四條畷市議会 2017-12-14 12月14日-02号
平成21年6月議会において、40周年に向けての手軽な冊子を、また50周年に向けての市史をつくっていただきたいと要望し、そのときの理由は、本市の市史第一巻は昭和45年の市制施行を記念して昭和47年に刊行されており、作成期間を考えれば、市史とはなっているものの内容はあくまでも四條畷町史ではないか、それならば改めて50周年に向けて市史をつくるべきではないかとの要望に対して、前向きな答弁をいただきました。
平成21年6月議会において、40周年に向けての手軽な冊子を、また50周年に向けての市史をつくっていただきたいと要望し、そのときの理由は、本市の市史第一巻は昭和45年の市制施行を記念して昭和47年に刊行されており、作成期間を考えれば、市史とはなっているものの内容はあくまでも四條畷町史ではないか、それならば改めて50周年に向けて市史をつくるべきではないかとの要望に対して、前向きな答弁をいただきました。
もし御存じでなければ言いますけれども、阪神大水害という災害名で、これは豊能町史に載っておるんですけれども、東能勢村のときです。これは山津波、今でいう土砂崩れ、今のまさに土砂災害です。これで死者9人、家屋流出、倒壊46カ所、家屋浸水67カ所、山崩れ300カ所、町村道崩壊39カ所、河川等崩落487カ所とこういう災害があったところです。
また、深い郷土愛とともに狭山町史の監修に当たられ、子どもたちへの考古学に関する知識の普及にも尽力されました。末永先生は、平成3年、1991年にご逝去されましたが、その偉大な功績は大阪狭山市の誇りとして後世まで語り継がれるべきものであります。 末永先生がご逝去され25年以上経過した現在、末永先生を知らない市民が数多くおられるようであります。
昨年度同額の1万4,000円を見込むもの、町史等の売捌収入といたしまして、こちらも昨年度同額の4万8,000円、スポーツ教室の参加費ということで、3教室分開催予定を見込むもので、1万7,000円、生涯学習講座等の参加費といたしまして、8講座開催予定分の17万7,000円、その他収入といたしまして224万8,000円でございますけれども、これにつきましては、国体スポーツセンターの用地に係るもの224万
私のほうからは以上で再質問を終了させていただきますが、この土砂災害については、これは交野はここ1、2年の話ではなく、それこそ交野町史をひもとけば実は私部村はもともと群南街道の麓あたり、あるいは私部墓地のあたりにあったというふうに記述がございます。
つまり四條畷市史とタイトルはなっていますが、内容はあくまでも四條畷町史なのです。先の質問では11年後を見据えた事業であると当時述べられました。しかしそれから月日は経ち、来年には市制45周年、そしてその5年後には50周年を本市は迎えます。 そこで質問ですが、我がまち四條畷市の半世紀の歩みを記録しておく市史を作成しようと決定した経緯、また現在の進捗状況を教えてください。
本町における過去の災害を振り返りますと、昭和13年の東郷地区に死傷者10名の被害をもたらした水害を初め、昭和28年の山辺川、野間川の決壊、昭和34年の伊勢湾台風に伴う水害、そして昭和35年や昭和47年にも台風による被害など、能勢町史にもその記録が残されております。 その後、河川整備、砂防ダム等の防災対策により、幸いなことに近年は多数の死傷者を伴う大規模災害の発生はございません。
続きまして、その下の町史等売捌収入といたしまして、町史1巻から5巻と能勢の浄瑠璃史の売りさばきといたしまして4万8,000円を計上しております。そして、その下、またスポーツ教室等参加費といたしまして、B&G海洋センターにおける13のスポーツ教室とウエート講習会の参加費といたしまして218万2,000円を計上しております。続きまして、53ページをお願いいたします。
門真町史などによりますと、一帯は茨田堤に続く武内堤根神社を中心に早くから開けて集落を形成し、一般庶民が神前に供えた日用品を使った後、土中に埋蔵する習慣があったという説があり、宮前町内では昭和35年に約150点、昭和50年に約50点の土器や木製品が出土しています。このシンポジウムの内容及び旧街道の路面標示についてお聞かせください。
