嘉手納町議会 2011-09-14 09月14日-02号
橋本・小渕時代には、梶山静六氏、野中広務氏と戦争を体験してこられて、沖縄に熱い思いを持っておられた政治家が当時の自民党、そして政府の中枢の中にいらっしゃいまして、その方々の鶴の一声で沖縄県には多額の予算がついてきたと思います。もちろん嘉手納町の再開発事業も、その一つだったと思います。
橋本・小渕時代には、梶山静六氏、野中広務氏と戦争を体験してこられて、沖縄に熱い思いを持っておられた政治家が当時の自民党、そして政府の中枢の中にいらっしゃいまして、その方々の鶴の一声で沖縄県には多額の予算がついてきたと思います。もちろん嘉手納町の再開発事業も、その一つだったと思います。
橋本・小渕時代には、梶山静六氏、野中広務氏と戦争を体験してこられて、沖縄に熱い思いを持っておられた政治家が当時の自民党、そして政府の中枢の中にいらっしゃいまして、その方々の鶴の一声で沖縄県には多額の予算がついてきたと思います。もちろん嘉手納町の再開発事業も、その一つだったと思います。
本町における6月議会の本会議、決議と7月の議会、東京要請行動、さらに宮城町長及び当局関係者の関係機関への要請行動の結果、当時の野中官房長官、大森防衛施設庁長官から住宅防音工事の改善、実施範囲の拡大に前向きな姿勢の回答を引き出しており、その成果は町民並びに関係者から高く評価もされております。しかしながら、その一方で釈然としないのが出窓工事の件であります。
本町における6月議会の本会議、決議と7月の議会、東京要請行動、さらに宮城町長及び当局関係者の関係機関への要請行動の結果、当時の野中官房長官、大森防衛施設庁長官から住宅防音工事の改善、実施範囲の拡大に前向きな姿勢の回答を引き出しており、その成果は町民並びに関係者から高く評価もされております。しかしながら、その一方で釈然としないのが出窓工事の件であります。