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  1. 仙台市議会 2017-01-23
    地域経済活性化調査特別委員会 本文 2017-01-23


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                  ※会議の概要 ◯委員長  ただいまから地域経済活性化調査特別委員会を開会いたします。  欠席委員についてでございますが、本日は花木則彰委員から欠席の届け出がございましたので御報告をいたします。  次に、説明員の出席についてでありますが、本日は経済局及び文化観光局より関係職員の方々に御出席いただいております。よろしくお願いいたします。  次に、本日の委員会の進め方についてでございますけれども、お手元に配付いたしました日程のとおり、お二人の有識者から意見聴取を行いたいと思っています。まず、「進む仙山圏交流~今後の展望と課題」と題しまして、株式会社河北新報社編集局次長今野俊宏様よりお話を伺いまして、質問等が終了いたしましたらそこで一旦休憩をとり、再開後、「奥羽の西から望む仙山連携」と題しまして、東根市総合政策課課長芦野耕司様よりお話を伺うこととしております。意見聴取終了後、次回の委員会等についてお諮りしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、早速意見聴取を行いたいと思っております。  既に御着席いただいておりますけれども、本日は株式会社河北新報社編集局次長今野俊宏様をお招きしておりますので、皆様に御紹介をいたします。  今野様には大変お忙しい中、当委員会のためにお時間を割いてお越しいただきました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  皆様のお手元には今野様の略歴書をお配りしておりますので、後ほど御高覧いただきたいと思っております。  それでは、早速お話をいただきたいと思っておりますけれども、今野様には着席のまま進めていただきますよう私よりお話をさせていただいておりますので、委員の皆様、よろしくお願いをいたします。  それでは、今野様、どうぞよろしくお願いいたします。 2: ◯今野敏宏参考人  小野寺委員長から御紹介いただきました河北新報の今野でございます。きょうはどうぞよろしくお願いいたします。  私も1999年から2001年の3年間、市役所のクラブにおりました。藤井市長の最後の選挙のときにキャップをやっておりまして、久々こういう形で市役所でいろいろ活動させていただくということになっております。きょうは40分ぐらいお話しさせていただきまして、あと皆様から御意見、御質問等いただきたいというふうに思います。  お手元に、進む仙山圏交流ということで資料を配付させていただきました。基本的にこれをベースにお話をさせていただきたいというふうに思います。  めくっていただきまして、大変恐縮でございます。市議会議員の皆様にいきなりクイズから入って恐縮なんでございますが、少しやわらかくと思いまして。県庁所在地が接している都道府県は全国で幾つあるでしょうということで、正解の1)の仙台市と山形市というのは、これは皆さん御承知のとおりでございます。  ここで皆さんに回答していただこうということではございませんので早速正解を言いますと、古いのが京都市と滋賀県の大津市です。これはもう廃藩置県のときから、滋賀県が誕生したときからこの二つは県庁、府庁の所在地ということです。市側は最初彦根市にしようかなという話もあったみたいですけれども、いろいろ地理的条件で大津市になったということだそうです。  私どもが仙山カレッジ等の活動をするときは正解はこの二つだったんです。その後、2005年の平成の大合併の一環で福岡市と佐賀市が接するようになったと。これは佐賀市が福岡市と接している周辺の2町村を合併したということで、それで佐賀市と福岡市が接するようになったということです。仙台市と山形市についてはもう皆様御存じのとおり、1987年の旧宮城町、1988年の旧秋保町の合併で山形市と接するようになったということですけれども、そういう経緯がありまして、実は京都市と大津市は、市役所同士は10.5キロぐらいしか離れていないんです。すぐ近いです。逆に仙台市と山形市はどうかというと、直線距離で48キロぐらいありますから、隣接していると言ってもそれぞれの中心地同士は結構離れているということです。  何が言いたいかというと、全国に今三つしかないという非常に地理的に特徴のある両方の県庁所在地位置関係にあると。後で申し述べますけれども、もちろんそれだけではなくて、非常に密接なつながりがあるところだというふうに言えると思います。  本当に議員の皆様も例えばこの1年間で山形県に一歩も足を踏み入れたことがないよという方は多分いらっしゃらないと思います。古い調査でも仙台市民の80%は年間に何回かは山形県内に足を踏み入れているということで、交流が活発だということです。  その証左として3枚目の高速バスの件です。これも皆さん御存じのとおりですけれども、山形仙台間の高速バスはもともとは1981年に山形道ができたということで運行を開始したということで、最初は1日にたった6往復ということでした。それが2001年には40往復、2004年には60往復になりまして、現在はこの図にありますけれども、平日で80往復です。朝の通勤通学時間帯は15分に1本出ていますので、もう15分に1本のバスが出ている県庁所在地間なんていうのは全国にはここだけだということです。山形交通にとっては最大のドル箱だと言われています。
     うちの例で言うと、例えば社員同士社内結婚し、旦那が山形総局に転勤になって、奥さんは仙台でほかの部で仕事という場合、やはり3年間バスで仙台まで奥さんが通ったという例もありますから、もうそういう例は幾らでもあるということです。特に通学においては、山形大もそうですけれども、東北芸術工科大あたりは非常に仙台から通っている学生が多いということです。  めくっていただきまして、それで仙台、山形の連携ということですけれども、本当にこれは2001年に実は3者で研究会ができました。仙台都市総合研究機構。今はなきという言い方をすると、2007年に廃止になった仙台都市総合研究機構と、それから当時の荘内銀行のシンクタンク、荘銀総合研究所。今はフィデア総合研究所と言っていますけれども。ここと弊社、河北新報の3者で交流研究会というものを立ち上げましょうという話になりました。  なぜかというと、河北新報はちょっと今は休止していますが、山形県内でももちろん発効しているんですけれども、山形県版というものがありまして、そこで仙台と山形の連携をもっと深めようという連載をずっとやっていたんです。それでうちにも声がかかったということですけれども、そもそもがそういう交通網の発達もあったということで、この仙台・山形間、宮城県・山形県、県同士でもいいですけれども、もうこれは行政が仕掛けたとかというよりは、自然発生的に人、物、情報の交流が生まれていたということです。だから、それをもう少し実態をいろいろ勉強して今後のあるべき姿を考えましょうというのがこの2001年に発足した仙山圏交流研究会という組織です。  もともとこれは2年間の事業ということでやっておりましたので、そのときのスタートとしては先ほど言った特徴として県庁所在地同士が隣接しているということですけれども、もう一つは県同士で考えると太平洋側日本海側、これがくっついているという大きな特徴がある。  もう一つが、文化風土が全く異なるということです。隣県であっても、気候もそうですし、食に関してもそうですし、それまでは近くて遠い仲というふうに言われていました。ただ、この横軸連携を深めることによって、これは両都市だけじゃなくて東北全体の力ももっとレベルアップできるのではないかということで始めたということです。  当時はまだそうは言っても行政の意識としては、位置づけとしては国の全国総合開発計画、特に2番目の新全国総合開発計画あたり地域連携軸という話が出てきましたけれども、仙台と山形というのはせいぜい仙台で大きな会議があったときに宿泊が足りないので山形側の温泉にということで、アフターコンベンションという言い方をしてそういうお客さんを引き受けてくださいと、そのぐらいのレベルだったということです。  本当に私は当時もうこれにかかわっていましたけれども、当時のことを思うと私ごときがこういう委員会に呼ばれること自体が夢のようだったということです。なぜかというと、当時、特に人口で比べても仙台市と山形市は仙台が4倍とか、商業の販売額でも3.7倍とかという大きな開きがあったということで、一つは山形側の警戒が非常に大きかったということです。  単純に言えば宮城・仙台と連携することで飲み込まれてしまうのではないかという意識が非常にありました。裏話をすると、こういう研究会をつくってやるんだという話を私なんかもしたときに山形側からまず言われたのは、仙山交流というネーミングが気に食わないと言われました。なぜ仙台が先に来て山形が後に来るんだと。それはまずJRに仙山線の名前を変えてもらってからのほうが先じゃないですかみたいな話もしたことはありました。  それから、この研究会自体仙台都市総合研究機構河北新報社荘銀総合研究所という枠組みなので、山形の経済界あたりからは、これも裏話ですけれども、山形銀行にちゃんと相談したのかと言われました。それから、河北新報は何を企んでいるんだと。山形で部数でもふやすつもりかと。山形新聞にちゃんと相談したかと、そういう話もされました。それぐらい警戒が強かったということです。山形側は。  もう一つ、ではこちら側はどうかというと、仙台側は意識は非常に希薄だったという。別に山形と連携しなくても何とかやっていけるからなというのが正直なところだったと思います。そういうことで、これを始めた当時は双方やはり意識の隔たりもあって、なかなか難しいところがあったということです。  めくっていただきまして、とにもかくにも2年間研究会を開きまして、16回の研究会とか、それからオープンの広域フォーラムも開催したということです。中間フォーラムを山形でやりまして、それから最終の2年間終わるときに、この5枚目の左側にありますけれども、仙台でフォーラムをやって最終報告書をまとめたということです。仙台都市総合研究機構もなくなってしまったし、恐らく市役所のどこかにはあると思います。ちゃんとした研究書もまとめまして、例えば交流の拠点として仙山道の駅というものを国道48号の県境あたりにつくったらどうかみたいな、そういう提言もしたりしました。  それから、仙山ハンドブックというものもつくって、現状の分析とこれから取り組むべきことについてもPRしたということです。このときのタイトルが要するに、先ほど言いましたけれども、山形側の警戒感とか仙台側の無関心ということもありましたので、最終報告タイトルが「光る個性 ふれ合い磨く 仙山圏」という、こういう言い方をしたんです。それぞれの個性を磨いていくことで力を発揮していきましょうと。それから、「ゆとりと粋の生活エリア」という副タイトルがついていますけれども、これも要するに行政主導で何か箱物をつくったりとかというのではなくて、もともとが双方の生活圏をもっと個性豊かで楽しいものにしていきましょうということです。市民生活レベルの楽しさみたいなものを演出していきましょうということで提言をしたということです。この最終フォーラムには当時の藤井市長にも来ていただいて、いろいろ発言もしていただきました。  それで、めくっていただきまして6枚目ですけれども、それが2年間で終わったということですけれども、このままこの動きが今後どうなっていくかとかをこのままにしておくのはもったいないという話がありまして、それで、それを引き継ぐ形で今度は河北新報社が単独で何かやりましょうということです。