戸田市議会 2021-03-26 令和 3年 3月定例会-03月26日-09号
私が入庁しましたのは、昭和58年、1983年でございました。埼京線はまだ開通前、市内に駅はなく、戸田市が大きく発展していこうとしている、まさにそのような時代でありました。ちょうど市立図書館、郷土博物館の開館を控えた年であり、専門職の募集があり選考していたことから、応募したのが本市との御縁でございました。
私が入庁しましたのは、昭和58年、1983年でございました。埼京線はまだ開通前、市内に駅はなく、戸田市が大きく発展していこうとしている、まさにそのような時代でありました。ちょうど市立図書館、郷土博物館の開館を控えた年であり、専門職の募集があり選考していたことから、応募したのが本市との御縁でございました。
また、本庁舎の窓は昭和45年の新築当時からのものであり、隙間風が発生している箇所もあると同時に、断熱性が低い状況でありますが、窓ガラス交換などの断熱対策には多額の費用が発生します。 したがいまして、現状では空調機の温度設定を調整することで対応していきたいと考えております。 続きまして、(2)のその他の課題につきましてお答えいたします。
戸田市保養所白田の湯は、昭和44年に開設しまして、平成5年に建て替えを行って、現在まで続いている、市民等の保養を目的とした憩いの宿泊施設となっています。市民からも存続を求める声が多数寄せられておりまして、戸田市保養所白田の湯を存続させる会が発足しました。8月28日には、2,380筆の署名が菅原市長に届けられております。
東部センター通りは、下戸田1丁目の戸田東小前交差点から川岸1丁目の戸田橋東交差点までの約1.4キロメートル区間の道路愛称で、昭和50年に設定いたしました。御質問の道路愛称の変更は、例えば愛称に使用していた施設などが廃止された場合や愛称に対する地域住民の意識の変化などの地域の事情により必要性が生じたとき可能でございます。
生活道路における物理的デバイス等検討委員会の設立趣意書では、交通事故死者数は昭和45年がピークでして、そのピークのときと比べますと4分の1にまで減少していますが、総死者数の半数が歩行中並びに自転車乗車中に発生をし、そのうち半数が自宅から約500メートル以内で発生するなど、歩行者等に対する交通安全対策が喫緊の課題となっているというふうにされております。
戸田市のスポーツセンターは、昭和55年に建設され今年で40年が経過する状況であり、施設の至るところに劣化が見受けられます。特に、利用者の多い第1競技場は床が破損したりしており、テープで応急処置はされておりますが、足が引っかかるとか床が沈み込む等のクレームがあります。特に、卓球競技では足を小まめに動かすこともあり、テープに引っかかり利用しづらいとの声もあります。
国道17号線は都市計画道路として昭和38年に当初決定、告示され、昭和48年に最終変更、告示がなされました。その後、整備は進められてまいりましたが、戸田市内の本町交差点から川岸3丁目交差点までの間が計画されているものの、長年事業が実施されておりません。
本件については、既に竹内議員、また本田議員が質問されているところでありますけれども、今回お聞きしましたのが、戸田ボートコースの位置づけについて、NPO法人戸田の川を考える会の調査によれば、内務官僚の金森誠之氏による当初の構想では、昭和11年、12年の当初より、ボートコースは笹目川の遊水地としての役割を兼ね、治水機能と一体的に計画されたものであるということであります。
寄附の際、奨学生の資格として、戸田市民であること、海外の教育機関で正規の教育を受けること、海外の教育機関で学究に志すことを上げられたため、昭和53年度に、この趣旨に沿った戸田市海外留学奨学資金等給与条例及び同条例施行規則を制定し、以後、何度かの改正を経て、留学期間1学年以上であること、正式な学部生として正規の教育課程を履修することを本奨学金申請の要件としております。
