河内長野市議会 2021-03-11 03月11日-03号
◆5番(山本一男) 協定病院といたしましては、寺元記念病院、南河内おか病院、青山第二病院、沢田病院、滝谷病院、てらもと医療リハビリ病院ということで6病院ということで考えられると思っているんですけれども、地域に関しましても40か所ぐらいということで、その辺、多岐にわたりますので、教育とか予行演習というのはどのように考えられているんでしょうか。 ○議長(三島克則) 市民保健部長。
◆5番(山本一男) 協定病院といたしましては、寺元記念病院、南河内おか病院、青山第二病院、沢田病院、滝谷病院、てらもと医療リハビリ病院ということで6病院ということで考えられると思っているんですけれども、地域に関しましても40か所ぐらいということで、その辺、多岐にわたりますので、教育とか予行演習というのはどのように考えられているんでしょうか。 ○議長(三島克則) 市民保健部長。
具体的な病院名としては、寺元記念病院、南河内おか病院、青山第二病院、沢田病院、滝谷病院、てらもと医療リハビリ病院、この6か所での接種を予定しております。この6か所については、ディープフリーザーが順次国から配送される予定でございますので、それに併せてディープフリーザーの設置も行ってまいりたいと考えております。
当時の医療機関は国立病院と民間の沢田病院、ベッド数はわずか22床であります。診療所は19床まででありますから、わずか3床多いだけの小さな病院でありました。そして、滝谷病院の93床、合計115床の2つの病院のみでありました。
現在の休日急病診療所、これは昭和55年5月、人口7万8,000人当時に開設されまして、当時は国立病院以外には民間病院は2病院、すなわち滝谷病院の93床、沢田病院の22床、合計115床であり、開業医は32の医院で、医療環境はあまりにもよいとは言えない状況であり、昭和40年から50年代は医師も少なく、当時としては休日急病診療所の設立と体制でも市民からは喜ばれた時期がありましたが、20年後の現在、民間病院
それから沢田病院、これは22床の病院でございますが、わずか2カ所であり、そして開業医は32医院ありました。人口比率からしても、医療を取り巻く環境としては医療機関の少ない時代でありました。現在では6つの病院、国立病院を含めまして7病院でございます。開業医院数は32から70の開業医でございます。すなわち病院数といたしましては3倍に膨れ上がっております。
きょうは沢田病院があいておるので、そちらへ行ってくれ」ということで、中へも入れてもらえず、沢田病院に参りましたが、先客が二人もあり、三十分以上待たされました。この件に関しまして、当直医師がたとえ内科専門であっても、お医者さんは全部国家試験のときに全科目の試験を受けております。そして、応急処置ができない方はおられないと思います。