それがこの仙山カレッジというものです。  仙山カレッジのやり方というのは、必ず宮城、山形側、交互に開くと。それから、必ず違った方をゲストに3人から4人呼んで、いろいろなテーマで議論をするということです。1回目は山形の寒河江市で食、観光をテーマにやったということです。最初ですので、このときは50人ぐらいの方しか集まりませんでした。今は大体二、三百人の方が集まるようになってきましたけれども、そういったことで2003年、交流研究会2年間の成果が終わった後、すぐ2カ月後に開いたのがこの仙山カレッジというものです。当初は年に4回ぐらいのペースでやっておりました。その後、震災等もありましたのでちょっとペースが落ちていますが、それでも年に2回は必ずやるようにしています。  7枚目は前回、33回目のフォーラムを山形市でやったと。このときには新しい山形市長もお招きしたということです。仙台商工会議所間庭専務理事、この間退任なされましたけれども、にも来ていただいたということです。  仙山カレッジ宮原育子先生、昨年4月、宮城大から宮城学院女子大に移られましたけれども、ずっと1回目から座長という形でかかわっていただいています。これもその前の交流研究会公開フォーラムで宮原さんに初めて出ていただいたんですけれども、そのときにうちの社の幹部が彼女はすばらしいので絶対逃がすなという話がありまして、仙山カレッジというものを立ち上げるのでぜひお願いしますということで、以後ずっと宮原さんにやっていただいているということです。  駆け足で恐縮ですけれども、8枚目以降が仙山カレッジの1回目からめくっていただいて33回目までのタイトルとやった場所を書いています。先ほど言いましたとおり必ず宮城、山形、交互にやるということです。かなり幅広いテーマでやっています。取っかかりは観光とか食とかというものが多かったんですけれども、最近はやはり経済関係です。経済関係のいろいろな動きを分析しながら次の道を探りましょうということでやっております。  9枚目の下に34回ということで、わざと太字で書いてありますけれども、来月、2月9日に仙台空港民営化仙山圏広域でどうやって使ったらいいかということで、仙台空港の社長とかをお招きをして開催いたします。チラシを皆様のお手元にお配りさせていただきましたので、もしお時間と興味のある方は、誰でもウェルカムでございますので。  それから、この会の特徴は、どうでもいい話ですけれども、2時間半ぐらいフォーラムをやった後に必ず交流会をやっているということです。これももちろん誰でも参加できるという形で、グラスを交わしながらネットワークを広げましょうということをやっています。この34回目も終わった後にそういう交流会もございますので、もしお時間があればよろしくお願いしたいというふうに思います。  それで、10枚目以降、今までのカレッジで取り上げてきたテーマの中で、何度かやっている道路の話の資料もちょっと添えさせていただきました。10枚目は高速道路網ですけれども、御存じのとおり山形道の歴史がありますけれども、これも鶴岡・酒田方面に行くためにはちょっと月山道のところがネックにはなっておりますが、震災のときにも大きな力を発揮したということで、高速道路網としてはこれがあるということです。  今回ちょっとこの資料自体はもう少し広域圏になっていますけれども、ちょっと脱線すると、この左下のところ、福島ジャンクションから米沢を通って山形に行く中央道が間もなく開通しますので、これも実は仙山圏だけじゃなくて南東北にとって非常に大きい形になると思います。御存じのとおり米沢は伊達政宗公、生誕450年ということですけれども、お生まれになったところですので、要するに伊達政宗公が生まれたところ、居城していたところというところが高速道路でつながる。それだけかという話になるかもしれませんが、でも、これはストーリーの描きようによってはいろいろな観光面でもストーリーが描けるようになるということです。ここのところは福島も含めて、これで高速道路網がぐるっと環状になりますので、これもいろいろな意味において交流が活発になっていくだろうなというところがこの図では大きなポイントです。  もう一つ、これもきょうのテーマとは関係ありませんが、脱線ですけれども、右上の三陸道御存じのとおり志津川までこの間延長しましたけれども、これから気仙沼の高架橋をやっていったりということでつながっていきます。岩手側も断続的になっていますけれども、あと四、五年ぐらいで供用開始で釜石まで。もともとこれは八戸まで行く道路ですけれども、つながっていくという形で、特にこれは何が大きいかというと釜石の人たちが非常に興味を持っています。つまりこれができると仙台まで2時間から2時間半で高速道で結ばれますので、そうすると特に釜石の水産業者にとっては仙台圏はもう生の魚、生鮮の市場に入ってくるということになります。ですから、さきの震災で大きな打撃を受けましたけれども、この岩手県側の三陸沿岸の方たちにとっては、この道路ができるということは仙台と直結して、しかもそれが経済的に商圏の中に入ってくるという形になります。こういうことで、この道路も非常に意味が大きいということです。ちょっとこれはきょうのテーマからは脱線でございました。  もう1枚めくっていただきますと、これは宮城、山形を結ぶ一般道の話になります。この後、東根市の方もお話しされるそうですけれども、カレッジも前々回は東根市でやりました。東根市長にも来ていただきましたけれども、やはりそのとき東根市長は国道48号の高規格化というものを非常に熱望しています。ここができると山形の村山地域の特に北のほうとの交流が活発になるであろうと。東根の農産物直売所のよってけポポラというものがありますけれども、あそこなんか中心部から大体50分ぐらいです。雪とか積もっていなければ。今の季節はちょっときつくなってきますけれども。あそこはもう仙台圏からの買い物客がもう六、七割です。そういう形で非常にこの道路に対する期待は大きい。  それから、その上の国道347号、鍋越峠ですけれども、これも御存じのとおりこの冬から通年通行できるようになりました。この道路を通った方、薬莱のところを通って抜ける道路ですけれども、山形側はすごい立派なんです。宮城側がとてつもない道路なんですけれども、ここもちょっと改良を重ねて除雪もできるようにして通すということで、もうこの通年通行に対しても期待は大きい。そういったことで、その上の国道47号、それから角田、白石から通る国道113号ということで、高速道以外にも一般道に対する期待が出ている。  それから、たまたまですけれども、きょうの河北新報の1面に国道286号のバイパス化の話も出ています。ここもやはり山形側からの期待が大きいんです。きょうの記事のコピーをお配りした右側ですけれども、ここで短縮されてスムーズに行けるとまたここのところも交流が生まれるだろうということで、この横軸連携を進める上でのインフラとして道路への期待は大きいということです。  めくっていただいたのが国道48号のバイパス化のイメージですけれども、これはまだ話だけですけれども、山形側はもう東根市長を先頭に立てて非常に力を入れています。もう一つの県側のほうがまだ全然その機運が生まれていないということです。  もう一方、その右側の小さいもの、みちのくウエストラインというんですけれども、ここは国交省地方整備局も力を今入れ始めています。まだこれからですけれども。ここの高規格化は石巻から酒田まで、ウエストというのは東西じゃなくて、人間でいうと腰の部分のちょうどウエストに当たるという。東北全体から見るとです。そういう意味でのウエストラインです。これがもっと整備されていくと酒田港も宮城側も使えるということで、ここの意味合いはもうやはり大きいというふうに言われています。これが道路の話です。  今の話は皆さんまたいろいろな形で、いろいろな方のお話も伺っていると思います。東北はまだまだですけれども、逆に言えばまだ余地があるかなということですが、外国人の宿泊ベースでいうと東北全体で日本全体の1%をなかなか超えられない。まだ0.9%ぐらいです。総数で言って北海道の函館1市に東北6県全体でかなわないという形です。ただ、伸びる余地はあるというふうに捉えたほうが多分いいんでしょうけれども、このあたりはこれからやはり、これも仙山連携として受け皿になるためには仙台1市だけではなかなか大変でしょうということで、そのための受け皿がこの仙山連携になっていけばいいなというような話もしているところでございます。  それから、金融界の動きです。もう皆様方非常に感じていると思います。泉区に行くと荘内銀行とか山形銀行ローンセンターがいっぱいできていますよね。このあたりなぜかというと、もちろんこれからの地方金融機関の再編の問題も出てきますけれども、もう山形側だけ市場にしていたのでは生き残れないという切実な危機感があります。もちろん山形から仙台に来ている企業さんを相手の法人営業もあるでしょうけれども、彼らの一番の目的は仙台圏の個人です。ローンとかをターゲットに進出してきているということです。  この金融機関の再編というところでも荘内銀行と秋田の銀行が一緒になってフィデアホールディングスをつくる、それから山形はしあわせ銀行と殖産銀行が一緒になり、その後仙台銀行と一緒になって今じもとホールディングスをつくっているということです。貸出金残高でいうと、七十七銀行というガリバーはありますけれども、3番目にフィデアホールディングスが入ってきて、5番目にじもとホールディングスが入ってきているということでは、やはり仙台圏の市場というものを皆さん注視しているということです。  金融界以外でも身近なところですと、例えばスーパーのヤマザワの進出です。ここも山澤会長が非常に昔からそういう戦略を練っているので、仙台側でどんどん進出していると。それから、シベールです。お菓子屋さんのシベール。熊谷さんは今は名目上は社長の座から離れていますけれども、ヤマザワの社長とシベールの社長というのは高校の先輩後輩なんですけれども、仙山カレッジではやはり一緒に並んでパネリストをやっていただきましたけれども、これもこぼれ話ですけれども山形側の人からあの2人が並ぶ図を初めて見たと言われたぐらいですけれども、そういうこともうちの仕掛けで実現しましたけれども、それはさておき、やはり仙台圏という市場をにらんでいるということです。  それから、観光で言うとインバウンドの話だけではなくて、もっと日本全体から、それから東北の域内観光を進めようという話で言うと、さっき言った太平洋側日本海側が接している特長を生かしたツアーなんていうものも出ていますよね。天童の王将グループですか。華夕美を買収と言うとあれですけれども。女川で日の出を見て、そのまま高速バスで行って出羽三山をめぐって、それで鶴岡の温泉に行って日の入りを拝むというようなツアーももう実現しています。そういうことができるのは多分日本中でここだけだと思います。太平洋側から太陽が上っているところを拝んで、その日のうちに違う温泉地に行って日が沈むのを見るとか、そういうことも仕掛けています。御存じのとおり山形のそば屋さんに土日に行くと、七、八割方は仙台・宮城ナンバーです。そういうことでやっています。  ただ、これだけだと単なるそば屋さんの客を呼ぼうという話になりますけれども、そういうことだけにとどまらないで、経済的なそういう交流が生まれているということも後でちょっとお話しさせていただきます。  人口減少社会ということですので、限られた資源を有効に使うためにはどうしたらいいかということに関して、とにかくこの仙山圏の大きな特徴はそもそもが民間の動きが活発になっていたところから始まったということです。行政の仕掛けではなくて。