吹田市議会 2018-09-13 09月13日-04号
また、夏季に漏水が多い理由でございますが、漏水実績から見ると、1970年代中ごろから約10年間において、その柔軟性から給水管として使用しておりましたポリエチレン管によるものが多く、原因を限定することはできませんが、一つには高温による管体の膨張に起因するものではないかと考えております。 以上でございます。 ○川本均議長 18番 井上議員。
また、夏季に漏水が多い理由でございますが、漏水実績から見ると、1970年代中ごろから約10年間において、その柔軟性から給水管として使用しておりましたポリエチレン管によるものが多く、原因を限定することはできませんが、一つには高温による管体の膨張に起因するものではないかと考えております。 以上でございます。 ○川本均議長 18番 井上議員。
水道管の耐用年数は40年とされていますが、主な上下水道が整備されたのは今から40年から50年前の1970年代であります。本市も同様で老朽化対策が急務であることを認識しなければならないと考えます。 まず1番目に、大阪広域水道企業団の計画として、あんしん水道ライン強靱化整備は、堺市から本市大野台を通り、河内長野市へと耐震化整備が進捗しています。この計画の概要についてお伺いいたします。
1970年大阪万博でも、市民がそろいの浴衣を着て、河内音頭を踊りに行ったと。 近年では、市民まつりの日程、これも浴衣の時期でない11月ごろに開催をされているんですね。浴衣を着る機会も、そういった活動も行われていないなと。せっかく60周年を迎えるわけでありますから、何とか市として地場産業の活性化を図るような仕掛けができないのかなと、このように思うわけであります。
セクシャルハラスメントという言葉は、1970年代にアメリカの女性たちがつくった言葉であり、新しい概念です。女性たちがずっと性的な言動によって不快な感じ、職場にいづらい、こういう思いをセクシャルハラスメントという言葉にしたことで、あっという間に世界中に広がりました。これまで個人的な経験だとされてきたものが、社会の問題ととらえられ、社会を変える力となってきたのです。
ただ、被葬者、いわゆる埋葬された人物が誰かは不明確な上に、築造時に天皇という言葉はなく、考古学者らは1970年代から各陵墓の呼称を、地名を基本とすることを提案。教科書や地図も大山古墳などを採用している」、このように紹介しています。
1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪千里の地で77カ国が参加し、日本万国博覧会EXPO'70が人類の進歩と調和をテーマに開催されたのは、私が小学校5年生のときでした。
江坂地域は、1970年の万博開催時に整備された地下鉄御堂筋線と北大阪急行電鉄という鉄道、新御堂筋線と内環状線という広域幹線道路、これらの整備に向けて実施された土地区画整理事業、さらに新大阪や伊丹空港等広域的な交通拠点へのアクセスがすぐれていることなどにより、商業、業務機能が高度に集積しており、吹田市だけではなく北摂地域を代表する経済、産業の拠点と言えます。
その意図は何度も申し上げておりますが、1970年の吹田万博で、この吹田市は本当に大きな恩恵を受けてきたわけでございまして、その吹田市としての恩返しあるいは恩送りの意味でも、2回目となる大阪での万博誘致、これにですね、積極的に取り組むべきではないのかということを提案申し上げてきたところでございます。
要するにこのデータが取得された1970年以降ずっと日本の生産性が一番悪いということは言われて続けているわけです。 どうして今、女性の活躍という質問もしていない、突拍子もないというふうに印象をお持ちになるかわからないのですけれども、実はこれ教育センターのIT担当者の方が本来の仕事をする、また将来的に必要になる、この仕事をすることの重要性なのです。
この制度は1970年代にカナダで生まれ、その後、アメリカ、オーストラリア、イギリス、ドイツなどで制度化され、アメリカでは1,000以上、全世界では2,000以上の地区で導入されています。
