佐賀市議会 2006-03-10 平成18年 3月定例会−03月10日-05号
これは神代家の居城と言われている部分でございますが、近年、全県下で佐賀県教育委員会が行っている中近世城館緊急分布調査において図面の作製が行われ、戦国山城として規模が大きいこと、保存状態がかなりよいことといった評価を得ております。次に、大野代官所跡についてでございますが、これは旧小城藩の代官所跡でございますが、旧富士町で嘉瀬川ダムに伴う富士町振興事業で平成20年度以降に整備が計画されております。
これは神代家の居城と言われている部分でございますが、近年、全県下で佐賀県教育委員会が行っている中近世城館緊急分布調査において図面の作製が行われ、戦国山城として規模が大きいこと、保存状態がかなりよいことといった評価を得ております。次に、大野代官所跡についてでございますが、これは旧小城藩の代官所跡でございますが、旧富士町で嘉瀬川ダムに伴う富士町振興事業で平成20年度以降に整備が計画されております。
今回追加指定を受けました唐津市の肥前陶器窯のうち、北波多の岸岳山ろくの窯跡は、我が国最大の近世窯跡である肥前地域の窯跡の中で最古期の近世窯跡と考えられ、朝鮮半島との技術交流により、肥前陶器が成立した過程を示すものと評価されております。また、御茶碗窯は唐津藩の御用窯で、謙譲唐津を産出した貴重な窯跡であります。この歴史的な評価が指定の要件となっております。 以上でございます。
市誌編纂につきましては、第3巻中世・近世編及び資料編を刊行するための経費の計上いたしました。 市民文化会館の老朽化に伴い、平成18年度に大規模改修工事を計画しておりますが、平成17年度は、外壁改修工事調査及び空調改修工事設計に要する経費を計上いたしました。 また、図書館、市民文化会館等でのイベント開催時の駐車場不足に対応するため、駐車場用地の取得に要する経費を計上いたしました。
唐津城から二ノ門堀へと続く石垣の散歩道、時の太閤埋門のやかた、西の門のやかた、唐津神社、曳山展示場までのコースに現在整備が進められております旧高取家住宅、そして中心街にあります旧唐津銀行など、明治の近代和風建築の魅力が付加をされ、また今お示しをいただきました仲町の住民街と進めております大正、昭和のまちづくり、さらに近松寺を初めとする寺めぐりなど、近世、近代の歴史や城下町の風情を楽しめるコースとして注目
また、窯跡を含めました大川内山一帯は、鍋島の研究はもちろん、当時の藩窯の制度、それから、公人たちの生活ぶりを知る上で重要な資料でございまして、日本の近世陶磁史、それから、窯業史を研究する上でも、その学術的価値は非常に高いというふうに認識しているところでございます。
次に、伊万里市内の窯跡や出土陶片などの整理、研究、展示公開のこと、それから文化財調査室の一般見学のこと、あるいは出前講座、文化財の説明、史跡めぐり、資料館見学などの実績ということだったかと思いますが、出土品の整理、研究などは文化財の担当者が行っておりまして、全国組織であります九州近世陶磁学会での発表や陶磁器研究者を対象とした専門書への執筆などを行っております。
文化財は、建造物、絵画等の有形文化財、演劇、工芸技術などの無形文化財、民俗芸能などの民俗文化財、古墳、城跡などの史跡、庭園などの名勝、記念物などさまざまでありますが、最近では近世社寺……神社、お寺ですね、社寺建築や近代和風建築物、近代化遺産などの悉皆調査も文化庁の主導で進められており、市でもこうした新たな分野の文化財についても国、県と一体となって調査を実施しまして、必要なものについては指定をしてその
また本年度は、佐賀県教育庁文化課より市教育委員会へ、佐賀県中近世城館跡緊急分布調査への協力依頼があっています。この事業目的は、県内では、現在までに確認されている中近世の城館跡は 600カ所以上を数えるが、近年、林道、泥とりなどの各種開発行為による影響が懸念されている。また一方では、城館を地域の文化財として保存、活用する動きもあり、県民の城館跡への関心も高まりつつある。
残念ながら、現在におきましてもこの状況に変化はなく、八戸城の調査研究においては新たな展開は見られておりませんが、ただこのような状況は八戸城に限ったものではなく、国内にある中世や近世の城、あるいはやかた跡の多くにつきましても、同様の状況であり、その範囲や性格、重要性などが明らかにされているものは全体のうちのごくわずかにしかすぎません。