その次の次、町史等売捌収入といたしまして4万1,000円を計上しております。その下、スポーツ教室等参加費といたしまして、B&G海洋センターにおける参加費217万5,000円を計上しております。下から2つ目、生涯学習講座等参加費といたしまして、13講座分の参加費20万円を計上しております。
中西健雄という水道事業管理者に、池田市の水道どないなったんかなと、どないなって発足したんかなというて聞きますと、即座に池田町史を書庫から引っ張り出して、昭和13年、昭和14年、昭和15年の3年間の大池田町最後の大事業であり、池田市、昭和14年最初の事業であったと。3年間の総工費は約、ちょうど100万円、1年間で33万円ずつ使ったすごい事業だったんだというふうに聞きました。
その2つ下、町史売り掛け収入といたしまして4万1,000円、その下、スポーツ教室等参加費205万円、その下から2つ目、生涯学習講座等参加費といたしまして18万円、その他収入といたしまして、B&Gと国体記念に係る分の国体の分でございますけども、用地代230万円余りを収入として上げております。256万1,000円のうち258万1,000円を生涯学習課が占めております。
本町にとりましても、能勢町史の一端にこのことは記すべきであろうなと考えております。 ○9番(八木 修君) ぜひとも施設組合の副管理者でもあるわけで、組合のほう事業そんなにたくさん今あるわけではないので、今の現有メンバーで大変かもしれませんけども、ちょっとずつでも整理していって形にしていく。
○9番(八木 修君) 教育長は今、町史の話もされて、昔でいえば僕も、町史をちょっと読ませてもらうと、昔は、明治当初の人数、ずっと町史にも書いてあって、洋裁の学校ちゅうか、もう小学校と同列でそういう学校もあったり、各地に石碑が建ってるところも幾つかあるように、たくさんの学校があったのも事実ですけども、でも、現実この中で何ができるかっていうのは、やっぱり教育の力でできることも多少あるかと思うので、そこはまたいろいろ
その2行下、町史等売捌収入で6万円、これにつきましては、「能勢町史」の売り上げ4万円及び「浄瑠璃史」、「響き舞う浄瑠璃」の売上金を2万円、合計6万円を見込んでおるものでございます。その1行下、スポーツ教室等参加費ということで193万6,000円を見込んでございます。
またその様子も柏原町史や柏原市史にもきれいに記されております。現在では河内木綿を見たということがない方々もたくさんふえているわけでございます。 河内木綿がこの町に与えた財産というのは大変大きなものであると考えるわけであります。例えば、河内木綿の肥料を卸して財を残した三田家住宅さんもそうですし、昭和62年ごろまではこの河内木綿を使ったさらしや浴衣の生産が盛んでありました。
○環境創造部長(森村 保君) ただいま御提案ございまして、議員からは詳しくお伺いしたわけでございますけれども、私、当然町史の関係で記載もございまして、その程度の知識しかございませんけれども、おっしゃっておりますようにこういう機会というものをとらえまして、いわゆるこれにちなんだ伝説、いわれとかをこういう機会に整理をいたしまして、情報の発信をしていくということが考えられるかと存じます。
続いて、町史等売りさばき収入でございます。これにつきましては、「能勢町史」及び「響き舞う浄瑠璃」、「浄瑠璃史」の売り上げとして8万円を見込んでおるものでございます。
阪南町史初の女性議員として20年前に登壇してからきょうまでの4期16年間、1人会派に移行して14年間、1人会派を貫いて活動できましたのも、市長様初め職員の皆様方の一方ならぬご指導、ご協力があってこそと、議場を去るに当たりこの場をおかりいたしまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。ありがとうございました。
つまり、この本は市史でありながら実態は町史であると思うのであります。ただ、先にも述べましたとおり20周年のときに第4巻を発刊されていますが、これはあくまでも史跡総覧であり、また昭和54年3月1日発行の第2巻、昭和58年8月1日の第3巻はあくまでも史料編となっていますので、この話からは外して考えます。