宜野座村議会 2015-06-26 06月26日-03号
氏は、昭和54年3月に日本大学農獣医学部拓殖学科を卒業され、同年6月から沖縄県農林水産部農林建設課農業試験場に2年間、臨時職員として勤められました。その後は、昭和56年5月に宜野座村農業協同組合に入組しましたが、農協の合併により名護市、金武町、大宜味村において勤務され、平成26年9月をもって定年退職されております。
氏は、昭和54年3月に日本大学農獣医学部拓殖学科を卒業され、同年6月から沖縄県農林水産部農林建設課農業試験場に2年間、臨時職員として勤められました。その後は、昭和56年5月に宜野座村農業協同組合に入組しましたが、農協の合併により名護市、金武町、大宜味村において勤務され、平成26年9月をもって定年退職されております。
もう1つは、ここではなくて環状2号線沿いの元農業試験場跡地、現在の芸大の敷地の一部を活用すれば直線道路、首里とそして真地小学校方面に直線で行けるという利点を持っています。 何よりもぜひご検討いただきたいのは、この真地交差点が緊急車両の集合地点になっているということであります。 南部医療センターができて、まず救急車の通過件数は莫大に増えています。
それと、市道宮良産業道路、農業試験場からバンナ公園へ向かう道路です。 その交差点での交通事故が平成25年度は5件、ことし平成26年度は3件起きております。事故のほとんどが農業試験場からバンナ公園へ向けて一時停止することなく直進してくるレンタカーとの事故であります。
現在LED電気につきまして電照菊用の試験を沖縄県農業研究センター、これは以前の農業試験場ですが、農業研究センターにおいて行っており、沖縄特有の冬と春の期間の季節風に対応できる電球の選抜を行っていると伺っております。
次に、旧県立農業試験場跡地に建設された普天間高等学校は、隣接する宜野湾市立普天間小学校と敷地を2分割したことにより、文武両道と名をはせた普天間高等学校は、敷地がおよそ3万平方メートル、通常は5万平方メートルだと思います。そういうことで大変狭隘で、体育祭も自校で開催できないような劣悪な教育環境に置かれています。
同じこの為又1号線に係る問題ですが、この問題は、為又の集落から農業試験場、県の農研センターのほうに行く道と、それから名桜大に抜ける為又1号線のほうですけれども、あの部分から通行どめという標識があります。もちろん名桜大から来て、為又1号線、あそこにも通行どめという標識があります。実際上はみんな通っています。通れます、またね。通れますよね、片側崩れた所。しかし、非常に危険です。
ですから、幾ら農業試験場で十分年内操業に向けてやっても大丈夫だと、品種も改良されているよと言っても、これは農家の意識の問題でありますから、急に変えるというのはなかなか難しい。したがって、具体的に春植え、株出しをふやしていく、そして現実にそれが収穫で非常にいいというのを見て、そしてああ、やっぱり大丈夫だなという気持ちにならないとそういうふうにシフトしないんじゃないかというふうに思っております。
一方で品種改良や新しい栽培方法などの農業技術の導入につきましては、沖縄県農業研究センターの名護支所、これは以前の農業試験場名護支所が組織改正されたものでございますが、そこに相談の窓口が設けられておりますので、研究センターとの情報交換と連携を図りながら、農家との橋渡しを名護市としても積極的に行うなどをして、最先端技術や情報普及に努めてまいりたいと思っております。
昨日市長は、嘉手納学議員への答弁の中で、現在の県の農業試験場を下地島に移設したいと、そういうことを県に強く要望しているということで聞いております。しかしながら、水産試験場は宮古島市にはありません。隣の石垣市には国立の試験場もあります。何ら県や国の施設が、研究所が宮古島には少ない。
次にですね、下地島残地の有効利活用ということでありますけど、今現在城辺にある農業試験場をですね、下地島に移転する案が宮古島市から沖縄県に要望として上げるというふうに聞いていますが、宮古島市が農業的利用ゾーンとして85ヘクタールを整備して、無農薬の野菜、果樹栽培を計画する中で農業試験場を下地島へ移転することは、今後の下地島の残地の有効利用と宮古島市の農業振興に大きな期待が寄せられるのではないかと思いますが
