130件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

北本市議会 2020-06-24 06月24日-06号

これは急遽、当時、加藤市長のときに土地を買い上げていただいて、東口を確保したと。西側につきましては、当時はゴルフ練習場がつくのですかね、それで、蓋かけした部分が、ここに書いてありますように、駐車スペースがないかということで、駐車スペースとして、西側が150台分、それから、東側が280台分ということで、新しい駅ができたときの機能として果たすようにレイアウトされたイメージ図でございます。 

北本市議会 2018-09-20 09月20日-06号

そして、それが加藤市長時代に8万8,000人に減らし、石津市長時代平成17年から18年につくった第四次北本総合振興計画では7万2,000人にされて、その7万2,000人も達成されずに、第五次でもって6万2,000人というふうに減らしていく。こういう状況の中で、これだけの金を使って市街地を形成して、新たな宅地化を図る意味がどこにあるのか。 

川口市議会 2016-09-15 09月15日-05号

視察で行きました長野市では、加藤市長への親しみも込めて、「カトウさんへの提案ポスト」という名称でボックスと用紙が設置されておりました。県内ですと、久喜市では「市長への提言」という名称用紙と封筒が置かれており、あわせて「やります!おもてなし力UP~接遇力向上宣言~」をスローガンに掲げ、職員の接遇力向上につながるよう窓口アンケート用紙回収箱が設置されておりました。

ふじみ野市議会 2015-11-30 11月30日-01号

また、基調講演の後、開催市長野の加藤市長から、「生き生き長野、元気な長野」というテーマで主報告がありました。加藤市長は、まず市役所内の元気な挨拶を徹底され、意識改革を図ったことを話されました。 2日目のパネルディスカッションは、コーディネーターの一橋大学教授辻琢也氏を中心に、自治体首長や民間の地域再生プランナーの方々による活発なディスカッションが行われました。

北本市議会 2014-03-10 03月10日-04号

護市長から基金を積みまして、仕上げが石津市長と、大護市長新井市長加藤市長、石津市長、4人の市長庁舎ができ上がったという状況でございます。市長におかれましては、大変記念すべき事業かと考えている次第でございます。 それでは、通告に従いまして一般質問をさせていただきます。 件名1、新駅建設の賛否を問う住民投票結果の総括について、石津市長にお伺いいたします。

北本市議会 2013-09-18 09月18日-07号

それで、先ほどお尋ねした中では、いつだったですかね、加藤市長のころでしたか、公金横領事件というのがあって、私も裁判所まで傍聴に行った記憶がありますが、それ以来、懲戒減給ありませんというような答弁でしたが、それで間違いがないのかということを1点確認しておきたいと思います。 それともう一つは、この3番にあります政治的行為、これは、この当該の方が休暇中であったために、地方公務員法第29条の処分はない。

北本市議会 2013-03-21 03月21日-08号

それで、世代間の負担という意味で申し上げたのは、大護俊英元市長時代庁舎建設基金の条例をつくって、そのときから積み立てをして、そして大護市長、それから新井市長加藤市長そして石津市長、そしてこれから20年先、石津市長がいるかどうかわかりませんが、その20年先までの世代庁舎部分市民負担をお願いするということに、言い方は少しおかしいかもしれませんけど、その期間のことを世代間ということでくくって

北本市議会 2011-02-28 02月28日-02号

これは加藤市長のときに基金制度をつくって積みました。また15年のときにも3,000万円と。 この赤くなっているところ、これ選挙のあったとき。ここのところは、石津市長市政のときので金がないということで1,000万円、次のときには500万円。そして、選挙のときになったら3倍の3,000万円。選挙が終わると平成20年度のときには5,000万円、21年度のときには1億円にした。

北本市議会 2010-09-21 09月21日-07号

8年前に当時の加藤市長は、圏央道開通後2年を目途新駅開設するスケジュールを発表いたしました。これまでの執行部答弁をお聞きすると、この間、圏央道開通後3年を目途開設を目指していきたい旨の答弁がありますが、新駅設置の見通しについては圏央道開通後2年なのか、あるいは3年の開設になるのか、このことについて確認をさせていただきます。 

秩父市議会 2010-03-08 03月08日-一般質問-04号

当時の加藤市長質問した思い出があるんですが、市長生活相談を何とかしようじゃないですかという提起に対して、大変いい答弁をいただいて、早速始動した思い出があります。以降、本年3月議会は、8期31年最後の一般質問となります。もろもろ感謝を込めながら、多岐にわたりますが、質問をさせていただきます。  1つは、武甲山の修景再生についてであります。

北本市議会 2009-06-19 06月19日-06号

産業振興分野、そして商工会との関係では、以前、前市長加藤市長時代ですが、商工振興策については単に商工会と緊密な連携をとりというだけだと、そのように批判をしておりました。市長が新しくなって、一時はそれすらも聞かれなくなってしまった、こうも言ったものですが、ここへ来て、そのような状態からは抜け出せたのかなと思います。ぜひともこの期に乗じ、さらなる手を打ち、一層の連携強化を期待します。 

北本市議会 2008-06-17 06月17日-05号

私は、正直、もう既にそういうことがかなりなされていたものなのかという認識でおりましたけれども、実は、新井市長加藤市長時代には、そういうようなことについては行っていなかったというようなことでございます。 

秩父市議会 2008-03-12 03月12日-一般質問-04号

当時秩父セメントでどうしてもこの山を鉱区権もろもろ譲渡願いたいという要望に基づきまして、加藤市長はこの議会提起をしていただきました。忘れもしない、昭和57年12月議会でご譲渡を決めていただきました。関連はそれなんでございますが、武山市有林譲渡金額33億円、利息8%で5回払いで秩父セメントのものになりました。

北本市議会 2007-09-06 09月06日-02号

加藤市長時代は、商工会連携してのせりふばかりじゃないかと、そんな風に私は言っていました。しかし、石津市長になってそれすら消え去ってしまった。商業といえば大型のみが頼りのような、そんな様相で、農業、工業を加え、産業振興分野石津市長の弱い分野一つではなかったでしょうか。そこで伺います。 件名6、商工会商店会への支援はいかに行われ、北本独自性はどう打ち出されたか。 

北本市議会 2007-03-16 03月16日-08号

あなたは前の加藤市長のそういうことで持って返還を求めたんでしょう。違うんですか。前の市長には求めておいて、今度は市長裁量権だ。あなたはいいんですか、多分他の省庁では新聞見てみると、全部返還求めていますよ。管理責任者を定めて問うていますよ。あなたは自分には問わないんですか。 1回目の答弁漏れですので答えてください。関係者に法務局、その他の方は7年遡及していると掲載していますよ。