春日部市議会 2020-09-18 令和 2年 9月定例会−09月18日-10号
この考えを実現したのは、実は1917年のロシア革命なのです。歴史的事実を私は言っています。1918年のソビエト、最初の家族法、戸籍・婚姻・家族及び後見に関する法典では、婚姻は両親、教会の同意は要らないと、離婚も自由、出生子も非嫡出子も同じだと、恋愛、結婚は私ごとであり、国家は干渉するべきではない。フリーな個人の活動であるべきだ。ライフスタイルにおける自己決定権とこれを言います。
この考えを実現したのは、実は1917年のロシア革命なのです。歴史的事実を私は言っています。1918年のソビエト、最初の家族法、戸籍・婚姻・家族及び後見に関する法典では、婚姻は両親、教会の同意は要らないと、離婚も自由、出生子も非嫡出子も同じだと、恋愛、結婚は私ごとであり、国家は干渉するべきではない。フリーな個人の活動であるべきだ。ライフスタイルにおける自己決定権とこれを言います。
ということは、今の小学校3年生は、あと100年、半分は確実に生きられるという統計だろうと思うのですけれども、先を見るからちょっとわかりにくいところですが、過去をさかのぼってみたら、今から100年前、1918年、そうすると世界史的には、多分ロシア革命とか、第1次世界大戦が終わったころ、そのときの小学校3年生の半分が今でもご健在だという、そういう時代だろうと思います。
1917年に社会主義革命とされるロシア革命によって、ソビエト連邦が成立すると、鎌とつちの赤い旗が国旗として制定されましたが、1991年にソビエト連邦が崩壊すると、ロシア連邦が成立し、ロシア帝国時代の国旗が復活いたしました。
例えば187ページには、ロシア革命について書いてあります。資本主義に不満を持ち、戦争に反対する世界の人々に支持される、各国で社会主義の運動が高まりました。ソ連は、社会主義の祖国として、欧米や日本では資本主義の問題点を批判する知識人や労働者に支持されました、これは教科書です。これを読んでいたら、まるっきり共産主義読本を読んでいるみたいです、本当に。
その一方、この歴史教科書では、例えばロマノフ王朝を処刑したロシア革命を賛美して取り上げながら、朝鮮独立運動に共感したという柳宗悦を191ページで取り上げ、社会主義者の幸徳秋水をわざわざ人物コラムで取り上げているわけです。
また、B社の歴史教科書では、日露戦争を勝利に導いた舞台裏として、ロシア革命の動きで動きを支援とありました。それでは、日本の命運をかけた日露戦争の勝利は、開戦の舞台裏で繰り広げられた。外交戦、情報戦によってもたらされた勝利でもあったのですと書かれています。 このように今回は2つだけしか紹介しませんでしたけれども、この紹介をいたしました教科書は、いずれも戦争を美化する立場で書かれています。
さらに、東京書籍は、ロシア革命を賛美し、スターリン政治を評価していること等、東京書籍は共産主義的思想の代表格と言っても過言ではない教科書となっている点であります。
そういう意味で、私は最後に申し上げたいんですけれども、ロシア革命というのがありまして、以前は帝政ロシアと言っていた。帝政ロシアからロシア革命で、いわゆるロシアの共産党、ソビエトの共産党の組織になったときに、官僚組織というのは、帝政ロシアの官僚組織をそのまま使ったと。当然なんですけれども、そのまま移行したというふうに言われているんです。
この思想を実現したのがロシア革命のレーニンです。彼は、女性を家族制度の束縛から解放し、労働者として自立させるために家事労働の男女共同化、保育所の設置、性の自由を奨励しました。 ところが、この政策は大失敗でした。ロシア社会は、堕胎と離婚の激増、出生率の低下、家族・親子関係の希薄化による少年犯罪の激増という事態に陥りました。
当時の人口3,000万人の約7%の上流階級である武士たちによって行われた上からの革命であり、フランス革命やロシア革命とは明らかに違っている。外国からの脅威により、統一国家をつくらなければ日本が植民地になってしまうという不安が国民的コンセンサスとなり、この革命は成功した。そして、明治政府は、早急に国家と国民を創成しなければならなかった。
地元ドイツではヒトラーの全体主義を生み出し、ロシアではレーニン、スターリンなどによるロシア革命となり、共産主義社会となる。デカルト、ルソー、マルクスたちの思想は、既成のものはすべて悪であり、すべてを破壊して再生するという抑圧された被害意識の強い狂信的な思想と言えます。オウム真理教は、まさにこの思想のミニ版と言えます。
一方、ソ連においては、ロシア革命後、20世紀の大半を費やして、国際的には、世界の共産主義革命の総本山として、各国にコミンテルン支部の設立をし、国内的には、おびただしい、巨大な生命の犠牲を払って、マルクス・レーニン主義の実権を行ってきたところであります。