沖縄市議会 2007-06-21 06月21日-08号
その県民大会の中で、沖縄社会大衆党、社大党顧問の瑞慶覧長方氏が自決用に日本軍から手榴弾を渡されたと、自身の体験を証言していました。当時は、皇民化教育が徹底されていて、天皇の子である日本人が、もし米軍の捕虜にでもなったら、これ以上の恥はない。だから、いざというときには、自分で決死しなさいということで、日本軍から手榴弾を2個渡されたと証言しておりました。
その県民大会の中で、沖縄社会大衆党、社大党顧問の瑞慶覧長方氏が自決用に日本軍から手榴弾を渡されたと、自身の体験を証言していました。当時は、皇民化教育が徹底されていて、天皇の子である日本人が、もし米軍の捕虜にでもなったら、これ以上の恥はない。だから、いざというときには、自分で決死しなさいということで、日本軍から手榴弾を2個渡されたと証言しておりました。
そして、決議文は、先ほど金武町は他市町村やなんかそういうよその自治体、地方公共団体に対してそういうお願いも、要請もしていないかのごとくの表現がありましたが、要請決議においては、沖縄県知事、沖縄県議会、そしてこれが今まで各市長村が行っている決議とちょっと違うのは、あて先が各政党、自由民主党総裁、民主党代表、公明党代表、社民党党首、日本共産党委員長、沖縄社会大衆党委員長、自由連合代表というふうに我が国の
社社クラブを代表して、沖縄社会大衆党の平良正邦が代表質問させていただきます。 それでは、発言通告に従って質問を行います。 まず最初に難病患者への行政支援事業について質問をします。 去る12月定例会において、難病患者等居宅支援事業に関する質問を行いました。 健康福祉部長は、「患者会の意見も参考に事業の立ち上げが必要かどうか検討をしていきたい」という回答がありました。
我が沖縄社会大衆党は、1950年10月31日に結党され、沖縄の平和と自立のために奮闘する中で、沖縄県民の支持を得て、平良幸一県知事、平良良松那覇市長、島袋宗康元参議院議員、そして、去る7月に行われました参議院選挙において、糸数慶子参議院議員を、小差でもなく、中差でもなく、圧倒的大差で誕生させました。多くのすばらしい先輩たちを輩出してきました。 来年、社大党は結党55周年を迎えます。
私は、大型電光広報板というものですから、しかも交通安全塔というわけでありますから、大きな塔を創造いたしまして、社会大衆党ぐらい大きい塔を本当に想像したんです。直径5mとか、6mとか、10mとか、こういうことをするときに高さが大体10mぐらいあるような、大きなものを想像していたんです。 あちらこちらで見えるものですね。
また日本共産党が推薦した6候補のうち、沖縄社会大衆党3名、革新無所属2名が当選して大田革新県政与党が県議会で過半数を占め、「与野党逆転」の実現に貢献することができました。
沖縄の基地問題に対し、我が社会大衆党は、45年間訴え続けてきた最もすばらしい政党であったということは、今正しく確信いたしたいと思います。 9月に少女婦女暴行が起きて以来、沖縄県民は大変苦痛な思いをしていることでございます。
第5点、市庁舎の建設計画でございますけれども、これは去った定例議会でも、市長は今期の下半期に建設ということでございましたが、多分、市長は昨年8月8日、木曜日に出した「社会大衆」という新聞の中には、これは社会大衆党の機関紙でございますけれども、新市6カ年計画は前期4年で、既に14%の執行率であり、市庁舎も次年度計画に入っていると言っております。