166件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

那覇市議会 2001-12-11 平成 13年(2001年)12月定例会-12月11日-05号

ただでさえも短期証の負い目を持っているのに、差別と屈辱を与えるべきではありません。  例えば、子どもたちが修学旅行に行くときに保険証を持っていきますが、ほかの子と明らかに違う色の手帳を持っていたら、この子に対する心理的な影響はどうでしょうか。正規手帳と同じ色にすべきであります。隣の豊見城村、そして浦添市も正規手帳と同じ色です。なぜ、那覇市はこれをやっているのか、説明をしてください。  

北谷町議会 2001-03-19 03月19日-05号

本町ハンビー地域での連続放火事件では、商店街や住宅が密集する繁華街での悪質な放火事件を引き起こしながら、基地に逃げ込んだ米兵米軍引き渡しを拒否、この事件では、全面占領下屈辱的な状態をいまだに引き継いでいることを改めて県民に示すものとなりました。これらの一連の米兵犯罪に対し、本町議会は、海兵隊は撤退せよということを全会一致で決議し、全国的な関心を呼びました。 

那覇市議会 2001-03-01 平成 13年(2001年) 2月定例会-03月01日-03号

日本状態は、地位協定全面占領下屈辱状態を基本的に引き継いで、日米安保条約のもとで、日本国民の苦しみの根源になっております。外国では、ドイツが、米軍基地内での警察権行使環境アセスメント義務付けなどドイツ側の大幅な権利を認めさせる改定を実現しています。  市長外国軍隊のいない沖縄日本を実現することを考えたことはないのか。米兵の相次ぐ事件・事故が続いている。

那覇市議会 2000-12-18 平成 12年(2000年)12月定例会-12月18日-06号

沖縄県民は、米軍基地や、軍人・軍属による環境問題や、凶悪事件などが続発する要因の一つがあまりにも不平等で、屈辱的な日米地位協定にあるとして、その見直し日米政府に強く求めてきました。  しかし、政府は昨年、12月8日の閣議で、地位協定運用改善などと、県民願いに背を向け続けてきました。  

宜野湾市議会 2000-03-27 03月27日-11号

市民県民感情を逆なでし、余りにも屈辱的手法と言わざるを得ませんね。両国を代表する首脳の対談は、対等平等、公正公平に、しかも基地を認める、認めないの立場にかかわりなく、希望する市民がだれもが参加できる場所で開くべきではないでしょうか。 ○議長天久嘉栄君) 市長。 ◎市長比嘉盛光君) お答え申し上げます。

那覇市議会 1999-05-19 平成 11年(1999年) 5月臨時会−05月19日-01号

そういう面で、ぜひとも皆さんも一緒になって共に考え方、違いを超えて、本当に外国軍隊のない、外国軍隊によって日本国民屈辱を受けない。そういう真に誇りある日本をつくつていこうではありませんか。これをもちまして、洲鎌議員質疑にお答えいたします。   (「議長質疑の答弁になってないよ。中国が与那国の周辺50qのところに」と言う者あり) ○議長上原清君)  休憩いたします。            

北谷町議会 1998-06-22 06月22日-03号

5番目に、短期保険証交付、今、1か月単位でですね、滞納者について1か月単位保険証を切り替えるという、非常に被保険者にとってはですね、屈辱的な取り扱いになっております。運用をなさっています。ところがこれは全県的にも行われていることでありまして、なにも北谷町だけばかりではありませんけれども、これについて被交付者数は何人いるか。 

那覇市議会 1997-12-05 平成 09年(1997年)12月定例会-12月05日-03号

日米防衛協力のための指針、ガイドライン見直しが行われ、日米軍事協力強化へと進展した沖縄返還が、日米軍事協力出発点となったように、またしても同じ轍を踏まされていると、橋本内閣基本姿勢を厳しく批判し、核も基地もない沖縄の実現を求める沖縄県民国民願いを踏みにじって行われた28年前の屈辱的な日米合意が結ばれた11月21日に記念式典を行った橋本内閣政治感覚自体沖縄問題における県民無視国民無視

沖縄市議会 1997-09-29 09月29日-07号

本当は屈辱の日としか思えないんだけれども、それを記念してやる必要があるのかと思います。 それから親子平和大使についてですけれども、本当に教育的にどういうものがあるのかということ、平和というのは何でしょうか。戦争だけのことですか。

