守口市議会 2006-06-13 平成18年財政総務委員会( 6月13日)
日本は幕末に、その他の列強がずうっと帝国主義の時代に入っていく、植民地政策をしていく中で、日本は当時鎖国政策をとって、武器の進歩は全くなかったんですね。船でも、軍艦がない。千石船の1本マストが立った、世界でも有名なすぐ転覆するような船ですから、大きな船はつくれない。島国でありながら、そういった防衛をほとんどやっていなかったんですね。
日本は幕末に、その他の列強がずうっと帝国主義の時代に入っていく、植民地政策をしていく中で、日本は当時鎖国政策をとって、武器の進歩は全くなかったんですね。船でも、軍艦がない。千石船の1本マストが立った、世界でも有名なすぐ転覆するような船ですから、大きな船はつくれない。島国でありながら、そういった防衛をほとんどやっていなかったんですね。
つまり、明治政府の富国強兵策のもと、1875年(明治8年)には当時鎖国政策をとっていた朝鮮半島李王朝へ干渉して江華島事件を日本軍は起こしたわけであります。軍艦を出動させての軍事干渉であります。江戸末期から明治初期の著名な学者がこぞって、日本の発展のために他国への進出を奨励する主張を持っておりました。
そして、長い鎖国政策の中で、世界という国際社会の変動に対応する能力を失っていった。準備不足ですね。最後にどうなったかといったら、将軍慶喜が打ったのは大政奉還という奇策であった。結果的にこれが徳川幕府260年の歴史を閉じてしまうという原因になっていったという、こういうことは1つの例題であります。逆に言うと、この逆をやると成功するんじゃないかなという部分も、私は言えるんじゃないかなと。