八尾市議会 2021-09-07 令和 3年 9月定例会本会議−09月07日-01号
ただ、1回目の答弁でいただいた、私はいい答弁だなと思うのが、市民、企業、行政の三方よしというのは、本当に近江商人の心得ではないのですが、いい形になるかなと思うので、こういったものが、より市民に見えるようなものを出していただきたいと思います。
ただ、1回目の答弁でいただいた、私はいい答弁だなと思うのが、市民、企業、行政の三方よしというのは、本当に近江商人の心得ではないのですが、いい形になるかなと思うので、こういったものが、より市民に見えるようなものを出していただきたいと思います。
特に関西企業には、江戸時代に活躍した近江商人の三方よし、売り手よし、買い手よし、世間よしの精神が脈打っていることから、SDGsへの関心が高く、企業と消費者が互いに満足し、社会にも貢献するのがよい商売であるという考えはSDGsに通じる部分が大いにあります。 実際に、先ほどお聞きしたジャパンSDGsアワードにおいても、たびたび関西の企業が受賞を果たしています。
その考えに立脚しますと、本市の取り組みは、迅速かつ類いまれなるアイデアとシステムの構築、プロモーション戦略によって、本市ばかりか特産品協定を結ぶ他の地方自治体と事業所の活性化にも貢献することができる、まさに近江商人の経営哲学である買い手よし、売り手よし、世間よしのいわゆる三方よしに通ずるものであります。
最後に、若き伏見市長がますます円熟度を増されていくために心得ていただきたいという私の思いから、近江商人の思想を紹介させていただきたいと思います。 それは、今から250年も前から、近江商人の間に脈々と引き継がれている近江商人の原点、三方よし、この思想、経済哲学であります。
また、我が国には、それ以前の中世から近代にかけて活動した近江商人の「三方よし」があります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」です。「論語と算盤」「三方よし」の精神は、私たち日本人のDNAに流れていると思います。それを忘れず、世界のモデルとなる日本型資本主義をつくり上げていきたいものです。
よく近江商人に売り手よし、買い手よし、そして世間よしという3つのよしという、三方よしというのがありますけれども、大阪狭山市も住んでよし、そして育ってよし、生まれてよしと3つのよしを実現するように大阪狭山市の実現をめざしてもらったらと思います。
私の大好きな言葉に、近江商人の三方よしの精神がございます。すなわち、売り手よし、買い手よし、世間よし。この問題も、私はその精神だと思います。地元西小路よし、行政よし、世間よしであります。あくまでも、きょうが問題解決の出発の日だと思っています。 そして、いつの日か災い転じて福となすになったな、喜び合える日が来て初めて解決であります。その日まで、広瀬部長、一緒に汗流していきましょう。
三方よしというのは、これは近江商人の商売の基本といいますのか、三方がいいということですから、患者さんがよくて、医療機関がよくて、地域もよくなるということの結果として三方よし研究会ということを設立されているようですので、これもまた参考にぜひ情報収集をしてほしいなというふうに思います。
箕面市シルバー人材センターが地域交流センターの指定管理者になっていただくことは、箕面市にとても地域にとってもありがたいことであり、近江商人の三方よしの理念に共通するものであります。小野原多世代地域交流センターの管理運営が、名実ともに売り手よし、買い手よし、そして世間よしとなりますことを期待いたしまして、賛成討論といたします。 ○議長(西田隆一君) 以上で通告による討論は終わりました。
近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よしではありませんが、箕面市よし、業者よし、市民よしにつながることを大いに期待するものです。地方主権と言われる時代、今後の行財政運営の各分野で民間事業者やNPO法人の活用を図っていくべきであることを強調しておきます。もちろん、そこに節度としっかりしたルールが必要なことは言うまでもありません。 4点目は、箕面市緊急プランに関連して申し上げます。
それから、東近江市の人づくりプランの中では、ここは近江商人の地ということで、近江商人の商いの理念「売り手よし、買い手よし、世間よし」、こういうところから「三方よし」という言葉をつくって、「自分よし、相手よし、社会よし」と、こういう言葉のもとに市民が子どもたちを育てる共通の基本理念として打ち出しているところであります。
2点目は、近江商人の「三方よし」の精神であります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」の理念であります。 江戸寛永2年、今から255年前、近江商人矢尾貴兵衛が秩父に開いた矢尾酒造、9代目当主、矢尾百貨店、矢尾直秀社長の言葉を紹介しましょう。「うちは他国者だったがゆえに、地元の商人以上に地域社会に神経を使って、その役に立つことが必要だと考え代々それを実践してきました。