四條畷市議会 2020-06-22 06月22日-02号
まず、ため池はかんがい用水としての機能を持ちつつ、防災面においても貯留施設という側面を持ち合わせていることから、適正な維持管理をすることが重要であります。 しかし、昨今では、議員お示しのとおり農業従事者の高齢化や後継者不足により厳しい状況であるという意見も聞き及んでおります。
まず、ため池はかんがい用水としての機能を持ちつつ、防災面においても貯留施設という側面を持ち合わせていることから、適正な維持管理をすることが重要であります。 しかし、昨今では、議員お示しのとおり農業従事者の高齢化や後継者不足により厳しい状況であるという意見も聞き及んでおります。
その資料から、大正中期から昭和初期にかけての淀川左岸の北河内の住民・農家の方たちの洪水とかんがい用水不足の苦労と努力をかいま見る思いでした。淀川の左岸の枚方から大阪市毛馬に至るまでの当時の北河内では、田畑へのかんがい用水を取水する樋門や樋管などと呼ばれる水門が淀川の堤防に8カ所つくられていたそうです。
ため池につきましては、かんがい用水として地域の農業に重要な役割を果たすとともに、その貯水機能により、下流域の人家を守るなど地域防災の役割を果たしているものもございます。
◎森本貞男都市デザイン部長 1級河川平野川は、通常かんがい用水を大和川から取水している河川ですが、降雨時には洪水を防ぐために、大和川からの流入を利水を管理している青地井手口土地改良区において取水ゲートを閉鎖されており、大和川の水位に応じても自動閉鎖されるようになっております。大雨時に大和川から流れ込まないよう洪水に対する対策を行われております。
○(中浜委員) 土木費ですけど、津之江北町の周辺で清水池があるんですけど、この清水池の役割はご存じだと思うんですけど、いわゆるかんがい用水として、農地のかんがい用水という機能と、名神高速道路から南、それから芥川と女瀬川に囲まれた集水区域、約220ヘクタールの雨水処理として、雨が降ったときに、いわゆる下水道の許容流量を超過する分をこの池に全部集めて遊水機能を持たせているということなんですね。
これが昔は農用水として、かんがい用水として、よかったんですけども、今農業をされてる方がたくさんおるかと言えば、そんなにたくさんおられないんでね、このままの池のまま置いておくと、いざとなったら大きな水害が起こるんじゃないかと、こういうことをいつも思ってるんですけども、この見直しはどのように思っておられますかということですね。
それから、ちょっと飛びましたけれども、233ページ、水路改修事業ということの質問がございましたけれども、これは市内の水路または農道、ため池、そういったかんがい用水ですね、そういったとこの部分的な工事を行っておると。 水路につきましては、26年度22カ所、農道に対しては4カ所の主な修繕工事をしておるというところで御理解いただきたいと思います。
滝畑ダムは、ご承知のとおり、大阪府が石川下流域の治水対策やかんがい用水並びに上水道水源の確保のため建設した多目的ダムでございます。市として、これまで滝畑ダムの湖面活用につきましては、きれいな水、豊かな自然を生かした奥河内の魅力発信のシンボルとして、SEA TO SUMMITなどの一時的な活用についてダムを管理する大阪府と協議し進めてきたところでございます。
9点目の才ヶ原川水門の対応と管理責任についてですが、水門は農地かんがい用水を維持・調整するため、芦原池の水位や周辺農地の状況により、市または水利組合が必要に応じて開閉の調整をしています。この水門には流量調整の機能はなく、水門を開閉してもあふれる場所が変わるだけであり、洪水対策の役割は果たしません。このためバイパス管渠が整備されたものです。
狭山池1400年は、狭山池そのものが有する歴史的価値の大きさゆえ、市単独事業として捉え得るものではなく、所管する大阪府やかんがい用水を利用してきた下流域の市民、住民並びに行政にも深くかかわってくる事業であります。また、文化、歴史、かんがい土木、環境などの観点からは、全国をも視野に入れる事業なのではないかと私は考えております。