ですから、自然発生的ないろいろな動きが出てくるということだと思います。  仙山交流の主な動きということでまとめさせていただきました。ここはごらんいただければというふうに思います。行政的に言うと山形県と宮城県の県同士のほうが最初立ち上がりは早かったです。ですから、2007年3月の連携構想も、あの当時は山形県は齋藤知事のときで、両県知事の間で「みらい創造 MYハーモニープラン」というものをやって、その実働部隊となるその下にある宮城・山形未来創造会議という、経済界とか女性グループを巻き込んだ形でいろいろなプランを練ったり、実際いろいろ実行に移しているということです。それに比べると、どっちかというと市同士はやはり一歩おくれていたというのは正直なところだというふうに思います。  めくっていただきまして、ここはちょっとだけ触れさせていただきますけれども、これは昨年の1月の河北新報の東北人口900万人割れということです。前回の5年前に比べて、震災前ですけれども、一気に35万人東北で減ってしまったということです。  逆に仙台は御承知のとおり3万6000人ふえて108万ということです。もちろん震災後のいろいろな流動的な動きはありますので、その前、震災がなければ仙台市も100万割れ間近みたいな話にはなっていましたけれども、108万までなっているということで、これ東北全体でざっと言うと東北全体900万人のうちの8.3人に1人は仙台市民ということになるわけです。宮城の人はどこ出身と言われると宮城と言わないで仙台出身と言う人が多いので、仙台広域都市圏で考えると百五、六十万だとすると、東北全体900万人のうちの5.6人に1人は仙台の人という話になってしまうわけです。それだけやはりウエートが増しているということですけれども、とにかく東北全体人口がピーク時が1995年の983万人ですから、もう一気に90万人ぐらい減ってしまっているということです。そういう時代においてどういう施策を打っていくかというのがやはりこれからの眼目になるんだろうなというふうに思います。  めくっていただくのが、これが新しい記事ですけれども、仙台と山形市が連携協定ということです。昨年の11月です。防災、観光交流、ビジネス支援、交通ネットワーク、4分野で包括的な協定を結んだということです。  ここからです。では、それに向けて具体的にどういうことを打ち出していくんだろうなということですけれども、この記事を見てもやはり山形の佐藤市長は非常に切実です。彼も30万都市構想というものを打ち出していて、山形側ではかなり批判も出ています。そんな夢物語をみたいな話もありますけれども、ただ、やはりそのときに近隣の合併とか自力で30万人、一気にこれから3万人以上ふやすというのはなかなか難しいでしょう。そういったときに、やはり仙台・宮城との交流みたいなものを進めることによっていろいろな変化が起きることと、あとは定住だけじゃなくて交流もふやしていくということに非常に力を入れていかないと非常に厳しいという切実な感じはあります。  こういう場で言うとあれですけれども、奥山市長の発言は余り切実感がないという感じですね。まだ今人ごとみたいな感じだというふうに思います。ただし、そうは言っても連携包括協定を結んで、これからやはり大きく動いていくんだというふうに私は期待していますけれども、それがどうなっていくかをこれから注視していきたいというふうに思います。  最後のこの展望というところです。これから東北全体を考えたときに、先ほど言った人口減少という非常に切実な問題がある中で、核になっていくのは恐らく仙台市だけじゃなくて、この仙山圏横軸連携が一つの大きな核になっていくんだろうなというふうに私どもは思っています。そういった意味では、この間久々に河北新報の紙面で札仙広福というものを見ましたけれども、地価が急激に上がったのがこの4都市だということで、もう昔本当に地方中枢都市、札幌、仙台、広島、福岡の位置づけがそれぞれの地方でどういうものがあるかということだったですけれども、当時河北新報もみんなそれぞれの都市にブロック紙がありまして、北海道新聞、中国新聞、西日本新聞というものがありまして、そこと連携して札仙広福ということをテーマに新聞社同士で連携して連載をやったことがあるんですけれども、その当時、またそのときの話で出てきたのは、やはり東北全域における仙台市の立ち位置というものを考えたときに、この札仙広福4都市で集積度とかほかの地域に及ぼす影響を考えると仙台が一番弱いというふうに位置づけられておりました。それぞれの地域で、北海道は札幌の人口が非常に大きいものですからあるんですけれども、拠点性が極めて低いという言われ方もされておりました。  あともう一つは、北海道における札幌もそうなんですけれども、ほかの地域の評判が非常に悪いということです。東北の人は本音で言うと、秋田の人はみんな仙台大嫌いとか言うんですけれども、自然発生的に経済的に大きくなって、そこの都市としてのおもしろさが増していく分にはこれはしようがないと思っていますけれども、何となくみんな仙台が嫌い。それはさっき言った山形側の警戒感と一緒で、仙台のひとり勝ちに対する忸怩たる思いもあるんでしょうけれども、でも、ではほかがどうかというと、やはり福岡とか広島はその都市自体もほかの地域に対する気配りみたいなものが結構あるというふうに言われているんです。そこのところはやはり仙台は聞かない。  例えば福岡の高速バスターミナルなんていうものはすばらしいです。あれはもう全域に夜中の1時半ぐらいまで高速バスが行っていますので。本来立ち位置的には仙台市はそういう仕掛けがあってもいいんでしょうけれども、なかなか他県に行く高速バスのバスターミナルの整備なんていうものは、いろいろ新聞記事に出ていますけれども、東口の活用法に絡んで。そこら辺についてもほかの札仙広福に比べると弱いというところはやはり否めないというふうに思います。  それから、人口減社会の中で今は災害対策としての横軸というものが非常に脚光を浴びていますけれども、やはりこれからは経済関係の連携というものが大きくなっていくんだろうなということがその下あたりに書いていることです。  それから、仙台の人口ダム効果幻想からの脱却とちょっと難しい言い方をしていますけれども、今まで比較的仙台が、ほかの都市にさっき嫌われ者だと言いましたけれども、それでも役割として期待されていたのは子供さんが専門学校なり高等教育を仙台で受けて、仙台にとどまってくれればいいやと。そこからうまくいけば帰ってきてくれるかもしれないし、だめでも仙台にいてくれればというような状況だったですけれども、やはり全体の人口が900万人割れになってきてそれぞれの地域がかなりこれから生き残りをかけて厳しいという中で、仙台がいつまでもダム効果として期待されるかというと、恐らくもうそういう時代ではないんだろうなと。ほかの地域の大学も生き残りをかけていろいろなチャレンジをしていますし、地元志向も強まっているという中で、仙台がいつまでも学都であり続ける保障なんていうものはないんです。そういうわけで、この仙台のダム効果論というのはもうそろそろ終わりじゃないかと。  もう一つやはり水源となる地域の衰退がこれからかなり厳しくなっていくわけですから、水源がかれたダムに何の意味もないわけです。つまり、もう仙台の立ち位置は東北のほかの地域の水源がかれてしまっては、もうそこだけ生き残っても意味がないという考え方にやはりなっていくんだろうなというふうに思います。  それから、これ直接仙台市は関係ないですけれども、仙台空港のアクセス度の問題です。これも次回の仙山カレッジテーマにもなりますし、今まで仙台空港の使い方というテーマでもやってきましたけれども、山形から山形道で来る。それから、これは福島もそうですけれども、仙台空港まで遠回りしないとだめですよね。本当は村田のところから直線で行けるような道路があればいいんですけれども、今もう本当に細い農免道みたいな道路しかない。県の計画では高規格道路化の計画はありますけれども、今は何もまだ着手されていないというところですので、これから仙台空港を東北全域でうまく使っていくという、それを南東北でと考えたときには、ここのアクセスの話もやはり考えていかなくてはならないんだろうなというふうに思います。  それから、インバウンド向上とか北海道新幹線の関連ですけれども、うちでインタビューしたときに函館の市長がなぜ北海道に外国人がいっぱい来るかとか日本全国から来るかというと、北海道はとにかく四つで呼んでいるんだという話をして、それが食と雪と花と温泉だと。そうだろうなと思いますけれども、その後に、ただこの四つはよく考えると北海道より東北のほうが全部上なんだよなという言い方を函館の市長がした。雪に関してもそうですよね。パウダースノーから月山でずっと滑れるところもありますし、花の変化はやはり東北のほうがいろいろありますし、実は東北がそこに気づくと北海道はかなりピンチだとなるみたいな、そういう危機感は実は函館市長は持っているということです。その辺の仕掛けみたいなものも大事なのかなと。  それから、北海道新聞とうちも連携しているんですけれども、北海道新聞の人たちと話をすると、北海道は何だかんだいってもうちは歴史がないんだよねという言い方をするんです。もちろんアイヌ文化というすばらしい文化があって、私もそれはすばらしいと思いますけれども、百数十年の歴史なんだよねと。東北は千数百年だもんねと。これをやられるとなかなか大変だというような言い方もしています。  それで、カレッジの宮原先生なんかに言わせると、やはりインバウンドもそうですけれども、みんな東京と京都しか行かないけれども、実は仕掛けとしてストーリー性を持たせるために平泉とか、これは仙台も絡んでもいいと思うんですけれども、つまり東京という新しい首都があって、その前は京都が都でというときに、実は東日本にそれまでの歴史の中でいろいろ破れた歴史があったり、虐げられた歴史がありつつも、独自の文化を持っている地域があって、それが奥州平泉でありとかという言い方をすると非常に外国人は興味を示す。  だから、京都に行く前に平泉とか仙台でもいいですから、東北を見た後に京都に行ったケースというのはあるらしいですけれども、全然やはり受けとめ方が違うという、そういう新しいストーリーのつくり方というものも多分あるのかなと。それが例えばさっき言った山形中央道から米沢から仙台までつながるというところに絡ませていくと、また違うストーリーもあったりするのかななんて個人的には思っているところです。  あとは、やはりその核となる両市の連携協定についてはまさに新年度予算で山形市側も仙台市側もこの包括協定を、「はい、協定を結びました。さようなら」ではないですけれども、具体的に一体どんな施策を打ち出してくるのかなというのは非常に興味を持っているところです。  何でもかんでも予算を注ぎ込めばいいということではなくて、多分知恵だと思うんですけれども、そのあたりでどんな話が出てくるのかはちょっと注目したいなというふうに思っています。本当に四半世紀前、私がまだ30歳ちょっとですけれども、前の仙台市長の石井さんに札仙広福をやっているときにインタビューしまして、石井さんに、さっき言った仙台の拠点性が他都市に比べて低くてこのままでは東北全体としていかがなんでしょうかという質問をしたら、しこたま怒られまして、「君は一体何を言っているんだ」と、「私は仙台市民からの投票で当選したんだから、なぜ仙台市民以外のことを考える必要があるんだね」ということでしこたま怒られたことがありましたけれども、そういう時代も経て、それから仙山交流会ができて、仙山カレッジも仕掛けて、山形側の警戒感と仙台市の無関心という中で十数年前にスタートしたことを考えると、本当に本日このような場に私ごときが呼ばれて仙山交流のことを話してくれなどという時代が来るとは夢にも思っておりませんでした。  