最後に、佐賀県中近世城館調査に対する本市の対応についてお答えいたします。 この事業は、文化庁の補助を受けて県が実施する事業でございます。事業の趣旨は、県内全域の中近世城館を対象に、所在を確認し、縄張り図の作成を行い、その資料化を図るとともに、あわせて遺跡の保存と整備を目指す事業と聞いております。
その結果、石井樋の残存状況は良好で、特に「象の鼻」、「天狗の鼻」などは近世初頭の高度な取水システムであるということで、歴史的価値が認められております。こういう状況の中で、石井樋地区施設計画検討委員会、これは佐賀市もメンバーに入っているようでございますが、その中でも、事業が終わった後に、国史跡の指定を申請する予定であるということが報道をされております。
やはり点である観光よりも点から線へ、線から面へというのが観光の中ではあると思いますけれども、施設の公開につきまして、現在有料を前提に検討いたしておるところでございますけれども、近世から近代の時代を体験できる観光コースの目玉として注目を浴びるものと、大変期待をいたしておるところでございます。
どもは観光PRをする場合においては舞鶴橋から見た唐津城、それから城内橋から見た唐津城、そしてまた唐津城から見た松浦潟、唐津湾、唐津市内の眺望をPRの一つの大きな材料としておるわけでございまして、その唐津城から二ノ門堀へ続きます時の太鼓、そして石垣の道、埋門ノ館、西ノ門館、それから曳山展示場へと続くわけでございますけれども、そこに高取家住宅が一つ加わるということになりますと、我々観光サイドから言いますと近世
この市制施行以来の50年に限らず、鳥栖の近世というのは鉄道を抜きにして語れないのは、もうだれもが認めるところであります。50周年というこの機会に思い切らなければ、鉄道のまちは、私は風化してしまうのではないかと思うわけです。モニュメント程度ではいかがかと、こういうふうに思っているところです。 さらに、この問題とあわせて、シンボルイベントが鳥栖駅周辺での大規模複合イベントとして考えられております。
また、10月には北部九州中近世城郭研究会と共催で、勝尾城下町遺跡の見学と講演会の実施、16年度には市制50周年記念事業としてシンポジウムと遺跡見学会などを計画しているところでございます。 今後とも、この勝尾城下町遺跡については、遺跡の保存やPRはもとより、遺跡の整備活用まで視野に入れた検討を進めてまいる所存でございますので、よろしく御理解のほどお願い申し上げて、答弁といたします。
特に近世、この現代社会に入っていくころになりますと、世界の動きは活発になりまして、当時の時代の流れとか、世界の情勢というものも、客観的にそのまま子供たちに伝えていかなければいけないことであろうと思います。
歴史文化資源と申しましても、徐福や吉野ケ里遺跡の時代から、近世江戸時代の佐賀藩鍋島家、幕末維新期、明治以降の近代など、さまざまな時代があり、その中から観光として一体どの時代の何を取り上げていくのか、何から先に取り上げ、売っていくのか、また、売れるのか、慎重に検討を要することだと考えております。
例えば、佐賀であれば、明治7年の佐賀の乱、佐賀の乱と言うといろいろ語弊があるみたいですので、ここでは佐賀の役と言いますが、佐賀の役が歴史的に見て近世佐賀の重要な出来事だと思います。その遺跡も幾つかは存在しますが、先ほども述べましたように、点として存在するだけで、佐賀の役全体の流れがいまいち見えてきません。
弥生時代の古墳群、中世の築城であります城山を中心に15世紀末から16世紀にかけての山城、城下町、町屋などと勝尾城下町の遺溝が近年に確認され、近世にも通ずる勝尾城の石積みなどは名護屋城築城の技術とさえ言われていることなどから見て、当市を取り巻く文化は古代より交通の要衝として栄えたまちであることは確かなようであります。
具体的には古代の生活や文化をよみがえらせる密度の高い埋蔵文化財、地の利を生かした中世の山城群、近世の雰囲気を今に伝える長崎街道の町並み、近代以降は九州一のヤード等の施設を多く持っていた鉄道のまち、そして現在の交通の拠点の象徴である東洋一のクローバー型ジャンクション等があり、歴史と文化が現代につながり息づいていることなどの内容を盛り込むべきだとの答申があっております。