朝霞市議会 2021-03-25 03月25日-04号
朝霞町と内間木村が合併をして、その前の朝霞町となったのは、1932年に東京ゴルフ倶楽部の朝香宮の名前を使って朝霞という名称にしたという経緯。
朝霞町と内間木村が合併をして、その前の朝霞町となったのは、1932年に東京ゴルフ倶楽部の朝香宮の名前を使って朝霞という名称にしたという経緯。
また、ゴルフ競技については、リオデジャネイロオリンピックでの実施を踏まえ実施内容の見直しが検討されており、現時点では事前キャンプの実施については不明確な状況でありますが、候補施設となり得る東京ゴルフ倶楽部と武蔵カントリークラブ笹井コースに対しまして、事前キャンプの誘致に向けた市の考えを説明するとともに、事前キャンプが行われる際には候補地として協力をいただけるよう要請しているところであります。
次に、ゴルフ競技の事前キャンプの誘致につきましては、市内に国際的基準を備えた東京ゴルフ倶楽部及び武蔵カントリークラブがあることから、本年6月に、事前キャンプ誘致に向けての施設利用面での協力を両クラブに依頼したところであり、今後、事前キャンプ誘致に係る具体的な情報が提供された時点で、さらに協議を行うこととしております。
朝霞市の名称は、昭和5年に、東京ゴルフ倶楽部が東京駒沢から膝折村に移転することが決まり、このことを機に町制を施行することとなり、当時、東京ゴルフ倶楽部の名誉会長でいらした朝香宮殿下のお名前にちなみ、ゴルフ倶楽部の移転とあわせ、昭和7年5月1日に朝霞町といたしました。
これまでの主な企画内容といたしましては、第1回の「朝霞の弥生文化」では、向山遺跡の鉄斧を中心に弥生時代の出土品などを、第12回の「朝霞と鉄道」は、東武東上線と武蔵野線の歴史など、第29回の「東洋一を目指して」は、東京ゴルフ倶楽部朝霞ゴルフ場の変遷と町名の由来などを、博物館の所蔵資料と県内外の博物館等から借用した関係資料をあわせて展示いたしました。
特に企画展では、東京ゴルフ倶楽部朝霞ゴルフ場に脚光を当てた展示をさせていただきました。朝霞町の名のもとになった朝霞ゴルフ場ですけれども、今まで一度もそのような展示の機会がなかったので、多くの皆様に知っていただこうとしたものですとの答弁がありました。
また、2020年東京オリンピックのゴルフ会場となる川越市の霞ヶ関カンツリー倶楽部や狭山市の東京ゴルフ倶楽部など、多くのゴルフ場が点在しています。 254号バイパスが全面開通することによって、都心からのアクセスが容易になることは明らかであります。しかし、第2期整備区間である朝霞市内の県道朝霞蕨線から富士見市の国道463号線まで、特に志木市部分が未整備状態となっております。
初めに、スナッグゴルフスクールセットの寄贈の経緯につきましては、平成16年に埼玉県国民体育大会が開催され、ゴルフ競技が東京ゴルフ倶楽部を会場に行われたことを踏まえて、平成17年3月に日本ゴルフ協会から、ゴルフ未体験の小学生にゴルフの楽しさを伝えることを目的にスナッグゴルフセットの寄贈を受けたものであります。
博物館では、常設展示におきまして、平成15年度より「朝霞の近代史」と「戦時下の朝霞」のコーナーを設けまして、東京ゴルフ倶楽部の写真パネルや陸軍予科士官学校を紹介した絵はがき、召集令状や米穀通帳などの戦時下の資料を展示しております。また、これまでに常設展示内で収蔵資料紹介として、戦前・戦中の教科書や雑誌、出征旗などの資料を展示した経緯もございます。
この町制施行のきっかけになったのが、東京ゴルフ倶楽部ゴルフ場の膝折村移転でした。膝折村にゴルフ場が移転してくることになったのは、東京の駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部のゴルフ場が手狭になり、その移転先として、東京から近い膝折村が選ばれたのです。そのゴルフ場がつくられたのは、現在の自衛隊のある川越街道の254号線南側の、膝折村、片山村、東京府下大泉村にまたがった広大な敷地でありました。
ゴルフ場利用税交付金について、利用者の減少傾向の中、平成8年度と同額を計上している理由はとの質疑に、霞ケ関カンツリー倶楽部、武蔵カントリー倶楽部、東京ゴルフ倶楽部が対象であり、年間の利用者は平成6年度19万9,366名、平成7年度19万5,744名と減少傾向にあるが、平成8年度の実績見込み等を勘案し、平成9年度においても同額を見込んだとの答弁。