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  1. 仙台市議会 2017-08-21
    市民教育委員会 本文 2017-08-21


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                  ※会議の概要 ◯委員長  ただいまから市民教育委員会を開会いたします。  本日は、田村稔委員より欠席の届け出がありましたので御報告をいたします。  本日の日程は、お手元に配付のプリントのとおりであります。  なお、委員会終了後、引き続き協議会開催し、委員会審査事項以外の所管事項について当局からの報告及び質問等を願いますので、よろしくお願いをいたします。              《閉会中継続審査について》 2: ◯委員長  それでは、これより審査に入ります。  審査事項は、「今後の救急需要への対応について」及び「伊達政宗公生誕450年事業について」でありますが、「今後の救急需要への対応について」は前回の委員会審査をいたしておりますので、本日は「伊達政宗公生誕450年事業について」を審査いたします。  それでは、伊達政宗公生誕450年事業について、教育局より説明を願います。 3: ◯教育長  本年は、仙台藩祖伊達政宗公が生誕して450年目の記念すべき年でございます。仙台市内外では数多くの記念行事が行われておりますが、当市でも文化観光局教育局中心となって、政宗公業績を多くの市民の方、そして全国に向けて発信するための事業に取り組んでいるところでございます。  本日は伊達政宗公生誕450年事業についてと題しまして、仙台博物館中心教育局でどのような取り組みを進めているのかについて博物館長より御説明を申し上げますので、よろしくお願いいたします。 4: ◯博物館長  それでは、伊達政宗公生誕450年目に当たり、仙台博物館で取り組んでいる事業について御説明いたします。  仙台藩祖伊達政宗公は、永禄10年、西暦1567年8月3日に米沢城で誕生しました。若くして奥州第一の戦国大名であった伊達家の当主となり、数年にして周辺の大名を滅ぼしたり服属させたりして引き継いだ領地を2倍以上に広げました。  豊臣秀吉によって、拡大した領地の多くを没収され、また、米沢から現在の大崎市岩出山への領地がえを命じられるなどの困難もありましたが、慶長5年、西暦1600年に仙台を新たな居城と定め、以降、城下町建設や街道、運河など交通網整備新田開発などを進め、仙台藩62万石の基礎をつくりました。  また、ヨーロッパへ家臣の支倉常長らを派遣した慶長遣欧使節は、世界史的にも高く評価されています。  寛永13年、西暦1636年5月24日に江戸で亡くなっています。  ここから仙台博物館取り組みを御紹介いたしますが、以後は、学術研究機関でもある博物館の立場から、敬称を略して伊達政宗と呼ぶことを御了承ください。  仙台博物館は、昭和26年に伊達家から仙台市に寄贈された文化財をコレクションの核としており、開館以来、伊達政宗に関する資料の収集や調査研究を進め、常設展示でも常に伊達政宗関係する文化財展示してまいりました。現在の新館になって以降だけでも、ここにお示ししたようなテーマで伊達政宗に関する特別展企画展開催しております。  また、博物館では、平成2年度から26年度まで仙台史編さん事業を行ってきましたが、その中で伊達政宗の古文書全国的に調査し、資料編伊達政宗文書全4巻に4,000点以上の資料を収録しました。また、市史の各巻でも伊達政宗に関する研究が進み、領国の整備城下町建設文化事業などに関して多くの新しい成果を市史の記述に加えてまいりました。
     ちなみに、伊達政宗文書は大変に人気があり、資料編伊達政宗文書1は初版及び増刷分が全て売り切れ、現在は品切れ状態となっております。  ほかにも仙台城若林城などの発掘調査で、伊達政宗当時の城に関してさまざまな事実が明らかになっています。こうした状況を受けて、伊達政宗に関心を持つ研究者全国的にふえており、関連する歴史書の出版も相次いでいます。博物館では、情報資料センターにおいて、伊達政宗関連の書籍約150冊をそろえた特集コーナーを設けております。  これまで、伊達政宗については、数年にして大きく領土を拡大させたという戦国大名最後戦国武将としての姿にスポットが当たりがちでした。