上尾市議会 2021-03-18 03月18日-07号
東町地区の排水区につきましては、芝川の西側で上尾運動公園交差点まで、鎌倉橋の通りから国体橋までの約15.3ヘクタールとなっており、この地区の排水状況は東町小学校北側にあるはけ口から芝川へ放流しております。また、二ツ宮地区の日の宮橋付近と東町地区の芝川ポンプ場付近には雨水排水ポンプが設置されており、台風などの大雨時にはポンプが稼働し、芝川へ放流しております。
東町地区の排水区につきましては、芝川の西側で上尾運動公園交差点まで、鎌倉橋の通りから国体橋までの約15.3ヘクタールとなっており、この地区の排水状況は東町小学校北側にあるはけ口から芝川へ放流しております。また、二ツ宮地区の日の宮橋付近と東町地区の芝川ポンプ場付近には雨水排水ポンプが設置されており、台風などの大雨時にはポンプが稼働し、芝川へ放流しております。
都道府県や市町村の取組としては、2019年に行われた茨城国体において、正式種目ではありませんが、文化プログラムとして、国体史上初となるeスポーツの大会、全国都道府県対抗eスポーツ選手権が行われました。金沢市では、eスポーツを通じた人材育成と企業誘致等を検討し、産官学が連携するeスポーツ金沢モデルをまとめ、老若男女が参加できるユニバーサルスポーツになるように普及促進を図るとのことです。
私極端に言えば芝川側道、例えば国体橋から上尾の日の出橋までの間は、右岸は何ひとつ民家ないのです。全部公共用地なのです。そうすると、新橋からと言った方が正確ですけれども。そうすると、そこを道路を川にしてしまえと、極端な言い方なのですけれども、川にしてしまえという話を、川を2本、そこはダブルで行こうという話をしたことがあるのですけれども、そのぐらいの発想がやっぱり必要だ。
◆17番(大室尚議員) 伊勢では、国体やインターハイなどの誘致のため、JFA公認を取得しておりましたが、サッカー場の公認を取る予定なのかについてお聞かせください。 ○議長(小林守利議員) 小林教育総務部長。 ◎教育総務部長(小林克哉) 公認制度といたしましては、サッカーの競技に適した人工芝を敷設したピッチを公認する制度がございます。
◎都市整備部長(猿田善勝) シラコバト住宅は、昭和42年埼玉国体開催時の全国初の選手村として利用され、その後、特別県営住宅として住宅が供給されております。
◎総務部長(吉澤彰一) 市章制定の経緯ですが、上尾市が昭和42年の埼玉国体の主競技場となるのを契機に市旗を作製しましたが、そのときの図案が現在の市章となっております。市旗の図案につきましては、公募したところ141件の応募があり、この中から市旗選定委員会の審査により決定をしたものでございます。なお、採用された図案の作者は、当時広島県呉市にお住まいの清水さんという方でございます。
1967年には埼玉国体メーン会場として、当市内に上尾運動公園が開園、71年には埼玉県誕生百年記念事業として、さいたま水上公園がオープンしました。当時は、東洋一の水の殿堂、北のさいたま水上公園、南の大磯ロングビーチと言われるほどで、大変なにぎわいと大混雑であったとお聞きしております。
昭和27年12月4日、中山道が1級国道17号、これが東京都中央区から新潟県の新潟市まで指定され、東京オリンピック開催に続き、埼玉国体の主会場が上尾運動公園に決まったあたりだったと記憶しています。
昨年創立50周年を迎えた上尾市スポーツ少年団は、第22回国体のとき、交通安全協会、青年会議所、ボーイスカウトとともにボランティアとして活動したことがその始まりです。その後、市がスポーツ宣言都市として新旧市民の融和を図る中、リーダーシップを発揮したのは、当時のスポーツ少年団関係者の方々と聞いております。青少年の時期にこういった活動に出会うことには大変大きな価値があると私は思います。
