桶川市議会 2010-06-11 06月11日-04号
④、浦和駅西口で毎年開催されております「平和と戦争展」には、桶川の旧陸軍飛行学校を語り継ぐ会が協力し、私の父親の遺品も出展をされていました。ことしもより多くの市民が参加できるように広報で知らせていただけないでしょうか。 (3)、桶川市は1985年1月1日付で「桶川市平和都市宣言」を行っています。その内容は、別紙添付しております。
④、浦和駅西口で毎年開催されております「平和と戦争展」には、桶川の旧陸軍飛行学校を語り継ぐ会が協力し、私の父親の遺品も出展をされていました。ことしもより多くの市民が参加できるように広報で知らせていただけないでしょうか。 (3)、桶川市は1985年1月1日付で「桶川市平和都市宣言」を行っています。その内容は、別紙添付しております。
高齢者だけの世帯が増えていることや、ひとり暮らしになった高齢者が子どもの家庭に同居することになった、あるいは施設に入るとき、あるいは不幸にしてお亡くなりになったときの遺品整理などの際には、いわゆる不用品が大量に発生します。ですから、こうした不用品回収ビジネスはこれからも一層増え続けることと考えます。
また、平成13年から18年までの5年間、広島平和祈念式典参加事業として、公募市民に広島平和祈念式典への参列や、当時の遺品等が展示されている資料館等を見学していただき、戦争の悲惨さや平和のとうとさを確認していただきました。平成18年度からは、平和資料館との共催により、年々風化される戦争の記憶を後世に伝えるため、戦争中の体験を聞く会を開催をしてまいりました。
ことしは、お隣の桶川市にある旧陸軍飛行学校の訓練生が残した遺品なども初公開をされました。戦争体験者が少なくなってきている現在、次の世代に戦争の悲惨さを身近なところで伝えることが必要です。桶川市では平和を考える10日間、北本市では平和を考える月間など、県内各地で平和を考える取り組みが行われています。伊奈町においても平和について学び、語る、展示をする取り組みが今望まれています。見解を伺います。
塙保己一の業績の公開、普及につきましては、塙保己一記念館において遺品や関係資料を展示してございます。また、塙保己一旧宅につきましても、写真、パネル等によりその概要の紹介をしてまいったところでございます。
もとより塙保己一先生の業績の公開、普及につきましては、塙保己一記念館において遺品や関係資料を展示してございます。また、昨年度は先生の業績の理解をより深められるように展示の模様がえを行っており、児玉町保木野所在の塙保己一旧宅につきましても写真パネル等によりその紹介をしてまいったところでございます。
平成19年度につきましては、その翌年ということで、改めて事業の見直しを行いまして、平和コンサート広島被爆遺品の借用展示を18年度は行いましたが、19年度はこの2事業を見直しまして、経費を抑えて執行したところでございます。
一つの建物の中に小さくまとめて遺品や資料を展示するのではなく、現地でそのまま見て、体験する博物館であるほうが想像力も膨らみ、何よりも自然や史跡を壊さずに済むという利点があるように思います。よろしくご検討をお願いします。 今、これから相当の月日がたちました。いささかも私のあの地域の評価は変わってございません。 要旨3、収蔵庫の現状認識について。 東小収蔵庫には様々な民具が入っております。
昨年9月に行われた「命(いのち)のメッセージ展」では、交通事故や犯罪、いじめなどの結果、理不尽に命を落とされた犠牲者の靴などの遺品の展示や交通事故で子どもを亡くされた方などによる講演会を開催し、命の重みを訴えるとともに、悪質な事故や犯罪の再発防止を呼びかけました。来場された多くの方々には、このメッセージ展を通してかけがえのない命の大切さを心に深く刻まれたものと確信しております。
続いて、移動経由地である広島市の平和記念資料館を調査し、被爆資料や遺品、写真パネル等の展示品から原爆による被害の大きさを痛感すると同時に、平和な社会の実現を目指すことを再認識いたしました。 次に、三原市において、「デマンド交通運行事業補助事業」についての調査を行いました。デマンド交通は、タクシー並みの便利さをバス並みの料金で実現するシステムです。