しかし、伊達政宗仙台城城下町建設に着手したのが35歳のとき、そしてそれ以降進められた仙台藩政が、現在の仙台や宮城という地域の礎となったことを考えると、仙台藩主、すなわち為政者としての伊達政宗業績についてこれまで以上に目を向け、再評価する必要があります。  例えば、この仙台の基となった城下町建設について見ますと、伊達政宗が手がけた街路は碁盤の目を基調としたもので、明治以降の近代化戦災復興の際にも、道路幅の拡幅は行われたものの大なつくりかえは必要としなかったほど、現在も通用する先進的な都市計画でした。幕末の文久元年西暦1861年に描かれた城下町の絵図でもその様子を見ることができます。  また、四ツ谷用水に代表される都市機能整備屋敷林や山林の育成を奨励することによってつくり出された循環型の社会は、杜の都の原形となり、さらには神社仏閣の造営は、文化的にも精神的にも藩内に大きな影響を与えました。  こうしたことを踏まえて、仙台博物館では今年度さまざまな取り組みを実施いたしますが、その中でメーンとなるのが特別展伊達政宗-生誕450年記念」の開催です。本特別展は、館蔵資料はもとより、国内各地から多くの関係資料を集め、動乱時代を駆け抜け、太平の世を生きた伊達政宗足跡と生涯、そしてその人物像に迫ろうとするものです。会期は、10月7日から11月27日までを予定しています。  伊達政宗は、戦国武将人気ランキングで常に上位に位置しています。その政宗足跡と生涯を国宝、重要文化財ユネスコ記憶遺産に指定されているものも含め約230点の本物の資料でたどれるまたとない機会です。  なお、本展覧会は、ほかには巡回せず、仙台だけでの開催となります。市民、県民の方々はもとより、全国から多くの方に御来館いただき、このまたとない機会に御観覧いただければと考えております。  ここで、本展覧会の見どころを幾つか御紹介いたします。  まず、御紹介したいのは、重要文化財に指定されている伊達政宗甲冑に加え、政宗の重臣として知られる伊達重実、片倉小十郎の甲冑が一堂に会することで、これは約30年ぶりのこととなります。  最近、日本刀全国的にブームになっていますが、この展覧会でも伊達政宗豊臣秀吉にタカと鶴を贈った際に返礼として拝領し、愛用したという太刀、はばき国行展示します。これは当館では初めての公開となります。  また、伊達政宗南奥羽の覇者となることを決定づけた摺上原合戦の当日に書かれた伊達政宗書状、そして天下分け目の関ヶ原合戦の当日にその様子を、勝者となった徳川家康伊達政宗に知らせた手紙を展示します。  先ほども紹介しました慶長遣欧使節につきましては、支倉一行ローマ教皇に謁見する場面を載せた伊達政宗使録、これは使節一行の足跡を記したもので、ヨーロッパで出版されたものですが、この絵を収録したドイツ語版は大変に珍しく、国内では85年ぶりに発見されたものをこのたび博物館で購入し、本展覧会公開いたします。  伊達政宗が生きた時代は、動乱の世を豊臣秀吉徳川家康が平定していく過程にありますが、伊達政宗と対峙したこの2人の天下人に関する資料幾つ展示します。  伊達政宗は、思いのほか長い期間、上方の伏見や大坂、あるいは江戸で過ごしています。伊達政宗が生きた時代上方江戸様子を描いた資料によって、当時のきらびやかな世情をごらんいただけると思います。  これは近世初期江戸様子を描いた屏風絵です。この中には伊達政宗の終焉の地となった江戸桜田の上屋敷の豪壮な姿も描かれています。これも当館では初めての公開となります。  また、この展覧会関連イベントとしては、河北新報紙上漫画独眼竜政宗が連載されておりますが、この漫画執筆者である千葉真弓さんの御協力をいただき、原画やミニ動画を館内のギャラリーで展示いたします。ほかにも2回の記念講演会、また伊達武将隊とのコラボイベントも企画しております。こうした企画も含めて、幅広い年齢層の多くの方々にこの特別展をごらんいただきたいと考えております。  このほか、博物館では伊達政宗に関する講座を6月からほぼ月に1度のペースで開催しております。これらの講座は、博物館単独開催だけでなく、仙台商工会議所東北工業大学の御協力を得て共催事業として開催するものも含まれております。  委員の皆様には先日お配りしたところですが、博物館では、次世代を担う子どもたち伊達政宗の生涯と業績を知ってもらおうと、子供向けの、よくわかる!伊達政宗を作成し、市内小学校5、6年生全員や図書館等へ1万9000部余りを無償配布いたしました。  そのほか、仙台博物館収蔵資料図録伊達政宗文書をこの3月に発行しています。この図録は、博物館で所蔵している数多くの伊達政宗文書から厳選した75点を納め、写真と解読文、解説を加えたものです。  