羽曳野市議会 2012-12-07 平成24年第 4回12月定例会−12月07日-03号
また、最近の発掘では、誉田中学校の校庭で、古墳時代中期の水鳥や家、甲冑などを形どった埴輪が発掘調査で大量に見つかりました。 そこで1点目として、埋蔵文化財が発掘される可能性の高い地域である当市のいわゆる発掘した遺跡等を保存するか、保存しないかの基準についてのお考えをお示しください。
また、最近の発掘では、誉田中学校の校庭で、古墳時代中期の水鳥や家、甲冑などを形どった埴輪が発掘調査で大量に見つかりました。 そこで1点目として、埋蔵文化財が発掘される可能性の高い地域である当市のいわゆる発掘した遺跡等を保存するか、保存しないかの基準についてのお考えをお示しください。
また、摩湯山公園は、前期古墳時代の築造では大阪府内最大の前方後円墳と言われる摩湯山古墳を歴史的な趣を重視した歴史公園として計画してまいります。 千亀利公園につきましては、城郭は文化財として保護が図られていますが、周辺部の施設につきましても、景観的配慮を高め、一体的な城の雰囲気づくりを目指してまいりました。
また、摩湯山公園は、前期古墳時代の築造では大阪府内最大の前方後円墳と言われる摩湯山古墳を歴史的な趣を重視した歴史公園として計画してまいります。 千亀利公園につきましては、城郭は文化財として保護が図られていますが、周辺部の施設につきましても、景観的配慮を高め、一体的な城の雰囲気づくりを目指してまいりました。
古墳時代の歴史研究に極めて重要な情報源となるものでございます。 さて、発掘成果に基づき整備した今城塚古墳は、古代の大王陵を体感できる全国唯一の史跡公園でございます。我が国最大級の埴輪祭祀場を再現し、墳丘に登ることもでき、さらに広い芝生広場と緑の木陰は、町なかにあって四季の移ろいを感じ取れる貴重な空間となっております。
現在、店舗建設予定地では近世から弥生時代前期までの水田跡や古墳時代の集落跡が発見されており、調整池の予定地においても平安時代の集落形成に不可避な方形板枠井戸や曲物井戸などの重要な遺構が検出されております。また、雨天が続く中、発掘調査の進行計画の遅延が懸念されるところでありますが、本年12月末までに計画どおりの調査を完了する予定としております。
次に、蔀屋北遺跡については、大阪府寝屋川北部流域下水道「なわて水みらいセンター」の建設に伴う発掘調査により、当該地が古墳時代の馬牧場である可能性が高まる馬一体骨格などの大きな発見があった。このことにより当該地にかねてから推定されていた「日本書紀」でいわれている「河内馬飼」集落があったことが判明した。 また、集落を形成した人々は朝鮮半島から馬を連れてきた渡来人であることも出土品から確認されている。
百舌鳥古墳群の造営は、日本書紀にも記されているように4世紀の末から5世紀をかけて中心とした時代に、100基以上を超える古墳が築かれたということですけれども、この百舌鳥古墳群、日本の古墳時代を代表する貴重な文化財であり、古墳文化というほかに類を見ない文化が発生、日本に存在したことを物語るあかしとして、大きな価値があると思います。 百舌鳥古墳群には、ただいま47基の古墳があると言われております。
水もきれいだったからというのもあって、町並みが残っているということなんですが、よく歴史資源を生かしたまちづくりというときには、単一の、例えば、今城塚だと古墳時代の大王のあれだというので、できるだけ原形をとどめた形というので、あそこに行けば古墳時代の古墳とともに、その時代にどういう生活してはったとか、どういう文化であったとか体験できるわけです。で、安満遺跡ですよね、そこの部分は弥生時代。
五月丘1丁目の茶臼山公園内にある池田茶臼山古墳は、全長約62mの前方後円墳で、綾羽2丁目の五月山児童文化センターの裏にある娯三堂古墳は直径27mの円墳で、ともに古墳時代前期の4世紀に築かれた古墳であります。 実はこの2基の古墳が築かれた4世紀はなぞの世紀と言われてまいりました。
