東松山市議会 2021-06-18 06月18日-05号
本条例は、経済上の理由により就学が困難な者に対し、奨学金を給与し、もって有用な人材を育成することを目的として、昭和45年に制定しております。第2条で受給資格を、第3条ないし第5条で奨学資金の申請、奨学生選考委員会、奨学生の決定を、第6条ないし第8条で奨学資金の額、給与期間、支給について定めています。 なお、受給資格として4点定めています。1点目、東松山市立中学校を卒業し、市内在住であること。
本条例は、経済上の理由により就学が困難な者に対し、奨学金を給与し、もって有用な人材を育成することを目的として、昭和45年に制定しております。第2条で受給資格を、第3条ないし第5条で奨学資金の申請、奨学生選考委員会、奨学生の決定を、第6条ないし第8条で奨学資金の額、給与期間、支給について定めています。 なお、受給資格として4点定めています。1点目、東松山市立中学校を卒業し、市内在住であること。
①福島県相馬市、市制は東松山市と同じ昭和29年施行、198平方キロメートルは東松山の約3倍、人口は3万5,000弱、約4割です。海岸沿いで宮城側にあります。被災地でありまして、先週テレビ紹介されておりました。高齢者へのワクチン接種を申込み形式でなく、選挙投票形式、またの名を呼び込み方式とし、○月○日、○時から○時まで、○○へお越しくださいと。そして、場所に関しては迷わないように1か所だけ。
既設の昭和57年設置の施設を稼働させながら、同一敷地内に処理施設を建設したものです。 以上でございます。 ○関口武雄議長 坂本俊夫議員。 ◆13番(坂本俊夫議員) 埼玉中部資源循環組合でも、その組合議会の中で視察等を行ってまいりました。
市では、昭和43年度から61年度にかけて、市街地や土地改良事業区域、山林などを除いた様々な地域において一筆地調査を実施し、平成21年度からは、市街地の人口集中地区において官民境界等先行調査を実施しております。令和元年度末時点における地籍調査の進捗率は約54%でございます。 以上でございます。 ○福田武彦議長 蓮見 節議員。 ◆18番(蓮見節議員) 埼玉県よりは進んでいるということですよね。
その上で、市長としての新型コロナウイルス感染症についての危機意識を伺い、また国の政策により公立病院が変革しなければならなかった局面を振り返り、市民病院が昭和32年、東松山市ほか2か村の組合立伝染病隔離病床の建設に伴い、東松山市国保直営診療所として開設されたこと。昭和62年4月、市民病院新館オープンに合わせて行われた本館改修工事により、1階から5階までを市民病院と遮断し、30床で業務を開始したこと。
また、既刊の東松山市史の続編として、昭和50年から平成時代までの市の歩みを、新たな市史として編さんする作業に引き続き取り組みます。 次に、『文化財保護』についてです。 「文化財保存活用地域計画」の策定に着手し、貴重な文化財が失われることのないよう、計画的な文化財の保護・保全に取り組みます。
との質疑に、「条例が制定されたのは昭和52年であり、以降、貸付けを実施した件数は34件である。」との答弁がありました。 また、委員より「高齢化が進む中で高齢者住宅整備資金の貸付制度を利用するよりバリアフリー等のほかの補助金が利用され、同制度の活用がなかったと考えていいのか。」との質疑に、「条例が制定された当初は年間3件から4件という申請があった。
通称第二太鼓橋は、昭和40年に供用開始いたしました有効幅員3メートルの橋梁で、14トンの車両重量制限をかけております。幅員が狭く、橋の上では車両のすれ違いができないことに加え、橋の中央が高く、対向車が見えにくいため、通行車両は路肩で待機し、譲り合っている状況です。
越辺川沿川の災害につきましては、田木地内において昭和41年の台風第4号により、数件の家屋に全壊や半壊などの被害が生じた記録が残っております。その後、越辺川の本市に接する区間では、おおむね昭和40年代から50年代にかけて河川改修が進み、現在は必要な堤防の高さや幅は確保されている状況です。 以上でございます。 ○福田武彦議長 利根川敬行議員。