あるときは芝川の河床に担当職員と長靴を履き、スコップや道板、測量機器を持ち、国体橋から伏越まで芝川を現地調査しました。そのときの芝川の現状は、上流から流れ着いた多くの土砂など堆積物や不法投棄のバイク、テレビ、冷蔵庫、家庭などの電気製品があったことを思い出します。この現状を当時の担当課のご理解をいただき、しゅんせつ工事が始まりました。この当時、約3,000万ぐらいの予算がつきました。
昭和42年に埼玉国体が上尾運動公園をメーン会場として開催され、昭和49年、50年と上尾高校野球部が夏の甲子園に連続出場を果たし、特に昭和50年には夏の甲子園ベストフォー進出の活躍により、スポーツを通じ市民の郷土意識が高まった時期でありました。まさに若い熱気あふれる市民が多かった時期であります。
任期つき職員は、専門的な知識、経験を必要とする業務が一定期間内に終了または業務量の増加が見込まれる場合、3年から5年の任期で採用する職員を指し、一般的には医師や公認会計士といった専門職のほか、業務では国体や被災地の復興支援などへの対応が考えられます。
2点目、県営シラコバト団地の取り組みと市の関わりについてでございますが、県営シラコバト団地は第22回埼玉国体の選手村として建築されたもので、現在は入居者が高齢化し、高齢者の単身世帯も増加している状況でございます。空き部屋の増加や商店が撤退したこともあり、居住者は不便を感じていることと存じます。
答弁の中にもありましたが、国体の関東ブロック大会を実施する予定もあるということですし、クラブなどの練習場としての利用も見込まれるということですので、県の体育協会と十分に連携をしていただいて、上尾市の経済の活性化につなげる施策、例えば実施可能な大会もあるでしょうから、そういった大会や合宿などの誘致に協力をしていったり、その際にはできる限り地元のお店などを使っていただく、そういったことも積極的に考えて行
平成16年に彩のまごころ国体、平成18年に世界バスケットボール選手権大会において、スポーツボランティアの活動の必要性が注目されたことから、平成20年よりスポーツボランティア制度という形ができ上がりました。現在県内から県民登録者数は、24年3月末5,500人が登録されていると伺っております。
また、市内での全国レベルの大会の開催といたしましては、平成16年に彩の国まごころ国体の柔道、自転車ロードレース、高校野球、平成20年に全国高等学校総合体育大会の柔道、新体操を開催しております。そして、来年度になりますが、日本スポーツマスターズ埼玉大会の空手道競技を県立武道館において開催をいたします。
園内の主な施設といたしましては、公認の陸上競技場と体育館、昭和46年7月に、海のない埼玉県に大型レジャープールをという構想のもとに埼玉県誕生100周年記念事業として建設された7つのプールがあるさいたま水上公園、また隣接地には、平成16年彩の国まごころ国体の柔道競技会場となった武道館がございます。
上尾市歌は、昭和42年に上尾市がメーン会場となる埼玉国体に合わせ昭和41年7月1日に制定したものでございます。歌詞は全国に公募し、広島県出身の方が当選となり、決定したものでございます。公募に際しましては、上尾の歴史と自然、産業と文化、躍進途上の上尾を力強く歌い上げ、多くの方に愛称されるものを選定基準といたしました。なお、作曲は市内在住の方にお願いしてつくったものでございます。
平成16年、第59回国体の取り組みとして、国体における高校野球の硬式の部の使用球場として新設となり、平成10年開設以来、高校野球メーンとして多くの野球関係者の利用があります。しかし、貸し出し状況、使用料金などが市民また市の軟式野球連盟、ソフトボール連盟の予約がとりづらい状況にあり、使用が皆無にひとしい状況にあると聞いております。
そのときには、芝川の水位、芝川そのものはあふれていない、しかし、日の宮橋や国体橋等、東町の地域も道路冠水がされています。つまり、芝川の体力だけではなくて、体力はまだあるのだけれども、一時的に降った場合、その雨水がはけずに流域の道路あるいは床下等に、宅地等に浸水をするという状況も考えられますし、実際に起こっているというのが実情だというふうに思います。