私は、昭和63年5月に戸田市に就職し、約32年間勤めさせていただきました。振り返りますと、多くの人に出会い、充実した公務員生活であったとさまざまなことが感慨深く、懐かしく思い出されます。 最初の20年間は、当時の健康管理センターで心理職として、乳幼児健診や障害児の発達支援に携わりました。
本市は、昭和57年度の行政改革基本方針策定以降、行財政改革に取り組んでおり、現在は第6次行財政改革プランに基づき進めております。平成28年度にスタートした同プランは、持続可能な行財政運営、資源の最適化による効果的・効率的な行財政運営を理念に掲げ、特に財政的効果を重視し、取り組んでまいりました。
長野県諏訪郡富士見町に所在する戸田市立少年自然の家につきましては、自然環境の中で心身ともに健全な少年の育成を図るために設置され、昭和49年の竣工以来、多くの児童生徒の林間学校やスキー教室等に利用されてきました。当該施設は、平成23年から指定管理者制度に移行し、長野県の一般社団法人富士見町開発公社が運営管理を行っております。
ちょうど左の右側2枚の写真ですが、こちらのほうは国営の昭和記念公園です。ここにはわんぱく遊具広場、インクルーシブ公園ということで、車椅子で来ても、このちょっとふわふわしたところに座って一緒に遊べるというようなシステムのふわふわドームです。空気を膨らませたドームの上に乗って遊ぶ遊具ということで、車椅子でも無理なく乗り移ることができるということです。
昭和60年度9月議会での議事録です。当時の斎藤純忠市長の戸田市自転車放置防止条例と戸田市自転車駐車場条例の提案説明の議事録です。 資料の星印の場所から読み上げます。次に、議案第38号──これが放置防止条例です──について申し上げます。自転車、ミニバイク等は通勤、通学、買い物等に大いに利用され、日常生活になくてはならないものとなっております。
黄色で色を塗ってあるところ、施工期間が昭和58年からということで、令和5年までということで、もう終わるというようなことなんでしょうか。また真ん中のところのもう一つの黄色が事業費ですね、進捗率が80%近いということで、ここの部分があると、もうほとんど進んでいるんだろうというふうに、ここ見ると見えます。要望出しているけれども、進んでいる事実がありまして、これどうするんだということなんだと思うんですね。
国土交通省の「平成26年度都市公園利用実態調査」によりますと、全ての公園種別で「子供を遊ばせた」の比率が減少する傾向が見られ、街区公園では、昭和63年調査までは50%を超えていたが、平成6年以降は35%前後になっている。一方で、近隣公園における高齢化率、65歳以上の比率は22%以上となっており、前回調査20%以上に引き続き上昇したとあります。
戸田の保養所「白田の湯」は、昭和44年に開設をしまして、平成5年に建てかえを行い、現在まで続いている市民等の保養を目的とした憩いの宿泊施設であります。公共施設等の更新、複合、長寿命化を計画的に行うということから、戸田市公共施設等総合管理計画及び戸田市公共施設再編プランが策定されまして、保養所「白田の湯」は、廃止を含めて民間施設の代替利用等について今、検討をされております。
◆26番(高橋秀樹議員) 今回の冷房設備というのは、暖房設備とも同じだと思いますので、これは大規模改修のときに多分改修はされるのだとは思いますけれども、なかなか前のような、スポーツセンターが建設されたのは昭和60年ごろだったと思いますけれども、その当時は現在のような猛暑でもなかった部分もあるかと思いますけれども、冷房設備がなくて途中から入れた部分もあるのでしょうけれども、地球温暖化の現象で大変暑い夏
しかしながら、一昨年の水道法改正の趣旨でも挙げられたように、昭和40年代以降、高度経済成長期を中心に、急速に整備されてきた水道施設の多くが耐用年数を迎え、老朽化による更新時期が来ていると課題が示されています。
昭和58年11月に開館した戸田市立図書館は、図書館条例における正式名称は「戸田市立図書館」と規定しましたが、市内の分室と区別するため、戸田市立図書館本館と呼称してまいりました。