名護市議会 2021-06-10 06月17日-05号
何でかというと、福島県南相馬市ではそもそも予約をしなかったと。この日に来てくださいと。来られない方は連絡してくださいのほうが圧倒的に人数が少ないのです。そういう方法を取っていたと。ただ、今65歳以上で予約の体制を取っているということで、なかなかこれをやめるということはできないと思います。それでちょっと提案ですけれども、いま電話予約を受ける人数を増やすということがありました。
何でかというと、福島県南相馬市ではそもそも予約をしなかったと。この日に来てくださいと。来られない方は連絡してくださいのほうが圧倒的に人数が少ないのです。そういう方法を取っていたと。ただ、今65歳以上で予約の体制を取っているということで、なかなかこれをやめるということはできないと思います。それでちょっと提案ですけれども、いま電話予約を受ける人数を増やすということがありました。
私も、この原発事故があった2011年3月11日から2カ月ほど後に、宮城県石巻市と原発のある女川町、それから福島県相馬市と南相馬市に行きました。南相馬市に行ったら、原発の近くに30キロ地点というのがあって、そこは通行止めであることを見ました。その間、この地域を見て茫然(ぼうぜん)とした気持ちに襲われたというのが第一印象であります。
一部の自治体では子どもの貧困対策とか、そういうものにも使っていまして、逆に返礼品などは福島の南相馬市、震災で大きな被害を受けましたけれども、もう地域の特産品だけではなくて、スポーツメーカーのアディダスというメーカーがありますよね。サッカーとか、いろいろなもので。
私も地震発生から津波発生、それから原発の爆発発生から2カ月後の5月に福島県の相馬市と南相馬市、南相馬市から立ち入り禁止の20キロ地点の所まで行き、さらに宮城県女川町などに行ってきました。
私たちは、今回の機会を利用して、福島県浜通南相馬市等の各地の現在の様子を見て回りました。この地域は、東日本大震災において、人々が住む町や、緑豊かな田畑に地震や津波が容赦なく襲いかかってきた地域であり、3年が経過した今日でも想像を絶する地震や大津波の甚大な被害の痕跡を容易に想像することが出来ました。
また、伊良波小学校の吹奏楽部に南相馬市から来た子がいまして、その子が帰るという話がありましたので、その子に南相馬市にということで義援金を預けて支援したこともございました。
これは原発で被害を受けた南相馬市のごみ袋なんですけども、きちんと結わえる、持ち運びができる、そういった袋になっております。ですから、子育て中の父母が子供の手を引きながら片手でこれをぶら下げていくことが可能です。そういった袋へぜひ改善をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。 次に、伊良部大橋についてですが、航路の補償についてお伺いいたします。
◆比嘉徳雄 議員 きょうの朝6時半のNHKのニュースで、福島県の南相馬市が東日本大震災で被害に遭った土地を大手企業、私が出したそういう関連の企業に土地を貸し出しして、1台目がソーラーシステムとしての契約がなされたと報道がありました。再生可能エネルギー特別法にマッチした環境にやさしい、また財政にも寄与し一挙両得であると、私もこれはいい制度だと思います。
それから岩手県大船渡市へ保健師1人、それから宮城県亘理町、福島県南相馬市へまち研の職員8名を支援のため派遣をしております。それから今後についてでありますけれども、当面、現在行っている支援で継続可能なものは引き続き実施していきたいと考えております。
同様な趣旨の事業として、沖縄県教育委員会が昨年8月に福島第一原子力発電所事故による計画的避難区域に指定された福島県南相馬市の小中学校から児童生徒、引率者143名を4泊5日の日程で招いております。 以上でございます。 ○議長(伊良皆高信君) 教育部長、前花雄二君。 ◎教育部長(前花雄二君) 廃止決定をどのように受けとめ容認したかについてお答えいたします。
1年過ぎた先日の3月11日のテレビの特集で幼児2人を抱えた若い夫婦が南相馬市からほかの県へ移転する決断をしました。このような方々はたくさんおられるようであります。南相馬市にとどまるべきかどうか、悩んだけれども、放射能による子どもへの被害を考えて移転をしたという苦しい思いを語っておりました。この方は原発から15キロ地点であります。
福島県南相馬市の田で12日に行われた除染試験の結果に集まった農家や、JA職員からどよめきが起こりました。小型のパワーショベルで表土を5センチ削りとり、その下25センチ分を掘り出したところに埋め戻し、掘り出した土をかぶせ入れる反転耕。線量計をかざすと作業前に1時間当たり0.22マイクロシーベルトを示した放射線量は3分の1の0.08マイクロシーベルトに低下したとあります。
東北の白砂青松の美しい海岸線が津波でさま変わりしてショック、南相馬市の桜井勝延市長が復興だ、復旧だというときではない、まだ復興だという言葉を聞きたくない、そう話していたけど、それが実感だと。 その問題の福島の原発は、高レベルの放射能、冷却水を経由して外に出始めて、この放射能が日本だけではなくて世界に広がるのを食いとめるかどうか、そういう非常事態の瀬戸際にいます。
福島県は原発に近い南相馬市の約30キロ以内の所まで行くことができました。あと相馬市、さらに福島市内を見て、宮城県の石巻市と女川町に行きました。2日間ですので、この5つのまちのほんの一部しか見れなかったと思います。そして被災地全体からいえば、もうわずかの場面しか見ることができませんでした。それでもテレビで見る以上に、あの場面に立つと声が出ない。