平良地区の野原越地域には県の農業試験場や改良普及センター、試験圃場がありながら圃場整備は未整備で、かんがい事業も導入されておりません。そこで、お伺いしますが、同地域での圃場整備計画、かんがい施設計画はどのようになっているのかお伺いしたいと思います。 宮古島市の子牛の競り値価格が全国の価格で上位にランクされたとの報道がありました。関係機関、生産農家のたゆまぬ努力の結果であると敬意を表する次第です。
しかし、農業試験場は北部に移ってきました。ですから、農学部をつくるか医学部をつくるか、このEMは両方でも使えるわけです。何でも使えるという、うちでも使えると。金城一隆議員がこの前、一隆豪邸を造っておりますけれども、あそこにもEMを使っております。そういうことで、あと130歳までは私、生きるんだろうという話も冗談でやっておりましたけれども、この方は生きるかもしれません。
県誘致の県農業試験場、園芸市場跡地の一部に施設を建設し、サーバー約400台を設置、データセンター事業やソフトウエア開発など、県内複数の企業に会社を設立させ、運営を任せるとのことです。 また、クラウドサービスは時間や場所を問わず、外部から接続できるため利便性が高く、企業での導入が進んでいる。同サービスの登場でアプリケーションの提供は、同サービスを介するのが一般的になる。
市内兼箇段にあります県農業試験場園芸支場跡地については、私は昨年の2月、第60回定例会においても跡利用について質問を行いました。県の動向について注視してまいったわけですが、このたびの県事業でありますクラウド・コンピューティング拠点事業について、当局の把握している範囲で当該事業の概要をご案内ください。お願いします。 ○議長(西野一男) 経済部参事。
その暗渠が見取川に流入しているという格好になっておりますので、実はそれについて本人からの要請の中で、これは平成16年10月28日なんですが、農業試験場への道路が計画されているということで、その中で移設計画をしていくということを約束したと。
そのときの前新垣部長が答弁した中に、県の拠点産地指定に向けて、低コスト型のハウス導入ということで、農業試験場あたりでも試験研究をしておりますので、その辺の構造計算等がクリアできていれば、非常に低コストのものが導入しやすくなるだろうと。
この台農5号、この品種であるという現場での確認作業については、農業試験場の専門家以外は県の農業改良普及センターの職員であっても、それが確認できないと。ですから畑にある、また庭先にある台農5号らしきものについては、すべて伐採してもらうということになっておりますので、よろしくお願いします。
また翌日、2日後、安村新昌宅で記念植樹をして、そして木の交流として、漢那区出身の伊芸敏雄さん、農業博士で現在農業試験場にお勤めのようでございますが、協力を得てユーカリの木の種を持ち帰ってきました。村緑化振興会で苗をつくり、村内に植えさせていきたいと考えております。 また出張中、留守の間、いろいろと皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。 簡単ですが南米の報告といたします。
ただ今、農業試験場の近くは住宅地域が確保されております。そういう住宅地域を確保するために、土地開発公社が各校区に区画整理事業で、新字になれるような地域をつくれないかどうか。今、農村地域に家をつくろうとしたら1,200坪から1,500坪の農地を持たなければ新住民はつくれないんです。
続いて2点目、県農業試験場園芸支場の跡地利用について、お願いします。兼箇段にあります沖縄県農業試験場園芸支場の跡地を県から買い上げて、農業後継者の育成や食育の推進・支援などを行える研修施設等が整備できないものか、そういう考えがないかご案内ください。 3点目の質問でございますが、学校統廃合についてであります。