そういう意味では、本当に新しいスタートラインに立ったところなんだろうなというふうに思います。ただ、このラインは皆さん思っているよりも東北全域の今後の方向性を決める中ではかなり大きなウエートを占めると思います。山形側は本当に必死です。これは山形市だけではなくて、ゲートウエーとしての仙台とか、日常的に交流していくまちとしての仙台とか、そこへの期待は非常に大きい。  その中で、実は仙台もうかうかしていられなくてということを考えた場合に、もっと広域圏を考えるという。それは福島も巻き込んでという考え方も今後多分出てくると思います。そういう広域的な重要なラインの中心部にあって、そういうところにも気配りをしながら全体を考えていくという立ち位置は、もうこれは避けられないと思います。そこのところをどういうふうにこれから動いていくのかということを私どもも非常に注視しておりますし、議員の皆さんもいろいろ知恵を出していただき、本当に楽しい地域になっていくことを願っているということで、ちょっと早口でまくし立てるようになってしまいましたけれども、私のきょうのお話にさせていただきたいというふうに思います。どうもありがとうございました。(拍手) 3: ◯委員長  ありがとうございました。  それでは、委員の皆様から御質問いただきたいと思いますが、御質問ある方、お手を挙げていただきたいと思いますけれども、どなたかいらっしゃいますでしょうか。 4: ◯相沢和紀委員  本当に行政が主体的じゃなくて、河北新報社が本当に下支えをしていただいてここまで来たんだということがお話の中でよくわかりました。観光とか何かの中で連携ということになるんですけれども、一方で私は小さいながら農業もしているんです。そうすると、どうしてもTPPの問題に絡んでくるし、農業の問題でいうとど真ん中、はえぬきがあって、こっちにひとめぼれ。要するに農産物でいうとなかなか競争というか、連携というふうにはなりにくい部分が農業の分野ではあるんですけれども、その辺についてどのようなお考えといいますか、見方をされているのか、あったら教えていただければと思うんですが。 5: ◯今野俊宏参考人  ありがとうございます。非常に難しい部分は確かにあると思うんですけれども、一つはやはり生産者と消費者、生産地と消費地ということを考えたときに、単純に100万都市仙台が消費地でという考え方ではなくて、仙台の中でも特色を持った農業はもちろんあるわけですし、その周辺にもあるわけですけれども、そのときにさっき言った宮城・山形は近くて遠いけれどもといったときに、つくっている作物とか違いはありますよね。そういうものをうまく外に向かってPRしていくこともできるし、相互に食とか文化を楽しみ合うということも可能だと思うんです。  そこを、米に関してはなかなか産地間競争が厳しい中でということはあるでしょうけれども、むしろそこを逆手にとって違いをその域内で楽しむこともあるし、一つの広域圏で実は宮城単独だとこういう作物が有名ですけれども、山形に行くと全く違うこういう農作物もありますよということを一緒にしてPRしていくということによって、ほかの地域から東北に対する、仙山圏に限りませんけれども、東北に対する興味とか、また行ってみようとかアクセスとかということにつながる可能性は出てくると思うんです。そこのところが域内の交流と、それから外に向かって一緒になってPRしていくというような姿勢というのはやはり大事じゃないかなと思います。  米は確かに今度岩手も主力品種を持って殴り込みに来ていますのでなかなか大変で、でも、そうやって宮城もこれから出していくわけで、そこも別に東北の中だけの人が食べるための米づくりではないですから、そういういろいろなブランド米があって東北の米っておいしいよねみたいなところを、ある局面では競争しつつも、ある局面では一緒になってやっていくというやり方をしないと、もっと広い意味での産地間競争が激化する中で厳しいのかなと個人的には思っています。 6: ◯委員長  ほかの方で。国道48号といえば加藤和彦委員、御発言をお願いしたいと思います。 7: ◯加藤和彦委員  河北新報社もいろいろとやってきた歴史は私も知っていますのであれなんですけれども、確かにこれからこの仙山連携というのは一つの軸と考えて、東北のこれからのものを考えていくと、まずここからスタートしていったほうが私はいいと思っているほうなんです。  先ほど相沢委員から言ったように、これからどういう連携が必要なのか、農食もありますけれども、工業、いろいろなバイパスの件もいろいろとこれから変わっていく面もありますから、これをいかに集約してどうやって情報発信できるかというのがこれからの課題だと思っていると思うんですけれども、ある程度結びつくことはできても、ではそれをどうやって拠点をつくりながら、それをどうやって東北以外に全国、世界に情報発信できるかというのがこれからの課題なのかなと思っていますけれども、その辺は今野さんのほうはどういうふうに考えているでしょうか。 8: ◯今野俊宏参考人  その点については全くそのとおりで、仙台とかというと仙台・松島とか仙台・蔵王とかという売り方でほかの地域から人が来るか、ましてインバウンドになってきた場合どうかというと、やはりなかなか厳しい面はありますよね。そこで近いような圏域の中に違う文化があって、こんな楽しみ方もできますよみたいなことのPRというのはやはり物すごい鍵になってくると思います。  では、その主体は誰がやるのというと、では市なのか県なのか東北観光推進機構のようなところなのかというところは、いろいろあると思います。ただ、仕掛けは多ければ多いほどいいわけであって、そこは非常にもっと小さいレベルの民間のやり方もあるのかなというふうに思います。そこは仕掛けの数は多ければ多いほどいいのかなというふうに思います。  もう一つ忘れられているのが、外に向かっての発信も大事なんですけれども、東北というのは結構域内観光率が高いですよね。東北の人が東北の温泉地に行って泊まるとか。もっと東北の人に仙台とか仙山圏を知ってもらう仕掛けみたいなものもやるし、仙台の人にもっと来てもらう仕掛け。  やはり口コミの力は大きいので、仙台の人がお客さんが来たときに「松島行ったことあるの」とか「蔵王あるの」、「では、次どこ行こうか」というと、「では、仙台市内」と言って政宗像をみてるーぷるに乗ってとかというのはやはり最初のお客さんぐらいですよね。次に山形に行くとこんなおもしろいところがあるよとか、そういうようなことを仕掛けていくべき時代に来ていると。それがやはり他地域に目配りする仙台というところのあり方でもあるし、もう一つが、ほかの地域にとっては仙台をしたたかに使うかどうかが多分別れ目なんです。そこが恨みつらみとか、仙台ばかり大きくなっていいなとか、そういうことじゃなくて、あの百数万人をしたたかに使ってやるぞという、そういう心意気も大事で、実は山形側は結構そういう仕掛けはもう結構昔からやっていますよね。  西川町あたりの観光なんかすごい力を入れていて、あそこのところを私らが取材してもう20年ぐらい前から仙台市の観光案内所、今2階からみどりの窓口のところに移りましたけれども、西川町の役場職員というのは仙台に会議があると必ずいろいろなパンフレットを持ってきて、あそこに立ち寄って「何かあったら山形にこんないいところありますので紹介してください」と言ってみんな置いていくわけです。  そういうところを早くから着目してしたたかにやっているかどうかで、やはり力のアップのぐあいが違う。そんなことをやっているところは宮城県のほかの市町村ないですものね。仙台市の観光案内所にパンフレットを置かせてもらって足しげく通ってという、そういう危機感もやはりないんですよね。今までは。だから、そういう意味での内部での使い方みたいなものも非常に大事になってくるかなというふうに思います。  蛇足で言うと、当然山形の人なんかと言うと皆そうだよねと言うんだけれども、観光キャンペーンというと東京に何とか娘さんと行って、パンフレット配って、ティッシュ配って、「皆さん来てね」とかと言って、取材で聞くと「いいところみたいだから今度行ってみたいわ」と言うけれども、来やしませんよ、そんなに。そんな東京駅でパンフレット配ったって。だったら仙台市民を味方につけて、年に1回か2回でも来てもらってやったほうがはるかに実は上がります。そういう発想は山形側は今までしていたんですけれども、宮城の中でも、それから山形以外の県でもちょっと希薄。ただ、そこは秋田の県南地域が最近すごい力を入れているんです。湯沢とか。そこら辺のところにやはりみんな気づいてきているので、そこのところで仙台市としては御勝手にどうぞじゃなくて、一緒にやっていきましょうみたいな姿勢とか具体策というものがあったらいいなというふうに個人的には思っています。 9: ◯佐藤正昭委員  どうも、今野さん、ありがとうございます。今言われた域内観光の充実というか、それが私と同意見で、本当に大切だと思うんです。どうしても格好いいからインバウンドとか大阪から呼ぼう、東京とかから呼ぼうということになるんですけれども一番大切なのは域内で山形と仙台でうまく域内観光を回して、プラスアルファのお金を使ってもらうことであるし、もう少し言えば東北6県の中でうまく回す連携をして、市民、県民を回す連携をしながらお金を使ってもらって、そうやって相互に豊かになるという、そういうことが大切なんだろうなと思うんです。  きょうは市議会の勉強会なんで、私若干お聞きしたいのは、ここにも2006年宮城と山形の両県議会と書いてあって、その後両市議会という、これは自民党同士が始めたんです。我々が始めて、それが3市議会の連携につながって、3市連携につながったわけで、それの成果としてタイでやった物産展なんかに山形の議員の人たちも行ってもらって一緒にやったという、そういうことがあるんですけれども、今の話でこれから何をしていくかだと思うんですけれども、そういった場合に議員の役割というか、我々議員に対してどういう期待をしているのか、どういう役割を我々がするともっともっと進んでいくのかなと。  蛇足ですけれども、昨年実は自民党系の翔政会さんからお話がありまして、我々最大会派自由民主党と交流会もして、あちらでもやって、こちらでもやってということで、その際も山形市長も出てきてくれて、いろいろな話をさせていただきました。若干佐藤市長と奥山市長の温度差が違うということも我々も感じているところなんです。  しかしながら、これは我々がもっと積極的に仙台側が行かないとだめだし、結局これで最後交流して得するのは仙台なんです。仙台。だから、そういうことを考えながら市長にもしっかり交流してもらいたいというふうに思っているんですけれども、そういった中でやはり最後は行政とか学校が交流してもだめで、結局経済交流、産業の交流がないとだめなんで、そうするための仕掛けになってきていると思うんです。第2段階、第3段階というところに我々の役割は変化してきて、交流するのはしましたよと、それを何かそういう経済で生かしていく、産業で生かしていくということにならないとだめだと思うんで、これから我々議員に期待することと、どんな関係性、どんなことをやればもっともっと緊密な連携をとれるのかなという、この2点をお伺いをしたいと思います。  高速バスなんかも実は今東側ということで私もかかわりながら、ヨドバシカメラの再開発の中でぜひ高速バスのターミナルができないかということなんかも模索をしているところでありますから、そういうものも含めてもうちょっとお聞かせいただければなと思います。 10: ◯今野俊宏参考人  新聞記者というのはいろいろな事象を見てわかったように書いているだけであれですけれども、皆さんのほうがいろいろな交流の機会がありますよね。