大阪府では、高度経済成長を続けていた1970年に開催され、国内外から6,000万人以上の来場があり、万博史上最高の成功例といわれています。 その後、1994年、博覧会国際事務局BIE総会決議で20世紀までの国威発揚型から21世紀は「人類共通の課題の解決策を提示」する理念提唱型とされ、5年に一度、開催されてきているところでございます。
1970年、WHOの総会で、たばこと健康に関する最初の決議がなされました。そして、節煙や禁煙が推奨され、受動喫煙防止が求められるようになりました。時代や科学の進歩とともに、たばこの文化は変わってきております。また、スポーツの練習時に水を飲むことを是としない文化がかつてはあったものと存じます。今は適切な水分補給が求められます。
1970年代から市民主体の環境政策に力を入れ、現在では世界各国の会議に市長が呼ばれるほど、環境都市として有名になっています。さらに、その取り組みのノウハウはブランディング化され、海外へ輸出されるほどになっております。こうした先駆的な都市から学べるものは、積極的に我が市の政策に取り入れるべきと考えます。 まず、ポートランド市のまちづくりで特徴的なのは、20分圏コミュニティという考え方です。
8月31日の朝日新聞に「廃校でつながる住民と子、高齢化のまちにフリースクール、1970年代のニュータウンとして開発が進んだ池田市の伏尾台地区。高齢化が進み、廃校となった小学校の旧校舎に2年前、不登校の子どもたちが通うフリースクールが入った。地元の住民は、にぎわいが戻ったと歓迎。校舎の食堂などで交流が芽生えている。スマイルファクトリーには、もとの学校になじめず傷ついた子が多い。
東日本大震災で滑動崩落の被害を受けた宅地の多くは1970年代以前に造成されており、宅地造成等規制法等の改正により技術基準を強化した2006年以降に造成された宅地においては被害が発生していないことを踏まえ、既存の造成宅地について大規模盛土造成地の有無とそれらの安全性の確認(変動予測調査)、危険性が高い箇所の滑動崩落防止工事などの予防対策を早急に進める必要があります。
でできることが、行政として厳しいんであれば、それを本当に民間のほうに、それもですね、商工会議所とか、JCとか、いろんな世界的な社会奉仕団体、ロータリー、ライオンズとかありますしね、いろんな団体があるわけでございますから、やっぱり協力要請をして、吹田にできることなどを声をかけていく活動なんかは行政でできると思いますし、私が言いたいのは、横一列で、ほかの市町村と肩を並べて頑張っていきますではなくて、やっぱりその1970
1970年の大阪万博から半世紀がたち、AI、バイオの時代となり、それらにより人類の健康と豊かな生活を送ることができるようにしなければなりません。これらの世界的な英知を技術力の高い大阪に集めることにより、大阪から世界に技術力を発信することができる絶好のチャンスとなる万博を誘致して大阪の存在感を世界に示すものとなります。
図書館の話については、きのうもいろいろありましたので、私のほうからは、実際、1970年、私がちょうど生まれる1年前ですけれども、子ども文庫という形でスタートしたように思います。その後、地域文庫としてスタートし、そして1980年ぐらいから松原市の図書館、あと2000年に向けて20年間に当時8つの図書館まで膨らんだというふうな記録を見させていただきました。
私は1970年の「世界の国からこんにちは」という万博をかいま見た世代でございます。当時とは社会情勢も経済情勢も明らかに違っておりまして、当時はいけいけどんどんの時代でございましたんで、全く今の状況とかけ離れて違っておりまして、この事業は全く新たに、愛知万博はございましたけれども、全く新たに立ち上げる事業であろうかと考えております。
1970年の日本万博は、「人類の進歩と調和」をテーマに開催され、183日間の開催で6421万8770人が来場し、3兆円もの経済効果がありました。今回、経産省の試算では1兆9000億円、大阪府の試算では6兆4000億円と経済効果予測に3倍もの開きがありますが、その可能性に賛成をいたします。しかし、このたびの会場建設費1250億円は、国と地方自治体、経済界が3分の1ずつ負担することが決まっています。