嘉手納町議会 1997-06-18 06月18日-01号

まさに時代錯誤も甚だしく、嘉手納町民、いや沖縄県民にとって屈辱的な文面であります。 参考までに、嘉手納空軍飛行場並びに嘉手納弾薬庫地区のフェンスの警告板内容は、米陸軍貯油施設とは違い、問題はないと思います。参考までに嘉手納飛行場にある文面ですが、ちょっと見えづらいんですが、薄れてですね。施設司令官の許可なく当地域への立ち入りは違法である。

那覇市議会 1996-12-09 平成 08年(1996年)12月定例会-12月09日-03号

たちがこの事件は絶対に生涯忘れてはならない屈辱的な事件ではないでしょうか。  米軍たちが引き起こしたこの事件というのは、復帰後だけでも4,700件を超えているのでありまして、その米軍人たちの存在というのは、米軍基地があるがゆえでありまして、その米軍基地は、いわゆる日米安保条約に基づいていることは、明らかでございます。

那覇市議会 1996-09-11 平成 08年(1996年) 9月定例会-09月11日-03号

県においても、昨年の9月に発生した米兵による少女乱暴事件は、県民に大きな衝撃を与え、衝撃怒りへと変わり、さらに屈辱に耐えた県民の平和を求める声は、米軍基地整理縮小日米地位協定見直しを求め、大きなうねりとなって、全国世界へと広がってきました。このように沖縄基地問題が全国的な広がりを示したことは、時代の当然の流れであると感じます。  

那覇市議会 1996-03-12 平成 08年(1996年) 3月定例会−03月12日-05号

切り捨てられる子どもには、屈辱感、人生に対する無力感が蓄積されていきます。そうした中で、子どもの知識と体の健全な発達がゆがめられ、子どもの中で特定の人間に対する軽蔑・侮辱が横行しているのです。  また、この教育政策は、子どもをもっぱら管理・監督の対象として扱う管理主義教育を、学校・教師に押しつけてきました。

那覇市議会 1996-03-07 平成 08年(1996年) 3月定例会−03月07日-02号

県内においても、昨年の9月に発生した米兵による少女乱暴事件は、県民に大きな衝撃を与え、衝撃怒りへと変わり、さらに屈辱に耐えた県民の平和を求める声は、米軍基地整理縮小撤去日米地位協定見直しを求め、大きなうねりとなって全国へ、世界へと広がっていきました。このように沖縄基地問題が全国的な広がりを示したことは、時代の当然の流れであると感じます。  

沖縄市議会 1995-12-25 12月25日-07号

あの3人の米兵による少女暴行事件に端を発して、県民に27年間の米軍占領時代屈辱的な事件を思い起こさせ、戦後50年経っても軍事支配は終ってないことを物語っております。今も国民主権は侵され、民族の悲劇は繰り返されているのであります。 最近、民謡歌手による沖縄を返せ、あえて沖縄を返せというように歌っているのが話題となっております。

沖縄市議会 1995-12-11 12月11日-02号

終戦後27年間も米国の施政権下沖縄をおいた屈辱的な第一歩の文書であったわけであります。このことを私は平和の日が制定される際、委員会等で強く主張しました。当時この案を作成した企画部においては、私が入手していた沖縄本島以外で行われた日米両軍による降伏文書はいずれも入手しておらず、まず平和の日を定めることが、第一義であり、降伏文書内容そのものは、深く調査をしていなかったのが実状であります。 

那覇市議会 1995-12-07 平成 07年(1995年)12月定例会-12月07日-03号

地方自治体の論理、視点から基地返還を迫り、捜査権逮捕権、微税権の回復など主権問題が真正面から取り上げられ、これまでの屈辱性を排除する観点が貫かれているのであります。この中には、これまでの親泊市長の奮闘された那覇軍港返還要求那覇空港の進入管制業務、カデナ・ラプコンの移管問題も含まれています。市長のご見解をお伺いします。  次に、代理署名問題について質問します。  

嘉手納町議会 1995-09-18 09月18日-04号

とりわけ米軍日米安保条約に基づく日米地位協定を盾に、犯人の身柄の引き渡しを拒否していることは、地位協定日本主権を侵害し、米軍の特権を保障したいかに屈辱的なのであるかを鮮明にしたものとして、基地撤去日米安保条約地位協定の廃棄こそが問題の真の解決につながっていることを示しているわけであります。