45件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

八尾市議会 2005-11-09 平成17年11月 9日決算審査特別委員会−11月09日-04号

しかし、このネーミング、名付け親とも言う堺屋太一さんが雑誌の中で、暗いイメージではないんだと、このピンチチャンスに変えることができるんだということをおっしゃられて、「この取り組み方によっては、黄金の10年の日本をつくれる」と、このように言われております。  今回の決算審査を通じまして、やはりこのピンチチャンスに変えるんだという、これが大事だとこのように感じております。  

泉南市議会 2005-06-22 平成17年第2回定例会(第1号) 本文 開催日: 2005-06-22

団塊世代と言われる人たち、つまり作家の堺屋太一さんが小説の題材として命名されましたが、大きくは昭和22年から昭和24年生まれの人であると位置づけられております。  数年後には一斉に定年を迎えます。定年を迎えた後、自分に合った生き方あるいは働き方をいかに実現するか、そういう問題がございますが、その世代人々だけではなくて、本市にとっても大きな課題でございます。  

大東市議会 2004-12-21 平成16年第 4回定例会-12月21日-03号

堺屋太一さんの──さすが市長、読んではりますね、本なんですけど。人生の峠を越えた中年男の暗い話ではないんです。この大和川つけかえについての話で、この後書きで堺屋太一さん、僕は余り好きではないんですけど、この本を読むとよく調べておられます。元禄、いわゆる江戸中期の華やかな時代が過ぎまして、宝永、享保の年間になって経済が傾いていくと、下っていくと。政治も停滞する、自然災害も多発していくと。

柏原市議会 2004-03-17 03月17日-05号

さて、堺屋太一経済企画庁長官対談の中でのお話で、こういうふうに話をされておられました。 高齢者の雇用について、堺屋太一・私は、閣僚のころから70歳まで働くことを選べる社会を提唱してまいりました。人類の歴史を見ると、平均寿命の大体6割の年数を働いているそうです。「人生50年」と言われた江戸時代は30年間、人生50年に6割を掛けていただきますと、30年間ということです。

柏原市議会 2004-03-15 03月15日-03号

それから、坂口厚生労働大臣堺屋太一さんの対談がある雑誌で載っておりましたけれども、高齢社会というのは、高齢者が多くなったから大変だということではなくて、元気で活動している人たちがどれほどふえても、そこには問題がないということで、堺屋太一さんも「そうなんです。「不老長寿」は昔から人生の一番の幸せだと言われました。今、長寿は実現した。あとは不老です。

箕面市議会 2004-03-05 03月05日-03号

私は、今世紀を「高齢社会」から、幸福の幸と書きますが、「幸齢社会」にと提唱する堺屋太一氏の考え方に共感を覚えました。そして、それへの橋渡しを主導するのが政治であり、行政の役割であると思います。幸福の「幸齢社会」への転換を図るには、そこに住む人々が生涯現役の仕組みをつくることであります。 そうした意味では、介護保険は一定の役割を担っております。

高石市議会 2003-04-27 09月30日-08号

          野中高夫     次長環境防災課長   土師正彦 庶務課長        中塚正博 (市民生活部) 部長          二ノ井廣造    次長保険年金課長   山本定夫 (保健福祉部) 部長          大下 肇     次長介護保険課長   澤田正憲 高齢障害福祉課長    古川敬三     児童福祉課長      吉田正之 (建設部) 部長          池本太一

泉佐野市議会 2002-03-06 03月06日-02号

私の質問はここまでなんですけれども、最後に少し内閣特別顧問堺屋太一氏の文章を引用させてもらって締めくくらせていただきたいと思います。 泉佐野市は現在新田谷市長のもと、泉佐野市のさまざまな改革を行っています。日本歴史の中にも改革の例は多くありますが、その方向と結果には二つの種類があり、人々官僚統制の固定した世の中に抑え込んだ「閉じる改革」と、新しい発想と文化に飛躍させる「開く改革」があります。 

高槻市議会 2002-03-01 平成14年第1回定例会(第1日 3月 1日)

ただ、当時の堺屋太一大臣は、これが景気対策という一つの方針の中で出てきた話なんです。ですから我々は、これをやって、国民パソコンを買ってもらって、景気浮揚策にしようと。ところが、当時、我々がこういう質問をしているときに、既にアメリカではパソコンの販売は頭打ちに来ているという情報が入っていたわけです。だから、果たしてつながるのだろうかということだったわけです。

