泉佐野市議会 2000-03-27 03月27日-02号
また、事務所幹部の退職につきましては、自己の都合によるものでございまして、また国立病院の前事務部長を昨年12月から採用いたしておりますが、かねてより医事業務をはじめ、専門職員の不足が指摘されておりますが、今般、専門知識を持った職員を採用し、経営健全化を図る上で必要な人材の補充と考えております。
また、事務所幹部の退職につきましては、自己の都合によるものでございまして、また国立病院の前事務部長を昨年12月から採用いたしておりますが、かねてより医事業務をはじめ、専門職員の不足が指摘されておりますが、今般、専門知識を持った職員を採用し、経営健全化を図る上で必要な人材の補充と考えております。
例えば国立病院等の再編成に伴う特別措置に関する法律ということで、国においては、平成8年、また新たに見直しを行っておるんです。これは国においても、もう各地方レベルの地域において、国立で病院を運営するというのは大変至難の技であるということで、地方公共団体とか、もしくは地方公共団体以外の中でも日赤、医真会などのそういった大きい、信頼の置けるところに移譲していこうということで、どんどん移譲してますよ。
当時の医療機関は国立病院と民間の沢田病院、ベッド数はわずか22床であります。診療所は19床まででありますから、わずか3床多いだけの小さな病院でありました。そして、滝谷病院の93床、合計115床の2つの病院のみでありました。
要旨3.千代田駅東側の駅前広場整備と千代田駅前鳴尾線の見通しはでございますけれども、市域の北部のかなめとして、人と車が交錯し、交通混雑の激しい千代田駅周辺の整備については、貴望ケ丘病院住宅線は地域の強い要望にこたえていただき、国立病院から千代田駅間の東側については歩道整備がこのほど完成し、さらに、さきの議会でご答弁のとおり、新年度から向こう3カ年計画で引き続き西側の貴望ケ丘入口までの間、歩道及び関連整備事業
2点目の、千代田駅前東側の道路整備計画については、先ほどの答弁の中で時系列的に答弁をいただきまして非常にわかりやすいかなと思ったわけですが、この中で国立病院の前の信号設置につきましては、先ほどの答弁の中では拡幅工事のめどがついたので云々の話がされていたように思うんですけれども、今現在でも国立病院から出てくる場合の左右の確認が非常にとりにくいという形態になっております。
それから、国立病院についてのカルテの開示というのをやられているんですが、八尾でもカルテの開示については、要望が大体年間にどれぐらいあるのか。病院としても結論が出ておれば、どういう対応をしていくというふうに、検討なりがされていればされているで結構ですが、その点、教えてください。 ○委員長(奥村信夫) 奥田院長。 ◎市立病院長(奥田博) カルテの開示に関しましては、先ほどの国会で見送られました。
完全看護の国立病院でしたが、目が見えるようになるかどうかにとりわけ重要な術後の看護は、母親一人ではできず、Bさんの父親も仕事を何日も休まざるを得ませんでした。術後ももちろん、不安で騒いだり、周りに迷惑をかけるので、個室にせざるを得ません。やはり部屋代の負担が大変でした。障害を持っていると、お便所へも一人で行けません。二人がかりでした。ボランティアの方の援助をお願いしました。
厚生省は7月9日全国228の国立病院診療所に危機管理モデルを示し、各施設に年末年始の具体的な作業と細かく決めた危機管理計画を9月末までに作成するよう求めると同時に、大みそかの夜は対策本部を設置して、施設長以下の幹部職員の病院での待機を業務命令として指示しています。あわせて、万が一問題が生じた場合のために万全を期するため、病院長などが越年して病院に待機することも指示しています。
貴望ケ丘病院住宅線は、平成7年度より国立病院前より順次歩道の改良工事がなされ、昨年度で千代田駅前東側については一部国立病院周辺を残して整備が終わりました。本年度は駅西側から貴望ケ丘入口までの間を3カ年計画で歩道整備を実施されることになっております。
