八尾市議会 2001-02-02 平成13年 2月 2日病院建設特別委員会−02月02日-01号
現在の施工状況でございますが、各工区ともに一次掘削部分の人力によります古墳時代前期から弥生時代後期の掘削をほぼ終え、本年1月より部分遺構の調査を行っている段階でございます。主に水田耕作、居住跡などの生活遺構が出ており、遺物といたしましては、土師器、須恵器、甕、壺などの古墳時代前期から弥生時代後期の土器群が出土しております。
現在の施工状況でございますが、各工区ともに一次掘削部分の人力によります古墳時代前期から弥生時代後期の掘削をほぼ終え、本年1月より部分遺構の調査を行っている段階でございます。主に水田耕作、居住跡などの生活遺構が出ており、遺物といたしましては、土師器、須恵器、甕、壺などの古墳時代前期から弥生時代後期の土器群が出土しております。
本市には旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代の遺跡を初め古代、中世、近世から現代、現在までの歴史と文化を伝える各種の文化遺産が豊富に残っています。本市独自の文化財保護条例などにも基づきそれらの調査や保護、活用を図るとともに、施設や史跡などの整備、充実に努め、また市民が生まれ育った土地や文化財に対するさまざまな啓発も行われてきました。
現在の施工状況でございますが、一次掘削部分の人力によります掘削は、室町時代まで完了し、北側より全体の3分の2程度におきましては、古墳時代の部分に入り、人力掘削を行っている段階でございます。主に水田耕作、居住跡などの生活遺構であり、遺物といたしましては、勾玉、古銭、平安時代の土器群で、工事全体の70%を完了しているところでございます。
また、近接地に今城塚古墳及び古墳時代に関するさまざまな資料の展示や研究を行うとともに、体験学習も可能なガイダンス施設と、整備された今城塚古墳が一体的にとらえられるような景観を創出していきたいと考えております。
次に、文化財調査についてでございますが、昨年12月より青山地区から免除川までの間において当該道路用地の試掘調査が行われ、その結果、アリイケ遺跡において6世紀古墳時代及び十三、四世紀ごろの集落跡が一部で確認されております。 また、本年6月より私部西5丁目地区から枚方市茄子作地区の間において同様の調査が行われ、今後、本格調査の必要性についての検討が行われるものと聞き及んでおります。
との質問があり、これに対して理事者から 第1点の遺跡調査については、鉄道建設公団が平成10年10月から11年2月に調査を行い、大阪府教育委員会へ報告したもので、跡地内61か所、約1,000㎡を発掘し、古墳時代から鎌倉時代にかけての土器、建物跡等を確認した。
吹田操車場遺跡を発掘調査した大阪府の文化財調査研究センターの報告によりますと、今回の調査では、古墳時代の土坑群や埋蔵物、また、奈良時代の大溝や掘立柱の建物跡、平安、鎌倉時代の井戸や溝などの遺跡が多数検出され、古墳時代や奈良時代の三彩、小壺など珍しい遺物も多数出土したと言われております。
最後に、心合寺山古墳の公園化事業につきましては、昭和41年2月に国の史跡指定を受けた心合寺山古墳を中心に、古墳時代の歴史や文化と出会える場、自然と触れ合える場、そして憩いと集いの場の創出を基本方針に据え、計画的に整備を進めてまいるものであります。
隣接する塚脇地域には、古墳時代後期の塚脇古墳群もあり、その一つが現在の埋蔵文化財調査センターにも移築をされています。歴史と自然、学びを一体としたまちづくりに生かしていくことが可能であります。 しかし、残念ながら現在、山城跡を中心とした三好山は民有地になっています。土地所有者の協力も得ながら私は将来は史跡指定をし、公有化を図り整備してくことが必要と思います。
