〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 31: ◯委員長  それでは、そのようにさせていただき、議長に対し委員派遣の申し出を行いたいと思います。視察先、日程等の詳細が確定次第、皆様にお知らせをいたしますので、よろしくお願いいたします。  次に、次回の委員会についてでありますが、年間の開催日程に基づきまして10月29日月曜日午後1時からの開催を考えております。内容につきましては、今ほども申し上げましたように、他都市視察を踏まえた委員相互の意見交換を行いたいと考えておりますが、いかがでしょうか。              〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 32: ◯委員長  それでは、そのようにさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  以上で予定しておりました日程を終了いたしますが、そのほか皆様から何か御発言等がございましたらよろしくお願いいたします。               〔「なし」と呼ぶ者あり〕 33: ◯委員長  なければ、以上で地域経済活性化調査特別委員会を閉会いたします。...