沖縄市議会 2022-10-20 10月20日-10号
琉球王国時代からニシムイは神聖な場所だったかと思います。公園として、昭和54年に供用開始されてからは当時たくさんの方が利用し、学校の写生大会の場所としてもよく利用されていました。しかし、今では事件事故なども多く、子供だけでは入ってはいけないと教えられていて、憩いの場所である公園が全く機能していない状況であります。 さらに、②公園内西側には人骨が多くあるが対応をお伺いいたします。
琉球王国時代からニシムイは神聖な場所だったかと思います。公園として、昭和54年に供用開始されてからは当時たくさんの方が利用し、学校の写生大会の場所としてもよく利用されていました。しかし、今では事件事故なども多く、子供だけでは入ってはいけないと教えられていて、憩いの場所である公園が全く機能していない状況であります。 さらに、②公園内西側には人骨が多くあるが対応をお伺いいたします。
首里城は琉球王国の政治、それから外交、文化の中心として、威容を誇ったお城であります。行政機関の本部でもあったと解説がされておりますが、2019年10月31日に発生した火災に大変ショックを受けたのですけれども、建物9棟が焼損して、復興途中ではありますが、正殿の遺構が今は見られるということで観光客も多いと伺っております。
またそれにより、この勧告を聞いて、これを見て、一部の人の間には、琉球王国とその後の沖縄は日本に差別を受け続けている地域だという歴史感が浸透してしまっており、これはまさしく沖縄の原点を見失ってしまったと言わざるを得ないというふうに考えています。
参議院議長、沖縄防衛局長 沖縄戦戦没者の遺骨等を含む可能性のある土砂を埋立てに使用しないよう求める意見書 沖縄戦は、日本国において唯一県民を総動員した地上戦であり、このアジア・太平洋戦争において鉄の暴風と表現されるほどの最大規模の戦闘でおびただしい数の砲弾が数か月も撃ち込まれ、沖縄本島の山容を変え、県民と日本兵、米兵等を合わせて20万人余という多くの尊い命が失われるとともに、人々が住む家屋並びに琉球王国
本員は、この「小さな島」というのは、かつて沖縄が琉球王朝時代、舜天王統から数えますと700年も続いた琉球王国。一つのこんな小さな島が、一つの王国で、そして東南アジアを股にかけた大交易時代を迎え、非常に栄えていた。そういうことが琉球、この小さな島。小さな島ですけれども、かつて琉球国としての一国、国であったと。そして世界を股にかけた貿易で栄えたと。
察度は、沖縄本島の中部を治めた中山王であり、1372年に現在の中国に当たる明国と初めて貿易を行い、琉球王国繁栄の礎を築いた宜野湾が誇る偉人であります。
小項目2、市指定文化財南山城跡の国指定に関する要請内容については、南山城跡の国史跡指定と指定後の整備事業への財政支援、琉球王国のグスク及び関連資産群の構成資産の一部として、世界遺産への追加登録への支援を要望しました。 ◎経済部長(兼城浩康君) おはようございます。御質問、件名1、農業行政について。小項目1から3について順にお答えいたします。
察度は、沖縄本島の中部を治めた中山王であり、1372年に現在の中国に当たる明国と初めて貿易を行い、琉球王国繁栄の礎を築いた宜野湾が誇る偉人であります。 また、察度は1321年に現在の大謝名、真志喜、大山地域に当たる謝名村で生まれ、真志喜の森の川に残る羽衣伝説で天女の子と伝えられております。 ○上地安之議長 伊波一男議員。 ◆23番(伊波一男議員) 宜野湾市が誇る人物であるということであります。
尚巴志は本市佐敷に生まれ、三山を統一し、琉球王国建国をなし遂げた人物で、市の偉人でもあり、誇りでもあります。 その人物像を後世の子どもたちに世代を引き継ぎ、南城市を築いていくことこそが私たちに課せられた責務だと思っております。同時に、尚巴志を活用した地域おこしについても、今後、しっかりと取り組んでまいりたいと考えております。