本当に民間同士でこんな交流もあるのかという種もいっぱいあるし、実際の動きがいっぱいあるわけなので、むしろそういう機会は皆さんのほうがお気づきになったり経験される機会というのは多いと思うので、それをやはりアイデアとしてばんばん出していただくことなのかなと思います。議会の議論の立場とかで。もちろんチェック機能云々とかという建前はあったとしても、そうじゃなくてこんなことをやってみたらどうかみたいな、そこら辺の種はいっぱいあるので、むしろ我々もそういう種を皆さんから気づかせていただきたいので、事この交流に限ってはいろいろな人同士の民間の交流がたくさんあるので、それを積み重ね拾い集めたアイデアをばんばん出してもらうというところが一番皆さんにやっていただくという意味では大きいんじゃないかなというふうに思います。  あと、やはり皆さんもいろいろそういうことで、もっと広い意味での見識をお積みになっているということで、ほかの地域でやっている例を持ってくるとかというアイデアを出すとか、前から私なんかで交流会でお酒なんか飲むといいんですけれども、なぜ仙台発、24時山形発の高速バスがないんだろうという言い方なんかよくするわけです。若い人は仙台で買い物して、仙台の夜の飲食を楽しむと。逆に言うと山形側はいろいろな文化があって、仙台の人が山形に行ってタクシーで帰ってきたら大変なことになりますので、1.5倍とか2倍ぐらいの料金でもいいので山形発0時とか、夜中まで遊んでいる場合かという話は別に置いておいて、そういういろいろな仕掛けというのはこれからできるはずなので、そういうものを積み重ねていくことで多分ここの地域が、自分たちにとってもそうだし、ほかの地域からあそこっておもしろそうなところだよねと言われることになると思います。そのためのアイデアをどんどん積み重ね出していただけるのが皆さんへの一番の期待という感じでしょうか。済みません、ちょっと総括的な話を申し上げました。 11: ◯佐藤正昭委員  我々も議会の役割というのはだんだん変わってきているということを認識しているんです。チェック機能だけということではなくて、それ以上に我々がアイデアを出して提案、提言をしていって、しっかり市政の方向性をしていくという。今こそ本当に車の両輪で、この時代だからこそその車の両輪というのがうんと大切になってきているという認識が我々ありますから、そういう中ではしっかり我々が視察してきたもの、見てきたもの、そういうものをアイデアを出して両輪としてしっかりやっていきたいなと思います。ありがとうございます。 12: ◯柳橋邦彦委員  お話聞いていていろいろ考え込むこと多いんですけれども、端的に言いますと仙台が結局勝つんだという話ではだめだと私は思っているんです。しかし、今までの非常に長い歴史の中で仙台のあり方というのは受け入れられてきたとは言えないと。それで、ここへ来て経済の格差が進んできて、今さっきも言われたように若い人たちなんかが週末ごとに仙台に来て買い物をしてお金を落としていくということは、結局山形にお金はおりていないということになるわけで、そうなると仙台の役割というのは結局吸い上げるだけなのかと。  それをどういう形でお返しをしていったらいいんだというところが精神性と物質的な面でどういう形で具体的に仙台の物語の展開をしていったらいいんだろうかというふうに、きょうは非常にそこを強く感じたんです。そこがこれからの仙台のありようの一番大事なところにつながってくるのかなと。  利便性を提供するということについては確かに東北6県の皆さんにとっていいことではあるけれども、しかし、実際それが皆さんのところを疲弊させていくような形になってしまったのではという思いもありまして、実は奥山市長も最初のときに時代の流行でもあったんだろうけれども、都市間競争という言葉をはやり言葉に使っていたんです。私はそれは違うんじゃないのかと。都市間競争をやって結局何が残るというんだということで、一時その言葉は使われなくなったんですが、去年の6月の議会だったと思うんですけれども、都市間競争という言葉がまた市長の口から出たんです。  当時の都市間競争と今の都市間競争というのは何か違いがあるのかなというふうに考えてみたんですけれども、どうも余りそこのところが私の頭の中ではよくわからなくて、結局そういうことで仙台市をのしていこうとすると余りいい結果にならないのではないかなというところで、もとに帰っての私の質問の中身になるんですが、どういうふうに仙台市の立ち位置というものを、あるいはあり方、ありようというものをこれから持っていくのが東北6県の皆さんのためになるのかなという、そのあたりについてはどうでしょうか。 13: ◯今野俊宏参考人  昔やはり河北新報のもので庄内ガールと言って、庄内の人たちが庄内交通で仙台で買い物して、バッグを持って帰ってくる。そういう言い方に対して結構批判を浴びました。庄内ガールとは何事だと。ただ、実態としてはあるわけで、そこは避けられないと思うんです。  今そういう意味ではやはり仙台の利便性、おもしろさ、都市機能、商業的な強さというものが際立っているので、確かに現時点では柳橋委員おっしゃるそのとおりだと思うんですけれども、一方でもう少し上の世代、子供さんがいるとか五、六十代の世代の人たちがやはり仙台にない魅力みたいなものを求めて行くという流れもだんだん太くはなってきているわけです。短期的、中期的には。  だから、そういう意味で仙台の人たちがもっと東北の他地域に行ってもらうような情報の発信の仕方とか、それは仙台がというより呼び込むほうもそうなんだけれども、それも裏返しで、やはりそういう人たちが仙台でPRしやすいような土台をつくるというのは大事だと思うんですけれども、短期的にはそういう意味で世代的なちょっと違いはありますけれども、そういう人たちが仙台以外、ほかの県に行ってとかという流れも確かにあるわけで、そこをもっと太くしていくというふうに思っています。  中長期的にはやはりキーワードは子供なのかなと。それは前も連載に書いたことがあって、結構仙台市内の小中学校は山形で研修、農業研修とかという数がふえていますよね。そういう子供たちが「ああ、山形ってこういう体験ができるんだからおもしろいな」という人たちが、非常に長い目で見てですけれども、そういう意味で仙台以外、宮城以外のよさとか、そういうものに目を向けて行動していくという流れも今出始めているので、一時期より一方的に仙台だけ買い物で金を落としてもらってひとり勝ちというものから、今少しずつ逆方向の流れも出始めているのは確かなので、そこらあたりは必ずしも以前に比べて一方通行かというとちょっと違う方向が出てきて、これをもっと太くしていくことで仙台の批判なりとか仙台のひとり勝ち論みたいなものから流れが変わっていくことはあるかなというふうに思っております。  まだ確かに現状においてはおっしゃるとおりで、結構ひとり勝ちの部分はあるんですけれども、ただ、事細かく見ていくと違う流れが出てきているので、そういう流れをもっと太くしていくための仕掛けみたいなものがあったらいいなと私は思っています。 14: ◯柳橋邦彦委員  わかりました。  私自身非常に山形ファンのところがありまして、実際自分で車を運転してお返しがてら月に多いときには3回ぐらい。何しに行くかというと、和そばとラーメンを食べに行くんですけれども、山形の最高レベルはもう仙台だと足元にも及ばないという。幾ら頑張っても仙台の最高のそばは山形の最低に匹敵するなと、こんなふうに思いながら行くんですけれども、同時に山形の人たちに感じるすごい、端的に言うと一つ果物というものに対する物すごいエネルギーの注ぎ込み方を見ますと、やはりああいったものを私たちは全国に、例えばラ・フランスの時期になったらラ・フランスを全国の方々に送ってあげるとか、サクランボを皆さんに送ってあげるとか、そういうことで、やはりこっちも買っていただく分を何か買ってさしあげることで今おっしゃられた相互の交通ができてくるという話の最後のところでしたが、私も確信を持てて、これからもそのことは続けていこうと思ったわけですけれども、ありがとうございました。 15: ◯橋本啓一委員  今野次長さん、ありがとうございました。  私自身も妻や子供に行きたいところと言うと、場所を指示されるのは主に東京のほうが多くて、ところが親関係にどこか行きたいところあるかと言うと、やはり山形が一番多いと。季節によってはやはり私自身も月に数回以上山形のほうにドライブに連れていくというようなことで、やはり山形というのはすごく身近だなというような感じはしていました。  仙台と山形が今後連携をしっかりと進めていく上で一体我々がどういった提言とか提案とかしていかなければならないのかということを考える中で、なかなかはっきりしたものが自分の中にはなかった中で、きょう次長さんのお話を伺いながら改めて仙台と山形が置かれている状況であったり、その環境について確認させていただきましてありがとうございました。  お話を伺った中で県庁所在地同士がくっついているというお話であったり、太平洋側日本海側がまさに奥羽山脈を背にツインシティーを構成しているというのは、改めて私自身も言われてみるとなるほどそのとおりだったなというふうに思っております。  また、やはり文化と風土も全く違うというお話もありましたので、そもそもいろいろ仙山カレッジ等でツインシティーと言われても、我々の感覚の中には全くそういう風土も文化も違うんでツインシティーという感覚自体が、イメージ自体が全くなかったんですけれども、このツインシティーの意味としてはやはり得意分野とか苦手分野を互いに融通し合って、補完し合いながらまちづくりを形成するためにツインシティーというまちづくりを進めていきたいのかなというふうに私自身ちょっと考えたところでありました。  ところが、この文化と風土が全く違うというところがもちろんその一番いいところであるんですけれども、山形のほうはむしろこの近さを生かした定住人口の増加に結びつけたいという目標がある中で、一方では仙台市のほうとしては活力の波及とか、そういった具体的なものが余りない。結局自分たちのところには一定のレベルのものがある程度備わっているので、具体的な何か目標がないようなイメージが私自身にあったということがありました。  やはり、こういった目的が違うとか目標が違う中で今後どういうふうに、特に仙台市のほうは具体的に山形市から何を求めるのか、山形市のほうに何を融通してもらうのかということも具体的に考えていかないと、なかなかお互いの目標、目的が合致したもの同士の交流がうまくいかないのではないかなとちょっと感じたところがあるんですけれども、この辺については今野次長さんはどうお考えでしょうか。 16: ◯今野俊宏参考人  このカレッジのマークがあるんですけれども、これは真ん中の鼻が蔵王で、仙台と山形なんですけれども、ツインシティーということなので位置的には蔵王が鼻の位置に普通来ないですけれども、ただ、イメージとしては蔵王、奥羽山脈を挟んでツインシティーだということで、目玉の大きさも当然大きいわけです。人口規模、商業規模が違うわけですけれども。  ただ、そこが同僚という言い方はあれですけれども、仙台としてやはりどっしり構えた上で、山形からいろいろな提案があって来たものをやはりしっかりかみ砕いて、それはやはりこういうふうにやったらおもしろいねとおもしろがる姿勢で一緒にやっていくことが多分大事だと思うんです。  今までの行政の仕方はどっちかというと山形側は山形県庁の村山総合支庁というところが核だった。山形市、山形商工会議所ははっきり言ってほとんどやる気なしだったんです。だけれども、こういう流れになってきた中で包括協定を結ぶと、今後多分山形市とか山形商工会議所とかからもいろいろな提案が多分具体的に出てくると思うんです。