また、2年前から実施している市民図書館との連携講座でも、エピソードから見た政宗人物像講座を7月20日、26日に実施しました。エピソードが非常に多い伊達政宗ですが、政宗を取り上げた本でどのようにエピソードが記されているか、またそのエピソードと史実はどのような関係になっているのかについて図書館博物館のスタッフが説明をいたしました。  さらに、博物館だけでなく文化財課でも450年を記念し、毎年開催している文化財展では、11月に仙台城若林城など政宗とかかわりのある展示を予定し、また恒例の民俗芸能のつどいでも伊達家とゆかりの深い民俗芸能の公演を予定しているところです。  このほかにも各自治体や文化団体市民団体が行う記念事業は多数に上っています。  伊達政宗時代に始まる仙台城下仙台藩領整備は、その後も歴代の仙台藩主、藩の役人や仙台藩士、そしてあまたの町人や農民らによって営々と進められました。戊辰戦争や明治維新といった大きな時代の変革を迎えた後も、仙台は引き続き東北の政治、経済、文化中心地としての地位を保ち、発展を続けています。  現在の仙台の市街地は、一見すると城下町時代痕跡は全く失われたように見えますが、前述したように、実は政宗が手がけた都市計画痕跡はそこかしこに残されています。450年という記念すべき年に今に至る仙台歴史を再確認することは、次の時代へ一歩を踏み出す出発点としての意味を持つものとなります。その意味でも、博物館が実施する記念事業にたくさんの方が参加されることを願っております。  仙台歴史文化を継承し、まちづくりに生かしていくためにも、仙台博物館ではこの450年記念事業にとどまらず、今後も仙台歴史文化調査研究、そして情報発信にしっかりと取り組んでまいります。  私からの説明は以上です。 5: ◯委員長  ただいまの説明を含めて本件について御質問等はございませんか。 6: ◯松本由男委員  どうも丁寧な説明ありがとうございました。  ちょっと教えていただきたいというか、冒頭で教育長から450年事業ということで、仙台市内外でという、外があるという話ですね。ということで、今の御説明仙台市の中で博物館とかそういう細部の事業ということで御説明いただいたんですけれども、仙台市以外の場所で、具体的に今プレゼンでもあったように米沢とか岩出山とか、特にこういうところでの連携した事業というのがもしあれば御紹介いただければと思います。 7: ◯博物館長  今、委員から御指摘のありました米沢あるいは岩出山とは、学芸室レベルでは日常的にも交流があるところなんですけれども、ことしの事業に関しては、2年ほど前だったと思いますけれども、そのレベルで、お互いに連携協力できることがあればぜひしていきましょうという話があったという記憶をしておりますが、その後、具体的にこういう事業でこういう協力をしましょうとか連携をしたいという話は上がってこなかったというところでございます。 8: ◯松本由男委員  具体には、小さい例えばパンフレットとかそういうのはやっておろうかとは思うんですが、いわゆる事業的な事業は、今回は450年の節目ではなされていないということで確認しました。  ということで、最後のまとめでもあったんですけれども、450年という記念すべき年に今に至る歴史を再確認することは次の時代への出発点となるという文言があるんですが、いわゆる仙台市だけをついつい捉えがちなんですかね、仙台藩で建てたわけですけれども、しかし、生まれてからここまでに至る紆余曲折、福島が大もとですからね、御先祖は伊達藩なんですけれども、最低でも生まれたところ、米沢とか岩出山とか、あとは大半を過ごしたところが東京、江戸であるという話もあるのですね。そこも含めて、場所仙台ではなくて、そういうところとも連携をとりながら、今後節目の年だけじゃなくて、逆に毎年のようにしみ通るように研究だとかそういうのをしながらやっていけば、さらにすばらしい政宗にかかわるいろいろなことが仙台市としてやっていけるのかなと、そういうふうに感じた次第です。  なお、政令市仙台市なんですけれども、おかげさまの仙台市だと、最低でも東北5県の御協力、いろいろなのがあって仙台市が成り立っていると私は認識して常々思いますので、そういう観点からも今後引き続き、節目だけにかかわらず、連携をとりながら、具体なところの仕組みづくりをやりながらやっていただければと思います。 9: ◯委員長  ほかに質問はございませんか。               〔「なし」と呼ぶ者あり〕 10: ◯委員長  なければ、これをもって委員会を閉会いたします。...