東大阪市議会 2020-12-11 令和 2年12月11日環境産業委員会−12月11日-01号
当時、松見市長の鶴の一声で環境部の指示に従ってくれと、環境ISOを取得するためには従ってもらわなできないということで全庁的に司令があって、前へずっと進んでいったという経緯から考えると、東大阪は協議してたらみんな譲り合いしかないという非常に譲り合うの心の強い行政やから、奪い合いよりも。
当時、松見市長の鶴の一声で環境部の指示に従ってくれと、環境ISOを取得するためには従ってもらわなできないということで全庁的に司令があって、前へずっと進んでいったという経緯から考えると、東大阪は協議してたらみんな譲り合いしかないという非常に譲り合うの心の強い行政やから、奪い合いよりも。
ラガーステーション、玉手山遊園地やあやめ池遊園地が閉鎖されて子供たちが遊ぶところがないということの中で、あれを松見市長のときにあそこで遊具を備えて遊園地にしていただいたという経過もございます。そのような経過を忘れることなく、これからもより一層すばらしい公園に育てていただきますようお願い申し上げまして、私はこれで終わっておきます。 ○川光 委員長 他にありませんか。
大阪府下で東大阪市が松見市長の最後の年ぐらいだったと思うんやけど、ちょうど条例ができた年なんですが、そのときにはまだ今のような児童虐待がこれだけ新聞紙上とかテレビでも言われてることは少なかったんやけど、そのときからずっと児童虐待のことはいろいろと提言したり質問させていただいたりしてることがあるので、非常にこのことについては思いを持ってますので、今後この進捗状況等またこの委員会でも聞いていきたいと思いますので
本市でも松見市長の時代に制服を廃止しました。多くの職員は社会通念上、良識的な服装をしていますが、中には、繁華街でショッピングをしたり、郊外でハイキングをしているような、そんな服装で業務についてる、そんな職員が目につきます。以前には本庁舎駐車場の交通誘導員がスリッパ履きであったために、何か事故が起きたときに即座に対応ができないという指摘をし、改善してもらった例もあります。
当時、あれ松見市長のときやったけど、大阪府下で初めて児童虐待の防止条例をつくったんですよ。やはりそういったほかがやってないようなことを先に東大阪がやったらどうですかと、こういうことを言うてるんやね。そういう中で何回も言うんやけど、平日の夜間窓口延長、これはぜひとも取り組んでいただきたいと、このように強くこれは要望しておきたいと思うんですわ。 それとワンストップサービス。
松見市長はどうしても持ちこたえられへんかったから、凍結します、こういうふうに言いはってん。凍結ということは物すごい大きな意味があるんです。東大阪市は決めるときにはそう言いはるけども、それを用いるときには、凍結解除します、そういうことを言いはれへん。いつ凍結解除しはったのかな。ついでに言うけども学校校務員も当時は、採用しませんと。
続いて平成14年6月に松見市長が就任をされました。平成17年2月に上下水道統合基本方針が決定されまして、平成17年4月1日の時点では総合庁舎と下水と水道局庁舎の併用ということでございました。また平成17年4月、御存じのように上下水道局が発足をいたしたわけでございます。
例えば松見市長が初めて選挙をやるときの公約は、高井田にもう一遍工場地域をよみがえらすと。そやから固定資産税半分にまけると、こういう公約をしはった。これ税制上できひんということで断念して松下冷機がどっかへ行っちゃったわけや。逆に東大阪市の固定資産税率というのは国が決めている基準の半分ぐらいと、ちょっとこれ私、うろ覚えな記憶やから、例えば工場が建つのやったらそのまま固定資産税半額でいいです。
◆野田 委員 これは松見市長のときに肝いりでできたことですよね、まちづくりというのは、リージョンセンターも含めて。これから動きはるんですか。今まで本当に私たち、これ、企画委員を私も長いことさせていただいていますから申し上げますけれども、そのまま市民の皆さんに丸投げしていたということですよね。
以前、松見市長が中部事業所を含めて、全体のごみ収集の班数を当初予算で上げたよりも、アルバイトも含めて増班してしもうてん。これ、補正予算出さなあかん言うて、それ、あのときには先食いしてしもて、松見市長は処分してるで、自分で。当初の予定よりも、違うたことやったからいうて、松見さんは自分で処分してはる。減給処分してはる。同じことをやってんねんや。
