枚方市議会 2022-06-04 令和4年6月定例月議会(第4日) 本文
最近では、淀川河川敷における新たな取組をはじめ、そこから枚方市駅周辺、京街道宿場町、また市内全域への波及を目指し、面で捉えた観光の活性化を展開されているとお聞きしております。 こうした中、5月8日に淀川河川公園で行われたアクティビティーイベントは、観光活性化の取組の一環としてお聞きしております。この取組はどのような内容で、どんな結果が得られたのか、お伺いします。
最近では、淀川河川敷における新たな取組をはじめ、そこから枚方市駅周辺、京街道宿場町、また市内全域への波及を目指し、面で捉えた観光の活性化を展開されているとお聞きしております。 こうした中、5月8日に淀川河川公園で行われたアクティビティーイベントは、観光活性化の取組の一環としてお聞きしております。この取組はどのような内容で、どんな結果が得られたのか、お伺いします。
石橋に関して、西国街道と能勢街道の結節点として古くから栄え、池田市の玄関口として豊かな歴史が育まれてきた、あるいは、石橋は西国街道と能勢街道の結節点、瀬川宿として栄えていたといった類いの石橋宿場町論とでも言うべきものが、官民問わず散見されます。 しかし、石橋に住む私から見ると、石橋に江戸時代から続く商家や宿の建物や情報に触れた記憶はなく、それらの記述に違和感を感じてまいりました。
99 ◯塚本岳史住宅まちづくり課長 本事業の目的ですが、本市では、かつての京街道の宿場町であった枚方宿の町家など歴史的な景観が失われつつあったことから、平成14年度から、国庫補助制度の街なみ環境整備事業を活用し、この地区の道路などの景観整備や町家などの修景補助を実施し、歴史的景観の保全や形成を図ってまいりました。
旧守口市本庁舎跡のワンルームマンションについて、ある企業の独身寮になるのではないかとの憶測が乱れ飛んでいる昨今、東海道五十七次の最後の宿場町としての守口宿一帯のエリアリノベーションは、歴史地区としての再生計画を中心に据えるべきであると考えますが、どうでしょうか。 最後に、教育関係について2点質問します。 1点目は、スクールサポートスタッフ配置事業です。
京阪電鉄守口市駅北側エリアは、老朽化に鑑み、住み替えを促進している桜町団地や、かつての宿場町の名残を残す文禄堤、そして、現存する商店街の桜通商店街など、様々な色合いのものが混在した地域であります。しかし、この地域に存するほとんどの土地及び建物は民間所有のものであります。
また、ICTを活用した新たなAR技術により、百済寺跡における金堂や塔などの伽藍配置、楠葉台場跡の砲台の様子、東海道の宿場として栄えた枚方宿のにぎわいなど、人の動きや効果的なサウンドも取り入れた再現を試み、往時の光景を感じていただくことで、枚方の歴史文化をさらに発信できるよう、大学機関と連携した研究を進めていきます。 次に、総合的な防災対策の取組について、お答えします。
│ ├────┼──────────────────────────────────┤ │質問項目│7 文禄堤の活性化について │ ├────┼──────────────────────────────────┤ │質問内容│ 守口市において東海道57次の宿場町の風情を残す文禄堤は、重要な歴史│ │ │的資源であり、また数少ない観光資源でもあります。
平成12年には、国の街なみ環境整備事業を活用いたしまして、枚方宿地区の整備方針を定め、その中で、三矢公園付近を宿場町の本陣跡周辺整備として位置づけを行いました。 地元まちづくり協議会におきましても、かねてから本陣跡周辺の整備を要望されてきましたが、幼児療育園の移転に伴い、平成30年に正式に地元まちづくり協議会ほか7団体から、その用地を活用した整備の要望書が提出されものです。
○(坂元委員) 守口市には東海道五十七次の宿場町とかもありましたし、見てもらえるところとかいっぱいあると思いますので、ただやっぱり市民の方に周知があんまりできてないかなと。僕もボランティアでガイドとかさしてもらったりしてるんですけれども、その宿場町があったことすら知らないという人が多いと思うんですね。
江戸時代に宿場町としてにぎわった枚方の歴史を学び、枚方宿にとって大事な位置づけとなる鍵屋資料館の様々な事業や取組は大事であると思います。例えば、より若年世代にも来館いただけるような音楽演奏を企画するなど、より斬新な取組を検討していただき、来館者数が増え、多くの世代が来てよかったと思っていただけるよう、引き続き取組をお願いいたします。
議員ご指摘の道路につきましては、道路所管部局である都市整備部所管となるものでございますが、歴史街道協議会などから各自治体等の状況をお伺いしますと、歴史的に宿場町などで栄えたことや地域の実情など、歴史的なコンセプトに実施していくケースや、まちおこし的に進めていくケースなど、所管される部局は、その整備形態に伴い様々になっていると伺っております。
枚方宿地区は、かつて宿場町としてにぎわった歴史を広く市内外に伝えようと、鍵屋資料館が整備されるとともに、この20年来、地元のまちづくり協議会と行政が公民連携で歴史を生かしたまちづくりが行われてきたところであります。 地元まちづくり協議会では、かつてのにぎわいを取り戻そうと、毎月第2日曜日に五六市を開催し、街道沿いには、歴史的景観にマッチした建物やカフェ、雑貨店などの立地も見受けられます。
次に最後、5つ目のノバティながの平面駐車場の活用についての我々の見解でありますが、大阪維新の会のビジョンは、民間資金導入による新たな高野街道の宿場町を再現し、駅と街道を直結する商業通りの整備と民間活力導入による新たな公共サービス拠点の整備であります。
守口市には江戸時代、東海道五十七次最後の宿場町守口宿であった歴史があります。1616年に制定され、ことしで403年となります。少し過去の話になりますが、2015年、翌年に宿場制定400年を迎える年、ある地域団体主催の守口宿400周年記念パーティーにおいて、市長が来賓として挨拶されたときのことです。
東海道五十七次最後の宿場町が守口宿であると守口市内外に広める大きなきっかけとなりました。守口市の歴史的遺産を後世に受け継いでいく重要性を実感しています。この動きをとめることなく拡大していくことが守口市の活性につながると考えます。 そこで3点質問します。 第1点は、守口宿の案内ガイドの養成についてです。
日本の土地の成り立ち言うたらやっぱり宿場町とか門前町とか、そういうことで、長い年月かけてだんだんだんだん大きなってきた。しかし今の現在はああいう大規模な団地を、先ほど建設部長言われたように大規模な開発しかできんわけですわな。そこでは一時やから、もう一時の同じ年代の人が集中するから今のような豊能町のような状態になってしまうんですわ。
これ大枝文書という形で言われるんですけれども、57番目の宿場町ということで、非常に守口の歴史を知るという部分では非常に大事だというふうにお聞きしております。そういった部分で指定に向けて調査をしていただくという形を考えております。 ○(大藤委員) ごめんなさい、目録を作成するというのはいわゆる目次みたいなものをつくるというふうなイメージでいいんですか。
能勢街道で猪名川河川敷で営業されていた宿場がありました。石橋では、西国街道と結節点で、瀬川宿という宿場もございました。 能勢街道は、大阪市北区中津から池田を経て、妙見山の能勢妙見堂に至る旧街道でございます。
21 ◯白井千香保健所長 本市では、現在、ウオーキングに取り組むきっかけづくりの一つとして、日々の歩数を記録することで東海道五十七次の枚方宿から日本橋までの距離を宿場町マップ上で確認しながら楽しく歩くことができる取り組みを実施しております。