     そのときに今までになかったような発想とか出てくるだろうし、それを受けとめた上でできるものはやってみましょうみたいな、しかも、それがこの地域のものはお堅いものではなくて、おもしろがるみたいな発想があって、そこに住んでいる人たちが楽しむとか、ほかの地域に自慢するとかPRするとかというところが一つのみそなので、そういう姿勢でやっていただけたらもっともっとおもしろくなっていくんではないかなと、では河北新報は何かあとないのかというとなかなかないですけれども、まだそこはこれから具体的にしていくんで非常に楽しみにしているというのが正直なところです。 17: ◯委員長  本当にありがとうございました。  今野様には本日は大変貴重なお話をいただきまして、まことにありがとうございました。今後、当委員会の調査を進める上で大変に参考になりました。もう一度今野様に感謝を込めまして拍手でお礼をしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)  ここで暫時休憩をいたします。               〔参考人 今野俊宏退室〕                休憩 午後2時15分                再開 午後2時20分 18: ◯委員長  再開いたします。  それでは、休憩前に引き続き意見聴取を行います。  東根市総合政策課課長芦野耕司様をお招きしておりますので、皆様に御紹介をいたします。  芦野様には大変お忙しい中、当委員会のためにお時間を割いて御出席をいただきました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。  皆様のお手元には芦野様の略歴書をお配りしておりますので、後ほどごらんいただきたいと思っております。  それでは、早速お話をいただきたいと思いますが、芦野様には着席のまま進めていただきますよう私よりお話をさせていただいておりますので、委員の皆様、よろしくお願いいたします。  それでは、芦野様、よろしくお願いいたします。 19: ◯芦野耕司参考人  皆様、初めまして。山形県東根市の総合政策課課長を務めております芦野耕司と申します。よろしくお願いいたします。  本日このような機会をいただきまして、まことに感謝を申し上げます。議会の事務局の方からこのようなお話をいただいたときに、どうしようかなと悩んでいたんです。私は何もそういう特別な知識を持っていたり、体系立った話ができませんのでどうしたものかなと思っていたんですが、東根市長にちょっと話をしたところ、ぜひいい機会だから行ってこいと、そして、自分の思いも伝えてこいということで、そんなことでお受けすることにしたものでございます。  東根市の説明につきましては、余り時間もないでしょうから、お手元にお配りしてあります資料の一番後ろに簡単にまとめてございますので、これについては説明を省かせていただきます。ただ、一言だけ申し上げますと、山形県の人口はどんどん減っておりまして、全国でも8番目ぐらいの減少率なんですが、それぐらい進んでいるんですが、その中にあっては平成17年の国勢調査の折に山形県で二つの市だけが増加だったんです。平成22年ではついに我が東根市だけがプラスと。そして、今回、平成27年の国勢調査もやはり東根市だけがプラスということで、何とかいまだにマイナスに転じていない山形県ではたった一つの市というふうになっております。子育てなどに当初から力を入れて進めてきた結果かなというふうに考えているところでございます。  市長から伝えるようにということも言われておりますので、そのことから最初にお話を申し上げたいなと思っております。順番が逆になるのかもしれませんが、国道48号のことについてなんです。連携そのものというよりも、その連携の基盤となるインフラの話なんですが、この道路は仙台市の勾当台公園のあたりが起点になるんだそうですけれども、ここから東根市に入りまして、東根市から今度は天童市というところに入りまして、国道13号、これは山形県の大動脈なんでございますが、ここで合流をしまして、国道13号と20キロくらい共用する区間があって、山形市の市街地まで到達する路線になっております。  東北の中心都市である仙台市と山形県の県庁所在地を結んでいるという意味もありますし、それだけではなくて、国道48号から分かれて西のほうに向かいますと、これが日本海と太平洋を結ぶ一番短い路線だというふうに言われております。距離的にはもしかしたら古川のほうから国道47号のほうに入るルートも結構近いのかもしれませんが、こちらのルートは途中で山形自動車道に入りますので、そこを使うと仙台港と酒田港を結ぶ最短のルートになるというふうに言われております。  そんなこともありますし、酒田港のほうに行くまでには月山の麓を通っていくわけですけれども、月山ですとか湯殿山のような、そういう山形県の中でも観光の大きな目玉になるようなところを通っていきますので交通量もかなり多いと。平日は7,000台で、休みになると1万台を超える交通量があるというふうに言われております。  ただ、この重要な路線、国道48号なんですが、なかなか雨とか雪に弱いというような面を持っております。雪崩につきましては平成26年、平成27年と連続で雪でストップもしております。あと、事前交通規制区間というふうになっていまして、連続の降雨量が180ミリを超えますと自動的にもうストップというふうになるような路線でもあるんです。そのようなことで、ちょっともろいという面がございます。  そんなことですから、国道48号につきましては整備促進の協議会が設けられております。こちらでは仙台市、そして山形県側では東根市と天童市です。この3市で協議会をつくっておりまして、奥山仙台市長が会長というふうになっております。仙台市が事務局を務めているというふうになっています。  そして、その国道48号の整備促進について国土交通省のほうに要望しているんですけれども、山形側の東根市と天童市につきましては当然仙台から山形までの全区間を高規格化してほしいという思いでいるわけですけれども、私ども普通の市ですと負担はそれほどなくて、実際には山形県が負担することになると思うんですが、仙台市は政令市でございますのでそうはいかなくて、負担が伴うということになります。国と県と市というふうな枠組みで、仙台市は負担が発生しますから、簡単に私どものように整備をしてくれというふうに言うわけにはいかなくて、そんなことから要望書の中でもなかなか高規格化なんていうことは簡単には書けないわけです。  そんなことで、東根市長が2年ほど前から提案をしているのは、バイパス化というものを提案をしております。これは何かといいますと、こちらからいうと作並の温泉をもう少し先に行ったところに作並の除雪ステーションがあるんです。そこと関山のトンネルを越えて少し西のほうに行ったところに関山の除雪ステーションがございます。その区間が大体12キロなんだそうですけれども、この12キロを隧道化するというんですか、トンネル化してしまえばスムーズに通れますし、除雪などをする必要もなくなって、お金は最初はかかるかもしれませんが、最終的には維持費もかからなくなるということで、隧道化してしまえば時間的にも非常に山形と仙台市が近くなって交流が活発になるんだというふうな市長の思いがございます。  要望書につきましても昨年度の要望書からバイパス化という言葉を要望書の中で入れてもらっております。こんな状況なのでやってください、ついては次のようなことを要望しますと言って、1、2、3と要望項目が始まっていくんですが、その前文、最初のほうのところにバイパス化という言葉が盛り込まれることになりました。市長からは、まだ要望項目の中には入っていないものですから、ぜひ議会の皆様方にそのことについても御理解いただいて応援をよろしくお願いしてこいということでございましたので、この場をおかりしてよろしくお願いしたいなと、応援をしていただければなというふうに考えております。  市長が一生懸命話す、多額の経費もかかるバイパス化あるいは国道48号の整備をすることで仙山交流をどんなふうに近づけていけばいいのかということ、仙山交流の中身についてちょっと1ページの下のほうに書かせてもらいました。  まずは仙山交流の現状について、国勢調査の結果などもちょっと踏まえてお話をさせていただきます。2の仙山交流の現状と課題でございます。  ここで通勤通学の実態、国勢調査でございましたので、これをちょっと表にまとめてみました。この表の1と申しますのが東根市から仙台市へ、あるいは仙台市から東根市へという通勤通学者が何人いるのかというものをまとめたものです。平成12年、平成17年、平成22年とありますけれども、平成12年ですと通勤が106人、東根市から仙台への通勤は106人、通学が43人。仙台市からは通勤が70人で通学がゼロと。当然通うような学校がございませんのでこうなるんだと思います。  この合計欄、行っても来るのもまず乱暴ですが皆足してしまうと、219人というふうになっています。これは平成17年には256人、平成22年は377人という数になって、ふえているのがわかります。残念ながら平成27年の国勢調査の結果がまだ出ていないんです。総人口などについてはすぐ出るんですが、こういう通勤とか通学のデータというのは2年後くらいになるんだそうで、ちょっとその数字を待ちたいところなんですが、もっと大きな数字になっているんだろうなというふうに想像できるかと思います。  この数字、200人とか300人とか、100万人を超える仙台市にとってみたらどうなのかなというふうに思うわけですけれども、少なくとも毎日関山を越えて通っている人数がこれなわけですから、休日などになればもっとさらにたくさんの人数が通ってくるんだろうなということもありますし、これは山形でいうと東根市だけの数字ですから、天童市、山形市なども含めれば三十数万人の人口圏ですから、きっともっとたくさんの人数が通勤通学をしていて、買い物など土日などはさらに多いんだろうなというふうに考えています。結びつきが強まっているんだろうなというふうに考えています。  では、2ページをお願いいたします。  同じような資料なんですけれども、これは山形交通というバス会社が山形県の内陸部から仙台市のほうに走らせている定期路線のバスの本数をあらわしております。3本あるんです。48ライナー、48チェリーライナー、それから山形仙台線というものがありまして、これも合計の欄だけごらんいただきたいんですが、平日と土日祝、いずれも平成12年、平成17年、平成22年とふえてきています。そして、平成27年については平日のほうは二つふえまして、土日祝日のほうは二つ減っていますけれども、当然平日のほうが多いわけですので、総数的にはふえているということになるのかと思います。このようなことからも両地域の結びつき、交流が強まっているんだということがわかるかと思います。  どんなふうに進んでいるのかとか、そういうことも調べてみたかったんですが、手元にデータもございませんし、そんなことで私の職場のところで手当たり次第にちょっと聞き取りをしてみました。東根市職員をつかまえまして。「おまえ、仙台市にはどれぐらい行くんだ」と、そして何をしに行くんだ、どこに行くんだ、そんなことをちょっと手当たり次第に聞いてみました。  ちょっとショッキングだったんですけれども、毎週行くという者も2人ぐらいいました。月に2回という者も、2週間に1回ぐらい行くんでしょうね。2人ぐらいいますし、月1回は行くよという者も含めると半数ぐらいなるんですか。二、三カ月に1回なんていう者が大体そうしますとやはり結構の頻度でいるんです。これも仙台市からは一番近い東根市ですのでそういうことがあるのかもしれません。あと、聞いた職員はどちらかというと若手、20代、30代。40代は2人くらい聞いたのかな。40代もかなり年の若いほう、四十一、二歳の人に聞きましたので、どちらかというと若い世代になるんですが、こんな状況なんです。  