歴史的遺産、こればっかり言うと思われるかもしれへんけど、東アジア唯一と言われる馬の全身骨格が発掘された、5世紀の馬飼いの里であった蔀屋北遺跡、また山の近くには古墳時代の後期の古墳群もありますし、縄文、弥生と人々の暮らしが連綿と営まれ、また戦国時代のある時期には飯盛山城は日本の中心、首都のような存在だったという飯盛山の位置付けもあります。
堂山古墳群は、昭和44年と47年に大阪府教育委員会によって発掘調査が行われ、古墳時代中期から後期の8基の古墳が発見され、現在、市内において見ることのできる唯一の古墳です。堂山1号墳は直径約25メートルの円墳で、副葬品として大量の鉄製武器類が出土し、平成12年にはこれら出土品が一括で大阪府の指定文化財に指定され、府立近つ飛鳥博物館などで展示、保管されています。
現在調査している讃良郡条理遺跡のある砂地区では、大阪府立なわて水みらいセンターや第二京阪道路建設に伴う発掘調査で古墳時代の馬飼いに関連する重要な遺跡や近畿地方最古の弥生土器などの遺物が発見されています。現状は、その上層面にあたる近世から中世にかけての耕作面を調査しています。 ○大川泰生議長 学校教育部長。 ◎羽森清司学校教育部長 学校教育における土曜日の有効活用につきましてお答え申し上げます。
「親子でチャレンジ、~みて、さわって、古代のくらし~」につきましては、古市古墳群が造営されました古墳時代の暮らしの追体験を通じ、子どもたちに楽しみながら本市の歴史や生活にかかわりの深い古墳や埋蔵文化財に興味を持ってもらうことを目的といたしております。
続きまして、またよく言われておりますけれども、仁徳天皇陵を上のほうから見ることはできないのかと、また古墳文化、古墳時代の文化や歴史を感ずると、仁徳天皇陵に訪れまして、そのときに古墳の大きさや、またその時代の歴史や文化を実感や体感することが大切だと思うんですけれども、そういった面は今のところどのように考えているかお答えいただけますか。
人口減少社会に対抗する手段として、そのことをテーマとした、先ほどから申し上げている近隣市町村の合同組織が立ち上がることを願い、要望とさせていただき、また最後に、これは夢の提言ですが、南河内の古墳時代の歴史は、奈良、飛鳥において我が国が国の形を整える以前、国の夜明け前、海や陸のシルクロードを通じてさまざまな地域、人種の人々が新しい国づくりのためやってこられた、そしてその以前から列島に住んでいた人々とともに
また四條畷の歴史では、旧石器時代から古墳時代の考古資料をもとに当時の道具の使い方や土器の作り方などを学習しております。なお、放課後子ども教室におきましては各小学校ごとに若干の体験や学びのメニューの違いはございますが、社会教育課の学芸員が活躍できるメニューの検討とあわせて今後も学習内容の充実を図ってまいりたいと考えてございます。 ○大川泰生議長 森本勉議員。
そして市民の方が気楽に散策を楽しみ、古墳時代から営々と続けられてきた歴史や四季それぞれの潤いを感じられる集える場所として整備を進めていただきますよう強く要望しておきまして、この項も終わります。 ○議長(石田隼人君) 清久議員。
古墳時代後期のものとされている峯ヶ塚古墳は、江戸時代までは日本武尊白鳥陵に比定され、1974年国の史跡として指定され、現在に至っております。古墳時代末期の古墳としては大規模な古墳で、被葬者は大王級の人物であったことが出土した太刀や鉄鏃、馬具などから推測されています。
中学校では2年生の歴史的分野において、古墳時代の単元で、百舌鳥・古市古墳群の学習を行っているところでございます。これ以外の取り組みといたしましては、年々世代交代が進みつつある学校園の教職員は、毎年20名以上の新規採用教員が大阪府教育委員会で配当されてまいります。これらの新規採用教員に対しては、世界遺産登録準備室の協力を得て、市内の歴史遺産の研修を実施しているところでございます。
また、蔀屋北遺跡から出土した古墳時代中期の馬の完全骨格や彼の地と結んだ船の部材をはじめとする多くの遺物は、地域資源の宝庫でございます。 地元に保管することができれば、観光行政にも大きく貢献すると思われます。これは、実現可能な当面の課題でございます。韓国、また世界の人々が我がまちを訪れ蔀屋北遺跡の馬をかけ橋として交流する、素晴らしいことではないでしょうか。