35件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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箕面市議会 2019-10-10 10月10日-03号

安岡定子さん、この方は、吉田首相をはじめ歴代総理指南役と言われた安岡正篤氏のお孫さんになりますが、今、全国20カ所以上で子ども論語塾を開催されています。教室には、お母さんのお腹の中にいるうちから参加されている方も多いとのこと。早くから皆に混じって素読をする、音の波の中に浸ることで論語言葉がどんどんしみ込んでいくのでしょう。

豊能町議会 2017-06-07 平成29年第3回定例会(第3号 6月 7日)

私ごとではありますけども、先般1泊2日で阪大病院へ行ってまいりまして、暇がありますんでちょっと久しぶりに安岡正篤の本を開いたんですけども、その中に移風易俗という言葉がありまして、これは「民風を変ずるは易く、士風を変ずるは難し。士風を変ずるは易く、仕風を変ずるは難し。仕風変ずれば天下治まる」という言葉があります。これは、民衆の風を変えるのはやすいが、指導階級の風を変えることは難しい。

東大阪市議会 2016-03-28 平成28年 3月第 1回定例会−03月28日-06号

善因善果、悪因悪果、ここで安岡正篤先生の教えを引用いたしますが、因果の法則、政治的、経済的な問題も、突き詰めれば心の問題に帰する、原因、結果というものは常にはっきりしておるのです。悪いことをしますといつかは悪い結果があらわれ、よいことをすればよい結果があらわれるというのは厳粛な自然の法則であります。したがって人間は、特に政治家は、因果律というものを大事にしなければなりません。

箕面市議会 2015-10-07 10月07日-02号

最後に、故安岡正篤先生の一燈照隅、万燈照国という言葉を紹介しましょう。 一つの灯火を掲げて一隅を照らす、そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人があらわれてくる、一灯は二灯となり、三灯となり、いつしか万灯となって国をほのかに照らすようになる。だから、まず自分から始めなければいけない。 今回お会いした人たちは、それぞれの職場で懸命に一灯を照らし続ける人でありました。

豊能町議会 2015-09-03 平成27年第4回定例会(第3号 9月 3日)

つまり創案者、我が師と仰ぐ安岡正篤をして、生前一生の悔恨と言わしめた、文言の改ざんにあります。それは、内閣の閣議において、義命の存するところから、時運の赴くところに変えられたからであります。そのことで、道徳至上命令ということから、成り行き任せということになり、結果、終戦が成り行き任せ、風の吹き回しでどうにでもなるという意味合いになり、日本の将来に、禍根を残すこととなったのであります。

豊能町議会 2015-06-03 平成27年第2回定例会(第3号 6月 3日)

哲人安岡正篤いわく、維新とは日々新たということであります。今後、五里霧中、新しい基軸を求め模索する維新の会と反都構想グループの動向と取り組みに注目をいたしたいと思います。  それはさておき、維新の1丁目1番地は崩壊いたしましたが、豊能の1丁目1番地は一体何かと考えたときに、先般5月の議会報告会で住民の皆さんの意見の中にそれなりの意見があったように思います。

豊能町議会 2014-06-10 平成26年第2回定例会(第2号 6月10日)

○13番(西岡義克君)  先ほどから徳のことを言っておりまして、私が師と仰ぐ安岡正篤先生が、敬に対して、敬する心について次のように言っておるんですね。「人間人間たる意義を求めるならば、まず敬するという心を持つことである。人間が現実にとどまらないで、限りなく高いもの、尊いもの、偉大なるものを求めてゆく、そこに生ずるのが敬という心である。

豊能町議会 2014-03-05 平成26年第1回定例会(第3号 3月 5日)

義命というのは、私が師と仰ぎます安岡正篤氏の、天皇陛下が玉音放送したときの、終戦の詔勅の中に挿入すべき重厚な文言であったんですが、これが外されたわけでありますが、御承知のように、終戦詔書の中に、「万世ノ為ニ太平開カムト欲ス」「義命存スル所」と挿入すべきところが、当時の閣僚の理解に届かず、「万世ノ為ニ太平開カムト欲ス」「時運趨ク所」となってしまったわけであります。  

箕面市議会 2013-03-27 03月27日-05号

吉田茂から中曽根首相まで歴代首相指南役であり、昭和天皇終戦詔書に加筆され、平成という元号発案者でもある安岡正篤先生、実は安岡先生が開かれた金鶏学院は、本市の新稲にありました。昭和の政・財・官全てのリーダーの指導者であり、知の巨匠と言っても過言ではないでしょう。その安岡先生が、「朝の論語」という著書で、徳を体得した人間をこう表現されています。 人間は必ずしも知の人でなくてよろしい。