池田市議会 2001-12-21 12月21日-03号

しかし、センターがあってもいいだろうということで総合福祉会館という構想もまだ生きてはいるという市長見解でありますから、福祉ではサテライト、教育では中心集約ということで、施策に矛盾が来るわけですし、前回の森内閣のときに、特に堺屋太一さんが福祉施策について、やっぱり地域に歩いて通えるというすぐれた都市の再生をそれを拠点にしてやっていこうというふうな施策が、政府でも言われているわけです。 

泉大津市議会 2001-03-09 03月09日-03号

経済企画庁長官堺屋太一氏は、このような状況を「景気の二番底」と表現をしております。本市を取り巻く財政状況は、厳しさの度を増しておりまして、景気動向に左右され、税収が伸び悩んでおります。平成13年度施政方針で、将来の財政再建準用団体への危機が取りざたされるまで悪化しております。私の身近にも、会社の倒産やリストラに遇われた人や、就職の相談が後を断つことなく寄せられております。

四條畷市議会 1998-12-18 12月18日-02号

小渕内閣経済企画庁長官堺屋太一さんが11月10日、日本記者クラブで講演した後に、この問題について福祉対策政治問題であり、経済政策とは思っていない。こんな批判的な見解を述べておられるんです。小渕内閣経済専門担当者がこういうふうに言うぐらいですから、大変世の中では評判が悪いな、こういうふうに思うんです。それだけに今の景気対策をそれぞれの立場で考えたときに、どうあるべきかと。

東大阪市議会 1998-12-09 平成10年12月第 4回定例会−12月09日-03号

昨日堺屋太一経済企画庁長官が12月の月例経済報告で変化の胎動も感じられると明記されておりますが、なお先行きに明るさを持てる状況とはなっておりません。過日経済部から発表されました本年7月から9月期の市内中小企業動向調査によりますと、前年同期比で悪化したと回答した企業が83%で、調査開始以来最悪の景況数値となっております。

高槻市議会 1998-10-01 平成10年第4回定例会(第3日10月 1日)

しかし、時期を逸した上、減税規模も小出しに終わったため、景気回復の効果はなく、堺屋太一経済企画庁長官も、個人消費を喚起するには至らなかった、と語っています。  公明は、この経費回復のため、商品券減税を提案しています。赤ちゃんからお年寄りまで、すべての国民に対し、1人当たり3万円の期限つき商品券を支給するものです。総額4兆円で、これは消費税アップに見合う額です。

大阪市議会 1998-09-25 09月25日-01号

そして、この橋本内閣の文字どおりの失政について、堺屋太一経済企画庁長官まで指摘しているほどであります。 しかも、問題なのは、この橋本内閣を引き継いだ小渕内閣が、この間、日本実体経済をよくするためには何の手立ても講じないで、もっぱら長銀への公的資金導入にきゅうきゅうとしていることであります。そして、経済界からも強く出されている「消費が冷え込んでいる。

東大阪市議会 1998-09-22 平成10年 9月第 3回定例会−09月22日-04号

政府が7月に発表した経済白書では、昨年の春以降の景気後退消費税率引き上げに伴う駆け込み需要反動減に加え消費税率引き上げ特別減税の終了などの影響金融機関破綻による金融システムへの信頼低下などの影響もあり景気停滞状態となったと分析し、さらに経済企画庁堺屋太一長官は8月の月例経済報告景気は低迷と、さらに踏み込んで景気の現状が非常に厳しいことを率直に認めておられます。

大阪狭山市議会 1998-09-14 09月14日-03号

一、二挙げますと、経済企画庁長官をいたしております堺屋太一が記しておる本に明らかに書かれてもおりますし、先般私どもの会派が研修してまいりました三重県紀宝町の教育長も、ここは学区制度を撤廃したわけでございますが、文章には表現していないけれども、行き着く先として教育長が期待するものは、自由と競争を奪う学区制度を廃止して、将来教師も選ばれるような地域になることが望ましいんだけれどもという、これは夢として

河内長野市議会 1997-06-19 06月19日-03号

先週実は配付してもらった「自治大阪」の4月号の堺屋太一さんの市町村トップセミナーの講演の内容が載っておりまして、その中で大きな問題提起がございますから紹介させていただいて、質問にさせていただきます。 昭和16年に日本教育国民学校令、これはナチス・ヒットラーのフォルクスシューレという--直訳で、これは要するに公立の学校をつくる、私学はやめると。