越生町議会 2017-06-05 06月05日-02号
5月3日、多くの出席者のもとに、黒岩出身の江戸日本橋商人、鈴木金兵衛の夢を実現する事業として進められた五大尊花木公園の四国・西国・坂東・秩父巡拝碑設置事業竣工式が行われました。町の観光の目玉になるものと思われます。 (1)、やがて草が茂ると巡拝碑が隠れてしまうのではという声を耳にしますが、町では今後どのように定期的な管理を考えていますか。
5月3日、多くの出席者のもとに、黒岩出身の江戸日本橋商人、鈴木金兵衛の夢を実現する事業として進められた五大尊花木公園の四国・西国・坂東・秩父巡拝碑設置事業竣工式が行われました。町の観光の目玉になるものと思われます。 (1)、やがて草が茂ると巡拝碑が隠れてしまうのではという声を耳にしますが、町では今後どのように定期的な管理を考えていますか。
私の父親も商人で、私が子供のころは、毎日机でそろばんをはじいていたことを覚えています。そうした経営者として問われるイロハについて、結局岡本専務は全くできていなかったように思いましたが、町はどのように考えるでしょうかお聞きします。 ○議長(新井康之君) 池田好雄産業観光課長。
黒岩区出身の江戸日本橋の商人である、古紙回収業を営み、古帳庵の号で俳句をたしなんだ鈴木金兵衛がなし得なかった巡拝碑188基が見事に設置され、200年の時空を超え完成されたことは、これからの越生町の観光資源であり、また大きな文化遺産でもあります。新聞各紙にも取り上げられ、注目され、「ハイキングのまち宣言」による4月29日にも多くの人に見ていただいたものと思います。
また、五大尊花木公園の四国・西国・坂東・秩父巡拝碑設置事業につきましては、古帳庵の俳号で知られる江戸時代の商人、鈴木金兵衛の夢を200年の時空を超えて実現させる事業で、前年度に実施しました五大尊花木公園内の四国、西国、坂東、秩父の札所188カ所を写した巡拝碑の設置に係る附帯工事費等を計上いたしました。
この事業は、江戸時代に黒岩出身の江戸日本橋の商人である鈴木金兵衛が企画した四国・西国・坂東・秩父百八十八カ所の巡拝碑建立を完成させようという試みです。金兵衛の構想は未完のままで、現在五大尊境内には104基の巡拝碑が散在している状況です。平成の世に、不足している84札所の石碑を補完作製して、「写し霊場」として整備し、五大尊を越生町の一大観光拠点とすべく、作業を進めているところでございます。
次の社会教育費、文化財保護費の五大尊花木公園の四国・西国・坂東・秩父巡拝碑設置事業1,695万7,000円は、黒岩出身で江戸時代の商人、俳人であった鈴木金兵衛が設置した巡拝碑104基が五大尊つつじ公園内に当時のまま残されております。
黒岩村出身の江戸日本橋の商人、鈴木金兵衛が五大尊境内に四国・西国・坂東・秩父百八十八札所の「札所写」を設けることを発願し建立した石碑のうち、五大尊境内に現存する104基及び古帳庵の号で建立した越生町内に建つ句碑7基があります。貴重な歴史資料として保存活用を進めてまいります。
鈴木金兵衛は、天明元年1781年に黒岩村に生まれた江戸日本橋の商人で、古帳庵「コチョウアン」または「フルチョウアン」と号して俳句をたしなみました。ちなみに俳号は、金兵衛の家業「古帳庵買入所」、今でいう古紙回収業者に由来します。金兵衛の句碑は、越生町内に建つ7基を初め全国各地に計15基が確認されております。
いろんな中で、町では予算ということがあって物を進めるということが原則なのでしょうけれども、我々商人の世界においては、やることはすぐやらなければならないということがございますので、これからにおいても予算との問題はあるのでしょうけれども、何か問題が起きたときにすぐそれに対応する課とか、すぐやる課とかいうものをつくっていただいてそれに対応し、予算の執行がうまく回れるようにできればいいのかと思いますので、これは
今の利用者とのやりとりにおいて…… 〔「かえで」と呼ぶ者あり〕 ◆6番(浅野訓正君) 委託している社会福祉法人かえでの方との調整ということでございましたけれども、私どもは中のことの説明とか、いろんなことを知らなくてはいけないのですけれども、一般の町の人間として外を通るときに、なかなかお客さんが入っている人数が少ないとか、さらにもう少し新しいもの、売れるものとかということで、我々は商人
鈴木金兵衛は、天明元年、1781年に黒岩村で生まれた江戸の商人でございます。商いの傍ら古帳庵と号して俳句をたしなみ、各地に句碑を建立しました。五大尊は、金兵衛が崇敬していたこともあって、境内には4枚の句碑が建っております。 また、金兵衛は、五大尊境内に四国、西国、坂東、秩父霊場の石碑を建てて、ミニ霊場をつくることを計画しました。