唐津市議会 2007-09-12 09月12日-04号
唯一の被爆国である日本政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります」、そのように平和宣言の中で述べられました。
唯一の被爆国である日本政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります」、そのように平和宣言の中で述べられました。
しかがいまして、これ以上に何ができるか、何を変えてやっていくのかという市長のスタンス、ポリシーといいますか、そういうものが、哲学的なものが、考え方があるとするならば、それを示してほしいというのが私の質問でありますからよろしくお願いします。 ○議長(森山林) 橋本市長。 ◎市長(橋本康志) 〔登壇〕 内川議員の御質問にお答え申し上げます。
やや哲学的かもしれませんが、そういったようなことを含めて、その辺のポリシーをどう今受けとめられているのか、お伺いしたい。 ◎秀島敏行 市長 総体的に人口減が進んでいくわけでございますが、今の人口減の1つの要素として、佐賀の場合は周辺部に流れていく部分ですね。
そしてまた、高学年に行けば行くほど、権力よりも権威を持った人、つまり、授業なら授業のプロ、授業の哲人、あの先生の授業はおもしろいと、ただ単なる笑いじゃなくて、うーんとうなるような、そういったことをする先生というのが、だんだん子供たちも高学年になればなるほど、哲学を持った先生なんていうのは非常に好まれるというふうに思います。だから、人間性というのは非常に大事なことじゃないかなと思います。
まさに哲学を持たぬ政治と教育の姿であります。 そこで、私は横尾市長に市政執行の基本となる政治理念をお伺いし、中川教育長に当面する教育問題の解決指針をお伺いいたします。 質問の第1は、市長の政治理念についてであります。 質問その1、県内自治体は10市13町、やがては10市10町になりましょうが、ここには多久市より人口大なる町もあります。
質問その3、哲学者清水幾太郎は昭和25年発刊の「愛国心」という書物の中で、「愛国心には個人の自覚と民主主義が必要だ」と述べております。日本帝国主義時代の強制された愛国心を批判したものでありましょう。そして今日、民主主義でない国において愛国無罪と称し、外国の大使館や商店等を破壊し、愛国心があれば犯罪も許されるとする偏狭な人民たちを戒める言葉でもありましょう。
市長が「牟田秀敏氏」個人であるならば、いかなる政治哲学なり思想、心情なりをお持ちになってもとやかく言うものではありません。しかし、6万市民の暮らしや命を預かる市長としての立場からすれば、今日の国が進める各種政策に対して異議を唱えざるを得ないのではないか。少なくとも、「ちょっと待って」ぐらいの感想はお持ちではないかと思います。
行政は首長の政治姿勢や政治理念、政治哲学によって左右されるところが大きいと言われます。行政の一貫性、あるいは安定性を考えるならば、多くの関係者の参加と賛同を得て作成された計画の意義は大きいと考えます。それだけに、今回の地域福祉計画がどのように策定されるかがこれからの福祉行政、あるいは地域福祉を推進する上で大きな解決の手がかりとなるのではないでしょうか。
ここには歴史を超えて妥当するような学問論も大学論も哲学もない」と断じています。 また、「遠山プランは「スクラップ・アンド・ビルドで活性化」と言ったが、常に競争に晒され、自己の大学の存立にかかわる淘汰の危機さえある中で、何が活性化か、それが大学かと、言いたくなるのは当然である。
例えばですね、ちょっとニュアンス違うんですけども、京都の銀閣寺かいわいには「哲学の道」と称する散策路がございます。この地域のですね、9市町村のそこそこに散策コースをつくってみることもまたいいのではないかと思ったりしております。
私は、ゲーテは文学の世界だけ、哲学のあたりだけを中心に思っておりましたが、実はワイマールという国の首長、宰相をしたことがあります。そのときにゲーテが地域の方、国の方に申し上げられたことは、朝起きたら5分でも10分でもいい、とにかくまちをきれいにしましょうということを呼びかけられて、大変景観を保ち、きれいなまちづくりをしていったそうです。
最後に、個人の感覚といいますか、市民への負担ということで、非常に難しい哲学的な話かもしれませんが、私はこの負担は未来へ、子供たちへ、これから生まれてくる人たちへのための負担だと、未来をつなぐための負担だと私は考えております。 以上でございます。
また、創意工夫をして長く使おうという哲学も当然持つべきでございます。
以上、私の政治哲学というものを踏まえて、この5項目の質問にかえさせていただきます。 ○議長(山口龍樹君) 市長。 ◎市長(横尾俊彦君) (登壇) 御質問にお答えをいたします。 通告では平成15年度の市政についてのお尋ねでしたが、過去にわたっての御質問に変わりましたので、若干詳細を欠く部分があるかもしれませんが、思いの一端で最初の項目はお答えをしたいと思います。
スローフードはファストフードの反対語ですが、単にファストフード排斥運動ではなく、「食の思想」、「食の哲学」であります。 先日、佐賀新聞の10月の13日の記事ですけども、杵島郡の江北町の武富さんという人がイタリアのスローフード賞を受賞されています。
13年度に決めちゃったからやりませんじゃなくて、先ほど言っているように、まち全体をどうするんだという哲学を持って、そこでやってほしいわけですね。
いずれにいたしましても、財政的に厳しいからということはありますものの、合併の本旨は、やはりそういう合併して本当にいいまちづくりができるのか、そういう理念、あるいは、そういった哲学と申しますか、そういったことが基本で、いいまちづくりをするために合併をするということが基本的な考えでなけりゃならないと、私どもはそう思っております。
これはやっぱり、本当に目を見ると、真っ黒い目をして、本当にじいっと深い哲学者みたいな目をしております。本当に自分が温かみを感じたり、こいつはすごいやつやなあとやっぱり思いました。やはり、何とかこのポニーについても、現在民間でやっておられる方も応援をしてもらうというような形でもいいし、何とか連絡とれるという形でもいいですから、ぜひとも何とか物に実っていくような形でお願いしたいなと思っております。
「葉隠」は、いかに生きるべきか、また人間としての「心の持ち様」を説いた本であり、現代人の生き方、人間形成の書としても資するところのある哲学書、思想書の一つであり、貴重な歴史的遺産であると考えているところでございます。
また、大阪大学の元哲学科教授の大峯顕氏も、ある紙上で述べておられますが、昨年の全国に及んだ少年たちによる殺人事件や、6月の大阪府池田市の小学校での児童殺傷事件、北海道広尾町での幼児殺傷事件など、全く罪もない関係のない子供たちを殺すという事件が起きてしまいましたが、不可解で戦慄すべき惨劇が、いわゆる普通と言われる人間によって演じられたということの異常さであります。