古事記、日本書紀によりますと、大阪の難波の堀江の開削ですとか、あるいは茨田の堤、それから京都や河内のほうのかんがい用水の整備あるいはため池ですとか生野の堤、住之江の港の整備など、大変大規模な土木工事を、公共事業を行っている。それで地域が栄えたという実績があるんですけれども、何といっても最大のものが、この堺市にある仁徳天皇陵でございます。
それで、下の水は当然かんがい用水とかいろんな形で使われるわけですから、そういう私は、やはり物事全てやっぱり発想の転換というのがいかに大事かということを、皆さんに1つの事例としてわかっていただければありがたいなというふうに、これをあえて質問の中へ入れさせていただきました。
そのときにわかりましたのが、どうもやはり江戸時代初期、それとか幕末にかんがい用水の貯水量をふやすために、古墳の堀の改修をやっている、しゅんせつをやっている、そのときの堀の底にどうしてもヘドロ状のものが堆積しますんで、そのヘドロを田んぼの耕土、耕す土に使ったり、それから堤に張りつけたり、それから古墳の上に盛り上げている痕跡が確認されました。
また、太満池南側の通学、通勤路とその周辺地域におきましては、以前から浸水箇所として把握しておりますが、付近を流れる幹線水路の下流域は、かんがい用水としてまだ多くの受益があり、農繁期には流水量も多く、降雨期と重なれば雨水量も増加しており、今後の土地利用の変化により、さらに雨水量が増加していく傾向にあります。
生涯に49の寺を建立するとともに、ため池やかんがい用水を開き、また橋をかけるなど、民衆の救済を行い、絶大な信仰を集めたとのことであります。 また、東大寺の大仏の造営にも加わりまして、天平17年、西暦の745年には聖武天皇から大僧正の位に任ぜられたと。このような功績があったものと認識をしております。以上です。
だいぶ少なかったと思うんですけれども、ここらのところ、やはり、水というのは上から下へ流れていくのは当たり前なんですが、そういう話があって、光明池や大野池は大阪府の所有らしいですけれども、光明池が借りて、あそこにかんがい用水の水をためているということなんですが、何か堰堤の大規模修理というんですか、それと水門の位置を下げたということで、以前からの汚泥が相当やっぱりたまっておったということで、雨とともに流
◎林 農業土木課長 本市には現在おおむね100平米以上のもので640余りのため池があり、かんがい用水源として重要な役割を果たしています。そのうち災害によるため池の決壊などを未然に防ぐために、大阪府が特に重要であると指定している水防ため池が約120カ所あり、そのほとんどが盛り土工法の代表的な工法である前鋼工法で改修を行っております。これは堤体の内部に不透水性の粘土層を設け補強する工法でございます。
まず、1点目の、利水と生物保護の関係についてでございますが、蛍などの生育環境は、水稲栽培のためのかんがい用水利用と極めて密接な関係を持っており、我が国の米づくりと共生する形で農業者による水路の保全や水利用に支えられ、守られてきたものと認識いたしております。
滝畑ダムは、79戸の民家を初め小学校、中学校、診療所等公共施設を犠牲にして、石川上流部の高地542ヘクタールを含む流域の治水対策としての洪水調節及び石川下流部の高地400ヘクタールのかんがい用水の確保並びに河内長野、富田林両市の水道水源確保のため、昭和48年に着工し、昭和56年5月に竣工した、総貯水量が934万立方メートルの多目的ダムであります。
ご質問の滝畑ダムを利用した水力発電でございますが、滝畑ダムが農業用かんがい用水及び飲料水を確保するための多目的ダムという性質がありまして、用水を常時流下させる水力発電用としては利用が困難であると考えております。 次に、ご質問の発電能力が100キロワット以下のマイクロ水力発電につきましては、中小河川や用水路などさまざまな水流が利用できることから注目を集めております。