那覇市議会 2003-02-27 平成 15年(2003年) 2月定例会-02月27日-02号
宮城町長が岡本行夫さんに嘉手納の写真を託して、キャンベルさんなどに見せたように、嘉手納の上空写真も嘉手納の飛行場周辺には、もう住宅が密集しておりまして、そういうところに海兵隊が入っていく、これは機能としてもいろいろありますけれども、住宅密集地でのさらなる重なり合いというものは、これはだれが見ても1年、2年で物事が解決する問題ではない。
宮城町長が岡本行夫さんに嘉手納の写真を託して、キャンベルさんなどに見せたように、嘉手納の上空写真も嘉手納の飛行場周辺には、もう住宅が密集しておりまして、そういうところに海兵隊が入っていく、これは機能としてもいろいろありますけれども、住宅密集地でのさらなる重なり合いというものは、これはだれが見ても1年、2年で物事が解決する問題ではない。
特に川平湾はかの岡本太郎氏が「いかなる画人のいかなる紙上をもってしても、その表現は困難である」と言わしめたほど美しいものがあります。60万人の観光客の8割近くが川平湾を訪れる人気ナンバーワンの観光地で、石垣島の宝であります。従いまして、観光産業振興の面からも赤土流出を何としても食い止めなければなりません。そのために、観光地の巡回や赤土対策本部で開発パトロール班を組織し巡視しています。
しかしながら、その時点で時の梶山官房長官と私と岡本首相補佐官でずっと詰めてきたいきさつがありますが、当時は、梶山官房長官のお話では、当時の自治省にあるいろいろな財政的な部分的なものをかき集めてきて、150億円を設定したということでありました。それはどこからどういうふうなかたちで集めてきたものなのか、はっきりしませんでした。しかしながら、私ども島田懇談会事業がこれから進んでいく。
しかしながら、その時点で時の梶山官房長官と私と岡本首相補佐官でずっと詰めてきたいきさつがありますが、当時は、梶山官房長官のお話では、当時の自治省にあるいろいろな財政的な部分的なものをかき集めてきて、150億円を設定したということでありました。それはどこからどういうふうなかたちで集めてきたものなのか、はっきりしませんでした。しかしながら、私ども島田懇談会事業がこれから進んでいく。
岡本行男首相補佐官から預かった泡盛1本と御自身の家族分で計4本を携えて400年祭記念事業として奉納するために平成10年2月2日、受け付け第1号として宮城篤実町長が商工会の窓口を訪れております。ここにその時の紹介がありますし、宮城篤実町長の思いが述べられております。いわゆる記念事業の企画第1号と思われますが、あわせて私も家族、知人、友人を呼びかけ、かなりの本数を届けてあります。
岡本行男首相補佐官から預かった泡盛1本と御自身の家族分で計4本を携えて400年祭記念事業として奉納するために平成10年2月2日、受け付け第1号として宮城篤実町長が商工会の窓口を訪れております。ここにその時の紹介がありますし、宮城篤実町長の思いが述べられております。いわゆる記念事業の企画第1号と思われますが、あわせて私も家族、知人、友人を呼びかけ、かなりの本数を届けてあります。
タウンセンターの2点目、防衛施設局のビルのデザインについてでありますけれども、これから考えるわけですけれども、日曜評論という新聞の中で、町友であります岡本行夫さんが、金武の照明を担当してもらった方がいるわけですが、これは日本一のデザイナーと言われておりますけれども、石井素子さん、その人がですね、金武の照明を担当しておりますし、またこの石井素子さんのやってきた仕事がですね、例えば東京駅、東京タワー、東京湾
タウンセンターの2点目、防衛施設局のビルのデザインについてでありますけれども、これから考えるわけですけれども、日曜評論という新聞の中で、町友であります岡本行夫さんが、金武の照明を担当してもらった方がいるわけですが、これは日本一のデザイナーと言われておりますけれども、石井素子さん、その人がですね、金武の照明を担当しておりますし、またこの石井素子さんのやってきた仕事がですね、例えば東京駅、東京タワー、東京湾
また、去る3月4日に沖縄コンベンションセンターで開かれました沖縄21世紀フォーラム99において、稲嶺県知事、当町の宮城篤実町長をはじめ沖縄振興に関わる先生方の活発なパネルディスカッションが行われましたが、その中で岡本前首相補佐官は当外語塾の件にふれておりまして、次のようなコメントをされております。