塙保己一記念館は、郷土の偉人、塙保己一先生の遺品や関係資料を保存するとともに、展示公開することによって先生の偉業と思想を広く普及し、郷土愛を育成するために、昭和42年埼玉県指定史跡雉岡城跡内に建設されたものです。市長がおっしゃられるように、塙保己一先生を新本庄市のシンボルとしてとらえるならば、塙保己一記念館はまさに本庄市の一つの顔であります。
塙保己一先生の貴重な遺品類等を保存、公開する目的で建設された鉄筋コンクリートづくり銅板ぶき平家建ての建物でございます。この記念館へは、場内中央の歩行者専用の経路以外にも、基本的に段差のない坂道を通って来館していただける経路がありますが、経路自体が閉鎖しているため、自走式車いすでの来館は困難であると思われます。
私にとって感慨深いことは、今から2年あまり前の市長就任時に、倉片みなみさんより遺品と関係資料730点にわたる「目録」の寄贈を受けたことです。これら三ケ島葭子と左卜全の遺品や関係資料は平成6年度に新たにオープンする三ケ島葭子の生まれ故郷である三ケ島公民館の中の三ケ島葭子資料室に展示されることになっています。市民の方はもとより、文学愛好の全国の方々にも広く利用していただきたいと思っています。」
そういう資料を見ますと、例えば遺品についてお茶の水女子大に遺族の方が寄附して、しまってあるそうです。こういったものももっと、寄附してしまったものですから、桶川がふるさとだということで使わせてくださいということも可能ではないかと思う。だって、作家安鶴さんだったら本がいっぱいあるのですけれども、辻村さんだと本がそんなにないと思うのです。
安藤鶴夫さんの遺品につきましては、初めは桶川市が寄贈を受けまして、展示公開をしておりましたが、その後、ご遺族の意向でさいたま文学館に寄贈されまして、記念の特別展示などもされたところでございます。ご案内のように、現在はさいたま文学館に常設展示されているところでございます。 以上でございます。 ○議長(岡地優君) 健康福祉部長。
また、遺品などの品々は与野公民館内で保管し、その一部を与野図書館と与野公民館内で展示公開しています。 なお、江川吟舟コレクションにつきましては、市政情報課で管理のうえ、整理、調査を行い、調査報告書として平成16年3月に刊行されております。 次に、さいたま市に引き継がれました与野郷土資料館整備基金につきましては、平成17年度末現在の額が1億4,000万円余りとなっております。
この記念館は、今から260年前、延享3年、1746年でございますけれども、武州児玉郡保木野村、現在の本庄市児玉町保木野に生まれまして、「群書類従」の編さんや和学講談所の設立等、学術上多大な貢献をされました盲目の国学者、塙保己一先生の遺品や関係資料を保存し、先生の思想と偉業を広く社会に紹介し、さらに郷土愛の育成を目的として昭和42年に雉岡城址の一隅に建設されたものでございまして、400平方メートルの敷地
12月議会で私も一般質問であそこを知覧の特攻平和会館等を参考に何か保存できるものは保存して遺品や資料等を常設展示するなどの場所として後世に語り継ぐ拠点として残せないかということを伺って、飛行学校を語り継いでいこうという市民の活動もあることから、平成22年にただ国に返すのではなく、ぜひ何らかの形であの場所を活用してほしいとのことについて、今後市民等のそういう動きがあることを国の方へも伝えて協議できればしたい
その境内にある、戦争の歴史と関係資料を展示、遺品などが数多く陳列されている遊就館を見学してきました。若い人たちの見学者が多かったのは驚きでしたし、外国の方も見えております。 また、今月1日には千鳥ケ淵の戦没者墓苑に行ってきました。
現在、現地に赴くと何事もなかったようにまちは復興し、平和に人々は行き交っていますが、当時の映像や写真、遺品や手記などを目にすると、涙が目からあふれてきました。私たちは、この記録や記憶を決して忘れることなく、今まさにこの瞬間に起こるかもしれない大地震に対して、できる限りの備えをしておく必要があり、我が川口市でも防災対策室が設置され、さまざまな対策がとられております。