しかしあのときやりはったんや、松見市長は。検証してはんねん、松見市長は。それで、済みませんいうて謝りに行って、従来の値段でお願いしますわと言いに行ってた。ないことないねん、服部さん。また話、変わるけども、大阪、橋下市長は赤バス廃止やって言ってる。各区長さん集めてやってるねん。廃止をする区もある。ただしどうしても地域住民の利便性を考えたときには、ハイヤー借り上げやっちゅう案も出てんねん。
私は平成16年ぐらいのときから、本会議とか委員会等で、子供を虐待から守る条例の制定を早くしたらどうやと、当時松見市長の時代でした。それで、何回も何回も毎回この委員会で言うてた。虐待問題の提言をしてました。そしたら、平成17年の12月、当時の松見市長が東大阪市子供を虐待から守る条例、これをされたわけです。これ大阪府下で初めてやったと思う。一番最初に条例の制定したんです。
確かにこの要望させてもらって以来ですね、野田市長を除いて清水市長から長尾市長、松見市長、野田市長と来てるんですけども、すべての皆さんがこういうことで早期に対応したいという、地域には対応されてるわけです。私も過去、野田市長とはしてませんが、過去のすべての市長とは地域の代表の皆さんと同席をさせていただいて、このあり方について検討もされてます。
◎野田 市長 当時松見市長のときであったかと思いますが、さまざまないわば政治的な背景がありまして、後にそのことについて疑問を申し上げたということはございます。 ◆飯田 委員 そうですね。あのとき一緒に話し合ったじゃないですか。本当に3人必要なのかと。だから先ほどから市長が答弁されてるように国との連携、国との連携いうて。
市民会館、永和図書館の建てかえですけれども、市長にお尋ねしたいんですが、これも市長が松見市長の時代に、野田市長は当時、中央病院の跡地に2つの施設を移したいという、そういう考え方示されたとき、当時野田市長はなぜ2つとも八戸の里なんだと、永和の活性化が必要なのではないかというふうに言われていたわけですけれどね、まずこの永和地域、市民会館となりますと、最低でも1000のホールが要るわけですね。
私の記憶するところでは、ちょうどあれ7年前か8年前に、当時の松見市長だったと思うんですけれども、私たまたまケーブルテレビでも見たんですけれども、いわゆるそういう即応体制ということで、震災が起きたということで、市長が住んでおられるところは枚岡ですかね、そこから歩いて来る。
そんな中で平成14年以降、松見市長が誕生したんですが、松見市長が誕生したときに野田市長はあのときは議会運営委員会の委員のメンバーであったというふうに思っております。あのときにちょうどまだ旧の庁舎でしたから音声の傍聴しかできませんでして、私部屋で野田市長の発言を聞いておりました。
松見市長のときから言うとるやない。これ、どないなったんねん。 それから社会教育の問題や。指定管理者の問題。それ以外いっぱいあるぞ、12項目。これ皆さんに関係する問題やど。国保のごまかした金やない。間違うた金やない。どない返すんや、これ。冨山議長からの問題やないか。皆さん方の人件費で払うて言うたんやろ。退職金で払おう言うたんやろ。これ、答え出てへんやないの。
名前は言うたらいかんけど、松見市長は言うたよ。教育委員会の予算権は市長みずからにあるねん。ほかの者にごじゃごじゃ言わすかいなと言おった。現実にそうなってあるわいな。こんな問題は教育に答えさせられへん。おまえも横にいて、ちょっと聞いた話を言うてんかという話と違うから。おかしいぞ。ということは、今まで延びたるのは、私が言いたいのはこの暫定予算。予算の中身はええがな。
ほんであれ松見市長に言うて、いわゆる担当官というものを置いてもうてんな。ほんで植田先生、今、えらい幸いにしてやってもろてんねんけどな、そのときの活性化ちゅうのはやっぱり体育課もうけようかということで、これは松嶋先生なんかでも一生懸命になって、我々もそうやった。一方ではどう動いてたかいうたら、いわゆる試験の問題あんねん、あれな。受験。前期、後期の問題。これこだいだ松井さん言うてたやっちゃ。