平成10年度当事業団が実施いたしました主な文化財事業といたしましては、まず埋蔵文化財の発掘調査としまして森南地区のマンション建設に伴います発掘調査を実施し、古墳時代から中世における集落の性格を裏付ける資料として多くの遺物、遺構を検出いたしました。
その結果、弥生時代、古墳時代、奈良時代等の遺構・遺物が検出されましたので、昨年11月に改めて発掘調査依頼が出てきたわけでございます。今回、発掘調査を予定しておりますのは、リサイクルセンター建設計画地の一部、東西に里道があるわけなんですが、その北側の私有地のうち約2,700㎡でございます。
また、山の上で古墳時代前期の前方後円墳が発見され、豊中市教育委員会は待兼山古墳と命名して、文化財に指定しました。また枕草子に、「山は小倉山」で始まる第11段で、「まちかね山」と出ています。古来から何人もの歌人に待兼山が詠まれ、和歌の名所となるなど、歴史的にも文学的にも価値の高い由緒ある山です。
調査の結果、中世の耕作地や建物跡、古墳時代の鍛冶楼、建物跡、河川等を検出いたしました。このほか緊急発掘調査といたしましては、森南3丁目所在の須弥寺境内の発掘調査を行い、寺の縁起より数十年もさかのぼる奈良時代後期から既に寺院が存在していたことは建物跡から確認できました。
次に古墳時代では、まず、特筆されますのが、安満宮山古墳の青龍三年鏡を初めとします五面鏡の鏡は、邪馬台国を考える上で、極めて重要な文化遺産でございます。また、郡家車塚古墳の漆塗りの槍、岡本山A3号墳の甲(よろい)、そして革製品の盾、そして塚原古墳群、梶原古墳群の金銅製の飾り太刀や馬具は、武人の持ち物を示す貴重なものでございます。
今日、こういうお借りしたものでパネルをちょっとつくってみたんですけれども、(パネルを示す)これは、堂山古墳の古墳時代よりずっと古い縄文時代の河内湖の姿なんです。この白いところが大阪湾の現在の位置ですけれども、かなり生駒の山すそまで大阪湾が河内湖として入り組んでいる、これが縄文時代の様相だと、こういうことに、これは専門家の話です。
もちろん、弥生時代や古墳時代ではそういったことはあらわれておりませんが、中世以降になりますと、この高槻の中でも、地域によって町の性格が分かれてくるのではないかと考えております。 一方では、高槻城を中心とする城下町、芥川の宿場町、そこで発展したのは、端的に言えば、武士の町、文化ではなかったろうかと感じております。
調査の結果、中世の建物跡や祭祀に関連すると推定される集積遺構並びに古墳時代の掘っ立て柱、建物跡等の遺構を検出したほか、それらに伴って壷あるいは甕等の土器や本製品等の遺物が数多く出土いたしました。出土遺物の保存並びに整理といたしましては、出土遺物の接合並びに実測を行いますとともに、森遺跡から出土いたしました木炭、本片の樹種を鑑定するため京都大学木質科学研究所に分析委託をいたしました。
東大阪の土地に人々が住み始めたのは今から約2万年から3万年前であったろうと言われ、旧石器時代遺跡は東石切町の坊主山、上四条町の山畑、そして日下遺跡など、相次ぎ6カ所から石器が発見されており、その後の縄文、弥生古墳時代とその発掘結果から見ても、考古学を学ぶに本市の歴史はその宝庫であると言えましょう。
ご案内のとおり、本遺跡は、古墳時代の貴重な埴輪生産遺跡として、日本においては最大かつ最古のものと判明し、平成3年7月に国史跡の指定を受けたところでございます。
竜間地域での警察訓練施設の建設、それに伴う2期工事計画、野外センター周辺での民間活力の活用、飯盛山を中心とする自然環境の再認識、また、古墳時代としては大阪でも有数の史跡である堂山古墳の公園化と周辺史跡の調査等々、竜間、飯盛山の自然環境の保全と整備計画についてどのような企画プランを持っているのか、お聞かせ願いたい。 機構改革についてお聞きします。現在の機構については多くの問題を含んでいます。