吹田市議会 1997-12-16 12月16日-05号
大阪においては1970年万国博覧会が開催され、その跡地の一部にアーチェリー場が建設されました。以降、世界チャンピオンを招待したり、月例競技大会、各種別教室も開かれ、市民にとってもアーチェリーというスポーツが定着をしております。 今年はなみはや国体が開催され、さらにはオリンピック誘致も進められている現状であります。
大阪においては1970年万国博覧会が開催され、その跡地の一部にアーチェリー場が建設されました。以降、世界チャンピオンを招待したり、月例競技大会、各種別教室も開かれ、市民にとってもアーチェリーというスポーツが定着をしております。 今年はなみはや国体が開催され、さらにはオリンピック誘致も進められている現状であります。
これ以外にも、1970年代にイタリアのセベソという町の農薬工場で大爆発が起こって、周辺一帯が高濃度のダイオキシンで汚染され、その一帯は土をかぶせるなど対策を講じて不毛の地として現在に至っているとも仄聞いたしております。
本市におきましては、昭和45年 (1970年) 5月に吹田市同和教育基本方針並びに同和教育推進についての具体的施策が制定され、それに基づいて取組みが始められているものでございます。したがいまして、40代以上の方々は小・中学校で同和教育を受けていない世代となっているもので、年代別の傾向につきましてもそのようなことが背景となっているものであると認識しております。
片山地域は、昭和45年 (1970年) ごろから昭和51年 (1976年) にかけまして公共下水道の整備を行ってまいったところでございますが、8月7日の集中豪雨は吹田市役所の雨量計では時間当たり54.5㎜となり、記録的な降雨によりまして公共下水道の流下能力を超えたために、上流の朝日が丘町、片山2丁目、3丁目地域での雨水が表面水となって流下し、大阪高槻京都線の片山交差点に集中し、住家・店舗等が浸水したものと
スウェーデンでは、1970年代に少子化が社会問題化した際、例えば、出産費用の無償化や、16歳未満への児童手当の支給、教育費の無料化などを行い、出生率の回復に成功しました。本市においても同じような効果を上げられますよう、さまざまな施策に工夫を凝らしていただきたいと思います。まず、多様な保育サービスをさらに一層充実していただきたいと思います。
ことぶき保育園は同和保育所として昭和45年(1970年)に開園し、当時は200人程度の入所者があった。地対財特法の法期限も迫っており、また、平成4年の府の審議会の同和行政のあり方に関する答申の中でも、同和保育所の地域への開放がいわれている。ことぶき保育園については、一定の条件が整った段階で混合保育の実施を検討していく。
まず最初に、市有川面墓地の整備と再募集についてでございますが、この墓地は昭和45年(1970年)1月に使用許可をいたしました区画のうちで、これまで数度にわたりご指摘のありました墓石・墓標のないものを調査いたしましたところ、41区画ありました。この41区画のうち35区画が返還に同意し、残り6区画につきましては建立済みでございました。
市有川面墓地は、昭和45年(1970年)に使用許可をいたしました区画のうちで墓石、墓標のないものについて返還を受けたものの移設などを含め整備を進めているところでございまして、現在のところ63の空き区画を目指しましたので、今年度内をめどに関係規程の整備を急ぎ、早い時期に公募できるよう努めてまいりたいと考えております。 以上、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げます。
当地域には、ご指摘にもございますように、昭和45年(1970年)に区画整理事業が計画決定された後、まちづくり準備委員会が発足する中で、再開発計画や住環境整備計画が提案され、南正雀ふれあい公園、岸部南公園や岸部市民センターの設置を見るに至ったのが現状でございまして、残念ながら当初計画どおりの実現に至っていないのが実情でございます。
また、オリンピックの大阪開催は、1970年の万博、1990年の花博に続く20年後の市民共通の夢として、市民、そして日本全体のコンセンサスを得るよう、さらに熱意をもって取り組んでいきたい旨、それぞれに力強い決意を表明されたことを申し上げておきます。
1970年にアフリカ諸国で、ある奇病が発生したと伝えられます。1983年にウイルスによる病気であると究明されました。いわゆるエイズは全世界で患者数、約100万人、キャリアつまり感染者は1,000万人にも達していると言われており、今後とも爆発的に増加することが確実視されております。このエイズは今世紀最大の難病であるといっても過言ではありません。一方、我が国の実情はどうなっているのか。
次に、オリンピックの誘致についてでございますが、国際的なビッグイベントということでは、1970年に千里で開催いたしました千里万博が大阪の発展に大きなインパクトになりました。また、1990年、一昨年の花の万博は、21世紀のまちづくりの理念を考え、また大阪の国際化に大いに役立ったところでございます。オリンピックといいますとこれらにも勝る大国際的イベントでもあります。
激動の1970年代から脱出して、景気回復と安定成長を基調とする1980年代に移行して本年は2年目に当たりますが、その間わが国の経済は、2度にわたる石油ショックを乗り切り、かねて続けられてきた国民の勤勉を基礎とする民間部門の活力と、他方、国民生活の充実、向上に寄与した政府・自民党の公共部門の役割りにより、ようやく回復基調が定着化し、今日、世界経済に重要な地位を占めるとともに、大きな役割りを果たすに至っていることはご
というのも、本年は申すまでもなく激動の1970年代最後の年であり、明年からは1980年代に突入し、この意味で本54年は、時代の歴史的観点に立てば、大きな折り返し点に当たる大切な年であります。
市長はさきの本会議において、本年度予算案に臨む基本姿勢として、1970年代にふさわしい都市に住む市民、都市に働く人々が平和ですこやかに豊かな暮らしができるように、人間本位の市政を推進することを最重点にすることを表明されました。
私はご指摘のとおり中馬市政を継承いたしまして、これをさらに1970年代にふさわしい発展をはかってまいりたいと思っておるのでございますが、今後の市政運営の基本的な考え方といたしましては、何と申しましても、大阪というきわめて激しい過密の大都市、この大都市における都市住民の過密から出てまいりますいろいろな悩み、不平不満あるいは不安というものを、私どもはこれを先取りいたしまして、これと非常にむずかしい問題ではございますけれども
私は、選挙の際にも市民の皆さま方に申し上げましたとおり、中馬市政を受け継いで、これをさらに1970年代にふさわしいような発展をはかってまいりたい、こういうふうに申し上げておったのでありますが、現在も私は、中馬路線を踏襲し、さらにその発展をはかってまいりたいと考えております。政府の都市政策の問題、あるいは地方自治体行政と政治との問題、こういった問題につきましては、こういうふうに考えております。
そして、いよいよこれからは1970年代にふさわしく、都市に住む市民、都市に働く人々が、平和ですこやかに豊かな暮らしができますよう、人間本位の市政を推進することが今後の最重点課題であると考えるのであります。
1970年代は人間性の回復の年代と言われ、潤いのある調和のとれた町づくりが必要でありまして、長期マスタープランに基づく再開発も、市民が生涯を託するに足る住みよい、働きやすい魅力ある大阪をつくる骨格づくりを考えたのでありますが、それに職能的な交通網や大阪港の整備などの欠陥を廃し、さらに豊かな肉を盛り上げるために、文化的な諸施策と社会福祉を充実していかなければならないと思うのでありまして、私も微力ではありますが
まず第一番目は、昨日来たびたび出ております公害の問題でありますが、このことに関しては、私ども、46年度の重点施策であることはもちろん、1970年代の重大な問題として読み上げられましたように、人間本位の行政をどうして確立するかということが、今後の重大な問題と考えております。公害の問題にはさらに力を注いでいくことを繰り返しておる次第であります。