また、昭和43年5月10日に和泉町地区を含む旧建設省の都市計画決定がなされており、区画整理事業は平成5年3月23日に埼玉県の事業認可が下りて、東松山市が平成5年4月1日に事業決定をしました。
過去については、水道事業に携わった職員の聞き取り、資料等を検索し、調べたところ、聞き取りによると、昭和50年代の後半から60年頃に堤防を越えて水が入ってきたことがあり、第1浄水場の機械等への被害はなかったが、第2水源には水が入り、取水停止になった。それを受け、第2水源のかさ上げ工事を平成元年度に実施している。また、第1浄水場の堤防についても、聞き取りによると、同時期にかさ上げ工事を実施している。」
八雲神社は、社殿全体に精巧な彫刻が施されていること、またその社殿彫刻が、他の神社が中国故事にちなんだ題材が多いのに対し、古事記や日本書紀などの日本神話からの題材を取った希少なものであり、昭和32年に指定しております。 以上でございます。 ○福田武彦議長 浜田敦子議員。
古墳時代後期から終末期の東松山市域における当時の有力者の階層を示す資料であること、また比丘尼山には源頼朝の乳母であった比企尼が夫の没後、草庵を結んだという伝説が残されていることから、昭和32年に比丘尼山と横穴墓群として市の史跡に指定されました。 以上でございます。 ○福田武彦議長 安藤和俊議員。
当市の動植物について、植物は昭和46年度刊行の「東松山市植物誌」にて記録されているのみで、以降調査が行われておらず、また動物については過去に調査が行われたことはなく、現在の動植物の実態は不明な点が多くありました。 そのため、現在市内に生息する動植物について16年にわたる実態調査を行い、得られた成果を報告書としてまとめ、市民の皆様に広く周知することを目的として作成したものです。
次に大きな被害をもたらした昭和22年のカスリーン台風は総雨量600ミリメートルを記録し、県下の被害は死者、行方不明者125名、負傷者194名、流失家屋374戸、全壊家屋756戸、床下浸水4万6,704戸、農作物の被害は100億円にのぼりました。
本館ができた昭和62年から設備面では大きな変更がなく、古いものであるが、基本的に現在のコロナウイルス対応では一般病床でも受入れられることになっているため、施設的には対応可能だということだった。なお、感染症専門医はいたほうが望ましいものの、院内の内科医で対応できるよう病院長とも検討しているところである。」との答弁がありました。また、「過去数年間の救急医療の受入れ状況は。」
計画の復活をということで、昭和の晩年頃に、市の川小と大谷材木町線の市の川小西交差点の間くらいに公園をつくりたいとの動きがありました。市道12号線や区画整理事業も終わるところで、ちょうど周囲の樹木も切り終え、明るくなっております。東の車掘公園、西の悪戸沼公園ということで、小学校隣接地としてお考えいただきたいところであります。 (2)としまして、野田橋の歩道橋について、修繕の要望が出ております。
また、既刊の東松山市史の続編として、昭和50年から平成時代までの市の歩みを新たな市史として編さんする作業に本格的に取り組みます。 次に、『文化財保護』についてです。 郷土の歴史に誇りを持ち、郷土への愛着を深めるための取組として、埋蔵文化財センターを利用した展示や各種講座などを通じて文化財の理解や啓発を進めます。 次に、『健全な行財政運営』についてです。
事業の概要について、委員より「昭和46年に事業認可を受けた下水道整備が完了していない状況の中で、新たに沢口町や殿山町の下水道整備を進めていくということだが、今後の事業進捗の見込みは。」との質疑に、「松葉町、美土里町については、狭隘道路整備とあわせて下水道整備をしていくという方針があり、幅員が4メートルになったところから下水道整備を進めている。