また、去る3月4日に沖縄コンベンションセンターで開かれました沖縄21世紀フォーラム99において、稲嶺県知事、当町の宮城篤実町長をはじめ沖縄振興に関わる先生方の活発なパネルディスカッションが行われましたが、その中で岡本前首相補佐官は当外語塾の件にふれておりまして、次のようなコメントをされております。
その中に、中の町の担当職員も配置しまして、現在取り組んでいるとともに、更に市長によります島田懇談会の座長であります島田座長と、更に委員でございます岡本前補佐官、更に内閣官房内政審議室、あるいはそこの沖縄問題担当であります安達室長への要請を市長からしたところでございます。
その間、島田晴雄座長(慶応義塾大学教授)、稲嶺恵一副座長(りゅうせき会長)、岡本行夫委員(前内閣総理大臣補佐官)、真栄城守定委員(琉球大学助教授)、牧野浩隆委員(琉球銀行常務監査役)の方々の指導を受けながら進めてきた。 更に、基礎調査として、こどもの国、文化協会、観光協会、教育委員会関係の方々と意見を交換した。
生涯学習支援センターの件で内閣官房内閣内政審議委員と岡本行夫前補佐官に要請をしてあります。そして24日には同じく島田懇談会委員の皆さんであります小林さんや、あるいは文部省、それに開発庁の前の事務次官である牧さん等にも生涯学習支援センターについて要請を致しました。9月27日が第51回北谷町陸上競技大会が催されております。 10月7日から16日までの件でございます。
それどころか嘉手納基地移設の問題が起こったとき、真っ先に反対したのは岡本当時の首相補佐官であります。沖縄県が嘉手納基地への統合を画策した事実があったときに、私たち三連協は立ち上がりました。県に対して、県知事、副知事に会見を求めてそういう合意した事実関係を突きつけながら私たちはどうなのかという釈明を求めたら、知事も副知事も逃げまくった。
それどころか嘉手納基地移設の問題が起こったとき、真っ先に反対したのは岡本当時の首相補佐官であります。沖縄県が嘉手納基地への統合を画策した事実があったときに、私たち三連協は立ち上がりました。県に対して、県知事、副知事に会見を求めてそういう合意した事実関係を突きつけながら私たちはどうなのかという釈明を求めたら、知事も副知事も逃げまくった。
次に、保安水域についての質疑に対して、岡本補佐官及び米領事に対しても早期返還の協力要請を行ってきたとの答弁がありました。 10款1項3目1節 報酬(登校拒否児童生徒適応指導員、教育相談員)について 全国的に学校現場では度々、殺傷事件が起こり、沖縄市の子供を持つ父母もたいへんそういう事件については心配している昨今である。
そして実はこの委嘱状の交付の時にですね、岡本首相補佐官も実は同席されているわけですけれども、補佐官が町の発展は町当局とチーム未来のチームワークにかかる部分が大きいというふうな話をされているわけですね。
2点目に保安水域の解除はどうなっているかというご質疑でございますが、これについては平成7年2月24日に新しい土地利用の計画に基づいた返還要請書を防衛施設局に提出して以来、現在までいろいろ市長をはじめ防衛施設局、あるいは防衛庁、それから開発庁、あるいは岡本補佐官等もいろいろ要請しているところでございます。特に市長、それから推進協議会のメンバーで要請をかけているということでございます。
また、岡本行夫内閣総理大臣補佐官は、沖縄振興策について「沖縄問題の大半は基地問題です。沖縄の基地は27年間のアメリカの施政権下で、米軍の事情を優先し、住民生活を考えずにつくられてきたものです。ようやく日本に復帰したけれども基地は減らない。日本全国の米軍基地の75パーセントが沖縄に集中している。
それから2点目の保安水域解除についての見通しはどうなっているかということでございますが、これについては平成7年2月24日付で新しい土地利用計画に基づく保安水域の一部返還要請を申請したところでありますが、その後は市長が先頭に立ちまして、那覇防衛施設局、防衛施設庁長官、更には岡本首相補佐官、原島沖縄大使等に対し、早期返還の要請を重ねてまいっているところでございますが、その申請書でいつ頃できるかという返答