509件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

沖縄市議会 1999-06-16 06月16日-05号

ご提言のサミット関連補助につきましては、海邦国体の時に、街をきれいにしようという運動を展開したこともございますので、この件につきましては、今後、検討していきたいというように考えております。 ○新里八十秀議長 喜友名朝清君。 ◆喜友名朝清議員 保安水域共同使用の件ですが、私がお尋ねしたのは、保安水域である海上の現在の海上の時の共同使用なのか。

那覇市議会 1999-05-19 平成 11年(1999年) 5月臨時会−05月19日-01号

また、戦後は国体護持の観点から、講和条約の際に沖縄だけ分離され、異民族の支配下に置かれてきました。  私の友人の一人の先輩に、慶良間の出身の方がいます。彼の眉間には、大きな傷が残っております。彼の父と母、おじいさん、おばあさん、それと兄と姉は集団自決で亡くなりました。石やナタで頭をかち割られ、また、鎌で首をかき切った家族の中に、額から血を流して泣き叫ぶ2歳の彼を、伯父が見つけ出しました。

北谷町議会 1999-03-26 03月26日-08号

瑞慶覧基地におきましては、県道130号線、瑞慶覧消防前から宜野湾市の普天間に通ずる南北線、もう1本がリージョンクラブ前からハンビー地域へ通ずる東西線嘉手納基地におきましては、砂辺の第1ゲートから沖縄市の第2ゲートに通ずる東西線と知花の第3ゲートから国体道路の第5ゲートの通ずる南北線、それぞれの共同使用について、関係機関中部市町村会として協力に申し入れていただきたいと思うわけでございます。 

沖縄市議会 1998-10-14 10月14日-11号

ども建設部市民憲章推進協議会共催事業として、これまで昭和62年の海邦国体をきっかけに花いっぱいコンクール、更に平成元年度から花いっぱいモデル地区を加えて事業を実施してまいりました。ちなみに花いっぱいコンクールにつきましては、第1回目が20数団体、これが平成9年度は参加団体が63団体に増えてきております。

沖縄市議会 1998-10-13 10月13日-10号

いま南桃原と山内自治会の境目でございますけれども、国体道路球陽高校を結ぶ道路がございます。最近ではコープとか、さくもとかねひでココマート等、お店が立ち並ぶようになっておりますが、特にコープが9時にお店を閉めるものだから、電灯を消してしまいます。そうすると、一面真っ暗になっているという状況がございます。

宜野湾市議会 1998-10-12 10月12日-07号

宜野湾マリーナ整備工事、当初の設置が御承知のように、昭和57年の6月に港湾決定されまして、昭和62年の海邦国体ヨット競技会場として、第1次分の工事が完成しました。さらに、昭和63年には、文書による拠点マリーナ整備構想が打ち出されまして、現行の宜野湾マリーナ300艇の収容が拡張によって810艇になるということが打ち出されまして、県としても第2期目の港湾拡張工事に着手したわけでございます。

北谷町議会 1998-10-05 10月05日-04号

次に桑江中央線についてでございますが、この道路については路線の起点沖縄北谷線通称国体道路と言われておりますけれども、起点といたしましてキャンプ桑江提供施設の境界までの幅員12メートル、延長にして1千630メートルで計画されておりますけれども、一部まだ未整備な所がありまして、役場へのアクセスができないという状況ですけども、これにつきましても地権者の了解がまだ得られてない、そのひとつの原因としては

沖縄市議会 1998-10-02 10月02日-05号

2.面 積  13,440.09平方メートル3.図面別添 図面を参照していただきたいと思いますが、泡瀬から国体主会場へ通ずる道路でございます。新旧対照図面を添付してございます。参照していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○新里八十秀議長 以上で提出者の説明を終ります。なお質疑等については後日行います。 △日程第5 議案第5号 字の区域の変更についてを議題といたします。

北谷町議会 1998-09-30 09月30日-03号

水道課長比嘉武夫君)  復帰前後の老朽管はほとんど鋼管でありまして、まだ国道国体道路など、それから上勢桑江地内、宮城、今回も工事入れますけれども、あと一部ですね、そういうことで、私たち担当課としては平成13年度までにはある程度の目途を付けたいと思っておりますけれども、それは対応する財源等もありますので、若干延びる可能性はあると思いますが、考え方としては平成13年度あたりまでには改良をしていきたいというふうに

那覇市議会 1998-06-18 平成 10年(1998年) 6月定例会-06月18日-07号

1989年からワールドシリーズも始まり、1992年には国際協議規則も定められ、2年前の1996年、アトランタオリンピックより正式種目となり、日本国内でも去年の大阪で開催された国体で、公開種目として行われています。近い将来、国体種目となるのも確実であります。沖縄県でも年々盛んに開催されるようになりました。  

那覇市議会 1998-06-15 平成 10年(1998年) 6月定例会-06月15日-04号

大体10年前に、国体の前後に日の丸・君が代問題で、翻弄されました世代としては、感慨深いものがあったことをまずお話しさせていただきたいと思います。  さて、質問に入ってまいります。  市町村合併についてでございます。  3月議会を経まして、4月、5月、私もいろいろとこの問題、知恵をいただきちょっと情報を集めてまいりました。  

沖縄市議会 1997-12-10 12月10日-04号

それから同じく11ページの13款1項5目災害復旧費国庫負担金泡瀬国体線災害復旧事業、国の補助、それから市の市債事業をすることになっておりますけれども、去る8月の台風13号のときに、泡瀬地域災害、それも一緒でしたけれども、あの時に排水路のほうから水が溢れ出して、たいへん災害、被害を受けたんですが、あれについてもそういう災害復旧費からどうにかできないのか、国体道路については、人は住んでないんですよね

那覇市議会 1997-12-08 平成 09年(1997年)12月定例会-12月08日-04号

去る太平洋戦争末期において、サイパン島の陥落により日本の敗戦が濃厚となっていく状況の中で、沖縄戦本土防衛国体護持のための時間稼ぎである捨て石作戦として遂行され、沖縄国内で唯一、一般住民を巻き込んだ猛烈な地上戦となった鉄の暴風とも言われる戦火のもとで、沖縄県民は想像を絶する極限状態を経験し、二十万人余の尊い命と多くの貴重な文化遺産を失いました。

沖縄市議会 1997-09-29 09月29日-07号

それから暴風対策について、これはてっとり早く申し上げますと、コザ運動公園の前の看板をやったのが、海邦国体の時につくったのがありますよね。あのほうが吹き飛ばされたわけなんですが、あの時、これについてはどういうような対策をしたか。あれはもう大きな塔付きでやっているわけなんですが、これを外してあったのかどうか、そのへんを教えてもらいたいと思うんですよ。 

那覇市議会 1997-09-17 平成 09年(1997年) 9月定例会−09月17日-06号

この祭典は、規模において準国体並みといわれながら、国体のような競技大会ではないところから、交流経済効果に対する期待が大きい祭典とも言われております。しかも、参加者の約7割、5,315人が、この那覇市に宿泊することからも、本市にとって競技の普及はもとより、交流経済効果は、大変なものがあると考えます。経済部の視点から、どのような対策を計画されているか、お尋ねいたします。