小項目2、南山城跡について「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産登録を目指すべきと考えるが、本市の見解を伺う。 件名4、人口減少、地方創生に関する政策について。小項目1、総務省から令和2年6月1日付「奨学金を活用した若者の地方定着促進要綱」の通知について。ア、概要を伺う。イ、本市において実施する考えがないか見解を伺う。
提案理由、1992年、沖縄県の日本復帰20周年事業として、琉球王国時代の首里城正殿、北殿、南殿等が復元された。2000年には、独特な建築様式や文化的、歴史的価値が認められ「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界文化遺産に登録された。
───────────────────────────────────────── 首里城再建のため台湾産桧材の輸出許可を求める意見書 1992年、沖縄県の日本復帰20周年記念事業として、琉球王国時代の首里城正殿、南殿、北殿等が復元された。2000年には独特な建築様式や文化的、歴史的価値が認められ、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。
琉球王国時代の歴史資料によりますと、万国津梁の鐘の造成や、また娘には百度踏揚(ももとふみあがり)がおります。また第一尚氏第6代の王、尚泰久や尚円王の弟、のちの第二尚氏第2代の王の尚宣威王が越来王子に奉じられてもおります。なお、尚宣威王につきましては、嘉間良地域の比謝川沿いに尚宣威王のものと伝わる墓が所在しております。
観光客、訪れてくれる方々へ首里城と斎場御嶽の歴史を学べる場や、琉球王国のグスク及び関連遺産群として、より良い観光ルートとなるように整備することが世界遺産に登録された斎場御嶽の役割であり、沖縄振興の発展に資するものだと考えられます。
代々、琉球王国は麦の穂が出る旧暦の2月には久高島へ、稲穂が出る旧の4月には、知念、玉城の御嶽を回ったと言われています。 これが東御廻り原型となり、王族から士族、民間へと広がり、いつしか島の人々は、老いも若きもこの巡礼の道をたどりましたと南城市の観光ポータルサイト「らしいね南城市」に紹介されています。 南城市字海野運天家門中は5年に一度、東御廻りを行っています。
首里城や勝連城跡を含む琉球王国のグスク及び関連遺産群のさらなる価値向上と、各地域の文化振興及び観光振興に広域的、波及的につながる事業として、本市の勝連城跡のみならず沖縄の歴史・文化関連施設を周遊していくための情報発信や、旅行業者等とタイアップした新たなコンテンツ開発とツアーの商品化、さらに「肝高の阿麻和利」と連携した体験メニューの提供により、ソフト交付金で実施している勝連城跡周辺文化観光拠点整備事業
斎場御嶽は、御承知のとおり、2000年に琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界文化遺産に登録されたことにより、多くの観光客が訪れております。 斎場御嶽内での転倒事故については、観光協会のほうから、こういった事故については報告を受けております。この27年度からの分でいきますと、これまでに6件、転倒事故については発生しております。
令和2年2月18日に第49回定期総会が自治会館で開催され、日米地位協定の見直しに関する要望決議、琉球王国の歴史と文化を象徴する首里城の早期再建に関する要望決議等を含め4件の決議、さらに令和2年度事業計画、令和2年度一般会計予算等の議案が提案され、全会一致で可決されました。
2点目の採択理由及び見込まれる成果につきましては、首里城や勝連城跡を含む、琉球王国のグスク及び関連遺産群のさらなる価値向上と各地域の文化振興及び観光振興に広域的、波及的につながる事業として評価されております。
本市としましても、首里城を中心とした琉球王国のグスク及び関連遺産群を抱える市町村として、1日も早い復興に向けて支援してまいります。 また、新型コロナウイルスの感染者が県内でも発生したことにつきましては、市民の安心安全を守るため、2月17日に新型インフルエンザ等(コロナウイルス含む)対策本部を設置し、市が主催する催事の自粛や、感染症防止対策に取り組んでまいります。