何をしに行くのかとか、どこに行くのかが書いてありますが、どこに行くのかのところはちょっと私も余り行ったことがないのでわからないところがたくさんあったんですが、このようなことでした。皆様であれば御存じなんだろうなと思いますが。  ちょっとコメントで印象に残っているものを二つ書いたんですが、山形市内、県都山形市で買い物することなんてまずないなと言うんです。食料品は東根市内、地元で買うよと。それ以外はもう仙台市のほうで買うんだよというふうなことがありました。これは20代の女性であればそうなのかなと思いますけれども、実はこれは41歳の男性でして、そうなんだというショックでした。山形にデパートがなくなるはずだなということが感じられました。  あと、課長は2年も行っていないんですかと、もう駅前なんか随分変わりましたよなんていうふうに言われまして、さっき半年以上行っていないの2人のうちの1人は私ですので、2年前の姿が頭に描けないんでそう言われてももうどうなのかと思うんですが、そんなことで、実は私の妻も五十幾つになるんですが、20年くらいあるバンドのファンクラブに入っていまして、よく仙台だとZepp仙台ってあったんですか。そこにかなり通っていたんです。そんな話をきのうの夜していましたら、「何、あなた」と。「Zepp仙台なんてもうとっくの昔になくなったわよ」と言われまして、そんなことでちょっと職場と同じ思いを家庭でもしたところでございました。  東根市長が言うように道路をよくするということだけですと、やはり仙台の経済圏に山形の一番人口のあるエリアの一部がただ組み込まれるだけになってしまうんだろうなというふうに思います。ただ組み込まれるだけであれば、山形側にとっては高付加価値なものとかサービスの提供の機会も場所もなくなってしまいますし、仙台側から見れば一部のところにだけ恩恵というか、波及効果も限定的になってしまうんだろうなということが感じられます。ですから、やはり双方向で経済的な行き来があって初めてより強固になるだろうし、将来に向けた発展の要素も大きくなっていくんではないかなというふうに考えているところでございます。  では山形から一方的に仙台市のほうに行っているのかというと、そうでは実はなくて、休みになりますと、夏場でもなくて冬も結構地元でも例えば有名な名の知れたような、あとちょっとおいしいというふうな評判の立つような、そういうおそば屋さんとかお店屋さんにはかなりの数の仙台ナンバー、宮城ナンバーの車がとまっています。そんなことで行き来は確実にあるんだと思うんです。  やはり仙台の方から来ていただくということが山形の産業にとっては励みになるわけですし、いろいろなリクエストとかクレームなんかがあって、そういうものがあって磨かれていくというんですか、そういうふうになるんだと思うんです。ですから、ここにも書きましたが、仙台市民の方のニーズが山形県の経済を育てる源泉になっていくんだというふうな思いでおります。  それにしても山形側の魅力というものが相互交流をしていく上では寂しいんじゃないかなという話を東根市長としておりましたところ、市長からは何を言っているんだと、山形にも結構そういう魅力的な産業はあるんだよということで、ばーっと市長から話されたものを書きとめたものがこの表の3でございます。最近全国的に話題となったメード・イン山形の製品なんだそうです。詳しくは説明申し上げませんが、こんなものがちょっとマスコミなんかでもにぎわっていましたので、ここに書かせていただきました。これらも双方向の経済的な交流をしていく上での素材、アイテムになっていくんだと思うんです。こういうものは結構あるのかもしれませんが、それにしてもやはり双方向の交流を広げていくには山形のほうの努力がやはり何よりも一番必要なのかなというふうに考えております。  3ページのほうに移りますけれども、重粒子線のがん治療の施設が平成31年度に稼働を予定しております。山形大学の医学部に、全国に8施設だけなんだそうですけれども、それができます。これは普通の放射線治療と違って周りの組織を傷めない、傷つけない、あるいは前後、当てたらその後ろ側のほうの組織も傷つくんですけれども、それを傷つけない、その場所だけを重点的にたたくことができるんだそうです。そういう施設ができます。  どちらかといいますと、医療に関しても東北大がいろいろなところで話題になって、半年くらい前にも肩の関節の何かそういう番組をしていました。私も肩をちょっと傷めていて、なかなかお医者さんに行っても治らなくて辛い思いをしているんですが、仙台市民であれば通えるのかななんていうふうに思ったところなんですが、山形側にも一つそういう医療に関しての魅力ができると。その辺については仙台市民の方からも来ていただいて、そういう相互の交流の一つの材料になっていくのかななんていうふうに考えております。  そのほかにも双方向の材料といいますと、やはり山形の農産物、畜産物などがあるんだと思います。米沢牛なんていうものは有名ですけれども、そのほかにも我が市も果物の生産量ではかなりありますので、サクランボの生産量も日本一を誇っておりますが、そんなことでよってけポポラという売り上げが東北で第1位だと思うんですが、そうなった施設があります。これは、国道48号をずっと来ていただいて東根市の根っこのところで二手に分かれておりますけれども、その国道48号じゃない西のほうに行っていただいて、この地図でいうと東のあたりにある施設でございます。仙台市からは来てすぐのところでございますので、おいでになった方もいらっしゃるかもしれませんが、ここは東北でも第1位の販売量を誇る直売施設でございます。平成15年に営業を始めまして、徐々に業績を拡大しております。売り上げの30%以上は宮城県なんじゃないかというふうに売り場の担当の方からは伺っております。やはり仙台市民の方に御愛顧いただいて育ってきた山形の産業と言えるんじゃないかなというふうに考えております。  そのほかにもGI認証を東根市が受けることになっております。東根さくらんぼという名前で登録を今申請中でして、告示を今しておりまして、問題がなければ4月の頭には認証されるんじゃないかと。例えば今認証されているのは夕張メロンとか神戸牛などが登録済みなんですけれども、同じように東根さくらんぼというものも間もなく登録予定だというふうになっております。このようなことも双方向の交流の山形側の魅力の一つにしていけたらいいなというふうに考えております。  あと、私は全然観光行政とかに携わったことがないので余り知識がないんですが、うちの担当のほうから聞いてきましたので、そのことをちょっと触れさせていただきますと、やはり仙台市はこれからどんどん国際都市化していくんだというふうに担当は言っております。そして、東北の観光もやはりまずは仙台市に来た外国の方が各地を回るような、そういうパターンになっていくんだろうということでございます。山寺や出羽三山とか、山形側にも魅力はございますし、当然作並や秋保のようなところでお休みになっていただいて、ちょっと先に足を伸ばせば松島などもあります。その中にはうちの市のポポラなんかにもお寄りいただければなというふうに考えております。  何か松尾芭蕉の奥の細道の中で松島は笑うがごとしと芭蕉が言っていて、象潟というところがあって、そこは恨むがごとしなんだそうです。こういうふうに芭蕉が表現しているようです。象潟というのは実は山形ではなくて、山形県と秋田県の県境をちょっと北のほうに行った秋田側で、ほぼ山形なんですが実は秋田なんです。そんなところなんですが、太平洋側日本海側とのそういう対比をしていけば物語性もありますし、そういう魅力はあるんじゃないかなというふうなことでございます。奥羽を挟んで東西、景色とか個性なんかの違いがまた東北の魅力を引き出していくんじゃないかなというふうに考えております。  最後になりますけれども、市長からはぜひこのこともちょっと触れてくれということで、5番目に書かせていただきました。どこかで2030年代も山形県の経済成長率がマイナスにならないんだというふうに書いてあったんで、「それをおまえ、調べて話してこい」というふうに言われました。ちょっと調べましたら、インターネットですぐ見つかりました。  これは七十七銀行の定期的な何か報告なんでしょうか、77BANK NEWS LETTERというものにありまして、2030年代になっても東北6県の中で成長率が山形県だけはマイナスにならないという試算があるということでございました。2パターン何か試算をして、両方、2パターンともマイナスにならないのが山形だけということのようでした。当然仙台市は成長率も今高くて、それがある程度下っていくと。山形はもともと成長率が低いんですが、下りのラインが緩やかなものですから、まだゼロにならないというふうな報告だったんですけれども、そんなことでここにも書かせていただきましたが、仙台市と山形市、天童市、東根市、これは山形の中では元気な3市でございますので、ここが連携をしていけば大きな可能性があるんじゃないかなというふうなことを感じたところでございます。  とりとめもない話で申しわけありませんが、これで一旦終わらせていただきます。御清聴ありがとうございます。(拍手) 20: ◯委員長  ありがとうございました。  それでは、委員の皆様から質問等ございましたらお願いしたいと思いますけれども、何か御質問ございますでしょうか。 21: ◯高橋卓誠委員  御説明ありがとうございました。  ちょっと単純な質問から何点かお話を伺いたいんですけれども、この1ページ目の仙山交流の現状と課題という表があるんですけれども、この下のパーセントというのは何を表示しているんですか。 22: ◯芦野耕司参考人  説明が抜けてしまいました。このパーセントは例えば東根市のほうですけれども、東根市から県外に行っている数字を100としたときに、東根市から通勤している人、この132人は76%だと。ですから、ほとんどが仙台市に来ているんだということです。 23: ◯高橋卓誠委員  なるほど、わかりました。ありがとうございます。  あともう一つが、東根市からの御要望ということでバイパス化の整備のことをお聞きしましたけれども、インフラ以外の部分で何か我々が仙台市のほうで御協力できるというか、一緒にどうやっていけるのかなということを、課長さんの頭の中で結構ですので、どういうことができるのかなということを何点か、あれば御紹介いただきたいなと思うんですけれども。 24: ◯芦野耕司参考人  それは国道48号以外のお話ですね。なかなか、もう少し考えてくればよかったんですが、今ぱっと思い当たるのはそんなにはないんですが、やはりこんなふうにしてお話しさせていただく機会はまずありがたいですし、そんな中でもう少し身近になるような方法があればななんていうふうに考えております。  経済的な交流の前にやはり文化的な交流なども必要だと思うんです。関山街道というものがやはりかつてはすごく重要な路線だったということで、宮城県側と山形県側で何か勉強会をしているんです。宮城県のほうがかなり高度で進んでいて、いろいろ専門的な方がいらっしゃるんだそうですけれども、山形側がそれに比べるとちょっと勉強不足なものですから、なかなか一緒にやると押されてしまうというか、レベルが違うものですから、なかなかうまくいっていないんだそうです。  今は私ども東根市と天童市と、あと山形県とが一緒になって地元の勉強会をしているんです。少し勉強した上で、また改めて仙台市のそういう専門の方と勉強会をしたいななんていうふうに考えております。そのときに応援していただければありがたいなというふうに思います。そういう文化的な面の御協力も幾つかあるのかもしれません。 25: ◯高橋卓誠委員  そうですね。では、我々だけではなくて民間のほうでもいろいろ促進していくような形ですね。  