4件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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佐賀市議会 2016-06-17 平成28年 6月定例会−06月17日-04号

まず1番目、副田訓導殉職之碑の移転についてでありますが、これは昭和18年10月9日、当時、赤松国民学校6年生の修学旅行の帰途、諸富−大川間の筑後川において渡し船が石塚の船着き場間近になったところで転覆し、副田訓導──訓導というのは今の教員に相当すると思うわけですが、15名を救出するも、ついに力尽きて、残り6名の子どもとともに濁流に飲み込まれ、とうとい命をささげられたものであります。  

佐賀市議会 2000-12-07 平成12年12月定例会−12月07日-03号

私は昭和16年4月、小学校ですね、当時は国民学校初等科と申しておりましたが、そのとき入学ですから、戦前の教育も4年半ほどは受けております。敗戦前の非常時、あるいは戦後も半年ぐらい非常に混乱が続きましたが、そんな時代を乗り越えて、昭和22年3月に今の教育基本法が制定され、今日まで続いております。私は、時代の背景は違いますけれども、教育勅語より今の基本法がはるかにすぐれていると思っております。

佐賀市議会 1996-06-27 平成 8年 6月定例会−06月27日-03号

国民学校は再び小学校になり、新制中学校昭和22年5月、憲法施行と軌を一にして発足いたしました。。翌23年には教育委員会法公布され、ここに教育委員会が設けられたのです。  今年度は新制中学校が発足して50年目であります。途中多くの改善の試みがあったにもかかわらず、現在の学校教育の現状はとても満足できるものではありません。子供たちは学校に行っても楽しくないのです。

佐賀市議会 1992-09-08 平成 4年 9月定例会−09月08日-02号

芙蓉校の前身は、天明元年、西暦1773年4月1日、当時の会所を学寮として藩士を通学させ、この学寮は、同年、成章館と命名、慶応2年6月、その名を育英館と改められ、幾多の変遷を経て、明治42年、現在の地に芙蓉尋常高等小学校として新築、次いで芙蓉国民学校となり、戦後の新学制が実施され、現在に至っている由緒ある学校でございます。  

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