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該当会議一覧

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宮代町議会 2023-02-27 02月27日-05号

本日2月27日は、初代町長、斎藤甲馬氏の命日であります。昭和57年2月27日にこの宮代町の空に返りました。 斎藤甲馬町長は、百間村、そして須賀村、この2村を合併し、そして新しい宮代町の発展のために尽くしてこられました。時代に合わせてまちづくりをしっかりする、それが斎藤甲馬町長の哲学であったと思います。 先輩の唐沢議員がいつも言っていました。

宮代町議会 2021-09-01 09月01日-04号

斎藤甲馬町長は、昭和30年に百間村と須賀村の合併を実現し初代町長に就任しました。現在の進修館前に役場を建設し、上水道施設、し尿、じんかい処理場等基盤施設を整備し、新しい町としての骨格を整えました。 ①百間村と須賀村の合併を反対していたら、宮代町はどうなっていたと想像できますか。 ②平成の大合併では宮代町は取り残されました。合併アンケートでは、宮代町住民は杉戸町との合併を望んでいます。

宮代町議会 2020-09-29 09月29日-07号

これはもともと初代町長屋敷跡だったということもありますので、屋敷林跡ということでございますので、そういったものがある貴重な空間でございますのでそういったものを活用していこうということでございます。当然新しい村、山崎山についても引き続き宮代の魅力、農の資源ということで活用していこうという施策になってまいります。 それと、顔の見える地域経済ということでご質問をいただいております。

宮代町議会 2017-12-07 12月07日-04号

昭和26年、斎藤甲馬氏は百間村長に就任し、昭和30年に合併を実現し初代町長に就任した。斎藤甲馬町長の明確で幾らか頑固な意思により宮代町の住環境は守られてきた。「人口が増えることが悪いとは言わない。しかし、生活環境が整わないのに急激に宅地化して郷土意識を余り持たない人々が一挙に増えることがよいことだとは思わない」と極力持ち家政策をとり、その積み重ねが宮代町は持ち家比率が高いという実を結んだ。 

宮代町議会 2017-05-30 05月30日-03号

時間の関係もございますから、町長に対しての質問は若干あと何点かで終わりたいと思いますけれども、時代は違ってきていると思いますけれども、基本的に時代はちょっと変わってきているので、ちょっと恐縮なんですけれども、実は、宮代町の初代町長、斎藤甲馬さん、こんなことを言っていました。リーダーとしての心構えとしてですね、当時は少数精鋭式町長一家ということで、宮代町は少数精鋭でやってきました。

宮代町議会 2015-12-09 12月09日-05号

あえて申し上げるなら、それは初代町長ゆかり設計集団に対する根拠のない信用と別格扱いからきているのです。全国に名の知れた設計集団だからと、その報告だけで町民をも巻き込んだフリーパス。 今回、賛成するに当たって、象設計への論拠の薄いお墨つきをもうやめ、また安全・安心の名のもとでの施策については、国の交付金などを含む支援の研究の徹底を条件に賛成するものです。

宮代町議会 2015-09-03 09月03日-05号

今の宮代町のシンボルであるこの進修館、そして笠原小学校日本工業大学東武動物公園、全てが初代町長斎藤甲馬さんの時代の産物です。この進修館笠原小学校は、かつての百間村の村外れに位置します。日本工業大学東武動物公園は、かつての須賀村の村外れに位置します。宮代町60年間の発展は、百間村と須賀村の合併によってなし得たものです。60年前の生活圏は自転車でした。

宮代町議会 2014-12-10 12月10日-06号

この余りにもずさんと言えばずさんな長期契約は、この土地初代町長ゆかり土地だということで、これが長い間の安全弁、いや死角となって見通せなかったということは否めません。 こういったこれまでの施設に全く総括がされず、この事業をやっていけばやっていくほど町の首を締めることになるとは、時代の移り変わりとはいえ、洞察力が働かなかったことの反省を促すものであります。 

宮代町議会 2014-02-28 02月28日-03号

これは初代町長の趣向であって、あえてそう言わせていただきますが、決して使い勝手がいいところではなかった。新庁舎建設のときにも、議場は新たにできるはずだったのが、直前で設計図から消えたという経緯があります。 

宮代町議会 2013-12-04 12月04日-02号

斎藤甲馬初代町長職員と机を並べて仕事をしていたんだよというふうに私も聞いたことがありまして、ああそういうのが宮代流なのかなというふうに何となく理解していたわけです。 今回、町長の机が会議室応接室に入ったというふうなことで、町民にどんなふうに私も言っていいかわからないので、その町長思いというか真意をお聞かせ願いたいと思います。 ○議長(中野松夫君) 暫時休憩します。

宮代町議会 2011-12-01 12月01日-03号

◆3番(金子正志君) はい、3点目、初代町長、斎藤甲馬町長先見性についてお尋ねいたします。 11月の広報に、斎藤甲馬町長お話し会があるという案内が載っていました。そこで、斎藤甲馬町長について思いをはせてみました。そしてこの質問を出させていただきます。 宮代初代町長、斎藤甲馬町長先見性をどのように評価していますでしょうか。宮代町の財政危機の今、見習うべき点が何かありますでしょうか。

宮代町議会 2010-09-03 09月03日-05号

初代町長斎藤甲馬、広く良好な持ち家、そして定住意識を育てる。55年前のその理念が宮代町に育ったのだと思います。この公共改革2005、あくまで財政改革の第一弾だと私は思います。納税者が減少し続けるわけですから、宮代町はこの第一弾にとどまらず、歳出を毎年のように削減し続ける必要があります。都市計画税導入の前に公共改革第二弾、第三弾が必要なのは明らかです。 

宮代町議会 2010-03-03 03月03日-04号

つまり、百間最後村長さん、そして宮代町の最初の初代町長15年、15年、31年間務めました。榊原町長に同じことを私はしてほしかった。春日部とは壊れる。そうしたら次の枠組みを考えたいといってワンクッション置いて、そして杉戸との合併を目指してほしかった。宮代最後町長、そして新しい宮代市の初代市長。 ここで、投票で確かに合併は壊れた。

日高市議会 2007-03-07 03月07日-議案質疑-02号

また、日高市の基礎とも言うべき日高町の初代町長、岡村良太郎さんは、昭和22年に高麗村の村長に当選以来、日高町が誕生した昭和33年以降24年間にわたって日高市のために尽くされた方と聞いております。そういう人たちが該当しない理由は何なのか、その点についてお伺いをしたいと思います。   そして、特にある基準があろうと思うのです。

白岡市議会 2000-03-06 03月06日-一般質問-02号

去る昨年の11月の町制施行45周年記念行事の際、初代町長の渡辺氏があいさつの中でいみじくも、町村合併当時でもあり、大変な財政難であったと。しかしながら、ありがたいことに相当額町民税の滞納があったと。これを職員一丸となって鋭意徴収に努めたおかげで急場をしのげましたという話がありました。まさに本時節においてもそのとおりだと考える次第でございます。  

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