熊谷市議会 2021-12-10 12月10日-一般質問-03号
それにあともう一人、女性南画家の奥原晴湖の墓もあり、これも県の史跡に指定されております。そういったところを一周するようなイメージのコースができれば面白いのではないかと思います。それにあと、先ほど紹介した平戸の大仏(おおぼとけ)を入れてもいいと思うのですけれども、そういったことをいろいろ考えながら、新しいコースができれば、熊谷の新名所になるかもしれない。
それにあともう一人、女性南画家の奥原晴湖の墓もあり、これも県の史跡に指定されております。そういったところを一周するようなイメージのコースができれば面白いのではないかと思います。それにあと、先ほど紹介した平戸の大仏(おおぼとけ)を入れてもいいと思うのですけれども、そういったことをいろいろ考えながら、新しいコースができれば、熊谷の新名所になるかもしれない。
上川上も稲村貫一郎、あるいは奥原晴湖の関係もありますので、妻沼の方以外にも上川上の人もかなりバスで出向いたようです。それと、2013年11月20日にNHK番組「歴史秘話ヒストリア」、これは45分枠ですが、「あなたを助けたい~女医第1号荻野吟子の恋~」、NHKもしっかりと取り上げています。
次に、江戸末期から明治時代に活躍した女流南画家、奥原晴湖についてです。奥原晴湖も熊谷の偉人に含まれています。次に、4歳年上ですぐ上の姉、野口友子との関係について。最後に、元夫、稲村貫一郎について、それぞれの人物の関連について質問をいたします。 (4)、映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」制作までの経緯及び本市の関わり等について。併せて、映画のダイジェスト版を記念館で放映できないかについて質問します。
中でも、奥原晴湖や森田恒友等、熊谷ゆかりの画家の作品、平戸の大仏で親しまれている木彫大仏坐像、渋沢栄一やその義兄、尾高惇忠とゆかりのある愛染堂愛染明王、成田家や根岸家文書等の古文書が代表的なものです。
「長い歴史の わがうぶすなよ 御祖五郎の 遺徳をしのび くしき画工 晴湖をほこる わらべ われらの 学舎成田」。歴史を感じさせる重厚な校歌ですが、地元の誇る2人の偉人が重要になります。1人目は、御祖五郎とは、成田氏8代目の五郎家時を指します。成田氏は、菩提寺の龍淵寺に残る成田氏系図によると、藤原氏を出自としており、初代の助高は成田の地に館を構え、成田氏を名のったのが始まりとされています。
特に芸術の分野では、全国的に有名な画家として、久保島出身の森田恒友や、上川上に画室を構えた奥原晴湖を初め、先ごろ29点もの作品を御寄贈いただいた日本画家の大野百樹先生に至るまで、大変多くの画家を輩出しております。なお、先日突然の訃報が入り、大野百樹先生におかれましては御逝去のこと、ここで御冥福をお祈りいたします。 話をもとに戻します。
女流南画家の奥原晴湖、忍城をおさめ、映画「のぼうの城」でも話題になった成田氏及びその館跡、その両者の菩提寺である龍淵寺、加えて県市指定文化財を有する上之村神社、大雷神社、そして市指定文化財の相撲絵馬のある伊弉諾神社などがあります。御逝去された金子兜太先生は、上之原山にお住まいでした。その向かいに画家の大野百樹先生がおられます。 続きまして、(3)、デジタルサイネージ設置について。
大体質問関係は以上なのですけれども、あと、これもちょっと関連するので、実はきょう、「なんでも鑑定団」に上川上に住んでいた奥原晴湖、御存じの方も多いと思うのですけれども、鑑定団に作品が出ます。私が持っていくわけではないのですけれども、これはたまたまそれが出て、上川上の方も応援に行っております。
奥原晴湖は、今から137年前の1873年に、古河藩の重役池田政明の娘として古河に生まれました。初め、古河藩士の枚田水石に絵を学んだ晴湖でしたが、やがて江戸に出て南画の道を志したいと強く思うようになりました。しかし、藩は晴湖が国を出ることを許さなかったため、奥原家の養女となってその夢をかなえた晴湖は、東京で南画家として成功をおさめることになります。
森田恒友の絵『平野人農夫』以下8点、奥原晴湖の絵『山水図』ほか1点購入したものであり、日本画、洋画、書等、寄付を含め、現在265点を収蔵している」旨の答弁がなされました。 本案については、他にも質疑等なされましたが、採決を行ったところ、議案第46号中、本委員会所管分については、全会一致をもって認定すべきものと決しました。
古くは、渡辺崋山や奥原晴湖、そして劇作家の宇野信夫さんや、今売れっこの森村誠一さん、これらの方々を活用させていただければ、すぐにでも記念館や美術館はできると思いますし、それらを市街地に適正配置すれば、必ずや再構築が可能であると考えますが、お答えをいただきたいと思います。