済みません、最後に。このGI認証ブランドの戦略ということで4月に東根さくらんぼが認定されたら、サクランボの値段はやはり上がってしまうんですか。食べ放題で結構行っている市民が多いものですから、もしお聞きできたらと思います。 26: ◯芦野耕司参考人  GI認証で東根さくらんぼというそのシールを張れるのは、やはり限られていると思います。品種でいうと主力品種の佐藤錦という品種と、あと後発なんですが紅秀峰というシーズンの後ろのほうで出てくるサクランボで、日持ちがいいんです。ですから、海外なんかにも持っていけるような、そういう大粒の品種がありまして、この二つだけしか呼んではいけないと。産地も限られたエリアしかないので、そのシールが張られているものは値段は張るかもしれませんけれども、周辺のものも含めればそんなふうにはならないんじゃないかなと思いますけれども。 27: ◯高橋卓誠委員  ありがとうございます。これからもぜひ御協力させていただきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。 28: ◯柳橋邦彦委員  サクランボの主な市だからちょっと伺いたいんだけれども、紅秀峰というのは非常にうまいですね。佐藤錦が終わった後あたりというか、少し季節的に終わりかけのころにいつもいただくような感じがしているんです。割とぱりっとした、とてもおいしいなと。やはり研究してるなと思うんですけれども、どうも私の印象でいきますと東根市が佐藤錦の発祥で一番の収穫地だと言うんだけれども、どうも寒河江ブランドと言ったらいいか、寒河江市のほうに目が向いて、私自身もちょっとそっちのほうに目が向いてしまっているんですけれども、このたびも1本ずつの木を仙台の市民の方々に買ってくださいと。サクランボの木を。それで、年間幾らかのお金を納めれば丸々1本できたサクランボを全量収穫してもよろしいですよみたいな御案内があったんですが、そういう形というのは木を自分のものに名前をつけて、芦野さんなら芦野さんのこれは芦野さくらんぼということで、私なら柳橋さくらんぼと。木を丸ごとそういう形で、そうすると個人的な近親感というものがさくらんぼの木に対して気持ちが行きますよね。絶対行きたくなりますよね。自分の木がどうなったかというのは楽しみですよね。  そういったやり方なんていうものもぜひ御参考になさって、どうも私は寒河江市にブランドがとられているんじゃないのかなという気がして、ちょっと心配半分でお話を聞きたいと思ったんですけれども、そんな考えはいかがですか。 29: ◯芦野耕司参考人  おっしゃるとおりでございます。東根市と寒河江市はやはりそれぞれサクランボの主力の産地ということでライバル意識もございますし、いろいろやっているんです。今の市長、土田が市長になる以前は宣伝では大分寒河江市の後塵を拝していたんです。農協が東根市でも1本になっていなくて、四つくらいの農協に分かれていたんです。それぞれ小さな農協で張り合うものですから、スケールメリットが全くなくて、かなり寒河江市の後を行っていた感じです。  今は東根市で1本になりましたから、そういう体制も整いましたし、市も一生懸命やっていますので、ちょっとPRの部分を後手に回ってはしまったんですけれども、今一生懸命巻き返しをして、GI戦略なんかもそんな一環で進めているところです。そのあたりも応援をよろしくお願いしたいと思います。 30: ◯加藤和彦委員  うちも商売をやっているものでサクランボとかよく中央卸売市場から買ってくるんですけれども、私はよく東根市のサクランボが一番うまいと思っているほうなんで、それで日持ちがいいんですよね。寒河江と村山のほうのサクランボはちょっと傷みが早いものですから、よく東根市のサクランボとか、あとラ・フランスとか、そういうものをよく買ってくるんですけれども、評判もいいんです。  それで、ここ二、三年ぐらいですか、東根市のほうからの、私のほうは愛子のほうなんですけれども、よく東根市のパンフレットがよく入ってきているんです。東根市のPRがよく入っているのが最近ちょっと感じているものですから、たまにバレーボールでもそうなんですけれども、今文化交流とさっき言っていましたけれども、バレーボールで東根市、天童市で毎年交流を深めながら行き来はしているんですけれども、去年も東根市の体育館を借りながら泊まりがけで行ったんですけれども、大分東根市のほうも随分まちも変わってきているのかなとちょっと思っていまして、特にイオンタウンができてから大分買い物もしやすくなっているのは確かかなとちょっと思っておりました。旧宮城町のほうからも随分東根市のほうに買い物に行っている人も随分ふえてきている現状もありますから、大分いいのかなと。  そこで、あと国道48号のインフラ整備もできれば大分変わってくるのかなと思っていますけれども、ただ、1点だけあと。今回、山形市と仙台市が協定を結んだということもありまして、それに付随するのはやはり天童市、東根市というのは、やはりここは密接なかかわりが出てくるだろうと思っているものですから、農食もそうですけれども、やはり山形市だけの連携だけじゃなくて、そこに付随する仙山連携と考えるとどうしても天童市、東根市というのはやはり欠かせない分野だと思っていますので、そこら辺はどういうふうに今後考えていくのかなと思っていまして、そこら辺をひとつ聞きたいなと思っていました。 31: ◯芦野耕司参考人  それは山形市と仙台市との結びつきがある中で、ほかの2市はどう考えるかということですね。  東根市長などはやはりまずは県都である山形市との結びつきを強めてもらっていいんだと。ただ、我々もそれにおくれないようにやっていけるはずだというふうに考えているようです。特に山形市だとJR仙山線のほうを中心に連携を強めていきたいと考えているようなんですけれども、同じような歩調で国道48号も進めていただければ、一緒にこの三角の地帯をつくって仙台市に対して山形3市でやっていけるんだというふうに思っているみたいです。ちょっと私個人には何も今のところ意見はないんですが、そんなことを東根市長が申しております。 32: ◯加藤和彦委員  農食と考えるとどうしても山形市内よりもやはり天童市とか東根市のほうが盛んにやっているということがありますので、今後のそこら辺もうまく活用しながらだと思っていますので、ありがとうございました。 33: ◯芦野耕司参考人  済みません、1点だけ。  あと考えていますのは、先ほど申し上げましたポポラがあるんですが、かなりの行き来がありますので、道の駅を整備するのはあのあたりではないかななんていうふうに東根市長も考えておりまして、道の駅なんかも一体的に整備をしていけば今の山形市との連携以外に北のほうの流れもつくっていきたいななんていうふうに考えているみたいです。 34: ◯加藤和彦委員  ポポラはすごいはやっていますよね。去年行きましたけれども。 35: ◯佐藤正昭委員  きょう芦野さんの話を聞いて、余計東根に行きたくなりました。よってけポポラは私はわからなかったんで、ありがとうございました。  これはもしかするとチェリーランドに負けていないわけですね。我々はチェリーランドしか私は行ったことなかったものだから。これよりもすばらしいというものですね。  また、そういった中で、私はもう少しうまくPRすればいいのになと思って、国道48号を行くと我々から峠を越えると峠の茶屋ですか。あれはどこなんですか。あれは東根市なんですか。 36: ◯芦野耕司参考人  そうですね、東根市です。 37: ◯佐藤正昭委員  あそこでおでんとか、いろいろ食べるんです。そして、私、数年前は年末年始を東根市で迎えたんです。そのときは嵐の湯、何にでも効くという嵐の湯に行って、あそこでちょっと私も行くところがわからなかったものだからスキーでもするかなと思ったら、ジャングルジャングルも東根市で、どこに行けばいいんですかと聞いたらジャングルジャングルが一番アップダウンもなくて行きやすいですよということで、3時間ちょっと滑ってスキーも借りて、カレーライスも食べられて、1人5,000円というすごいリーズナブルな価格だったし、いいところがあるんでそこをうまくコマーシャル、愛子にはパンフレットが入っているようだけれども、うちのほうには入っていないから、もう少しPRしてもらうと行きやすいのかなと思っているんです。そういう点では、せっかく芦野さんと仲よくなったから、委員長に言ってパンフレットを配ってもらうといいですよ。  そういう意味では、何か我々にモデルコースみたいな、1日ここをこう回ってこう来るといいよというようなものが提示があれば我々も行きやすいんです。今よってけポポラはわかりましたけれども、あとどこに行けばいいのかなと思っていたところです。 38: ◯芦野耕司参考人  では、ぜひPRをさせてください。今、今年度から国道347号という加美町あたりから尾花沢市のほうに入る道路が通年で通行できるようになったんです。かなり山道なんですけれども、大分整備をされまして通れるようになりました。ですから、冬は大変でしょうから、夏であれば例えば東根市から入っていただいて、北村山というんですけれども、山形の内陸部の北のほうのエリアになるんですが、そこを通っていただいて国道347号からお帰りいただくとか、そういうぐるっと回れるコースができましたので、そんな魅力も少し高めていこうなんていうことで、今回のお話は東根市から南の二つの市との連携ですけれども、今度は北のほうも、山形の田舎というんですか、仙台の方にとってみればやはりすごい田舎のほうが体験できますし、おそばですとか、そういうものもすごくあるところですから、東根市から入っていただいて北の田舎を体験していただいて帰っていただくとか、あるいは逆から入っていただいてポポラでお買い物をして帰っていただくとか、そういう身近な本当に1日、半日コースも、そんなものもお薦めできるようになるんじゃないかなと思っております。  今、そんなことでちょっとほかの北のほうの市と相談をしながら、そんなルートとかを開発している途中でございます。それは当然ターゲットは仙台を中心にした宮城県になりますから、そんなパンフレットもまきたいななんていうふうに話をしていますので、今後よろしくお願いしたいと思っております。 39: ◯委員長  以上で芦野様の意見聴取を終了させていただきたいと思います。  なお、委員の皆様にお伝えしたいことがございますが、市役所本庁舎正面玄関に仙台市と東根市との交流のあかしとして、これは佐藤正昭議長時代からと聞いておりますけれども、桜の花が今現在あります。毎年東根市から送られておりますので、後ほどごらんいただきたいと思っております。  芦野様には大変貴重なお話をいただきまして、まことにありがとうございました。本委員会として今後調査を進める上において大変に参考になりました。もう一度芦野様に感謝を込めまして拍手でお礼をしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手) 40: ◯芦野耕司参考人  どうもありがとうございました。  失礼します。(拍手)               〔参考人 芦野耕司退室〕 41: ◯委員長  次に、次回の委員会についてでございますが、年間の開催日程に基づきまして4月20日木曜日午後1時からの開催を考えております。内容につきましては、本日の有識者からの意見聴取を踏まえ、委員相互の総括的な意見交換を予定しております。次回の委員会についてこのようなことでよろしいでしょうか。              〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 42: ◯委員長  それでは、そのようにさせていただきます。  以上で地域経済活性化調査特別委員会を閉会いたします。...