豊能町議会 2013-03-06 平成25年第2回定例会(第3号 3月 6日)

○13番(西岡義克君)  私は、前回の質問の中でも土曜日の1日を子どもと学ぶ論語教育なんかをしたらどうやという話を質問をしましたけども、私は、安岡正篤さんという人を尊敬しておりまして、私がこの間出しました私の緑の風の中にも安岡先生言葉、「一燈照隅・万燈照国」という言葉も入れておりますけども、じつは、この間、ある教育雑誌を読んでおりましたら、その安岡先生お孫さんの投稿がありまして、この方が、やはりすごいなと

豊能町議会 2012-12-06 平成24年第5回定例会(第3号12月 6日)

私の大好きな先生で、安岡正篤という先生がおりますけれども、子ども人生のあけぼのである、太陽である。清く明るく健やかに育てることを旨とするということを言っております。その中で、やはり子どもの基本的なこと、基礎・基本の徹底と、これは習慣づけが肝心であると、天性にまさるものは、よい習慣であるとも言っております。  

豊能町議会 2012-06-13 平成24年第2回定例会(第3号 6月13日)

これは私の大好きな安岡正篤という先生が、子ども人生の曙だということを言っております。曙というのは太陽ですね。日ののぼる。エネルギー源ですわ。だからそういう子どもというのはエネルギーを持ってるわけです。そういうエネルギー源を大事にして、やっぱりきちっと子どもを育て、この豊能町活性化させる私は原点にしたいなと。

泉大津市議会 2011-03-04 03月04日-03号

その原理原則を大切にしなさいよと言ったのが、実は平成という文字をつくった安岡正篤であります。 そんな中で、原理原則をまず考えたときの話になるんですけれども、実は、この施政方針、これ、恐らく事前配付されたのを知っているのは小林議員神谷市長と、当時事務局におられた副市長だけやと思うんですけれども、この話を若干させてもらいます。時間もったいないですけれども、貴重な話だと思うんで。

四條畷市議会 2010-03-26 03月26日-04号

四條畷市にゆかりがあります平成元号考案者として知られる安岡正篤は、教育の立て直しは道徳教育の再生にあるとして、人間の要素は1つ特性、2番目に知性・知能、3番目に技能、4番目に慣習・習慣の4つで、教育の根本は人間特性やしつけにあり、知識技術は付けたりであると、このように説いております。人格を鍛錬陶冶して、その上に知識技術、すなわち学力をつけるのだと。

豊能町議会 2010-03-23 平成22年第2回定例会(第4号 3月23日)

哲人安岡正篤の六中観の中に、死中有活というのがありますが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれということ。つまり座して窮すべからずということであります。もちろん、議会十分チェック機能を果たせなかった責任を果たすべく、議員みずから切磋琢磨する中で、より一層研さんを積み重ねることが肝心であります。  地方分権は、自己決定自己責任ということであります。

泉大津市議会 2009-12-09 12月09日-02号

これは安岡正篤という哲学者が、東洋哲学に関連して、平べったくわかりやすく言えば、「内平らかにして外成る」という意味であります。今まさに我が国は、その部分をもう一度年号に振り返って見るべき時期ではないかというふうに考えております。 

東大阪市議会 2009-07-14 平成21年 6月第 2回定例会−07月14日-04号

本年3月の定例議会におきましての市政運営方針において、市長は、歴史を感じさせる鴻池新田会所、また文化教養といった点では司馬遼太郎記念館田辺聖子文学館があり、陽明学者安岡正篤氏も幼少期に暮らしていたなど本市の魅力について述べておられます。本年3月には阪神なんば線が開通し、東大阪から阪神方面への直接移動も可能になりました。

東大阪市議会 2009-03-12 平成21年 3月第 1回定例会−03月12日-05号

特に私は昭和日本の形成に大きく影響を与えられた安岡正篤先生にも触れていただき、安岡先生を慕う一人として感謝しておりますが、これらもぜひアピールしていただきたいと思っております。  次に子育て環境の整備について質問いたします。  先ほども申し上げましたとおり、人口の減少を食いとめ、活力あるまちづくりを進めるためには、若年世代に魅力ある町にしていかなければなりません。

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