19件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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那覇市議会 2017-06-14 平成 29年(2017年) 6月定例会-06月14日-07号

これも1回明治時代に途絶えて、その後再興して現在に至っているわけですけれども、首里の儀保町で沖縄でも唯一、伝統的手法に基づいてつくられております。  そして、きょう私が来ている芭蕉布もそうなんですけれども、芭蕉の木から取れるわけですが、芭蕉布とはまた違うバサケーという材料を使いますので、共存共栄できたということでございます。  

那覇市議会 2016-06-14 平成 28年(2016年) 6月定例会-06月14日-04号

副市長もご存じのとおり、尚順男爵が明治時代から大正時代にかけて、珍しい植物を集めて市民の皆様方に開放した、いわゆる尚家のウナーと呼ばれてるイタリアンレストラン、そちらを貸し切ってさせていただいたんですけど、そちらと政治のイベントを掛け合わせる、そして私たちとしましては、幕あけにふさわしいといわれている琉球王朝禮楽の安仁屋眞昭ヌシドゥイ(主取)を筆頭に、おもろそうしを演出させていただきました。  

那覇市議会 2015-09-08 平成 27年(2015年) 9月定例会-09月08日-03号

日本人口は、明治時代、1900年ごろに4,385万人、そして2008年、平成20年に1億2,808万人とピークと迎え、これから人口が減少していくと推計されているわけですが、2050年ごろには1億人を割り、2100年に4,959万人と明治末期ごろの規模となるという推定がございます。  1.こういった現代の流れの中で、人口減少時代への本市の対応について質問いたします。  

那覇市議会 2015-06-24 平成 27年(2015年) 6月定例会-06月24日-04号

沖縄県琉球王国明治時代日本併合、住民を巻き込む地上戦となった沖縄戦戦後アメリカ世、そして本土復帰と大きな歴史の変遷をたどっております。  そうした歴史の流れの中で育まれてきた伝統、文化、風習というものは、今も県民の生活に深く根付き、それを礎としてウチナーンチュのアイデンティティが形づくられているものだと思っております。  

那覇市議会 2012-06-18 平成 24年(2012年) 6月定例会−06月18日-07号

ここは明治時代(1906年)、帝国図書館として建てられた施設が「子どもの本は世界をつなぎ、未来を拓く」という理念のもと、平成12年(2000年)、国際子ども図書館として生まれ変わったものであります。ルネサンス様式の建物で、東京都選定の歴史建造物に指定されております。  国内外の子どもの本があり、子ども用の検索端末で本を探すこともできます。ハード面でも様々なアイデアが施されておりました。

那覇市議会 2008-02-28 平成 20年(2008年) 2月定例会−02月28日-05号

それから2番目に、道州制についてでありますが、この道州制というのは、明治時代から続きました都道府県制度を、道とあるいは州というような形で広域の自治体に再編するという政府の案でありますが、今この沖縄県が単独州ということで、県の幹部の皆さん、あるいは政府制度議会の中では議論があったんですが、去年の10月に道州制の懇話会の議長江口克彦さんが座長をしておりますが、この人のシンポジウムがありまして参加

那覇市議会 2006-12-18 平成 18年(2006年)12月定例会−12月18日-07号

講師の説明によると、明治時代に収集された小禄クンジーの着物が、ベルリン国立民俗博物館に所蔵されているとのことであります。そのためにも、今回講座が終了しても、受講者の中から戦前まで盛んに織られた小禄クンジーの継承発展をするためにも、今後とも織り手の育成にご支援をお願いし、また、私たち小禄地域の出身議員も、特に湧川議員も含めて応援しますので、よろしくお願い申し上げて、私の質問を終わります。

那覇市議会 2006-05-29 平成 18年(2006年) 5月臨時会−05月29日-01号

1点目に、今日の議員定数に関する基本的な考え方自体が明治時代の市制・町村制において制定されて以来、根本的な見直しがなされないまま今日に至っているとの指摘があることから、単純に百数十年の歴史の中で、市民に定着した定数なので、これ以上減らすべきではないとか、地方議会はこれまでにかなり減らしてきたから十分であるとの考え方には単純に同調できないこと。  

那覇市議会 2002-12-16 平成 14年(2002年)12月定例会-12月16日-05号

明治時代大日本帝国憲法というのが制定されて、その教育の中で国体という国を中心とした憲法がございまして、教育勅語あり、それから天皇陛下万歳だというふうなことまであって、戦争までいったという経緯もありますから、教育の偉大さ、恐ろしさ、これを身にもって我々は考えなければならないと思っております。  

那覇市議会 2002-03-05 平成 14年(2002年) 2月定例会-03月05日-05号

この名護親方、程順則が自費版行し、程順則の努力で琉球に広く普及した六諭衍義は、ときの島津藩の吉貴公に献上されたものが、さらに吉貴公の手を通して、幕府に献上され、将軍徳川吉宗が室鳩巣に翻訳させ、刊行し、教訓書として日本全国で用いられ、各藩校のテキスト、寺小屋での庶民の手習いとして、明治時代まで、数多く出版され続けたのでございます。  

那覇市議会 1998-09-09 平成 10年(1998年) 9月定例会-09月09日-02号

明治時代になりまして、日露戦争はじめ第1次大戦、支那事変、いろいろと政変しまして、いろいろな戦争を体験いたしまして、昭和16年12月8日に始まりました第2次大戦が昭和20年に敗戦するということで終結しました。それ以来、戦後という言葉を用いておりますが、50数年間、平和に暮らしていると私は思いますが、皆さんもそのようにご理解していると思っております。  

那覇市議会 1995-12-06 平成 07年(1995年)12月定例会-12月06日-02号

◎市長(親泊康晴君)  まず、第1点の我が国から見た沖縄歴史的な認識というふうなことでありますけれども、この件につきましては、明治時代を遡れば、われわれは今この問題を第三の処分というふうなことを言ってもいいぐらいに、今度の事件はあまりにも大きな問題であるというふうな認識をもっておりまして、また、今糸洲議員からもお話がありましたように、去る50年前の第2次大戦の沖縄戦というものは、これは何人も否定できない

宜野湾市議会 1972-03-26 03月26日-13号

同氏の説明の内容は、「明治時代国家の基盤を築くため7万余の市町村を1万6,000弱にした。昭和の大合併では、戦後の民主改革で9,800余に減少した。今回は新世紀を迎え、地方分権という大きな課題を実現するためには市町村の力を大きく飛躍させる位置づけだ。沖縄には特別な事情がある中、合併を推進し、平成の大合併ができたという時期が来ることを強く期待したい」と結んでいました。

うるま市議会 1972-03-14 03月14日-11号

字塩屋における塩づくりの歴史明治時代に始まったと言われております。現金収入を得るために唯一の生業として取り組んだのが塩づくりでありました。遠浅の地形を生かした広大な干潟を利用し、揚げ浜式と言われる手法で塩づくりが行われたと聞いています。勅令により塩専売法が明治38年に施行され、公有水面の中で製塩業を営む個人土地所有権を認めた全国、沖縄県内でも数少ない事例だと思われます。

うるま市議会 1968-07-04 07月04日-09号

沖縄の闘牛は戦前戦後を経て、今日に至っておりますが、由来は明治時代からという説がございます。鹿児島県徳之島の闘牛は500年の歴史があると言われております。島根県沖の島の闘牛は、後鳥羽天皇を慰めたという由来がございまして、780年の歴史があると言われております。新潟県山古志村の闘牛は国の無形文化財に指定されております。

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