6件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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毛呂山町議会 2017-12-06 平成29年  第4回(12月) 定例会-12月06日−一般質問−04号

本町では、阿諏訪出身の医師、安藤文澤、毛呂本郷出身の医師国学者の権田直助、各地に多くの俳句を残した川村碩布、幼児教育に取り組み名誉町民第1号となったエリザベス・フローラ・アプタン、新しき村を開いた武者小路実篤、鎌倉時代の頼朝の重臣、毛呂季光の6人が埼玉ゆかりの偉人として県のホームページ上で紹介されております。   

行田市議会 2008-06-13 平成20年  6月 定例会-06月13日−03号

桑名市は、徳川家康の重臣である譜代大名本田忠勝が築造した東海道戦略的な拠点としての城下町でありましたが、幕末に賊軍となり、その城下町破壊されました。しかしながら、ほとんど消滅したと思われていた旧桑名城下町の町割が、その後の調査で残っていることがわかり、桑名市では町割を基本骨格とした桑名市独自の新たなまちづくりを進め、観光の振興につなげていると伺っております。  

深谷市議会 2005-03-15 平成17年  3月定例会(第1回)-03月15日−04号

深谷上杉氏の重臣、秋元越中守が切り開いたという深谷市でも由緒ある茶売街道の交通安全対策ですが、私は昨年6月議会に一般質問させていただきました。この件につきましては、以前から地元住民が、交通量が多いのに道路幅が場所によっては6メートルと狭く、追い越し禁止規制もないという危険性を言っていたのです。実際ルールを無視したドライバーが平気で追い越しをかけていったり、飛び出しがあったりと後を絶ちません。

深谷市議会 2004-06-16 平成16年  6月定例会(第2回)-06月16日−03号

深谷上杉氏の重臣秋元越中守が領地として治めておりました。秋元氏は山林を開き、道路をつくり、土地を開墾し、その周辺の村落でお茶の栽培をさせていたそうです。このお茶を本庄、群馬方面に運んでいたところから、茶売街道と言われるようになったようです。当時の道幅は3尺ぐらいと、馬1頭がやっと通れる小さな道路でしたが、深谷の主要道路の一つだったようです。

宮代町議会 2002-12-05 平成14年 12月 定例会(第6回)-12月05日−04号

日本が開戦するときに天皇陛下に重臣が進言したそうですが、このままじり貧でいくのか、どか貧になるかということで解釈の違いで開戦に行ってしまったんですけれども、この合併問題も、今決断をしなければ、合併するにしろ、しないにしろ、春日部に行くにしろ、久喜に行くにしろ、今決断しないのが首長として町民に対して無責任だということで、私の方向性を出したわけです。  いろいろ意見の違いはあります。

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