与那原町議会 2019-06-13 06月13日-04号
嫁の実家は会場から3分ですと、北海道出身の方が来て、こういう温かいものもあります。うちも今回、実行委員会を立ち上げまして、次郎工業の会長に会長になってもらいましたので、これからも続けていきたいと思います。それでは①昨年、第1回目の兄弟小節大会が開かれたが、町としての評価はどうか伺う。 ◎生涯学習振興課長(新垣政孝) 議員の皆様おはようございます。それではただいまの質問にお答えいたします。
嫁の実家は会場から3分ですと、北海道出身の方が来て、こういう温かいものもあります。うちも今回、実行委員会を立ち上げまして、次郎工業の会長に会長になってもらいましたので、これからも続けていきたいと思います。それでは①昨年、第1回目の兄弟小節大会が開かれたが、町としての評価はどうか伺う。 ◎生涯学習振興課長(新垣政孝) 議員の皆様おはようございます。それではただいまの質問にお答えいたします。
県の離島を抱える自治体で構成されております離島市町村会の議員研修でもですね、一昨年ですかね、自治会館で北海道出身の観光カリスマ先生を迎えてですね、地消地産で観光振興に成果を上げている地域を紹介しておりました。当局はこの地消地産ということをどう現在考えているのか、お聞きしたいなと思っております。 2点目に、地域おこし事業について、モリンガについてですね、お伺いしたいと思います。
そういったものに行政としては、本当に優先順位をつけながらやっていかないといけないという難しい対応もあると思うんですが、ここに越して来た方々というのは、北海道出身の方とか、県外の方も多いです。
そのときは委員会方式でつくったのですが、その委員会の委員長が琉大の教授でしたけれども、北海道出身の先生が委員長になってつくらせていただいたのですが、この先生が沖縄のハイサイというのは、元気よく大きな声でハイサイということで使っていただきたいというのを思い出しました。
実は、この遺骨収集について、私は北海道出身の沖縄戦に参戦した南義雄さんという方の沖縄戦、三中隊兵士の手記という本を読みましたけれども、この方は数回沖縄に遺骨収集、自分でやっているのです。
北海道出身で3級隊兵士として沖縄戦に参加し、今なお戦友の遺骨収集にかかわっている南ヨシオさんは手記で次のように述べています。「外地ならいざ知らず、わが国の本土(沖縄)に戦後30有余年を過ぎ去った今日、遺骨が残されていることはまことに残念に思い、国の無責任を憎むものの1人である。赤紙1枚の召集令状により、あるいは一銭五厘のはがき1枚で軍隊へと駆り出された。
◆13番(上門孝子君) この日豪経済連携協定の問題については、開会中の参議院予算委員会でも数名の参議院議員が取り上げておりましたが、中でも北海道出身の参議院議員が取り上げておりましたことが、仮にこのEPAが締結された場合、北海道は全体で単年度で1兆3,000億円のマイナスになり、結果として北海道は100年前の開拓時代のあの荒野原になるだろうということを切実に訴えておりました。
北海道出身の生き残りの一人の兵士が建設中に250ドルの寄附をして下さいましたことは事実でありますが、塔の名前を南北の塔に決めたのは区民であるそうであります。塔の名称は初めは、北から南までの方々が納骨されているから北南の塔としましたが、石材屋さんに行きそのことを告げると、石材屋さんが、南北の塔の方が読みやすい、言いやすいということで、南北の塔に決めたということであります。