那覇市議会 2018-02-23 平成 30年(2018年) 2月定例会-02月23日-06号
内閣官房長官、自民党本部幹事長を歴任されました元衆議院議員、野中広務先生が去る1月26日に他界されました。心から哀悼の誠を捧げたいと存じます。 1997年に沖縄の基地問題に絡む米軍用地特別措置法改正案の衆院本会議採決におきまして、野中先生が述べたことは、「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないように大政翼賛会的のようにならないように若い方々にお願いしたい。」と発言されました。
内閣官房長官、自民党本部幹事長を歴任されました元衆議院議員、野中広務先生が去る1月26日に他界されました。心から哀悼の誠を捧げたいと存じます。 1997年に沖縄の基地問題に絡む米軍用地特別措置法改正案の衆院本会議採決におきまして、野中先生が述べたことは、「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないように大政翼賛会的のようにならないように若い方々にお願いしたい。」と発言されました。
野中広務元官房長│ │ │ │ │ 官は、「沖縄に対する差別が繰り返し行われ│ │ │ │ │ るのかと残念でならない。絶対に許すことは│ │ │ │ │ できないことだ。長年にわたり基地を支えて│ │ │ │ │ きた県民の痛みが分からない政治だ。
また、去る15日放送のTBSの朝の番組に出演した元内閣官房長官、元自民党幹事長の野中広務先生は、安倍首相の今国会における施政方針演説について、次のように述べておりました。「私が中学生の頃、昭和16年に東条英機首相が大政翼賛会の国会演説のラジオ放送を耳にしたときの感じと変わらない」「重要な部分に触れないで、非常に勇ましい感じで発言された」と述べていました。
野中広務元官房長官は、「沖縄に対する差別が繰り返し行われているのかと残念でならない。絶対に許すことはできないことだ。長年にわたり基地を支えてきた県民の痛みがわからない政治だ。強く憤慨している」と、15日放送のテレビ番組で厳しく批判しています。公職にある翁長知事を冷遇する安倍自公政権の対応について市長の見解を伺います。
当時の有馬文部大臣、野中広務官房長官は、式典において起立する自由、起立しない自由、歌う自由、歌わない自由があると公言しています。2004年の園遊会では「強制にならないのが望ましい」という天皇発言もありました。大阪府で府教委も異論を唱え、自民・民主・公明などの反対を押し切って、君が代起立条例が可決されましたが、那覇市立小中学校において。
それにつけては、私も国のほうで強く申し上げてはおりますが、今、そういった問題の重責をになっていただいた人で、今おっしゃった橋本龍太郎先生、それから小渕恵三先生、野中広務先生、梶山静六先生、山中先生いろんな形で、この問題等を官僚に「おまえらが何がわかるんだ」と、沖縄の政治というものを、沖縄の置かれている環境というものは、あなた方が考えているような杓子定規ではいかん。
1974年4月11日、自民党幹事長代理だった野中広務氏は、駐留軍用地特別措置法(特措法)の委員長報告の最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いを」と、喝破しました。
これには、野中広務元官房長官も、政府による沖縄への重大な背信行為と強く批判しているようだ。 在日米軍再編について、日米合意を見た、普天間飛行場移設先名護市キャンプ・シュワブ沿岸案に関連して、政府が沿岸埋立権を知事から取り上げることで、県の拒否を封じようとしていることであり、ほとんどの県民が頭越しの日米合意に反対の声をあげている。 そのように書かれておりますが、まさに、私も同感でございます。
野中広務という大変な政治家がいらしたんですが、野中さんが沖縄に来て、とても夢のあるお話をしてくださいました。すぐ実現するかと思ったら、きょうまで実現していないんです。野中さんもどこにいるかも分からないような、今、京都にいるという話もありますが。 とにかく空港の沖合展開、空港の平行滑走路の実現、どうして国の皆さん、仕事がこんなに遅いんだろうか。本当に思って仕方がないんです。
確かこれは3年前の、4年になりますか、野中広務官房長官、沖縄開発長官、現在の内閣府ですか、いわゆる沖合展開について、那覇空港の国際空港化に理解を示し、沖合に積極姿勢、いわゆる野中発言があります。 その後に、二階俊博運輸大臣が来られたときも、このときは来島700万人計画ということで触れています。
先だって、市長就任2周年パーティーのときに、下地幹郎衆議院議員の普天間飛行場嘉手納統合案に対し、「15年で取り壊すものに6,000億円も突っ込むという話は世間で通らない」という発言に、野中氏は「自民党沖縄振興委員長を辞任する」と発言した。
で、私は、その中で、野中広務自由民主党の沖縄振興委員長。
そこで市長にお聞きをいたしたいわけですが、今までの親泊市政を含め、平良市政からの32カ年間で積み重なっておりました借用学校用地の問題、それから旧1号線であります国道58号線の潰れ地の問題、それから、野中広務前自民党幹事長が、沖縄に訪れたときに話しておられました空港の沖合い展開の問題等々を含め、大変大きな問題を抱えている中で、いろいろ選挙中公約として掲げたことがありました。
悲願とも言える「那覇空港の│ │ │ │ │沖合展開」は、以前にも本員が発言したことがあるが、県は│ │ │ │ │過去5回にわたって1億円もの調査費を用い、報告書をまと│ │ │ │ │め上げたが、一向に前進を見なかった │ │ │ │ │ 昨年(平成11年)4月10日当時の野中広務官房長官
野中広務官房長官は、サミット沖縄開催について、「沖縄の長い歴史の痛みと県民の熱い期待に応えて、サミットの首脳会議を沖縄に決めた」と述べられました。沖縄は激変する国際社会の中で、常に国策に翻弄され、今なお、基地の重圧に苦しみ続けております。
野中広務内閣官房長官は「これまでの経過を踏まえて努力していきたい」。また、鈴木宗男内閣副官房長官からは「民意を反映した決断を重く受け止めている。政府としても、基地の整理縮小に向けて努力しているところであるが、引き続き、皆様にもご協力をお願いしたい。那覇軍港の返還合意は25年前に決まったことであり、沖縄の将来という見地から、地元の声をしっかり受け止めて対応したい」との積極的な回答がございました。