厚生省通達で国立病院の院長には、2000年問題で当日待機命令が出ていると聞いていますが、吹田市の場合、なぜ、病院長はこの組織表から外されているのか、また、これでよいのか、お聞かせいただきたいと思います。 次に、旧吹田操車場跡地利用に関する問題を質問いたします。 現在、吹田市の行政の中で一番の関心事の一つに、旧吹田操車場跡地利用問題があります。
先月、厚生省は国立病院の再編を進める中で、来年度から各病院の専門分野をはっきりさせ、疾病ごとに病院のネットワーク化を進めると発表しています。また、国立病院の大きな役割の一つである地域医療については、今後余力の範囲でとも発言しています。期待と不安が交錯する発表であります。
本市の医療機関の設置状況につきましては、国立病院1病院の600ベッド、病院群7病院の1,004ベッド、一般診療所64診療所の65ベッドの72カ所、1,669ベッドが設置されているところでございます。 ご質問の旭ケ丘・新滝畑台地域の医療機関につきましては、平成元年2月に旭ケ丘にありました診療所が閉院されて以来、現在に至るも医療機関は存在しておりません。
そのような中、厚生省は昭和61年に全国の国立病院・療養所239施設のうち74施設を削減し、165施設とする再編計画を発表しました。その計画の中では、国立療養所千石荘病院は「病院転換の上、防災基幹病院として整備する」と位置づけられていました。 しかし、平成9年12月の中央省庁再編に関する行政改革会議の最終報告では、さらに12施設を削減し、153施設とするとなっています。
また、臨床検査業務の集約化などの各部門の集約化についても、市民病院のあり方と密接にかかわる問題であり、今後の医療ニーズの変化や制度改革などに的確に対応をすべく、国の国立病院の独立行政法人化への動向や他都市の先進事例も参考にして検討してまいりたい。
現在の休日急病診療所、これは昭和55年5月、人口7万8,000人当時に開設されまして、当時は国立病院以外には民間病院は2病院、すなわち滝谷病院の93床、沢田病院の22床、合計115床であり、開業医は32の医院で、医療環境はあまりにもよいとは言えない状況であり、昭和40年から50年代は医師も少なく、当時としては休日急病診療所の設立と体制でも市民からは喜ばれた時期がありましたが、20年後の現在、民間病院
当時は国立病院のほかに市内には滝谷病院、これは93床ありました。それから沢田病院、これは22床の病院でございますが、わずか2カ所であり、そして開業医は32医院ありました。人口比率からしても、医療を取り巻く環境としては医療機関の少ない時代でありました。現在では6つの病院、国立病院を含めまして7病院でございます。開業医院数は32から70の開業医でございます。
私もこのことは、国立病院に18年半余り勤務しておりましたので、よくわかっておることであります。封建的な医者の世界にも、これまでの反省に基づいて情報公開の声が高まってきたため、この3つの壁を取り払う作業が進んできております。いい医療とは、患者と医師の相互理解、相互信頼の上に成り立つものであります。
確かに、国立病院でありますからいろいろ厚生省との関係なんかがあるようでございますが、一応そういう手続が必要だとは思いますが、ぜひひとつ国立病院をこの対応していただく病院の中に入れていただきたいというふうに思いますが、この点はいかがでしょうか。 2点目としまして、この問題につきましては非常に予算的にも多くのお金が必要になろうと思います。
この調査報告によりますと、ベトナムでは枯れ葉剤による直接被害は完全に消去されているそうですが、2世、3世に奇形児出産が多く、国立病院では深刻な事態になっているそうです。 このことは、極めて微量のダイオキシンでも、時間、ここでは年単位の時間を意味しますが、この時間が重要な問題となります。学識者は、日本が世界一のダイオキシン汚染国と言っています。 そして、その対策が一番おくれている国が日本だそうです。
平成8年度の交通量調査の結果では、千代田駅前から国立病院方面へ向かう車両のうち、当該交差点を右折して大阪外環状線へ通り抜ける車両が約3分の1となっており、右折車両を直進方向に誘導することも必要であろうと思われます。